鬱病のタレントは、音無美紀子小山明子萩原流行千葉麗子生田悦子岸部四郎音無美紀子、高島忠男、小川宏
木の実ナナなど多くいる。作家では夏目漱石北杜夫。 タレントの何人かが手記を出しているが、本当に辛そうだ。
老齢化してくると誰しもが軽い鬱状態が日常になる。 長生きの人生の利子。 私の倒産のストレスは実際のところ大きいが、
長年、その方面の知識を積み重ねていたので、今回も最小? で済んでいる。 対策として、直後から、
 * 早朝の一時間のサイクリング+スポーツセンターの二時間 =合計三時間の運動で身体を動かす。
 * 10年間続けてきた、この随想日記を書き続ける。 
 * 孤独を守り、人の目線を意識的に遮断する。 その為に、哲学書を一歩踏み込んで読み込むこと、と決め実行している。
  しかし、45年に渡って手がけた事業の結果には外部要因が三分の二としても、当然、無念な気持ちは残る。当然だが。
 欝状態は、気分の落ち込みの底から自分を解放できなくなること。一度、底に落ち込むと、這い上がるには膨大な
 エネルギーを要する。そして更に泥が蓄積し沼(心)の泥は深くなり、ますます辛さが積もっていく。
  私事になるが、元もと人間関係はアウトサイダーを保っていたので、その崩壊は最小で済んでいる。 所詮は、娑婆娑婆!
 もしインサイダー人間だったら、私の性格からみて袋叩きだろう。それも娑婆娑婆。 地域社会を象の皮膚の隙間とすると、
 そこの住人は寄生虫でしかない。そう考えると気持ちが楽になる。 その自分も、その一匹。
  経験からして、心の傷は癒えるのに長くて三年、短いと一年。平均で二年弱。 時間が全てを解決すると腰を据えるしかない。
 結局は、自分で這い上がるしかないのが、この病気。 見渡してみると重い経験者は一割。 軽いのを入れると三分の二あたり。
 問題は独り遊びが出来るかどうか。独りで飲みに行く、読書に没頭する、映画館の梯子をするとか、新しい何かに挑戦するとか。
 それが出来ないから欝になるから、これ愚問。そうすると自立(脱皮)しろ!というサインと考え、悶えるしかないか。で、悶える?
 住んでいる場所を変える、生活習慣を変える、趣味を変える、仕事を変える、どれかが短期的に効果的。 書店か図書館に行くと、
 (神経が研ぎ澄まされているので)そこの天使が感応し、ピッタリの書棚に案内をしてくれる。 これは神様の情け。
 気づかないで通り過ぎるのがいるが、それは本人の問題。 朝日をクラシックを聴きながら浴びると、毒素が出ていくのが分かる。
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3487, ジョハリの窓
2010年10月12日(火)
 「ジョハリの窓」という原則がある。 ーネットによると
ジョハリの窓とは、1955年にJoseph Luft とHarry Inghamが考案した自己理解のメカニズムを指す。
 対人関係における自己理解について、4つの窓の視点を提示し、自己理解がどのようになされるのかを分かりやすく説明した。
 コミュニケーション心理学の分野で認知されており、研修や能力開発の場面で使用されることが多い。
  <4つの窓>
A.自分も他人もよく知っている自由な行動領域「開放の窓」  : B.他人は知っているが、自分は気づいていない領域「盲点の窓」
C.自分は知っているが、他人には隠している領域「秘密の窓」 : D.自分にも他人にもまだわからない領域「未知の窓」    
 ・いつも失敗する人は、「盲点の窓」が大きい。自分の悪いところも、いい部分も気づいていない。
 ・「秘密の窓」が大きい人も、表と裏の顔が違うもう1人の自分を隠していて、いざというときに、その自分が顔を出して
 「こんな人じゃないのに・・・」と言われることもある。その、もう1人の自分をできるだけオープンにすること。
 その窓を広げるためには、自分の気持ちを率直に話すこと。自分を開示していくのは難しい。横にA→Bへと窓を広げるためには
 友達や周りの人からの率直な感想を謙虚に聞く姿勢が必要です。そして友達も気づいたことや感じたことを率直に伝えることが大切。
 このよう知らなかった自分に気づくことで、人は成長し、「未知の窓」を広げていく。】とあった。
   〜〜
  私のHPは、ジョハリの窓そのもの。10年近くも頭の中と私生活をオープンし「C・B」から「A」へ移行してきた。
 そして自分で自分が書いた内容を読み返している時に、「D」領域が垣間見ることがある。過去を思いやった時に、鳥瞰の視線で
 BとCに気づくと同時に、Dの影?も見え隠れする。 その時点で気づかない未知の窓の気づきがある。そこには、戦略、夢、目標、
 神の視線、純粋なギブ&ギブ、血筋、教養、等々色いろある。未知の窓こそ人間に進化?するプロセスの生命、動物の進化の
 プロセスが遺伝子に書き込まれている潜在意識の世界が隠されている。 開放の窓・Aと未知の窓は対角線・Dの位置にある。
 自分を開放し、自由な行動をすればするほど、自他ともが窺い知れない未知の世界に飛び出す確率が高くなる。
  驚き、感動が人間にとって最も重要な受容能力だが、それこそ未知の窓へ通路。驚き、感動の周辺に知識・知恵が豊富に存在する。
   外は、広い、内は、深い! そして人間には限界があり、それぞれの外は狭く、内は浅いのである。それをソクラテスが・・・
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3112,返済猶予法案の成立から見えてくること! ー5
 2009年10月12日(月)
 初めは、この返済猶予法案は難しいだろうとみていたマスコミなどの観測を尻目に、あれよあれよのうちに成立しそうである。
4~5年前とは180度違う様相になってきた。アメリカの都合の良い基準に強制されて弱った会社を整理するのが金融庁の役割で、
徹底的に弱者切捨てを指導してきたのが、今度はこれである。 去年の9・15から、日本では恐慌が静かに深く浸透している。
これを前提に考えないと、この法案がアッサリと成立する流れになったことが理解できない。だから、先々週の土曜日の亀井静香と、
TV側の学者との認識の差になるのである。輸出入ともマイナス40パーセント減は現在も続いているし、メーカーなどの現場は
三分の一か、良くて二分の一の稼動率は今も変わってない。政府が十数兆円の景気刺激をしても、現場サイドの声は
「何時まで続くか知れたもの。回復の兆しなど全くない」としか、聞こえてこない。
弁護士などから入ってくる話といえば、「来年の2~3月に、持ちこたえられない会社が一挙に崩壊する
可能性がある」である。 等々を考えると、これは亀井静香が強引に進めている法案というより、「この対策をしないと、
恐慌から大恐慌に移行する可能性がある」と捉えてよいのではないか。また、これは地銀以下?の当面の救済にもつながる。
それだけ日本経済は弱体化している。 特に地方は。更に民主党が掲げて実行を始めるマニフェストで地方の公共事業のストップは、
景気の落ち込みに拍車をかける。自民、官僚、ゼネコンマフィアなどの構造汚職体質を破壊する反面、弾き出された失業者が増加する。
その直撃を受ける中小・零細企業に対しての受け皿の法案という面もある。何度も書くが、2001年の9・11テロから右下がりになり、
何とか輸出で持ちこたえていた日本経済も、去年の9・15のリーマンショックで、大打撃。 何とか緊急の資本注入も、あと数ヶ月で
力尽きようとしている。それを今度は下から支えるのが、今度の法案である。 設備投資産業にとっては神風である。
当方は、それでも新潟駅前再開発があるので、法案が成立しなくとも何とか切り抜けられそうだが、もし再開発が無かったら、
この法案は神風になっていたはず。最近のマスコミの論調も、この法案の慎重論が少なくなっている。 やっと、気がついたのか?
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2747, 仙台視察の二日間ツアー? に参加して
 2008年10月12日(日)
 商店連合会の仙台市の商業事情の視察バスツアーに参加してきた。
これまで地元の名士様と群れるのをタブーにしてきたが、全て無料と、仙台が一極化で顧客を集めているのを
ニュースで見ていたこともあり、有難い誘いと参加してきた。 時系列に日程と概要を書いてみると・・・
 28人乗りの中型観光バスで、総員17名で、まずは牛タンの専門店で昼飯を食べ、仙台の商工会議所に訪問。
仙台の実情を聞いた後に、駅周辺の繁華街を見て周り、一度ホテルに戻って、18時から宴会。
2時間飲んだあとは、30分ほど飲食ビル街を散策後、国分町のトアル店に入る。少し高級そうで
6千円位の店と思ったが、「うちは飲み放題で4500円よ!」と言われ安心して、ダブルの氷割りを5〜6杯を飲む。
客種は背広族のエライさんみたいな人たちばかり、二時間ほどいたが、一ゲンの客二人に最後までママが相手をしてくれた。
仙台の夜の雰囲気を味わってホテルに戻り、ベッドで熟睡。 翌日は一次会・二次会と飲んだ割りに二日酔いはない。
バスは運動量が多いからアルコールを吸収・消化しているのだろう。 翌朝は仙台駅から飛行場への直通アクセスの電車に乗る。
20分あまりで便利でよい。その後、一月前に出来たばかりのアウトレットの専門店が120軒集まっているSCへ行く。
あか抜けをしたセンスのよいSCである。 何気なくみている内に、ビジネス鞄と柄物のシャツを衝動買い。
鞄は6万円の半額だが、一目みて気に入って購入。 少し高そうなジャケットも買いそうになったが、止めた。
昼飯は昼飯代と貰った1000円で、マグロ丼を食べたが、丼の中身の半分がマグロの刺身でビックリ、中トロが多くて大満足。 
帰りのバスでは、一番前の座席に座って缶ビールを三本飲んでしまった。 新潟に泊まろうと思ったが、缶ビールのお陰で?
里心がつき、真っ直ぐ帰る。 これが、今回のアラスジ。土産など買ったことがないが、今回は、仙台の『萩の月』を買って帰る。
 仙台は東北6県の首都化のため、土地が大きく値上がりしていることは聞いていたが、駅近くの商店街も、
周辺からの顧客で賑わっていた。 仙台の町内会の連合会の会長の鼻息に、なるほどと感心した。
しかし、バブルの反動と、いずこも同じ郊外の大型SCの影響は、いずくも同じである。
町内会の会合や、連合の寄り合いには参加したことがないので、旦那様的な雰囲気の中で、ただただ大人しく?していた。 
一言一言が、私の常識からかけ離れた言葉の中、40年前の世界にタイムスリップした感覚。
それはそれで立派と感心してしまった。今回、iPhoneを持っていって、株の暴落をリアルタイムで知ることが出来、
ベンリなものだと再認識した。それより頭は世界恐慌になるかどうかの瀬戸際、視察より、そのニュースが気になった二日間であった。
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2007年10月12日(金)
2383, 私の嫌いな10の人びと −2   中島 義道 (著)     ー読書日記
まずは、この本をダイジェスト的に書いてある最終章をコピーしてみる。
「世間の感受性に漠然と合わせて、無批判的に従っている人が嫌いで、自分の固有の特性に基づいて
考え抜き鍛え抜いているかが決め手」というが、哲学者じゃあるまいし、殆どの人間は目の前、生きることに精一杯のはず。
この哲学者にかかったら、世の中の大部分の人は嫌われる対象になる。しかし、その辺の「世間人」を見ると、そうだそうだ!
と肯いてしまう。自分の弱さをしりつくしている我が身は、大多数の中で自分だけは違う!
と心の奥で呟いているだけでしかない。 好き嫌いはその人の固有の問題だから気にすることはない。
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私は本書では、むしろ大部分の現代日本人が好きな人、そういう人のみを「嫌い」のターゲットにしたのです。
( 字数の関係上、カットします−2008年10月12日)
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2006年10月12日(木)
2018、「私」のための現代思想  −10                        
「『孤独』とともに『自由』が発生する」の極みは一人旅であろう。
そういえば自由は孤独の極みにあった。過去を振り返ってみて、孤独の極みのときに一人旅に出ていた。
そして結婚と同時に自由は狭まり、孤独(感)も激減した。互いに首輪をつけて紐を握られ、握ってしまったからだ。
「自由になりたい」というが、自由ほど厳しいものはない。自由にはまず「個の確立」が要求されるからだ。
 <他者>了解不可能性というが、これは同時に<自己>了解不可能性になる。
 「誰も自分を理解してくれない」と、悩んでいるとしたら、それは悩んでいること自体が、無知からきている。
  もし誰かに「理解してもらっている」と思ったら、一時的な妄想を抱いているだけのこと。
 いい歳をした男どもが、群れているのをみると気の毒になる。程度と比較の問題で、誰もが群れなければ生きてはいけない
 ことも事実・・  それも人生だが!孤独の人ほど、それが人間の自然の姿である。孤独とは、他者と一線を画すこと、
「自らの分」を他者と画すことである。 和して同ぜずの精神である。 和して同じたとき自由が狭まる。
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第四章 「私」にとって「他者」とは何か−?
     ー孤独と自由ー
「存在する」が「存在者」という「かたち」をとることによって、何が発生するか、レヴィナスは「孤独」が発生すると言います。
「私」は<他者>の「声」の存在を通して「境界」の存在を察知するのみです。 その境界の中で芯としての《私》に気づきます。
自分の外部が存在し、そこに<他者>が存在するのですが、それは<他者の了解不可能性」のよって推測されているに過ぎない。 
このとき《私》は、入り口も窓も無い「閉ざされた部屋」の中にいることを知ります。 これがレヴィナスのいう「孤独」です。
その部屋の中で、《私》はいろいろな概念をつくります。 なに不自由なく暮らすことができます。
しかし、親も子供も、友人も恋人も、そこに「存在しているように」見えるのですが、それは単なる「映像」でしかありません。
彼らは全て<他者>であり、それは恐らく壁の向こうに側にあるだろうとしか思えません。
境界が発生することによって、「孤独」とともに「自由」が発生します。「存在する」ということを「液体である」
という状態にたとえるなら、そこには「自由」は存在しません。なぜなら、それは「全にして一」の存在であり、
動きは取れない状態。どのような場合に「自由」が存在するのでしょうか。それは境界によって他と仕切られた状態になった時です。
それは「孤独」の別名でもあります。その時《私》は居場所を決めることができるのです。つまり、自由とは「個別である」
を前提としているということです。このイメージは、「存在」という海の中で、結晶化した「存在者」が、
孤独に浮かんでいるというようなものです。
( 字数の関係上、カットします−2009年10月12日)
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 2005年10月12日(水)
1653, 北イタリア旅行記−4
字数の関係上、カットします−2007年10月12日
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 2004年10月12日(火)
1288, 「閑」のある生き方ー読書日記 −2
11章の「今ココに」の心得が含蓄が深いので抜粋して、そして考えてみる。
  ーー
・ー現在只今の自分を全肯定できること、これが人間として達しうる究極の境地である。
 そこに達すれば現世の中で翻弄されている最中でも平然としていられるのだ。
・「今ココニ」は過ぎ去っていくのではなく、自分が生きている事実がつづくかぎり同一のものとしてあり、
 しかもそれがただち永遠につながっていることが、次第にわかってくる。
 それは心の時間というべき状態である。 鈴木大拙はそれを「零=無限」として、こう言う。
 「空」は空間の義に思い違えられるおそれがある。それで仏教者はいつも
 その弁明に悩まされるが、存在といえば、いつも空間の存在の義に考えられ、時間を入れない。
 しかし実際は空と時とを分けるわけにはいかないのである。空と時を合わせて「一念」というほうがよい。
 hereーnow が、それである。(略)とにかく、「空」を時の上から解釈して、「即今」という。平たくいえば、
 ーただいまーである。 「空」がわかるというのは、その「ただいま」がわかるという意味である。
 「ただいま」を手に入れなくてはならぬ。この「ただいま」を無限そのものだと悟るとき、零すなわち見元の式が成立する。
 アッというこの一瞬が直ちに無限の時間そのものであると気のつくとき、東洋思想の根底にふれることができる。
                                   鈴木大拙「東洋的な見方」岩波文庫
 「今ココニ」を丸ごと心で把握するなら、そこにはあとに残る過去も先に待つ未来もなく、ただ永遠の今があるだけと
 いうことに気づく。空間が時間であり、時間が空間であり、その空間とも時間とも名付けられぬ絶対の現在がある。
 それが生きている場である。そこから見れば、物差しのような時間観念はただ外にある人工的尺度にすぎない。
 我々にあるのが「今ココニ」だけであると同様、二千年前に生きたセネカエピクロスにも在るのは「今ココニ」だけである。
 だから現在の自分とセネカは「今ココニ」というところで一つになる。これが人間の生きる時間の面白いところで、
 過ぎ去っていく時間という観念から自由になれば、人は永遠の時の中に行き始めるのだ。
 −−−
 以上であるが、この随想日記の過去分を読んでみると数年分の同月同日の「今ココニ」に、毎日出会っていることになる。
 いや36年前の日記の自分の今ココニとも同じことだ。その意味で感情を文章に込めて書くことの重要性の意味が納得できる。
 気持ちを込める、魂を込めるということは、現在の今ココニに現世を 超越した永遠の世界に入っている事になる。
 「茶道」の世界に「一期一会」も、「今ココニ」の世界である。 その瞬間こそ、自分に生きていることになる。
 ーーー
 ー「閑」のある生き方ー
    著者 中野孝次 発行元 新潮社  2004年10月3日長岡中央図書館
・・・・・・
003年10月12日(日)
921, アイスランド旅行記−1
 ー2003年 10月4日〜10日 
  ーアイスランドという国とは ー
直行便がアイスランドに初めて出発するという新聞広告をみて、急に思い立ってアイスランドのツアーに参加をしてきた。
行って解ったことだが、今年から捕鯨を開始をしたアイスランドに対して欧米の観光の予約のキャンセル相次いだという。
その穴埋めということで国をあげての企画であった。9月27日、10月4日、10月11日とそれぞれ240名、
合計720名の満員の大盛況。何か秘境?に行った感はほとんどなかった。
もちろん直行便はよいが、乗り継ぎで現地の人の間に好奇の目にさらされて行くから面白いのだが。
乗り継ぎのエネルギーも大変だから贅沢は言ってられない。アイスランドと聞けば「氷と火の島」というのが印象である。 
一般的には『それってどこにあるんだ』ってことである。この国の位置はイギリスと北極点の丁度中間に位置している。
大きさは北海道と四国を足した大きさになる。 そこに人口僅か28万人、首都レイキャビック
18万人が住んでいる。 イメージは極寒の地であるが、実際はそうではない。
・火山の国である為、地熱で温泉があちこちに沸いている。
・更にメキシコ暖流が周辺の海に流れ込んでいる。
・また氷河によって永い年月で出来上がった小さなテーブルマウンテン
 多くあり、それが北極の冷たい風を防いでくれる。そのため北極圏にしては暖かく、住めば都のようだ。 
 人口の50パーが漁業関係に従事している。
また地熱を利用したビニールハウスで野菜や果物ートマトやバナナやメロンなどが栽培されているのだ。
家も92?が地熱のお湯で暖房されており、地熱利用の発電所も多くある。
  ー日本人の若い女性現地ガイドが面白い内情を話してくれた。
・一見豊かさそうに見えるが、習慣としてローンを組む国民性があり、
 借金でどの家庭も火の車という。一般的には手取りで20万足らず、物価が高い為夫婦共働きだという。
 反面社会保障が充実しているため、将来の不安は少ないという。
 医療費は大病の場合は無料とか。島国根性で見栄っ張り、外見を飾りたいとか。
ー何処かの国に似ている。
・自殺の割合が、十代ではヨーロッパで一番多いという。 −これは一日八時間の日照時間に関係している。
・消費税が24?もあり、更に小国のこともあり食料以外の殆どが輸入品である。
 そのために物価が非常に高いのが特徴。 だいたい日本の物価の1・5倍である。 いかに高いか解るだろう。
・犯罪はほとんど無く、殺人は三年に一度あるかないかという。 大統府も小さなオフィスのようであった。
・どの人も何処かで人間関係が繋がっているという。 したがってあまり目立ったことができないとか。
                     −続くー
・・・・・・・・
547, 人生で一番よい時

  • 2002年10月12日(土)

母から聞いた話である。
母が堀井に嫁いで数年たった時、多くいる小姑との折り合いがうまくいかず、離婚を覚悟に実家に帰った時の
祖母の励ましの話が良かった。「一番苦しい時は人生で一番いい時なのよ!」私の一番苦しい時に聞いた言葉で
あった為か、強い印象が残っている。小姑とイロイロあったと聞いていたが、こういう話しを聞くと納得するものである。
祖母もその経験があるから?その瞬間、その言葉が出たのだと思う。人生の深淵のある言葉である。
「苦しいときは逃げては絶対に駄目、前向きに生きなさい」という気持ちの意味が背後にある。
人生から逃げ回っている人が本当に多い。逃げても、その自分が何処までもついて来るのさえ気づかない。
そしていつも逃げ回ろうとしている。このような人には「人生のいい時は来ない!」来ても気がつかない。
「苦しみを通り抜けて歓喜に!」というベートーベンの言葉がある。苦しむから歓喜があるのだ。 
マゾはそれをセックスプレーで楽しむのだろう。 最後の一言は必要ない?! 硬い話を最後で落とす為です?