* 一昨日は大学の同級会。
 大学1・2年時の同級会が服部栄養料理学校の服部幸應さんを中心で開かれている。首都圏に住むグループの会で、
遠距離の地方出身には声がかからない。 その会の幹事が武澤ゼミ仲間だった縁で去年初めて参加してみた。
しかし春先に色いろあったので今年は不参加と決め込んでいた。ところが、そのクラスで親しかった男が42年ぶりに参加すると聞いて、
急遽、出席することにした。彼は全国を転勤した後に、終の住まいを仙台空港近くにし、釣りとゴルフ三昧を決め込んでいた。
ところが東北大震災の津波九死に一生を得て、現在は実家のある前橋に戻り、新たに住居を購入したという。
私の大学で初めての友人で、私が入っていたクラブに引き入れた経過がある。卒業後は全国の転勤もあり、大学関係の会には一切、
顔を出したことはなかった。 会った瞬間、私は「おい変わったな!」で、相手は、「全然、変わってないな!」である。
 今回の会の出席者は17人で、去年とほぼ同数。 私も一応東北大震災の経済被災者だが、彼と私の生生しい話に他の出席者は、
目をパチクリ。 その友人は明るく振舞っていたが、やはり痛手は隠せない。そういう私も、そう見えていたのだろうか。
 ところで、ゼミで一緒だった人と、久しぶりの再会の友人が異口同音に、「堀井のこと、絶対にリスク管理をしていたはず。
学生時代から用心深かったので、会社と個人は分けていたと思っていた」と言う。 地元の友人が、全く同じことを言っていたので、
逆に驚いてしまった。性格は昔も今も変わっていないということ。 それをもって計画倒産と揶揄されるが、20年、30年の長期投資、
リスク管理をしておくのは当然である。家族を一切、会社に入れないとか、連帯保証をさせないとか。破綻の恐ろしさの両親の教えもあるが。
  * 有楽町・東京駅の再開発
 最近、有楽町周辺に行って驚いたのがJR駅銀座口出口の変わりよう。この10年で次々と大型ビルなどの再開発がオープン。
ニュースで知っていたが、実際に現場に立った実感は違うもの。 特に秋葉原や有楽町駅銀座口の雑然としていた飲食街が一掃されて、
近代ビル街が出来ると、その変わりように驚いてしまう。 家内がJRの2〜3ヶ月に一度出す格安料金で、東京のスポットを回るのを
楽しみにしているが、何か分かるような気がする。 都会は、脳が外部化したものというが、成るほど、そのとおりである。
また東京駅の丸の内の再開発ビル群にも驚いてしまう。 丸ビル、新丸ビル、そしてオアゾも地下で通路が行きできる。
たまに行くには良いが、都会暮らしは、私にはそぐわない。とはいえ、田舎の閉鎖性も、どんよりして好きにはなれない。
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3541, 価値観の中心の書き換え ー3
2010年12月05日(日)
 誰もが、人生の節目は価値観の中心の変わり目になる。
それが小中高校の進学時だったり、社会人になる時だったり、家庭を持ったり、大病を患った時だったり。
若いときは成功物語を夢見、そして挫折を繰り返しながら、中心の価値観が変貌していく。
節目を打つとは中心の思い切った書き換えということになる。社会に出て10年スパンか、20年スパンで、
節目を自分で作っている人を時々見かける。人生設計をし、それに従って生きるのも道理。
起承転結という文章作法(あるいは四コマ漫画)のとおり、起=0〜19、承=20〜39、転=40〜59、
結=60歳〜 を、区切りとする視点も、分かりやすい。文章作法では、一番大事なのが「転」というから、
40〜59歳が胸突き八丁で大変だが、心して生きなければならない時期になる。しかし振り返ると、
それぞれが同じ位、重要であるのも事実。19歳までは、基礎づくり、39歳までの20年全力投球、59歳までは苦しみ、
楽しみを味わい、60歳以降は、それまでの経験を振り返り、鳥瞰した目で人生の仕上げに入る時期になる。
「価値」に一番近い言葉として「意味」がある。人生の意味を突き詰めると、自分の物語をつくっていくことになる。 
そうすると自ずから人生観の中心に自分の理想、挫折などの経験が、物語の要素になる。どれがベストという訳にはいかない。
それぞれの人生があるからである。「上を見れば限がない。横を見れば情けない、下を見れば底がない」のが比較の世界。
所詮は、死んで三日も経てば、過去の人として忘却の彼方に消えていく。
「価値観の中心の書き換え」も生きていればこそ。 それが出来るのは「いま、ここ」だけ。
「人生の意味など何も無い!で、いいじゃないか!」も、事実。 「日々是、己に口実!」もある。
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3166,シュリーマンの話  ー3
 2009年12月05日(土)
 5年前に、シュリーマンの話を二日続けて書いた。映画の「トロイ」を放映がキッカケである。
 その時の内容は彼の人生と勉強法だったが、たまたま図書館で借りた「09年ベストエッセイ集」の中で、
「リーマンの見た日本」のテーマで(文藝春秋に記載)載っていた。作者が但木敬一検事総長というから、なお注目した。
  ーその面白そうなところを抜粋したー
・ 私の家の菩提寺は、品川にある東禅寺である。幕末の頃、この寺はその一部をイギリス公使館として使わせていた。
 1861年とその翌年の二回にわたり、攘夷派浪士の襲撃を受け、多数の死傷者を出した。広い庭と複雑な屋敷の造りが
 幸いしてオールコック公使は難を逃れたが、当時の刀痕は、今なお柱などに残っている。
 シュリーマンがこの寺を訪れたのは1865年、つまり明治維新の3年ほど前の6月である。
シュリーマン旅行記 清国・日本」には、「ほうぼうの障子紙に、この襲撃のときにできた大きな血痕がまだ残っている」
 と当時の生々しい情景を伝えている。 トロイやミュケナイの遺跡を発掘した天才児シュリーマンを知らぬ人はなかろう。
 元々ドイツ人であるが、強運と天才的な商才にめぐまれ、ロシアで巨万の富を築いた。
 少年の頃からの夢を果たすべく、41歳で全ての経済活動かを止め、世界漫遊の後、古代遺跡の発掘に取り組んだ。
・ このシュリーマンが巡り会った清国と日本、それは全く違う国であった。 彼は横浜に入った時、
 子供を背負った女などの乗った無数の小船に取り囲まれていないことに気づき、日本に到着したと実感した。
 中国では、物売りの小船に囲まれる。 しかし陸まで運んでくれた艀の船頭の請求金額の余りにも控え目な額に
「これではぎりぎりではないか」と大いに驚き、褌と入れ墨で働く日本の労働者の律儀さを体感する。
 更に、税関の役人である武士の清廉さに出会って、彼の日本人好きは決定的になる。 役人は彼の荷物の開披を求めた。
 彼はこれを免れようと役人に金を渡そうとする。 役人は、「自分は日本男児であるから、心づけに吊られて義務を
 ないがしろするのは尊厳にもとる」とその受け取りを拒否した。 にもかかわらず、役人は最後まで礼儀正しく好意的で親切。
 清国の税関での見聞に対比して、その違いにビックリしているのがよく分かる。以後、彼の日本びいきは最後まで一貫している。
・日本の民家のたたずまいから、家具の簡潔さ、畳と正座と布団の関係、公衆浴場、髪結いから懐紙に至るまで子細に観察した上、
 「日本人が世界で一番清潔な国民であることは異論の余地がない」と断じる。 何日も持ち歩くハンケチよりも鼻紙の方が
 清潔であるヨーロッパ文化に対する異論まで持ち出し、「家々の奥の方には必ず花が咲いていて、低く刈り込まれた木で
 縁取られた庭が見える。日本人はみんな園芸愛好家である。日本の住宅はおしなべて清潔さのお手本である」と絶賛する。
   =それにつけても、現在の日本は!と著者はいいたいのだろう。           つづく
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2801, イングランド・ツアー 
 2008年12月05日(金)
 時系列でなく、まずはロンドンから書いてみる。ロンドンには学生時代に来たことがあるが、あまり良い印象は残ってない。
ロンドンブリッジと、バッキンガム宮殿と、ウエストミンスター大聖堂と、地下鉄に乗った記憶と、大英博物館に入って、
そこで日本人留学生二人が私と友人を丁寧に案内してくれたことがあったが、そのこと位しか憶えてなかった。
 今度は、大英博物館とナショナル・ギャラリーとピカデリー・サーカスの繁華街を中心に絞って見てまわると決め、
走るように見てきた。初日に、大英博物館の主だったコレクションを現地添乗員がダイジェスト的に(一時間)説明してくれた。
翌日、午前中はオプションのウィンザー城の見学、 午後はナショナル・ギャラリーと(再び)大英博物館に行ってきた。 
  *まずはナショナル・ギャラリー。 
ダビンチ、セザンヌゴーギャンなどの絵画が展示されていた。
特にゴッホの『ヒマワリ』の絵に身が竦んでしまった。 周りに誰もいないところで、独り数分間対峙できたのは
至福の時間であった。絵からは作者の波動が出ているというが成るほど、こういうことなのかと思い知らされた。 
絵から一対一で直接、このような作家のエネルギーを感じ取ったのは初めの経験である。
 入館料は、大英博物館も、ナショナル・ギャラリーも無料。
世界のお宝が無造作に置いてあるのだから如何に底力があるかである。
  *次に大英博物館
エジプトやギリシャの遺跡を見てまわってみて、国宝級の多くが英国に奪略されて大英博物館にあるのを聞かされていた。
それが何気なく展示されているのは、世界三大博物館の貫禄である。ここは250年の輝ける歴史があり、多くの
資産家や外交官などの寄贈で、世界中のコレクションが集められている。その中でも、一番のコレクションといえば、
ロゼッタ・ストーン』である。 ウキィペディアによると、
ロゼッタ・ストーンは1799年7月15日、ナポレオン・ボナパルトがエジプト遠征を行った際、フランス軍のブシャール大尉によって
エジプトの港湾都市ロゼッタで発見された。 縦114.4cm、横72.3cm、厚さ27.9cm、重量760kg。 暗色の花崗閃緑岩からできていて、
岩には文字が刻まれており、エジプト語ギリシャ語(コイネー)の2種類の言語で書かれており、3種類の文字で記されていた。
その内容とは、ヘレニズム期のエジプトプトレマイオス王朝プトレマイオス5世エピファネス施政下の紀元前196年に開かれた
メンフィスの宗教会議の布告を書き写したものである。 同一の内容が、エジプト語は神聖文字(ヒエログリフ)と衆文字
(デモティック)、ギリシア語はギリシア文字で刻まれている。】以上だが、ガイドによると、これは大英博物館での一番の
コレクションという。また黄金のヨガのスタイルの彫刻が圧巻であった。ネットで調べた内容から・・・
【世界に金融危機の暗雲が漂う中、英国のスーパーモデル、ケイト・モス(34)の黄金像が2日、ロンドンの大英博物館にお目見え。
 4日から始まる現代彫刻展で一般公開される。来年1月25日まで。英芸術家、マーク・クインさんの作品で、50キロの金塊を
 使用して作製した。時価にして150万ポンド(約2億7900万円)。古代エジプト以来、最大という黄金像は
 ギリシャ神話に出てくる半人半鳥の海の精「セイレン」と名付けられた。 クインさんは英BBC放送に
「ケイトさんは現代の美だが、それでも私の描く理想には及ばなかった」と話している。】
 (今日のYahooの私のブログに、この記事を載せておきます。              つづく
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2007年12月05日(水)
2436, 2008年平成大恐慌が日本を襲う!      オハヨウ (∀`* ゴザイマス!
 昨日の週刊現代の新聞見出しが、 2008年「不動産バブル崩壊」で、平成大恐慌が日本を襲う!
が刺激的だったので買ってみたが、一月ほど前の特集の方が理路整然としていた。
それでも、なるほど納得できる内容であった。日本版のサブプライム問題が表面化して、日本も大恐慌に突入!
 というのが、骨組みであった。前回の特集はアメリカのサブプライム問題のレポートだったが、
今度は日本のサブプライムが表面化してきた!という論旨である。
(前回、今度は日本のサブプライム問題が表面化するだろうと、感想で書いたが、そのとおり特集を組んできた)
私の商売は景気の先駆けが現れるが、11月に入ってからおかしな風が吹き出した。
長期の団体を除くと、明らかに一割近くの客数が減りだした。元々、7月中旬の柏崎沖地震から一割落ち込んでいたが、
それでも10月になり持ち直したのが、ここにきて再び落ち込み始めたのである。
(今年はイベントが10月に特に多かっただけ、ともいえるが)もし、団体が入ってなかったら、顔面蒼白。
ということは、ほぼ全ての事業所が同じはず。野村證券の元社長の田淵節也のいうとおり、
「海の色は変わった」ということか?そして来年から本格的に??
ー見出しを週刊現代のHPからコピーしてみるー
 疲弊する経済に新たな火種! 
“日本版サブプライム・ショック”はすでに始まっている!住宅着工件数半減、不動産ファンド続落、
 新築マンション大量売れ残り…… あらゆる経済指標が示す不気味な「魔のシナリオ」
 2008年「不動産バブル崩壊」で平成大恐慌が日本を襲う!
■倒産の連鎖が始まった!         ■ノンリコースローンの問題点
■「新築マンションの完売はウソ」     ■2割安く手に入れるマンション購入のウラ技
 不動産価格高騰で荒稼ぎする投資ファンドに大量の資金を貸し込んできた銀行が、
地価暴落による焦げ付きで金融パニックに陥る。それはまさに住専問題を発端としたバブル崩壊と同じ構図。
あのときの“悪夢”が再び繰り返されるのか。すでにその予兆として、外資が不動産市場からの撤退を始めた――。
倒産の連鎖が始まった!「都心部の優良不動産の価格上昇が急激すぎて、転売するのも容易ではなくなってきました。
 自分がいつ高値で“ババ”を掴まされるか戦々恐々・・」
 −−−−
以上だが、原油は100ドル、それにともない日用品の値上がり、事実上の増税に、株価急落、地方経済の疲弊、政治の混乱など、
多くの不安要素が重なっている。 9月に入って、都銀と地元の担当が「マンションと住宅の割引が始まった」と言っていたが、
地元だけでなく全国的な傾向だったようだ。以前から言われている「2007年から始まる動乱」は起きているのか?
 年を経るほど、大きく姿を現す。             ヾ(^ω^*)
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2006年12月05日(火)
2072, 義母・故桑山正子さんへの弔辞
     (。^0^。)オッ(*^○^*)ハヨー!
先週の金曜日(12月1日)の昼に柏崎の義母の死亡の連絡が入った。
その一週間前に見舞いに行った帰り道に、「年内は持たないだろう、覚悟しておくように!」と、
家内に言ったが、そのまま帰らぬ人になってしまった。病室では風前の灯火という感が漂っていた。
2年以上の長期入院の末で、自然死に近い死に方であった。 享年82歳である。ご冥福を!
 ー追悼で義母のことを書くー
私が知る限り、これだけ幸せを絵に書いたような人に出会ったことがない。これは家内も誰も認めていることで、
こういう人生があるのか?と、思うほど静穏な恵まれた人生であった。「穏やかな品位のある穢れのない人」というのが、
義母の正確な人柄の描写になる。数代つづいた婿取り娘の家系で、幼児の時から無菌培養のように大切に育てられた。
母親が4歳の時に亡くなり、祖母に育てられた。そのため?義母は両親の愛情を知らないで育った。婿養子の義父は
10年前に78歳で癌で亡くなったが、模範的は品行方正の温厚な人物で亡くなるまで義母に尽くしきった人である。
柏崎のロータリー・クラブ会長などをしていて、誰にも好かれる人であった。
(字数制限のためカット 09年12月05日)
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2005年12月05日(月)
1707, 家訓づくりのすすめ −2
 第三章では
「わが家の家訓」の作り方、活用法が、詳しく説明されている。
 それぞれの事例のなかに、それぞれの事情が生々しく本音で書いてある。
 ー子育てに関する家訓の例として
・子は親を見て育つもの、親は子を育てて育つもの、子育ては親子の一大事業
・家族は幸せになるためのチーム、みんなで協力し合おう
・小さい時のしつけは一生の宝物、子のしつけは親の努め
ー他には
・お金や名声よりも大切なものを持て
・毎日心がけよう笑顔の挨拶、元気のいい挨拶
・家族の問題からは決して逃げるな、心を合わせてみんなで解決しよう などがある。
 家訓を通して家族関係を見直すきっかけにもなる。     
 離婚直前の夫婦が、家訓をつくることで危機を乗り切った真に迫った内容もあった。 )`ε´()`ε´(
ーその家訓とはー
1、人生は思い通りにはいかないもの、満足と感謝が大切
2、誠実と謙虚と感謝の気持ちで人に接すれば世をおくれる
3、得意げに正義をふるまわすな、むやみに正論をいいたてない
4、あせるな、怒るな、くさるな、自分に負けるな
5、罵声はわが身を振り返る鏡、ありがたい激励と思い 怒らず、恨まず、悪口を言わず  (o・_・)=○)*_*)
6、最後まで聞くのが聞き上手、自慢しないのが話し上手、聞き上手、話し上手になれ""(・・、) ヾ(^^ )""
 (字数の関係でカット2008年12月5日)
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2004年12月05日(日)
1342, カルフールが撤退
字数の関係でカット(2007年12月5日)
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2003年12月05日(金)
975, 「それぞれの輝ける日々」
 スペインの「パンプローナ牛追い祭り」の再放送を見ていたら、「それぞれの輝ける日々」という言葉が、ナレーションで流れていた。 
この言葉には「それぞれの人の、輝ける日々」とか、「それぞれの、人の輝ける日々」と分けることができる。
その反面「それぞれのどん底の日々」もある。この話になってくると、いろいろあるので内容は「・・輝ける日々」に絞る。人生には
「それぞれの人にとっての輝ける日々」がある。現在書いている「学生時代の日記」は、私にとっての「輝ける日々」の、ある時期の記録。
「輝き」という言葉の背後には暗黒がある。暗黒があるから、輝くのだ。偶然の賜物として倉庫の奥から出てきた
「22歳の日記」を読んでみると、私にとっての「輝ける日々」である。誰もが記憶の彼方に持っている青春の日々である。 
そして現在進行中の人もいる。青春とは、決して素晴らしいとはいえない。むしろ見っともなくボロボロの状態である。
しかし、それが輝きになっている。「輝き」は、光っていることである。
人間が光っていることは、燃え狂っている状態である。 そして背後には暗黒が大きく口開いている。
そこで思い出したのが、「 一期は夢 ただ狂え 」である。
 世の中はチロルにすぐる チロリチロリ
 何ともなやなう 何ともなやなう  浮世は風波の一葉よ
 何ともなやなう 何ともなやなう  人生70古代稀なリ
 ただ何事もかごとも  夢幻や水の泡
 笹の葉に置く露の間に あじきなの世や
  夢幻や南無三宝
 燻む人は見られぬ 夢の夢の夢の世を 現がおして
 何しょうぞ くずんで 一期は夢よ ただ狂へ     (閑吟抄)
 470〜480年位前、富士山の近くに庵を開いていた名も知らぬ男が古今集をまねてつくった歌の一つである。
‘人生など一瞬でしかない。 なら狂ったようにしたいことをして生きたいものだ’という内容である。
「一度しかない人生だからこそ、ひかり輝いて生きるべきである」という人生観。
人生を顧みたときに「光輝いていた時」は、何かに狂っていた時である。 人は、それをパラノイヤー偏執狂という。
・・・・・
2002年12月05日(木)
601,ある時間の断片-15
 1968年  10月5日  土曜日
昨夜飲み過ぎせいか頭が痛い。10時に深井に電話をするが、アユに用とかでお流れ。 集団デートお流れ。
小作の方にしておけばよかった。 その後、酒井君が部屋にきて疎外論から人間関係論について話し合う。
かなり哲学づいているようだ。 深井が寮の部屋にくる。車を持っていると行動範囲が広い。新橋の深井の自宅に行く。
親父に紹介される。 40店舗を持っている新橋しのだ寿司の社長だ。私に興味があるみたいであった。
そこで食事をした後、東名高速で横浜・板付へドライブ。あまり面白くなかった。帰寮後、ボクシングの世界戦をみる。
小林が一方的に勝つ、つまらない試合であった。 その後食事に行く。TVを見ていると市川さんが飲みに誘いにくる。
寮の近くの「三浦」という行きつけのスナックへ行く。帰寮の後夜半の2時に寝る。明日からは本格的に卒論に集中しなくては。

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「青雲寮」の過去に書いた内容をコピーしておきます。 2001/12/20
 −青雲寮(わが青春)
(字数制限のためカット 09年12月05日)
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2001年12月05日(水)
260倒産ー2
新潟鉄工所の倒産の影響は私の想像以上になりそうだ。その重みを解かってなかったのが本当のところだ。
地元に生まれ育った人は、実際かなりショックのようだ。息子が新潟鉄工に勤めているだけで、自慢になるほどの
重みがあったという。下請け、孫請けの地元の影響は、これから益々大きくなるのは避けられない。
考えてみれば当然で、これからその波及が出てきそうである。地元では第四銀行が潰れた位ほどのショックらしい。
具体的にあそこがいくらとか、金額が出始めてきている。一昨夜のTVのニュースで,債権者に対する説明会が出ていた。 
直接の影響がないと思っていたが、そうはいってられない状況だ。 国内のテロを用心していたが、
とんでもない処から火の手が上がった。「日本の経済の終わり」の始まりの景色とはこんなものか。 
長岡でも‘七?商店’が一億?千万とか、‘何とか工?’がいくらとか。‘何とか銀行’が致命傷とか。
今まで貸し先がおかしくなると必ず噂の発生元としてて??銀行が流していたが、今度は自分の番になった。
それもペイオフに丁度いい塩梅で! 家内も「年内で全ての預金を引き上げる」という、当然の事だ!
もし株で信用売りができるなら、全ての財産を賭けて売りにするだろう!
これだけ確かな事はない。仕手株の価値もないか!巡る巡るものだ。全ての会社に言えることだが、「他人事でない!」     
・・・・・・・
ある時間の断片
1968年 12月5日
(字数の関係でカット2008年12月5日)  ーつづく