* 女性は二ランク上を狙う
「キレイで素敵な女性がアラサー、アラフォーで独身のまま。何故あの人が?って何時も話題になります」という。
それに対して男女共いえるが、自分をワンランク上の自己評価をするのが年頃の特徴。その上、相手に一、二ランク上を
求めるから、さらに段差が大きくなる。そうこう迷っているうちに婚期を逸してしまう。 若い時から周囲の男から
チヤホヤされているうちに一番の女性の売りの「若さ」が失われ、商品価値が下がってしまう。逆に内面は熟し素敵である。
そのためギャップが大きくなって、キレイで素敵な女性が売れ残ってしまう。 その対象になる男は昔のうちに刈り取られている。
収入もそこそこあり仕事はベテランであれば、今更、妥協する必要もないが、その焦りを見せられない。 
そのうち昔は見向きもしなかったレベルの男にも相手にされなくなる。周囲は、あの人は結婚の意思がないと思い込んでいる。
 学生の頃だが、結婚して五年以上も経った姉の話に驚いたことがある。「女というのはシンデレラ・コンプレックスは強い。
結婚した今でも、王子様が現れて私を連れに来てくれる期待が心の底にある」という。 誰がみても、義兄は姉と遜色ない人である。
人間は、そんなものかもしれない。1970年、1980年の頃は年頃になれば結婚するのが自然であり、誰ひとりも、そのことを
疑ってもなかった。しかし家庭というシステムが、以前ほど大事にされなくなった現在、それほど結婚の希求は多くない。
女性といえば自分から積極的になれないため待ちになり、チャンスは少ない厳しい現実がある。婚期を逸した男女の気持ちは、
焦りで満ちているが、誰も手助けはしてくれない。その頃が、男にとって仕事が土壇場であり、どうしても婚活は二の次になる。
 逆に、婚活をするなら、自分で条件=原因を良くしなくてはならない。男なら優しさと強さ。ないのなら、フリをするしかない。
女性なら性的魅力と、母親的穏やかさをディスプレーすればよい。 とはいえ結婚に至っても三割が離婚する時代、結婚は難しい。
まずは、自分のレベルを冷静に自覚すること。 チャンスを多くつくること。 妥協すること。 自信のある何かを持つこと。
 ・・・・・・・
3585, 「とりあえず、5年」の生き方
2011年01月18日(火)
「とりあえず、5年」の生き方  ―諸富祥彦 (著)
  ーアマゾンの内容紹介ー
 あなたは満足感とともに最期を迎える人ですか?
 それとも、人生に悔いを残しながら旅立つ人ですか?
以下の項目に1つでも該当する場合は、もしかしたら後悔とともに人生を終えるかもしれません。
□自分の大好物を最後までとっておく人          □「将来のために今日はガマン」と考える人
□「いつか」「そのうち」としたいことを先延ばしする人  □「自分は80歳まで生きる」と思い込んでいる人
□30代で1000万円以上貯金がある人
 人生の軌道修正をはかることは、何歳からでも始められます。たとえ明日死ぬとしても悔いが残らない充実した人生をつくるのは、
ほんの少しだけ考え方と行動を変えれば可能なのです。 そのヒントを「仕事」「お金」「恋愛や家族」「あたなだけの大切なこと」
といった分野ごとにまとめてある。
▼ 50歳を過ぎ、母が亡くなり、二人の子供は家から巣立っていった。 人生の区切りの時とジックリと考えた。
そして「とりあえず、還暦までに残りの人生を押し込んで一年一年を過ごす」と決め、実際の行動に落とすことにした。
まずは秘境ツアー50回を目標にした。これは、2001年の9・15テロでスローダウン、達成できなかったが、43回までは達成した。
更に50歳半ばで個人のHPをつくり思いを書き尽くすことと、来し方の写真などを整理して載せることに集中。
反面、社会的なことは思い切って割り切ることにした。そして還暦を向かえたとき、心の中で独り万歳をした。
その直後は、何をしてよいか分からなくなった。そこで出てきた言葉が、「とりあえず5年間、やり残したことを追加する」とした。
そして先日、その5年が経過した。これも2008年のリーマンショックの大波で中途半端の状態になってしまった。 で、後半。
「来年は無い。今年中にやるべきことは全てやるよう心掛ける」そして「とりあえず5年、70歳」が次の峠の到達地点とした。
ところが先日、新聞広告で、この言葉をみて同じことが書いてあったので驚いてしまった。
 ここまできたら、人生の喜劇化もよいだろう。いや、人生そのものは、喜劇そのものか、振り返ると!
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3210, デフレ時代の商売 −2
2010年01月18日(月)
 * 鯛焼き
 この数年、駅周辺などで多く見かけるようになり、ニュースなどで話題になっていて、この数年で倍倍に増加していると報じている。 
投資金額が格安で済み、資金回収が早く済むという。「100万円で開業できます! 加盟料金40万、指導料20万、その他・・
(店舗内装、取得は別)《たいランド》」と、ネットにあった。 先日の朝のTVで「二日の研修で、開業資金が500万」というから、
内装・店舗敷金込み?か。鯛焼きは、ネリモノ商売の典型である。ネリモノといえば、ドーナツがある。原価率10パーセント以下だから、
当たると、これほど面白い商売はない。パン屋、ケーキ屋、蕎麦屋うどん屋が、それである。手間はかかるが、原価が安い。
鯛焼きにも、最近は餡の替わりにクリーム、カボチャ、芋を入れたり、ピザそのものを鯛焼きの型したものや、お好み焼きを鯛焼き風に
売るものもある。 たこ焼きも可能?? 「白鯛焼き」の名前で、パリッとした外皮、モチモチの生地、中味は餡の、これまでは無かった
鯛焼きチェーンもある。これもブームで飽きられれば、そこまでの商売だが、当たれば半年か一年で資金回収が可能。これは世界にも
通用する可能性がある。誰もが手軽に出来るということは、直ぐに過剰になり、飽きられる。だから工夫が必要になる。 
10前にで長岡で地元大手の会社が倒産したが、若い二代目の社長は仙台に行き、鯛焼きと御焼きを始めたと聞いた。 
誰も知らない地で、ゼロから再出発するのだから、尊敬に値する。
 * アウトレット専門のショッピングセンター
 仙台の郊外とか、富士山の裾野や、軽井沢、埼玉の入間、千葉の幕張、などで三井や三菱系の開発業者などが、
アウトレット専門のSCを開発が話題になっている。 広域の客を狙うため駐車場を広くとるため立地が人里から
立地になる。 オープンしたところは、ほぼ好成績のようだ。アウトレットとは、ブランド品や輸入品の処分品を扱う店。
ディスカウントとは違う業態になる。ディスカウント商品は値段を安くするために企画段階からトレードオフした商品。
デフレ・スパイラルの中ではディスカウントや、アウトレットに人気が集まる。
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2845, 金融大崩壊 −1
2009年01月18日(日)
  「金融大崩壊」 − 水野和夫著
 昨日、半日で一挙に読んでしまったが、歴史的な視点を入れて解りやすい内容である。
5年前から「世界は激変するー資産防衛セミナー」に何度か出て、重大局面にあることを認識。
それをキッカケで多くの金融危機関係の本を読んできた。 現象として現れてきたのが一昨年の夏の大きなウネリ、
そして去年の9月の大激震となったのである。 この本は、その辺の潮流を解りやすく書いてある。
  ー要約するとー
・現在の金融危機は「100年に一度の危機」ではなく、16世紀に資本主義が始まって以来最大の危機。
 *16世紀からの「近代資本主義」と、 *1968年からの「新自由主義」と、
 *1995年からの「アメリカ金融資本主義帝国」の終焉が、この金融恐慌、と看破。 
 考えてみれば、その資本そのものは傷をついてない。深手を負ったのは国家と国民である。
・16世紀以来の近代資本主義がつくりあげてきた中産階級ー国民を、資本が破壊した。
 近代資本主義下で「大きな物語」を信じて多くの人が中産階級になることが出来た。
 それが2008年9月15日に終わってしまった可能性がある。それは同時に「主権国家の時代の終焉」でもある。
サブプライムローン新自由主義が、資本・国家・国民の三位一体を断ち切ってしまったことで、この金融崩壊は後世に名を残す。
・1995年以降、国際資本の完全移動性が実現したことで、資本は国家と国民に対して優位に立った。
 そして資本がぬけがけし地球規模で暴走した。グリンスパン前議長こそ資本の側に立ち、それを容認した。
 その結果、1995年から増えた世界の金融資産は1京円(=10000兆円)。
・1970年以前は「大きな物語」が成り立っていたので「大きな政府」が成り立っていた。新興国が大型の積極的財政に転じても、
今後、果たして財政赤字を解消できるのか、先進国が同じく積極財政をとっても、期待した通りには効果は得られない。
・ポスト・アメリカの世界の象徴がG7の終焉と20Gの始まりであり、これは無極化への流れになる。
 そして日本の輸出型経済モデルは新興国中産階級を相手に据えるべきだとする。
 中小企業はこれまでの下請けだけではなく、独自に積極的に海外に出ていくべきだ、と。
  ー 以上であるが、結論からいうと・・・・    次回に続く!
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2008年01月18日(金)
2480, 「世間体」の構造 −1          (´∀`σ)σ オハYO!
 『「世間体」の構造 −社会心理史への試み』   ー読書日記
   専門が社会学のため、そして長年、その系統の本を読み続けてきたため、
  「世間」とか、「世間体」という言葉の虚偽と、日本社会(特に地方の後進性)
   の中に潜む泥沼の悪臭を感じ取り、その泥沼には近づかないようにしてきた。
   私の場合、職住が新潟と長岡と分かれていたため、最小の接点で済んだのが幸運だった。
   こういう人種は巧妙に近づいてくる。しかし直に臭い嗅ぎ取り、距離を取るように?してきた。
    そこで、「世間体」を辞書でひいてみたがところ・・・
  1. 社会的な視点からの自己のみなされ方。
  2. 社会的地位や名誉、学歴、家柄による判断基準。分かり易い肩書きが最優先され人間性は含まれてない。
  3. ワイドショーに準ずるモラルやマナー。 とある。 社会的地位も内面的な教養の区別すらも知識にない人達。
    これが殆どだから、仕方がないが・・・ 少なくとも、それを鳥瞰する目と時間は持たないと。 
 ー「世間体」に関する、ことわざに関して、要約している部分を抜粋してみるとー
 P−50
故事ことわざの類いには、「好きこそ物の上手なれ」という反面、「下手の横好き」ともいうように、もともと両義的な
意味あいがこめられているものである。 矛盾したいいまわしが対になっているのは、ことわざの常であろう。
「世間」をめぐることわざのたぐいとて、けっして例外ではない。本質からいえば、矛盾し、相反する意味内容を、
状況によってたくみにつかいわけるところにこそ、ことわざの生命があり、おもしろさがあるのだ。にもかかわらず
「世間」にかぎっていえば「世間」をめぐる慣用句がことごとく「世間なみ」に収斂していることに、私はことのほか
注目したいのである。そのことがとりもなおさず、「世間」の特徴である、と断ぜざるをえないからである。 
思えば、わが国の人びとの多くは、「世間なみ」に生きることを、人生のモットーとしてきたのではなかったか。 
それが積極的にはたらいた場合には、「世間なみレベルの生活水準がたもて「世間なみ」の知識をもたないと恥ずかしい、
ということで、彼らは頑張って生きてきた。この「世間なみ」に生きようとがんばるエネルギーが、わが国の近代化の
ひとつの精神的な原動力となってきたといっても、けっして過言ではあるまい。その反面、異端のもつ大胆なエネルギーが
発揮されることは、きわめてまれであった。ことの善悪をとわず、自分だけがとびぬけて目立つということは、
「世間」の手前、極めて気はずかしいことでなければならなかったからである。
 ーー
 「世間様に笑われないように」が、日本人の良くも悪くも、大きな羅針盤であった。
 「うだつが上がらない」という言葉も、それに近い。島国では、お互いの顔色を覗って生きるのも、
  大きな知恵になるのだ。 ”世間体”の”体”は「体面」「体裁」の”体”といい、それから逸脱した場合、
 「”恥”−”羞恥”−”罪”」になり、社会的制裁を受けるが故に「面目」「面子」「外聞」「見栄」「虚栄」
  と言うコトバを背景に持った行動が、世間に対してつくろう方策として個人の行動を規定するから、
  内的規範になってしまうのである。それに対して、教養とは、それらから自由になるための知識・経験
  ときているから、世間様は馬鹿の代名詞になる。 痴呆名士がその典型!   
                         バイ ´∀`              ーつづく
・・・・・・・
2007年01月18日(木)
 2116, 品格について −1           <(_ _)> おはようございます!
国家の品格」というベスト・セラーの本の影響で、「品格」という言葉を巷でよく聞くようになった。
 何をもって品性・品格というか解らないが、私の最も嫌いなのが品性のない人。じゃあ、自分は品性があるかというと、
 どうも自信がない。 そこで、「品位」「品格」を検索で調べてみたが、あるHPの中の説明がよい。
 これを読んで少しホッとした。品性のない人を嫌うには、チャンと裏づけがあった。
 人品なのだから、これだけはどうしようもないが・・いま思い当たる「人間の品格」を思いのまま書いてみると、
・知識・教養・経験で培われた人間性の質をいう。
・品を品物のシナと考えればよい。「人間としての品物が良いかどうか?」とみれば、解りやすい。
 人間を品物として自分を振り返ると、自信がなくってしまう!
ーあるHPにあった「品位と品格」についてが、ずばり要点を言い当てている。
  ーまずは、その箇所を抜粋してみるー
【品位とは人に備わっている人格的価値であり、品性は人の性格を道徳的価値として見る場合の呼称である。
一方、品格と言うのは物の善し悪しの程度、品位、気品を言い、人間のみならず社会全体や都市、
地域に対しても当てはめることができる。日本社会の原理(社会の拠ってたつ根本法則)
は侍社会の躾だと言う人が多い(司馬遼太郎他)。侍は雨が降っても走らず、道の真ん中を歩き、
曲がり角は直角に曲がるなど本当に凛々しかったという。またある行為で恥を掻いたり、人に後ろ指を差される
或いは笑い者になれば、死ぬほどの屈辱感をおぼえるなど行動規範が社会の品格を保つ要因となっていた。 
  品格があるというのを具体的に示すのは難しいが、
  品格のなさはどのような場合に生ずるかというと、
   ・権力に媚びる、
   ・大きいもの(組織・企業)を崇拝しそれに依存する、
   ・自分の権利だけを主張し適わないと嫉妬する、
   ・自立性がなく自尊心がない、
   ・ごまかしがあり本物の心と価値が分からない、
   ・金銭を崇拝する等である。
    これらは程度の差はあるとしても人間誰でも心の奥底に持っている。
    しかしそれが表に出ないように修養し、努力しているのである。 】
   {上品だ、下品だと?そんなもの! ~ヽ( ̄Д ̄*)ちっ(=△=)凸 ファック!           
 ▼ 以上であるが、この「6つを擬人化したような人」が実際にいるから面白い。
   (字数制限のためカット 2011年01月18日)
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2006年01月18日(水)
1751, あ~あ60歳−2             (゚Д゚*)ノ⌒【おはよう】
一昨夜も還暦の会を開いてもらった。二次会で久々に新潟の古町のカントリーウエスタンの「テネシー」に行ったが、
不景気で息するのもやっと?という風であった。(つд;*) (ノω=;)。。。(/へ\*)))
還暦の赤いチャンチャコは着たいような、反面着たくないような気持ちであった。
ところが、その店のマスターが半年前に贈られた赤いウエスタンのチョッキと赤いハットをかぶり記念写真を撮った。
これで両方の気持ちをカバーしてくれた。 還暦の行事の赤いチャンチャコと帽子をかぶったことになった。
しかしマスターの弱気には驚いてしまった。対象のお客が定年とか不景気の為か、急激に顔を見せなくなったという。
かなり有名な店であったが、マスターの話は年金と老後の話である。50歳までは中年の最長老のような気持ちであったが、
一晩で初老の一年生という気持ちになってしまった。(60歳から65歳が老年の移行期というが)
誰もが人生で、それぞれの年代の峠を乗り越えていくのだろ。      (´∀`σ)σ !!!
何かの本によると、人間は歳を重ねても決して枯れるのではなくますます生臭くなるという。その人物によるが。
周りを見て見るとあの真面目だった人が???  ( 〃'ω')σこれから自分を見つめていけば解るだろう。
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2005年01月18日(火)
 1386, 若者と携帯電話
(字数制限のためカット 2010年01月18日)
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2004年01月18日(日)
 1019、「会社にお金が残らない本当の理由」−2
二年前に節税が何かないかと考え抜いた。そこで思いついたのが、個人の事業用資産の三ヶ所を会社に売却をする
「個人の損だし」による方法である。バブル期に買った個人名義の事業資産を時価で会社に売却をした。
そして個人の会社からの借入金と相殺した。その結果個人は?の損失が出た。そして過去2年分の税金の数千万が戻ってきた。
(字数制限のためカット 2011年01月18日)
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2003年01月18日(土)
650, 債務返済年数
 最近この言葉が新聞や本などでよく見かけるようになった。
会社の利益などや償却での現金収支の額が返済に充てると仮定して債務完済まで何年かかるかをいう。
ー総借り入れをキャッシュフローの金額で割った数字をいう。
 当社は今のところ12年である。装置産業の当社として、無借金と同じ状態が8〜10年であるから、
あと2~3年でその状態になる。といって大きい事件がおきて、日本の総生産が2〜3割ダウン、
利益がマイナスになれば、一挙に20〜30年になる可能性がある。 地銀などの
「審査能力の崩壊をきたしているところが、ただ審査基準を当てはめている」のが今の日本の状態である。
当方も危ない会社にされかけたが、貸しはがしの陰湿な口実だったかもしれない。
今朝の日経新聞に「過剰債務、中小が深刻」と書いてあった。大手で平均12年に対して、29年という。
深刻なすうじである。他人事でないのが経営である。新幹線にテロなどがあったら、売り上げが激減する。
小説といっていられない北朝鮮が控えている。あと2~3年でかなりの減量感が出るが、今の日本も似た状態だ。
本格的な倒産の嵐を耐えねばならない。
・・・・・・・・・
2002年01月18日(金)
 304、パソコンの機能と実感−1
パソコンの機能と実感。これには無限に近い機能?が入っている。ワープロ、電卓、辞書、写真現像機能、名簿、TV、CD、
世界中の情報を検索できる図書館、情報発信機能ーホームペイジ機能、印刷機、手帳、ポストイット、などあげれば数かぎりない。
万能機械といってよいほど機能が入っている。10年前の数億相当のコンピューターが10万そこそこで買えるのだ。
これを使うかどうかが、仕事だけでなく人生にかかってくるといってよい。やっとその数百分の一を知っただけだ。
これを使って何をすればよいか、徹底的に考えられるかどうかが、これからの鍵になる。この一年でやっと人並みに近づいた。
この一年で全く違う世界に一歩足を踏み入れた。ブラインドタッチを少し出来掛けてきた。やっと門に入り、
その通路を歩き出した感覚だ。メールも抵抗なくできるようになった。飛躍的に自分が変化しているのが解る。
デジタルカメラの写真もあまり抵抗なく、やっとホームページに貼れるようになった。
それでも圧縮を抵抗なくする為に時間がかかる。本も抵抗なくWeb上で買えるようになったのも最近だ。
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1月18日 1969年
 9時半目覚める。二日酔いもよいところだ。やっと起きて、横浜さんのところを出る。 直接学校へ行く。
田島と学食でばったり出会う。昨日はゼミに出てこなかった。彼が言うには卒論を出せなかったということでゼミを辞めたと言う。 
二日酔いもあってか、怒りが出る。卑怯だと彼を責めたてる。後悔をしたが、私がいう問題ではなく彼自身の問題である。
でも寂しいのは事実である。今まで一緒にやってきたのに!あと一歩のところで何をしているのかと思うのは当然。
一番人間として信じていたのに。時々ハッとする言葉を投げかけていたのに。最後は挫折なのか。そういう姿も羨ましいところもある。
見習うべきなのかもしれない、満足のいかない中途半端な卒論を出すよりズット良いかもしれない。その後、産関論の欠席届を出して、
川崎と待ちあわせで来るのを待っているとクラブの高杉と出会う。高杉とも、如何いうわけか気が合う。
留年などして苦労しているからだろう。30分ほど今後の進路のことなど話をする。その後、川崎と喫茶店に行き話をする。
彼は彼のペースで相変わらずいる。彼は自分の思ったとおりに生きているのが特徴である。本当にこの学校に入って良かったと思う。
人間性が豊かの人が多いのだ。寮に帰り、またTVで東大の安田講堂の立て篭もりの攻防を放映していた。
彼等の行動は現実には全く理解できるものではない、といって、あそこまで駆り立てる何かがあるはずである。 
彼らが見ている社会矛盾をもっと見るべきであるが。その矛盾の中にこれから入っていくのだ。