「なりたいものになれるのは、なろうとした者だけだ。」という道理もある。
反対に、「なりたいものになるな。なれるものになれ。」というのもある。
 脳科学では、「人間は本来、なれないものは最初からなりたいとは思わない」という。
日本人がイギリス首相になろうと思わないし、ケンブリッジ大教授になりたいと は思わない。
何となくなりたいと思う理想のイメージの人にはなれるのが道理。人間は無意識のうちに自己能力の限界設定をしているはず。
ある有名な人に、「気後れしないで、翼を広げなさい。そして、なりたいものになりなさい」と言われ一念発起した人の手記がある。
翼を広げ羽ばたいていると、いつか風が吹き「なりたいものに、なれる」という。「なりたい」と真に思わなければ、
なりたい自分になれる訳がない。 逆に「なりたいものになるな。なれるものになれ。」というのは、【某セミナー】の教え。
 ≪ 「なりたくたってなれない。 でも、なりたいと思っているのがそもそも間違い。」
  そもそも、なれないものに多大に努力をつぎ込むのは愚か者のすることです。 なれないものとは、
  ネガティブなものの事ではありません。自分に合っていないもの。本来の自分を殺してしまう生きかたをいいます。
  いくらあこがれの外人さんがいるからって、日本人なんだからなれないに決まってます。ところが「髪を染めれば」とか
  「カラーコンタクトを入れれば」・・とかドンドン付け足して、自分がなくなっていく。≫
 これも道理で、「漠然とコンプレックの心理トリックで本来の自分の姿とは違った「なりたいもの」の仮面を作り上げてしまう愚」
を説いている。これは逆に、勝手に作り上げている見識の範囲で固まってしまう可能性もあり、しっかりした指導者か見識が必要。
しかし真になりたいものを見つけ、それに向かって翼を広げれば、風が何時か吹き、その目的とするところに連れて行くのも道理。
「棒ほど祈れば、針ほど叶う」ということ。そして、時間の蓄積が針を棒に変えてしまう。 なりたいと願うことは、エネルギーを
そこに集中していることになる。やはり、真から自分が望んでいることなら、やはり、なりたいものに、なっていく。
 司法試験に多くの人が挑み、そして大多数の人が挫折していく。しかし、その中で合格するのは、なりたいと思った人。
しかし、一生をかけても合格できない人が大部分になる。人生、色いろである。なりたいものゲームか人生は?それだけでないはずだが。
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3498, 高橋信次の娘・佳子のいう〈魂〉とは
2010年10月23日(土)
  先日の読売新聞の一面に高橋信次の娘の高橋佳子の著書広告があった。
 高橋信次といえばGLAの教祖で、何冊かを20歳代に読んだ記憶がある。
 ーまずはウキィペディアによると
≪ 10歳頃(1937年頃)から現在で言う「幽体離脱」現象のような霊現象を体験するようになり、その肉体の自分とは違う
霊体の自分を「もう一人の自分」と呼び、その現象に幼心に疑問を持ち、以来約32年間、電子工学や物理学等の自然科学を
修めつつ、探求を続けた。しかし、従来の宗教書を読もうとはせずに、独自の探求を続けた ・・・≫
ウキィペディアには、彼とGLAの詳細がこと細かく書かれている。それより、彼女の魂の解釈が分かりやすい。
  ー概要と印象的な部分を私の主観でマトメテみたー
*敗北の時代 ー現在の日本は、困難な時代である。高度成長以降、バブルの崩壊から嘘のように元気を失っている。
 財政赤字は900兆以上にもなり、収入は日ごと目減りを、老後を支えるはずの年金は崩壊の危機に直面している。
 自殺者は3万人を10年以上続けており、明るい話題は陰を潜めている。
*最大の危機は「冒険」の喪失ー 何より問題は、未来に希望が持てなくなり、新しい挑戦が出来なくなっているからだ。
*人間には外界に左右されない内なる可能性があるー そのためには、今までにない生き方に挑戦するとき、前向きな挑戦は
 本当に想像を絶するほどの違いが出てくる。人間の中には、未知の可能性がある。
*「人間は魂の存在」が出発点 ―「人間は魂の存在として受けとめること」 −>「人間は肉体と魂から成り立つ」こと。
 まず人間の肉体は、地球上の生命進化の究極の姿を現す叡智に満ちたもの。 この世界の物質をつくる元素は星の中で生成され、
星が終焉を迎えるとき、超新星爆発で宇宙に散らばったものから出来ていて。その延長が肉体である。その魂の方はどうかというと、
 魂は心とつながり、 さらにその深奥に広がる存在である。肉体の基である外宇宙が百億光年以上のとてつもない広がりを
 抱いているものならば、 これに劣らない広大の内宇宙をもたらしている。仏教の一念三千という言葉は、その広がりを示している。
私たちの心・想いは、平和で満ち足りた天上界から苦しみばかりの地獄界まで、あらゆる世界に通じています。
その魂の抱いている内宇宙とは、それにとどまらない。 魂の次元は過去・現在・未来が一つになり、自他を超えるもの。
魂とは、この人生だけでなく、永遠の生命として経験してきた幾度もの人生の記憶と限りない智慧を湛えた存在であり、
私たちを超えた無意識の膨大な経験と記憶の貯蔵庫、宇宙の源という次元に繋がっています。あらゆる生命と存在を一つに
結びつける、つながりと絆が張り巡らされたどの宇宙を、≪ユニバース≫と呼ぶ。 その≪ユニバース≫こそ、計り知れない
広がりと深さを抱いている私たちの母胎であり、だからこそ、私たち人間は、宇宙=ユニバースに通じる
ゆたかな智慧によって 自らが進化するだけでなく、世界と光の共鳴を果たせる存在となる。
*魂が引き出す宇宙=ユニバースの世界 ―我われは偶然が支配する科学的世界観の下では、自分が意味もなく生まれ、
 世界とは特別なつながりはないと思っているかもしれない。しかし、そうではなく魂の次元に気づいた時、みな「つながり」
 によって生かされる「絆」の塊となる。その絆の基、宇宙の源には、私たちが拠るべき、全ての解答と青写真が湛えられている。
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解)魂について、これだけ明快に説明している文章も珍しい。
「魂とは、生前、死後に自他を超えて広がる広大なる内宇宙の基につながっている」は、神秘的、宗教的である。
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3123, 生きる幻想 死ぬ幻想  ー4
2009年10月23日(金)
 「生きる幻想 死ぬ幻想 」 岸田 秀 (著), 小滝 透 (著)         ー読書日記
 宗教は「死に対する恐怖を軽減する役割」が大である。死がやがて訪れることを知ってしまったので、
 その恐怖こそ、人類が長年にわたって個々人が乗り越えなければ壁であった。 
 一神教は、それを利用して神というラージXに対する恐怖を洗脳し、バラバラの人心を一つにしようとしたのである。
 エジプトの奴隷が集団でイスラエルの地に逃げてきたのだから、その奴隷には恐怖心を植え付け煽るしかない。
  −以下の部分は、その辺の事情を分かりやすく述べている。
  * 恐怖の神 * P-24
岸田:一神教は、「対神恐怖」の宗教だと以前から言っている。唯一神を奉じる人々は、神という主人の奴隷であって、
 戒律に違反すると、神から厳しい処分を受ける。この恐怖が一神教徒の行動の規範です。彼等はあまりにも神が恐ろしいので、
 神以外のものが恐ろしくなくってしまい、平気で無関係な人間を軽んじてしまう。彼らが尊重するのは同じ神を信じる人間だけ。
 そこから、キリスト教徒ではない先住民や、異教徒に対する虐殺が由来する。神は主人、人間は奴隷であって、奴隷は
 主人の命に従わなくてはならないのです。そうしないと酷い目にあわされてしまうのです。自殺など、とんでもないことです。
 一神教の文明圏で自殺が厳禁されている理由は、奴隷には自殺の権利などないのです。
 自殺は神との契約を破棄することなので、最大の違反です。奴隷が主人の命である律法を守っていれば、
 主人は『救い手』を遣わして、奴隷たちを窮状から救い、万人の主にしてくれる。 それが一神教の基本テーマです。
小滝:これに対して日本人は対人恐怖症なのです。社会で相手の信頼関係の中で「じゃあ、そうしましょう」
 となるのです。約束を破らないのは、彼に悪いとか世間での自分の評価を気にするからです。
 しかし一神教徒は神に叱られるから約束を守るのです。
岸田:対神恐怖と言うのは、それが共有されれば、人間の行動を規制するのに非常に役立つもの。
小滝:彼らにとって、異教徒というのは、同じ神に誓うという条件を満たせない者たちなので相互の信頼関係を結べないのです。
 異教徒の契約は常に仮契約でしかない。 その辺に一神教徒の異教徒への非道の原因があるようです。
 ▼ アメリカという一神教国が多神教国を冷酷な割り切りの視点でコントロールしている背景を上記からも知ることが出来る。
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2758, 仏文学者が、この一連の「金融恐慌」を書くと!
 2008年10月23日(木)
仏文学者の鹿島茂毎日新聞の文化欄に「株価暴落ー最悪は次の最悪の前兆ー1929年の再来か」と題して書いていた。
経済学者でもなく金融関係者でもない文学者が書くと、‘凄いこと’を文学調にアッサリと書き上げる。
1929年の金融恐慌では株価の下げは波状的に、最悪は次の最悪の前兆として押し寄せ、それが三年に及んでいる。
結果として株価は八分の一になってしまった。 それよりフロント係の 「窓ですか、ベッドですか?」は、絶妙。
「窓ですか、バスタブに睡眠薬、丈夫な紐の、ドチラですか?」は、実際に・・・・?
  −−−
【 「この数日は、大暴落の期間中でまちがいなく最も陰欝な日々であった。組織的な買い支えはとうに姿を消し、
 この頃には組織的な気休め発言も放棄されている。となれば、せいぜい皮肉なユーモアにでも紛らわすしかない。
  (中略)ダウンタウンのホテルのフロント係は、ベッドをご利用ですか、それとも窓ですか、と客に尋ねたそうな」
                             (ジョン・K・ガルブレイス『大暴落1929』日経) 】
 この九月二九日に日本を発ってパリに到着したら、テレビも新聞も米下院で公的資金投入法案が否決されたため
ウォール街で記録的な大暴落というニュースで持ちきりだった。・・・・ さて、長らく世界中の人が恐れていた「起こるべきこと」が
ついに「起こってしまった」。今回のウォール街大暴落が一九二九年か、それとも一九八七年のブラックマンデーに似ているのか?
と問われたら、私は間違いなく前者だと答えるろう。 なぜなら、暴落は市場の自動的調節などではく、雇用不安という死に至る病
兆候を示しているからである。一九二九年の悪夢は確実に現実化し、一九三〇年の大恐慌を再び到来させるにちがいない。 
 以下、ガルプレイスの本を参考にして、今回の大暴落に続くであろう展開を占ってみよう。
後にブラック・サーズデーと呼ばれることになる一九二九年一〇月二四日の木曜日、大暴落は前場に始まった。
十一時には市場はすさまじい狼狽売り一色となり、追い証を払えなくなった人の担保株は売り払われた。
十一時半には、完全なパニックとなった。しかしあまり知られてないが、ブラック・サーズデーは後場では回復しているのである。
昼休みの間にJP・モルガンの事務所で大手銀行家たちの会合が開かれ、株の買い支えを決定したというニュースが伝わったため、
相場は猛スピードで回復し、結局、タイムズ平均の終わり値は一ニドル下げに止まった。 金曜、土曜と相場は安定した動きを
見せたので、投資家は一安心した。悪夢は終わったかに思われた。 だが、終わってなどいなかったのである。
 一〇月二八日月曜日、相場」は記録的な下げ幅を示した指数が、火曜日には最悪の様相を呈し始めた。
出来高はブラック・サーズデーを大きく上回り、前日の月曜日に匹敵した。
 (字数制限のためカット 2010年10月23日) 
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2007年10月23日(火)
 2394, 恥はかかせろ、いじめはなくすな −2
 戸塚宏も、何人かの人を死なせて6年間刑務所の中で過ごしてきた男である。
もちろん死なせた自責の念も常に自分の良心の呵責もあるだろう。
そして檻の中で、教育とは何か身体を張って考えたはずである。だから、これだけのことが言えるのである。
早くいえば、終戦時に日本を骨抜きにしようと、腰抜け憲法アメリカが押し付けた。
そして、今日までそれを大事に大事にしてきた。国民の去勢化である。そして、その完成が、あの「ゆとり教育」である。
その結果が現在の、公立の小中学校の先生と生徒の様である。 さらにニートとかいう完成品である。 
そして人生を投げてしまった奇妙な人たちである。彼は教育の最終目的は、子供たちを『独立』させることだという。 
だから独立にいいものは善で、悪いものは悪。ハッキリさせている。だから体罰は善。いじめも善。 
褒めるより叱るが善に決まっている断言する。学校にカウンセラーなどトンデモナイものを導入。これ自体がおかしいという。
 −戸塚の文を抜粋しながら考えてみる。
 ーーーーー
体罰もいじめも善である*
   恥ありて且つ格(ただ)し   恥を知るは勇に近し
 前者は論語で、後者は中庸の一説である。恥をかくことが人間を進歩させることを昔の人はちゃん、とわかっている。 
 (字数制限のためカット 09年10月23日)
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2006年10月23日(月)
2029, 中越地震から今日で二年
       (+>∀<+)ノ おぁはは〜ようさん!
中越地震から今日で丸二年になる。今では私の周辺では「中越地震」の話題をする人は一人もいない。
もう一年以上、地震の話をしたことは無い。大きな地震の確率は他の地域より少なくなったし、世界の刺激的ニュースが、
身近な出来事など忘れさせてしまう。臍が曲がっているためか、当時、その事態を楽しんでいる自分に呆れていた。
数百メートルの小学校には夜になると殆んど避難。一月ぐらいは自宅周辺の殆んどの家には灯りがついていなかったし、
毎日のように余震が続いていた。その最中余震が起こる度に家内と震度当てをしていた。
地震発生の一週間後に、新潟に行こうと車で出たところ20分もしないうちに、高速道路に入る直前で震度5の余震が発生、
そのまま引き返してきた。 さらに、その数日後に新幹線で通勤途上に震度4の地震にもあった。
でも、ああまたか〜位にしか感じなかった。秘境旅行を三十数回行っていて神経が麻痺しているのだろう。
また仕事がホテル業ということもあり、緊急事態になるほど冷静さが要求されるためか?
「この程度で騒ぎすぎ」と独り呟いていたのも事実である。 夜半に余震が連日あったが、家の倒壊の心配がないので
冷静でいれたが、古い家の人で、危ない経験の少ない人の不安感は遥かに大きいかったのだろう。
 隣の家から女の子のひきつけの悲鳴が聞こえてきた。わが家の被害が比較的に少なかったが、
隣同士でも被害は全く違う。また2キロ先の山の麓の住宅地は悲惨な状態であった。
その一月もしないうちに、自宅の裏にある空家に被災民の一家が引っ越してきた。
   (字数制限のためカット 2010年10月23日) 
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2005年10月23日(日)
1664, ウィリアム・ブレイクの詩
  ー字数の関係でカットー2007年10月23日
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2004年10月23日(土)
1299, 「23歳の日記」
 事務所の移転で、部屋の整理をしていて、一冊の見た事のある小さな鍵付のノートが出てきた。
開いてみると日記帳である。「22歳の日記」の続編である。その続編があるとは、思ってもいなかった。
おそらく、「22歳の日記」とセットで、何処かにしまっていたのだろう。
 もっとも、入社したてで激務のせいか、8ヶ月で17日分しか書いてなかった。
 ー 3月5日から11月初旬の間である ー
かなり刺激的な内容もあって、肉体的にも精神的にも極限状態が手に取るように解かる。読んでいて戸惑ってしまっている。
三重県四日市から、神戸に転勤するまでの心の軌跡や、具体的な日々の有様が、そのまま書いてあった。
 小さな会社が三社合併をした年で、その交流の1弾として方々に転勤させられていた。今から考えてみても、
異常な日常の連続であった。まあ良い体験をしたのだろうが、当時の流通は今でいう3K そのものであった。
 流通革命の旗手と上手く煽てられて、合併の最前線の駒に使われていた。 一番立場の強い会社に入社したため、
惨めな目には会わなかったが、それでも、一日一日が変化の激しい体験の連続であった。まあ、それは40歳近くまで続いたが。
 研修が終わり、現場に配属された初日の事や、卒業式に出席する為に一度東京に帰ってきた2日間のこと。
(当時は卒業前の3月1日に仮入社するところがあった)悩んで、学生時代に通った禅寺に行ったことや、神戸の日々のことなど、
その時々の気持ちが書いてあった。 スーパーの店頭での「瀬戸物の叩き売り」は、映画に出てくる「男はつらいよ」の寅さんの口上と
ほぼ同じである。当時の関西のスーパーの肉屋や魚屋の職人には・・?それだけでない、スーパーの店員なんぞは下の下という風潮があった。
何が流通革命の旗手かと、ただただ驚きであった。 汚い寮に住んでいたとはいえ、学生時代のアカデミーな世界とは一変、地獄の底に
突き落とされたというのが、その時の偽ざる実感であった。もし、この文章を読み返さなかったら無意識で、当時の記憶の消去を頑なに
していただろう。それだけあまり思い出したくない日々であった。誰もが入社したての頃はそうだろうが。
 書き残すということは非常に長い目でみても有益なことである。「猿人類と人間の差は魂を持っているかどうかの差である。
魂とは、言葉を持つことによって得ることが出来る。」という猿人類学者の言葉を、このような日記を読み返すと実感する。
言葉で書き残してなければ、当時の心の叫びは残ってない。おりおり、配属の日の日記とか、卒業式の光景、そして神戸の日々とか、
禅寺の一日を書き写してみるつもりだ。 ただし五日間のみにする。あまり当時を直視したくない。
心情を書き残すということは魂を書き残すことと実感する。 今このような日記を書けといっても書くことは出来ない。
ーーーー
S5709事業百訓 
 ー1982年7月9日記(社内報)より
 何かの偶然で私自身全く貴重な経験をしてみた。 修業という事で、三重県のA社に勤め、考えるところがあり再び学校へ入り、
その後石川県のB社に再就職をし、
  ー以下は字数の関係でカットー2007年10月23日
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2003年10月23日(木)
932, ある旅行代理店の廃業
 ツアー大好き人間として、旅行代理店遍歴を多くしてきた。
ー以下は字数の関係でカットー2008年10月23日
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558, 仕事と性格形成
          - 2002年10月23日(水)
知らないうちに人間の考え方は、自分が実際に携わっている仕事に影響されているのを最近強く感じる。
私のような大商圏を相手にする仕事の場合、どうしても小商圏を相手に仕事をする人との考え方が正反対になる。
気が合う相手は大商圏の仕事や、大手相手の事業をしている人だ。 小商圏といえば、お互いの目を気にして「世間様」
を第一にしなくてはならない。お付き合いとかの人間関係の中から情報やビジネスチャンスを捉える事が重要となる。
大商圏を相手にしていると、逆にそれが邪魔になることが多い。 近目と遠目のちがいである。遠視になってしまい
近くのことが見えなくなる、逆に小商圏は近視的視点になってしまう。この違いの乖離が最近特に大きくなってきている。
最近それを指摘されるが、といって今更変えようとも思わない、また指摘する人は小商圏相手の仕事をしている人だ。 
もっともそのことすら理解できない人だ。数年前から間隔をおいているが、そうすると大部分の人になってしまう。
最小限の人とのいきちがいは仕方がないと割り切っている。 銀行も政府系や都銀との付き合いに傾く。
人間関係もどうしても地元でない人が多くなる。地元の人と一切付き合わないで済むから、地元では異様に思われているだろう。
大商圏的生き方として当然の事と受け止めている。特に父親はこの傾向が強かったモデルがいるから更にそれで良いと思ってしまう。
気が付いたら一人というと頑固爺の末路だろうが、その辺の変身は早い。 ある中国出身の作家がいっていた。
「地元で商売をするな、因縁がらみで何も見えなくなる。 他所なら全く関係なく、ビジネスとして割り切れるから。」
全くそのとおりである、ブラックジョーク以下の現象がビジネスで日常になってしまう。 地方の景気が最近悪いのは、
これに近い原因である事はいうまでもない。 情報化でグローバルの時代になってきた為だ。
これからの時代ますます大商圏的生き方の流れになる。 手前勝手か??
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[195] 宗教戦争ー6−  2001/10/23
 ーイスラム原理主義とはー
  ユダヤ教キリスト教イスラム教の違い
原理過激派はイスラム教を母体としたカルト教と思えば簡単である。ややこしいのがイスラムが母体という事である。 
モハメッドは一人考えた!「何故アラブ人に偉大なる神がないのか、預言者がいないからだ。
そうだそれを考えている自分が預言者になればいい」と考えたのだろう。
まずは「コーラン」をユダヤ教の「タルムード」の代わりと考えた。そんなもの、宗教とは。
宗教学者ひろさちあ氏が月刊誌に、ユダヤ教キリスト教イスラム教の違いを解りやすく書いていた。
ユダヤ教は・・・・「旧約聖書」プラス「タルムード」
キリスト教は・・・「旧約聖書」プラス「新約聖書
イスラム教は・・・・旧約聖書プラス「コーラン
まずベースが旧約聖書である。  三宗教のうち、
・父親的な立場がユダヤ教、その父親から長男のキリスト教が誕生、次男のイスラム教が誕生した。
ユダヤ教では、ーアブラハムが神ヤーヴェと契約を結んだ。
 その契約は、人間のほうからは、あなた以外の神と絶対に拝みませんと誓い、その契約にもとずいて
 神は人間にあれこれと命令する。その命令が律法だ。 したがってユダヤ教は本質的にー契約宗教です。
   ー以下は字数の関係でカットー 2007年10月23日