再び、iPad購入半年の途中経過報告である。 居間と書斎の二台の卓上型パソコンのiMacに、iPadが新たに加わり、生活パターンが
変わったことは何度か書いてきた。 先日、新たに書籍を70冊を電子化のため業者に送ったが、愛蔵書の電子化は合計120冊。
蔵書の電子化は一応終了だが、これで何処にいても書斎にいる気持ちになれる。それにネットで購入した電子本が入っている。
タブレット一枚を持ち歩けば、何処にいても自分の居場所にいるような不思議な感覚になれる。タブレットの読書は抵抗がないか?
と問われれば、まったくない。 三台のパソコンの画面のファイルに入れておき、ことあるごとに開けるのがよい。
 タブレットPCの柱として、◎読書 ◎ゲーム ◎お気に入りブログの閲覧 ◎電子新聞、雑誌の閲覧 ◎メモ である。 
便利なのは、常に手元におき、気楽に立ち上げ、直ぐ目的のウィンドウにたどり付けること。そのためチョットした隙間時間を
有効に面白く使うことができる。 卓上パソコンの場合、電源を入れ、スタートボタンをクリック・・・ などの時間がかかる。
それに対しタブレットは極めて短時間で済む。 それと自分の気に入った蔵書を入れたのが良かった。 一度読んだ本は自分の
一部のように感じるもの。 読書の効用に何ども繰り返し読むことがある。 繰り返す間に、知識が熟成されていく。
それがタブレットに入れておくと気楽に繰り返しが可能になる。ノートパソコンを自分の鞄、書斎とみたて使っている人がいるが、
タブレットPCで、その感覚になってきた。 購入時に半年を導入期としてきたが、一応、及第。iPhonより私には相性が良い。
「事業も終え5ヶ月後、気持ちが落ち着いた頃にiPadを購入、気持ちを紛らわせてきた。 そして、半年を経過した現在、
それに同化を始めてきた」ということ。 現在、タブレットPCが、スマートフォンの陰に隠れているようだが、
そろそろ、タブレットPCにエネルギーが向かい始めた。 ところで有機Elの画面がタブレットに向いているようだ。
画面の鮮度と薄さと軽さが次のメーカーの争いのポイントになる。 これに居間の大型液晶TVとの連動もポイント。
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3610, 大相撲八百長事件 ー2
2011年02月12日(土)
  八百長事件は昔から深い闇に包まれてきた。 ウキィペディアに、その一端が書かれている。
 あの名解説の北の富士に以下の恐ろしい?過去があった。初場所では八百長に関しては歯切れの悪いコメントをしていた。
≪橋本 成一郎(1940年 - 1996年4月14日)は、元大相撲力士で、元横綱北の富士の現役時代の名古屋後援会副会長、
元関脇・高鐵山の大鳴戸親方が経営した大鳴戸部屋の後援会会長。 元力士で力士時代は幕下まで昇進したことがある。
廃業後はバーやキャバレーを経営し、昭和40年代には北の富士の名古屋後援会の副会長を務めた。元大鳴戸親方の著書によれば、
第52代横綱北の富士横綱昇進・優勝では八百長資金面などをバックアップ。 黒幕として暗躍したとされ、
多大な尽力があったとされている。北の富士と決裂してからは、独立した元高鐵山の大鳴戸部屋の後援会会長として大鳴戸部屋
最大のタニマチとして存在した。 週刊ポスト誌上では、元大鳴戸親方とともに角界八百長体質などの裏事情を暴露。
しかし、1996年に元大鳴戸親方と同じ日・同じ病院・同じ病気(肺炎)で死亡(同時刻とされることも多いがこれは誤りであり、
元大鳴戸は午前4時45分、橋本は午後7時48分に死亡している。≫
 この事件は報道規制のためか? あまりマスコミは騒ぐことはなかった。しかし誰もが、この事件は不可解であり、
何?がらみと思っても、声を高くいえない不気味さが付きまとっていた。先日、地元紙の新潟日報で取上げていた。そこで、
優勝のかかった勝負は230万円で、橋本は、これまでいくら使ったか数知れずという。何で橋本が告発に踏み切った理由は
感情のもつれである。北の富士は潔く早々、弟子の千代の富士に親方の座を譲った背景に、こういう事件があったのである。
 興行世界の一端が垣間見れる。
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3245, アメリカ一極は終了したのか?
 2010年02月12日(金)
 欧州のユーロが、ここにきてジワリと下げてきて、1ユーロ120円割れ直前で数年前の三分の二である。
PIIGS(ポルトガルイングランド、イタリア、ギリシャ、スペイン)といわれている国も破綻懸念。
その上に、中東欧のルーマニアハンガリーなどの危機もある。ドバイのバブル破裂の今後も、どうなるか先が見えてない。
日本も異常な財政赤字で、国家も経済も疲弊しきっており、いつ経済の底割れが起こるか分からない事態である。
 今年は欧州か日本が発火点になる可能性がある。 ところが発火点のアメリカは大きな変動がみられないのもおかしな話。 
彼等は不良債権を発行し世界中から過剰輸入をしたが、その見返りはドル札とアメリカ国債、それと怪しげな債権を発行しただけ。 
発行残高の数字が増えただけで、いざとなれば踏み倒せばよい。支払ったドルも、行き場が無いのでアメリカに戻ってくる仕組み。
 リーマンショックからの金融恐慌で「アメリカの一極体制が終焉した」と思っていたが、経済雑誌に欧米の数人の学者が、
≪経済の寡占化には、歴史的にみても必ず軍事的な圧倒的な優位が必要で、アメリカが、いまや圧倒的な軍事力を有している。
 特に海軍の戦力の影響が大きく、地勢的に見てアメリカは大西洋と、太平洋に面しており、その海軍力は世界で圧倒的に強い。
 中国はもちろん、ロシアも、欧州も、どこも、その力は無い。 その力を背景に、今後ともアメリカは世界一極の中心で
 ありつつける」≫ というのだ。 大英帝国をつくった英国も、当時は大艦隊で世界を圧していた。スペインも同様である。
世界が不安定になるほど海軍力がものをいう。 海軍力の上に、さらに圧倒的な空軍も、核弾頭もある。中国と2G体制など、
おこがましいというのが、アメリカの本音。 日本など、隷属国でしかないのは自明のこと。その暗黙の上で、世界が成り立ってきた。
ところが、この世界恐慌アメリカ一極体制が本当に終わってしまったのだろうか。それとも圧倒的な軍事力と情報産業で、
その主導権を持っている強者の立場が、これから続くかどうかの見極めである。残念ながら、続くのではという論に一理あるようだ。 
アメリカ一極支配は、まだ始ったばかりか?それとも飛躍的情報革命の進行は、それさえ呑み込んでいくか?その辺が面白いところ。
 この数年が見ものなど、いっていられないか。  
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2870, 北半球のミツバチの四分の一が失踪
 2009年02月12日(木)
この日曜日の毎日新聞「今週の本棚」の書評
「ハチはなぜ大量死したのか」ローワン・ジェイコブセン著-に驚いてしまった。
(内容はYahooにコピー)これによると、
2007年の春までに北半球のミツバチの実に四分の一が失踪したという。
 結論からいうと
 ー この「蜂群(ほうぐん)崩壊症候群」の原因は単一でないが最大の背景は工業化された農業。
不自然な管理がハチたちに強いストレスを与え、免疫抵抗性を弱め、ダニやウィルスに対する防御を弱めたのである。
そこに農薬の複合汚染が重なり、精密な社会生活を営む巣全体の活動をいわばアルツハイマー状態に陥れた。
病み疲れた働き蜂たちは、採餌の出先で倒れ、巣には戻れず、ただ死んでいった?・・・ ー
 それは「もう一つの人間社会を見る思い」と著者は人間の姿に重ね合わせている。管理され、同一の花畑だけを移動されて、
蜜を取らされて、毒(農薬)まで摂取していれば、当然の結果。自宅で十年ほど前から、ハエと蚊を見ることが少なくなった。
夏になると町内単位で各家の庭に毎年薬の散布をしているのが影響しているのだろう。それと近くの河の中に堆積した土砂を
徹底的の運び出したこともある。散歩していて虫の数が激減してしまったのである。ハチの姿は都会で働いている人を
冷静に見れば、酷似している。管理され、会社と自宅という箱の間をラッシュの電車で移動する毎日。
それが都会人のカッコよさと共同幻想をもって生きて、定年で初めて働きバチだった己に気づく。
一年間、気温良好なオーストラリアで蜂蜜業を初めたが、大失敗をした内容を書いたことがあった。
四季の変化のストレスが無いことと、冬のために蜜を蓄える必要がないため蜜を採らなくなったのである。
都会でノイローゼ、自殺が問題になっているが、自然に触れる機会が少ないのも原因だろう。
この大恐慌も、あまりに不自然な現状を考えるチャンスを「大自然」が与えたのである。
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2008年02月12日(火)
 2505,  将来の不安−5        ゚+.(ノ*・ω・)ノ*.オハヨオォォ☆゚・:*☆
現代をマイナスの視点で照射すると、「不安の時代」といえるだろう。修羅場を幾つも乗り越えてきたものにとって、
「何が不安?」と笑ってしまうだろう。 イスラエル人が日本にやってきて、「この国が不安の時代」と聞いたらフキ出すだろう。
十年ほど前、イスラエルに旅行中に「アメリカの高校で乱射事件」があった。その時の現地に住む年配の日本人ガイドが、
イスラエルでは間違っても、ああいう事件は起きません!常に敵に囲まれていて内輪もめなどの余裕などない。
兵役中の家族の一員が家に小銃を持ってきたり、町やバスの中には機関銃を持った兵士が乗っている。
アラブ人との殺戮が日常化しているイスラエルにとっては、あのような事件は呆れる以前である」と語っていた。
社会の不安感が、蔓延しているのは逆に言えば平和ボケの結果。アメリカの心理学者のシーベリーは「不安は、否定的な
結果にすべての注意を向けること。 不安を持つと、思考や感情の流れを建設的にコントロールすることができなくなる」
「不安は、あらゆる不幸を背負った自分が本当の自分であると、間違って否定的に考えることである」という。
あらゆる不幸を背負うなど思ってしまう。不安に取り付かれるのは、無知そのものを起因している。そのためには知ることである。
だいたい、不安とは世間様に対しての意識が起こしている不安定な気持ちでしかない。その世間とは何か?と考えると、
身辺の7〜8人だろう。それも程度の低い。その辺から見据えないと、自分の生きかたが歪んでしまう。夢を常に持ち、
一人で遊ぶ術を身につけていれば、不安感は最小になる。それもこれも、やはり読書の積み重ねのベースを必要とする。
自分を心の底から信じられなければ、そして自分の夢を持ち続けなければ「最後は死ぬ?」という人生の一大事を知ってしまった
人間の不安を麻痺させることは出来ない。逆に、根源的な問題から目を逸らすためには、群れて笑っているしかないのか?
それで解消できるなら、それはそれで良い生き方である。笑えるうちに笑っておけばいい!感動できるうちに感動しておけばいい!
直ぐに泣くときが来るのだから。その時はそれを受け入れるしかない。あとは野となれ花となれ!しかないだろう。
不安など恐れることもない!宇宙の微細の微細が何をしても、考えても同じ。ヾ(´∀`o)+。 ホナ!それじゃ、
一人不安にさい悩まされている。         ‘一人プアー チャン’  バイバイ
  (1〜4は、2005年6月3日、7月1,3,6、7日記)
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 2007年02月12日 
 2141, 中年の心象風景 −2    (~Q~;) おはよう〜〜 ファ〜 サム
藤沢周一の『海鳴り』を4~5年前に読んだとき、中年から晩年にかけてのある初老の男の心情が切々と語られている世界に
ドップリと引き込まれてしまった。そこには、この時期に忍び寄る老いと死の影が最後の輝きの背後に描き出されていた。
そこで感じ取ったのはピカピカではなく、人生の落雷のズッシとした閃光の光である。  
 ーまずは、その中の一節を幾つか書き出してみる。
{40の坂を越えたころから、新兵衛の胸にある不思議な感覚が生まれた。ある時期を境にして、自分が老いの方に身を
置いてしまったような感覚である。これまでも考えもしなった、老いとその先にある死が、いやに明瞭にみえた。
その見えて来た老いと死に、いくらかうろたえていた。まだ、し残してことがある、と思った。その漠然とした焦りと、
ひとの一生を見てしまった空しさに取り付かれ、酒と女をもとめてしきりに夜の町に駕籠を走らせた。新兵衛は47歳である。} 
さらに次の一節 {汚いことけがらわしいことは避けては、生きていけない世界に、大人は住んでいる。
商い、女、世間との付き合い・・。そういうものの間を大人は時に人を出し抜いたり、だましたり、本心を偽ったりして
辛うじて泳ぎぬくんだ。そこには大人の喜びがないとは言わないが、その喜びは時には罪の意識にいろどられ、
大方は正視に耐えない姿で現れてくるのである。そういう不純の部分を抱え込むことで、大人の世界は成り立っているのである。}
 {一家を背負うというものは、家の中に多少の不満があってもじっとこらえ、
こわれればとりあえず繕って、何度でもそうして辛抱強く家を保ちつづけるものなのだろう。}
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中年期から晩年期かけては、色いろな決別、絶望、諦め、挫折、喪失が怒涛の如く襲ってくる、その中で肉体としての衰えが
一日一日と実感し、気持ちも大きく揺れ動く時期である。ハッピーリタイヤなど、奇麗事であり、どちらかというと石もて
追われる運命は誰もが遭遇しなければならない運命である。その時、自分の人生の大きな問題に直面せざるを得なくなる。
そして60歳の頃、大きな初老性の鬱病を向かえるのである。結局は人はそれまで自分が生きてきたようにしか生きていけないもの。
それが家系として子孫に受け継がれるから、好い加減な行動はできない。そのジレンマの中で多くの問題を引きずりながら生きて
いるのが中年期といえる。しかし人生で一番よい時期が中年期である。仕事は面白いし頭も冴えており、心も充実している時期。
世界は大きくドンドン開けていき、それまで蓄積してきたエネルギーが外に向かい開放される時期で、何もかもが面白いのである。
季節としては秋、人生の収穫期で、秋祭りの時期である。老い?、そんなもの!という気持ちで楽しむ時期でもある。
藤沢周一の中年の心象風景も、私の主観が入るとめちゃめちゃになるが、やはり奥さんとの絶妙な関係が
背景にあるのだろう。しかし、少し暗いが主人公の豊かな立場の設定が中年男の欝気分を上手く描き出している。   
 ー出版社のこの本の解説がよい!ー
はじめて白髪を見つけたのは、いくつのときだったろう。骨身をけずり、果てにむかえた四十の坂。
残された日々は、ただ老い朽ちてゆくばかりなのか。…家は闇のように冷えている。心通じぬ妻と、放蕩息子の跡取りと。
紙商・小野屋新兵衛は、やがて、薄幸の人妻丸子屋のおかみおこうに、果せぬ想いをよせてゆく。世話物の名品。
 いずれにしても、人生は甘塩っぱいものである。一度だけの人生じゃけん、
味わなくっちゃ骨まで!ただし家庭が基本である。 特に連れ添いとの関係は!    ☆~~ヾ・ェ・)o尸~ マタネ~♪
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2006年02月12日(日)
 1776, わたしの「夢ノート」 −1    (o゚▽゚)o オハョ〜   読書日記
週に一度はいく書店の文庫本のコーナーで、前より気になっていた本であったが「今さら夢でもないだろう!」
と思い、買わなかった。しかし最近年齢のためか、過去回顧に重点が行き過ぎているので「あと10〜20年間の夢づくり
ー予定づくりのためにも」と思い買ってみた。(値段が350円ということもあったが)買ったと同時に利用価値が
多様にあることと、この本の奥行きの深い価値に気づいた。夢を書くことは前向きの言語の構成をすることである。
(字数制限のためカット 2010年2月12日)
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2005年02月12日(土)
 1411, LOVE&FREEー世界の路上に落ちていた言葉−2
「求めよ、さらば与えられん!」が、人生である。この著者の生き方の中に、それがはっきりと見て取れる。
「何故、人は求めないのか?」、それは一般常識とやらに囚われているからだ。この題名のFREEは、一般常識からの自由と、
自らに由るという意味である。この本の中に以下の文章がある。オマエハ ナニガ ホシインダ? それに答えられない人は、
旅は続けられないぜ。これはズバリ、それを言っている。何が欲しいのか、何を求めてよいのか解らない人は旅を続けられない。
そのナニガ ホシインダという根本的問いかけを曖昧にしているのだ。
 次の言葉もよい、
〜あるハワイアンの言葉より〜
「自分の魂が本当に満たされるというっていうのは、どういうことなのでしょうか?」
「それはね、自分が本当に何をしたいのか、何をするためにこの世に生を受けたのかを知ることです。
いくらお金を持っていても、いい仕事を持っていても、自分の魂を満足させられないと、病気になったり、
悪いことを引き起こしたりしてしまいます。いろいろな辛い体験を踏み、苦しい体験を経てこそ、その中から自分にとっての
本当の幸せを学びとることなのです。」「だから、本当に必要なものを見つけるまで、魂は旅を続けます。
ただじっと待っていても幸せになれません。また不必要なものを捨て去ることができなくては、新しく得ることができません。
  (字数制限のためカット 2011年2月12日)
 −−
ーこの著者の本から受けた感想は、はっきりと自分の欲しいものを見つめ、覚悟を持って始めれば、何ごとの中にも
一番重要なことが見えてきて、それを選んでいけば、シンプルになっていく。それが、自分の生き方のできる人だ。
・・・・・・・
2004年02月12日(木)
 1044, 職業性格形成論−2
「職業性格論は一理あるかもしれないが矛盾も多い」と考えられる。確かに大雑把な論である。警官を例にとっても、
彼等にも色いろな性格もある。それはどの職業の人にもいえることだ。といって職業の性格形成に対する影響は大きい。
「職業の特性」と「本人の特性」とが、掛け合わさレて「職業性格」ができあがると考えると納得ができる。
その意味で、会社を選ぶのではなくまずは職業を選ぶべきである。その掛あわせがポイントになる。それが悪いと、
自分の特性が引き出されない。人間の性格は、両親や地域や兄弟の順位などが複雑に絡み合って形成されている。
したがって一概に一括りにはできないが、両親・兄弟姉妹・連れ添いと、選んだ職業は大きな要素になる。
(字数制限のためカット 2011年2月12日)
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2003年02月12日(水)
 679, イヤなやつー2
ー良い人と偽善ー
先日書いた河盛好蔵の文章をから「イヤなやつ」の要素は以下である
・他人の幸福より不幸を喜ぶ感情の悪さがある。
・自分ではできるだけ怠けて、人をはたらかせ、その功を自分だけで独り占めをしたいというズルさと、欲の深さがある。
・権力者にはなるべく逆らわないで、 進んでその権力に媚びようとする卑しさがある。
・自分に寛大で、他人には厳しくって、エゴイストの部分が非常に多い。
・ケチで、感情高くって、他人の不幸にそ知らぬ顔をする。反対に「良い人とは如何いう人か」を考えると
・他人の不幸を悲しみ、幸福を共に喜び
・自分に厳しく、他の人より多く働き、その功を他の人に与え
・感情は常に冷静である
十数年前に経営セミナーで聞いた、香港の財閥と結婚後死別してオーナーになった日本人の女経営者の心訓を思い出した。
「人には優しく自分に厳しく、いつもニコニコと、人に良かれと思って生活する事」であったが、
相通じるところが自省する言葉である。それを意識して生活をすれば、初めは偽善?だとしても、真善の人間に
近づけるのではないだろうか。その意味で「偽善を次善としてなせ」も一理ある。目先に都合のよい人が「良い人」も
確かに間違いがない。所詮「よい人、悪い人」というのは、このレベルのでしかない。でも「良い人」の方が、お互いに良い。
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2002年02月12日(火)
329、夢日記ー13 
 自己喪失感
こういう経験ー夢をみたことがありますか。「全く無能で白痴の何の取っ掛りのない自分」に呆然としている夢。
夢から覚めても、しばし呆然としている。 自己喪失感というか、虚空の自分を実感した感覚である。
それこそ「自己中心絶対無」でなく、・自己中心絶対無能、 ・自己中心絶対虚空  ・自己中心絶対自信喪失
何か聞こえてきそうだ! 「実をいうと、自分はその塊だ!」あの恐ろしさ! 独り社会から引き離され、
虚空をさ迷っている魂。 ある人に話したら「 自己喪失感というやつでないか」といった。
永年連れ添った人を失った人が経験するのが、あの夢の感覚かもしれない。
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 2月12日 1969年
武澤先生に会ってもらって話を聞いてもらう。もしかしてと思い、自主留年の可能性も言ってみた。
しかし、あくまでも学生時代の郷愁に浸っているだけではないかとのこと。自己納得だけで、客観的ではないと言われた。
むしろ社会に出て、自分をぶつけたほうがズット良いというのも理解した。食事をご馳走になりながら何か説得されている
ようであった。このところ、周囲にあまりに影響されすぎたようだ。 迷惑をかけたにしても、先生と一対一で直接話す
ことは初めてだった。何か一人芝居をしているだけなのか。しかし真剣な一瞬であった。「いい歳をして」という思いが残った。