* 料理はメディア、コミュニケーションのツール    ≪「知的な大人へのヒント」林望 著 より≫
【 食べるときは考えながら食べる。どうしておいしいんだろう、また、こんなにまずいのはどういうわけだろうとかね。
 それはしかし、自分の中で考えておけばいいわけで得意がってベラベラ言う必要はない。大切なことは「よく味わう」こと。
 それがおいしかったら、「うまいなあ、実にうまいなあ」と言って、おいしそうな表情をして、食べる。
 この「食べる表現」ということが肝要です。 料理はメディアです。コミュニケーションのツールです。-
 本来は、主である自分がつくって客たる相手をもてなすというのが食べ物をメディアとする、コミ二ケーションンのあり方です。
 昔は、人を招いてご馳走することを「主(あるじ)もうけ」とも言いました。この言葉はそういう機微ですね。つまり、主人が
 つくって客をもてなす、で、実際にそういう場合も多くある。 そのほかに料理屋に行くという形の「主もうけ」もありますね。
 それは、ほんとは自分でつくってもてなしたいけれど、その技術を持っていないとか、自分よりずっと上手な人がいるというので、
 その板前さんに委嘱して、自分のかわりに料理してもらっているわけです。 それが、料理屋でもてなすという本来の意味です。
 つまり、なぜ、この店に招いたかというと、ここの料理が美味しいので、これをぜひ食べて欲しいのに、全然料理の味なんかそっちのけで、
 つまらないゴルフの話ばかりしていられたら、主がわも、またその代理としての板前さんも、がっかりしてしまうでしょう。
 そういうことを考えてもわかるように、料理というのは、コミュニケーションのための手段、つまりメディアなんです。
 プロの料理人は料理に命を賭けている人たちですから、いい板前さんは一生懸命考えて、大変な努力をして、板長になっていく。
 そういう人が、多くの知恵を結集して、額に汗して出してきたものを、知らん顔して食べていては、それは仁義にもとる。
 薀蓄など語る必要はないのです。「美味しいな〜」だけでいいんです。】
  ▼ ファミレス、イタメシなどは、その店の個性があり、それに惹かれて客は店に行く。その個性が店のメッセージになる。
   美味しいものを食べつくしてきたので、それほど美味しいものを食べたい欲求は少ない。それより、店の醸し出す雰囲気を
   が好きで、それを求めていく。それ自体、既にコミュニケが始っている。 隣の席で、私が注文した料理の薀蓄を自分の
   部下の女性に得々と話している人がいたが、これほど不愉快なことはなかった。 家内も私も、美味しい料理の場合は、
   小さな声で、美味い美味いと自然に言う。それが、更に美味しくなることを知っているからだ。チョットした店構えの店で、
   売りにしているものが美味くないわけがない。ビジネスマンは、その交渉の前後に食事を共にとる。
   食事を通してメッセージが幾重にも伝わる効果があるからだ。
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3483, フューチャリスト宣言
2010年10月08日(金)                   
フューチャリスト宣言」梅田 望夫 , 茂木 健一郎 (著)
 ー内容(アマゾンより)
インターネットによってすべての人に学ぶ可能性がひらかれ、ブログが名刺になり、ネットでの評判がパワーとなる。
過去に何を成したかではなく、いま何ができるかだけが勝負の「新しい世界」の到来。日本社会との齟齬はないのか?
談合型エスタブリッシュメント社会をぶち壊し、新世界の側・ネットの側に賭けよう。
未来創造の意志をもって疾走しよう。フューチャリストの二人が、ウェブのインパクトと無限の可能性を語り倒す。
  〜〜
 これは「ウェブ人間論」の続編的内容である。梅田望夫茂木健一郎の「ネット未来」に関する対談で、ネット社会を
明るい視点で見つめる「フューチャリスト宣言」の書。 現在から将来に向けての、ネットを軸とした社会の変化や
人間の存在のあり方の変化を語り合っている。「フューチャリスト宣言」を「世界史の4つ目のリンゴ」に例えている。
1つ目がアダムとイブのリンゴ、2つ目がニュートンのリンゴ、3つ目がアップル社のリンゴ、そして4つ目が
フューチャリスト宣言」。肯定的にデザインされた明るい”未来”というリンゴになる。 
現在、出来上がった「もうひとつの地球」=「ネット世界」。そこには、それを可能としたツールが日ごと進化し、
身近に新しい可能性が次々と出来ている。「新しい芽は大きな流れとして正しければ必ず育つという確信がある」
と茂木は言う。二人には「インターネットの双方向性が必ずや世界を革命的に変える」という明るい見通しがある。
パソコン&インターネットは「グーテンベルグ以来の革命」と言われるが、 茂木はさらに「言語以来」の大革命という。
既にあるリアル世界の上に、Web世界が別に出現した以上、この二つの世界を生きなければならない現実を肯定的に
捉えなければ、生きづらくなってしまった。 また、ネット社会はリアルの世界の負け犬や一匹狼たちにやさしいと
語っているが、そういった公平性はネットの大きな魅力である。 インドのカースト社会の最下層の少女が、ネットで
新しい何かを創りあげる可能性がネット社会ではありえる。 そのことを茂木は、インターネットは「学ぶ」という
最も根源的な喜びを得る機会を無限大に爆発させているという。 言語獲得以来の脳の使い方が全く変ったのである、
ここで二人は、「ネットの世界は、オープンソースに代表されるように公共性と利他性をその特質としている」と語る。
「お金」が支配するリアル世界の超資本主義に対するカウンター、あるいは資本主義とは別軸のパラダイム
機能する可能性がネットにはあることだ。 茂木は「大学」というシステムは既に終わっている、と。 レポートや試験という
システムそのものがナンセンスと切り捨て、入試も同様、あらかじめ決められた範囲で優劣を競うこと自体おかしい、と指摘。  
 今更いうまでもないが、ネットという新しい世界は、人間の在り方を根源から変えている。
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3108,政府の借金など返済の必要なし? ー3
 2009年10月08日(木)
 「高校生でもわかる 日本経済のすごさ!」 三橋貴明著    ー読書日記
 四番目のキャッシュフローを始めたら要注意だが、これを数年前から日本が始めたのである。
国債の発行と、その日銀の引き受けである。このキャッシュフローは、あくまで国債が自国通貨建ての場合のみ、
利用可能な解決策。もし日本政府が借りている借金が「ドル建て」として考えてみると、日本の850兆円の国債は、
為替ルートで8兆ドルになる。これがある日、日本円が対ドルで大暴落したケースをみると、円が180円に暴落した場合、
1700兆円に倍増することになる。それほどでないとしても、ロシアやアルゼンチンは、このプロセスで財政が破綻した。
しかし日本の現状は、このリスクにはない。 政府が外国から「外貨建て」で借りて、自国通貨が大暴落をしない限りは
大丈夫ということになる。 少なくとも、家の中の借り貸しは、返済をする必要はないという理屈になる。 
 ところが家の預金が底をついてきたのである。それも半分はアメリカ国債に化けているから、これ以上の国債の発行は
無理な領域に入ったのである。 ところでアメリカが狙ったのが郵政の預金。 郵政自由化を日本に迫り、強引に
小泉、竹中を使って、推し進めたのである。 しかし日米とも民主党へと保革逆転したことは、日本にとって幸い。
現在の借金残高までは著者の論法は成り立つが、これ以上は無理である。更に続けるならば、子供たちが
親の預金通帳から金を下ろして、金(キン)や外国債権に移動を始める。ネットで誰もが可能の時代の恐ろしさがある。
 《 ところで、この本に日本国家のバランスシートが示されている 》
2008年12月末の数字で、日本銀行のHPに公開してある「資金循環統計」から、作成したもの。
*資産の部で、 政府の資産=467兆、金融機関の資産=2743兆、非金融法人企業の資産=819兆、
                家計=1433兆、民間非営利団体の資産=52兆円      資産合計 5515兆
*負債の部で、 政府の負債=974兆、金融機関の負債=2762兆、非金融法人企業の資産=1142兆、
                家計=375兆、民間非営利団体=17兆円          負債合計 5272兆
*純資産の部で、政府の純資産=▲507兆、金融機関の純資産=▲20兆、非金融企業の資産=323兆、
                家計の純資産=1058兆、民間非=35兆          純資産合計243兆
 政府保有の不動産などの有形固定資産や、無形の資産を入れれば、この倍にはなるのだろう。
それにしても日本の資産が5000兆以上とは、知らなかった。 そうこう考えると1000兆円の負債も驚くほどでもないが、
これを人口の1億2500万で割ると、一人あたり4000万円になる。 しかし純資産は200万しかない。 
世界の一時期の株価の総額に近いとみると、少し多いように感じる。 そうこう考えると、日本は、核を持つべきであるし、
アメリカの属国という事態から脱却しなければならない時期に来ている。 これをもって、日本は豊かで国家の力量が
あるとは言えない。 中国は膨大の土地と、日本の十倍の人口がある。 
アメリカは機軸通貨という絶対的な信用力と、軍事力、英語という世界共通言語がある。永久国債しかないのか?
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2743, サブプライム問題と「ファウスト」 −1
2008年10月08日(水)
 「資本主義は嫌いですか」―それでもマネーは世界を動かすー 竹森 俊平 (著)
 現在進行中のサブプライム問題、何処かで聞いたような感じをしていたが、この本で、気がついた。
ゲーテの「ファースト」の場面の悪魔の囁きー提案と瓜二つなのである。アメリカは「ただの紙切れ」を刷って、
世界中にばら撒いていたのである。ドルや国債だけで事足りず、毒入り饅頭を売っていたのである。 
恐ろしいほど酷似した次の場面、サブプライム問題をキッカケとした恐慌とセットに歴史に残るだろう。
 *ゲーテファウスト」の狙い
P-151 「バブルの勢いに乗った世界経済の急成長」に対する弔辞(オビチュアリー)を捧げよう。それについては、世界的な文豪に
登場してもらって、その名文で結びたいと思う。第一部は、「ペテン師か、天才か」いまでも議論が分かれている
ミシシッピー・バブルの仕掛け人、ジョン・ロウから話が始まった。実は、ロウには、大経済学者ヨゼフ・シュンペーター以外にも、
有名人のファンがいる。ほかでもない。ドイツのワイマール公国枢密顧問官としてその行政に長年にわたって携わり、科学、経済、
法律など学問全般に無類の博識を誇ったドイッの文豪ヨハン・ヴオルフガング・ゲーテ(一七四九-一八三二)である。
 ゲーテが晩年に書いた戯曲「ファウスト」は、代表作として知られている。あらすじを簡単に説明すると、老齢に達した
学者ファウストは、悪魔メフィストフェレスとの間で、魂をかけた賭けをする。もしファウストが「時よ、とどまれ、
お前はじつに美しい」という言葉を口にしたなら、ファウストはその瞬間に魂を失うという賭け。
メフィストは、さまざまな崇高な瞬間をファウストに味わわせて、ファウストの口からこの言葉を引き出そうとする。
ファウストはいかに甘美な体験にも、この言葉を口にするほどの陶酔は許されない。
 ーー
第二幕の冒頭で.二人はひとつの王国を訪れる。その王国の財政は、ルイ一四世治下のフランスと同様に完全に破綻している。
「帝国の金庫は空っぼ」で、「寝床の枕も担保に入っている」という状態である。皇帝を囲んで、宰相、大蔵卿などお歴々が
国の行く末を思い悩み、嘆き悲しんでいるところに、道化に化けたメフィストがひょっこり現れて、王国の財政問題を一気に
解決する妙案を持ちかける。 身動きの取れない状態に追い込まれていた皇帝やその臣下たちは、メフィストのような悪魔の
怪しげな提案にも乗らざるを得ない。しかしさすがは悪魔。彼の力で、この国の財政問題は解決する。
それは少し後の場面である。宰相が出てきて、その「良いニュース」を告げる。
(宰想)この歳になって、こんなよろこびを味わうとは思ってもみませんでした。
  ごらんください。すべての災いを福に転じた幸福の文章であります。
 「知りたいと望むすべての者に告げる。この紙片は干クローネの価値がある。
  皇帝領内に埋もれた無尽蔵の宝が保障する。直ぐにでも掘り出して兌換に当てる用意がある」
(皇帝)途方もないイカサマだ! だれが皇帝の著名をした? 罰しないでおくものか!
(大蔵卿)お忘れですか?その手で著名なさいました。皇帝自身がイカサマと思うような政策。皇帝領内に埋もた(?)
 無尽蔵の(?)宝(?)により保障することによって、「ただの紙切れ」を貨幣として流通させるという途方もない考えが、
 この国の財政立て直しのためにメフィストがひねり出した妙案だった。しかし、このことによってこの国の財政は
 見事に立ち直る。しかも立ち直ったのは、財政だけではなかった。「過剰流動性」の力で、沈滞に喘いでいたこの国の経済は、
 みるみるうちに息を吹き返してきたのである。
 このケインズ経済学的処方箋の効能を、ゲーテは「大蔵卿」の口を通じてこう語らせる。
(大蔵卿) さっそく署名をいただきましたので、昨夜のうちに彫り師に刻ませ、どっさり刷り上げたのに印を捺しました。
 ほかに十クローネ。三十クローネ。五十クローネ。百クローネの紙幣にいたしました。国をあげて喜びにむせんでおります。
 町をごらんください。ひっそり死んであったようなのが生き返り、わき返っています。
 −−
 以上だが、皇帝がアメリカ大統領のブッシュか、メフィストアメリカを支配しているユダヤ資本家か、はたまた
 ロスチャイルドか?しかし、最後は、それ故に自壊していく姿は、喜劇になる。いや、壮大な悲劇である。 
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2007年10月08日(月)
2379, 人は60歳で何をしたか −5    (p≧w≦q)オッ☆ o(≧▽≦)o ハァァァァァァ♪                 
  「人は60歳で何をしたか」 藤原治・著
まずはー大江健三郎『燃えあがる緑の木』ーから、印象的な部分を抜粋してみる。
ここでは、 大江健三郎の魂に対するイメージを鮮明に言葉にしている。「亡くなった人が、生まれる前から割り当てられていた、
森の樹木の根っこに戻っていく」 自分の両親は、どの木に戻っていったのだろうか?もし両親に、「この木と思う!」
と言われていたとしたら、 墓より意味は深いはずである。「自分の木を見つけておきなさい!」という言葉にハッとしたことが
あったが・・ 今度は本気になって、自分の木を探すことにした。知人の別荘?に大きな大きな藤の木がある。
  (字数の関係でカット09年10月8日)
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2006年10月08日(日)
2014, ゴミ少女 −1
         おはよ〜!(*^ワ^*)i(~O~)ふぁ・・                    
図書館で「新潮45」の1月号を何気なくページを捲っていると、ある一枚の写真に眼が吸い寄せられた。
電車の中で、女子学生が超ミニスカートで電車内で座り込んでいる姿があった。その写真と手記を書いているのが、
インドやネパールなどの写真で知られている写真家の藤原新也なのである。文庫版の彼の写真集を二冊買っているので、何で
「こんな写真」と「クソ女」という過激な文章を書いているのかと、さっそく借りてきて読んだ。
特別寄稿のテーマはータリウム事件に見る、「殺さねば出会えない母」に関する一考察ー【藤原 新也】である。
話は変わるが、長岡の駅裏で通勤途上、超ミニの女子学生30人位がバス待ちをしている姿を毎日見ている。
本当にパンツが見えそうなほどで、目のやり場に困ってしまうほどである。
そうそう、地元のラジオで新潟県の女学生のスカート短さが日本で一位と言っていたが・・
数年前のことになるが、女子学生数人が駅の専門店街の中二階で、股を広げスカートをパンツを   
隠すスタイルで座っていた。そして下から上がってくる男達の目線を笑いながら見ていた。
私も一瞬、眼のやり場に困り、次の瞬間、その娘達の真意を読み取った。
「このクソ女!ガキども」と、思ったことを、この藤原新也の文で思い出した。
恐らく多くの大人が同じような経験をしているのだろうが、このレポートは、その代弁をしているような内容である。
ーその書き出しのところを書き出してみる。
 −−
[ゴミ少女]
 ネットで話題になった一枚の写真がある。JRの車内。女子高校生の通学風景である。
  (字数の関係でカット2008年10月8日)                    ーつづく
後記)それにしてもが、以前書いたが画家や写真家の文章は鋭い! 一瞬の現象の本質を捉えるからだ。
 この写真、このHPの‘バードウオッチ’のコーナーにリンクしてあります。
   http://ore.gonna.jp/blog/archives/000273.php
・・・・・・・・
2005年10月08日(土)
1649.マグロ屋福助ー亭主・宗親の独り言・・8
  8・うちの商法ー3
宗親
昼も定食を一品だけ出してるんだ、日替わりでね。月曜はマグロ刺し定食、火曜日はマグロハンバーグ、
水曜日はマグロブツトロロがけ定食、とかしてね。すべて700円で100食限定でね。もちろん完売だね。
特に金曜日はトロ定食980円で出すの。行列になるよ。普通だったら原価割れ寸前のはず。いや実際の価値は3千円以上だよ。
一本おろすからできるんだ。お客は知っているの、その事を。うちの店の厨房は、一歩入ると機械だらけなの。
マグロのメイン以外は手をかけないの。ご飯、味噌汁、コーヒー、スープ、オニギリなんか手をかけないように器械化がしてあるんだ。
今の器械化は凄いよ。それと生野菜の真空パック技術なんか信じられないぐらい凄いよ。手を抜くところは、徹底的に抜くんだ。
その反面、入れるところは徹底的に入れるんだ。初めはね、中の上の商品を中の下で売れってねコンサルタントの先生に教えられたの。
それを忠実にやっていたの。そしたら疑問がでてね。上の下の商品を下の上の値段にすべきじゃないかってね。それをやるに
どうしたらよいかってね。仕入れを変えるしかないってね。それには生産現地に行くしかないって考えたの。そして、焼津に
3日泊り込みで行ったの。 同業者のところに毎日通ったね。      Date: 2002/03/28/07:16:42 [29]
・・・・・・
2003年10月08日(水)
 ある時間の断片ー38
 ー11月11日  1968年
昼過ぎに佐藤のところに行くと「多恵ちゃん」から、電話で大妻祭に招待される。毎日忙しいことだ。
これもアマリ気が乗らずに、佐藤のお供で行ったようなものだ。講堂で「森山良子のリサイタル」があった。
さすがに彼女の歌は上手い!一曲一曲が心にしみる歌であった。 しかし腹がへって貧血気味になる。
多恵ちゃんの友人の飯野貞子さんを紹介してもらい、4人で食事をする。 ブラブラ4人と寮の近くまで送る。
飯野さんと話しながら帰るが、真面目そうな面白い子だ。といって、それ以上の何も感じなかったが。
23時から24時までゼミの予習をして、その後佐藤と明け方まで酒を飲んで寝る。
 ー11月12日
・明方まで酒を飲んでいたせいか、10時過ぎまで寝ていると、電話がかかってくる。
先輩の永田さんから、文京区役所でバザーの手伝いの依頼だ。毎日毎日お呼びが良くかかるものだ。
タクシーで駆けつける。電動歯ブラシの販売である。これは売れそうだと思いきや、殆ど売れない。
隣で30過ぎのオバサンと話をする。宝石のデザイナーで、渋谷の専門学校で色彩学を教えているとか。
西銀座で宝石店を持っているとか。彼女の友人の銀座の「モンブラン」のバーのマダムも、バザーの手伝いに来る。
販売よりも、この二人と話している方がずっと面白い。結局、二人と知人が買ってくれたのを含め都合6つしか売れなかった。
がっくりしたが仕方がない。帰寮後、風呂に行き、食事をして、21時から25時までゼミ関係の本を読んで就寝。
ー後記ー
最近、急速に武沢ゼミに影響されている。先生とゼミ同期の4人だ。非常に個性的である。その4人に段々
感化を受けているようだ。それと教授の影響がここにきて大きい。気を緩めると、潰されてしまう位厳しい。
・・・・・・・・・・
543, [エッ嘘だろう!!]
 - 2002年10月08日(火)
「エッ嘘だろう!!」と思わず叫んでしまった。
自己資本は資本金の2倍以上で、創業時の償却勘定でマイナスになった以外は黒字の優良会社と思っていたのに、
 会社の借入金がある銀行の不良債権の可能性があったという。
・政府系銀行の借入れの都合で個人名義で買った「2箇所の駐車場の土地」の資金を会社から借入をした。
 その役員貸付金が自己資本と同額であった。その事情は銀行が解っているのに?金融庁の検査で問題になっているとか。
金融庁の監査の担当がいうには「個人と会社は別物で、その事情は関係ない」 という。
自己資本と役員貸付金は相殺するのが筋で、そうすれば 実質資本金はゼロで、健全会社といえない」とか。
   (字数の関係でカット10年10月8日)
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[178] 忘れられない店ー4(金沢)
ー平家ー鉄板焼き   2001/10/08
金沢にいた時期によく行った店である。もう30年も前の話である。4〜5年前に行った時まだっその店があったが、
しかし個性的な親父は死んでしまっていた。その店のかみさんがそのままいた。高級化して二店になっていた。
落人焼きといって、何でも鉄板で焼く鉄板焼きやで‘平家’というだ名前の店だ。今でもちょっとないかわった店だ。
食塩の箱入りとともに、キャベツが山盛りでツマミにでる。大きい鉄板の上で魚や肉や野菜や豆腐を焼くのだ。
その為店が油でギトギトで真っ黒で、またそれがいい。親父が遊び人風の個性の塊のような親父で、その話を聞いているだけで
よかった。当然お母ちゃんがいて、人間味あふれた夫婦であった。2時間ぐらいいるうち、必ず大喧嘩をするのが名物で、
皆それが始まるのを待っている節があった。「マダ喧嘩始まらないの?」と聞く人まで出る始末。そしてすざましい喧嘩である。
たまに奥さんが休みの日、一人ショボンとしているところがまた可愛い。 何回も家に電話しているのだ。
たまたま初めて行ったのは、会社の先輩が競馬で大あてをして連れていってもらったのだが、「お前の人生は今日で終わりだ、
大穴を当てた味を知ってしまったのだからだ!」と先輩に説教が始まった。それがいやに説得があって面白かった事を思い出す。