▼ 血圧について
 酒好きの私が、これまで血圧を意識したことは全くなかった。年に一度の半日検査では、「少し高めで高血圧の入り口にある。
出来たら酒は止めた方がよい」と、いわれ続けてきた。それでも、「毎日の運動を意識的にして続けているので大丈夫」と、判断していた。
最近、二箇所の運動ジムに通いだしたが、両方とも血圧測定器が置いてあるので自然に、毎日のように検査をしている。
だいたい145〜155である。そこでネットで調べてみたところ140からが高血圧の三段階の初段階とあった。
医者にいわれ続けてきた通り。 両親とも高血圧体質で数値をいつも気にしていたので、年齢プラス80〜90が高血圧の境目、
という記憶がある。 65歳として、やはり145〜155が境目になる。 ということは年齢からして、少しは考えなければならない。
晩酌で少し飲みすぎが原因は分かっている。 食事は20年以上前から、肉食を避け魚料理にし、御菓子など甘いものは、ほぼ口にしない。
また塩分も最小にと心がけてきた。 運動も30年近く、早朝に散歩か、最近はサイクリング。 5ヶ月前からは、ほぼ毎日のように
運動ジムに通っている。 反面、晩酌に酒一合から二合と、350mlのノンアルコールの缶ビール1本を欠かさず飲んでいる。
死ぬならガンと思っていたので、血圧に対して少し認識が甘かったようだ。
 昨夜のNHK番組の「ためして合点」で、高血圧と認知症対策のマッサージを紹介していたが、そろそろ一歩踏み込んだ血圧対策を
しなくてはならない時期にきたようだ。 今さら遅いか? まだ遅くないか? ネットや、社会、世界の断層の狭間を目の当たりにし、
健康で長生きをしたい欲が出てきている。 まだ娑婆に未練? が残っているか。
やはり、振り返ると、60歳までが人生の良いところ。 ーべき時に、べき事を、べく、すべきーとは、良くいったもの。
 「 若気のいたり、とは若気のいたりが、むしろ無かったこと!」と今東光が、いみじくも言ったが、その通り。
 「 チョットチョット、あの老人、現実に溺れすぎて、恋もしたことが無いんだって! 」というのも、ある。 血圧と何の脈絡がある? 
かというと、血圧など気にする時節に「人生を充実して活きてこなかったことに、後悔する」からからだ。チロリ・チロリ・チンチロリか〜
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 3446.秘・異郷の旅、よもやま話・・3
 2010年09月01日(水)
*初めての21歳の欧州旅行 ー2
 デンマークの初めての夜はレストランのバイキング料理である。当時の日本にはセルフ形式は全くなかった。
それより、自分が食べたいだけ皿にとってよい、とうのが珍しく、不思議な感覚であった。
 そして、スウェーデン。夏のせいか、金髪の若い女性が裸足で、超ミニスカートで、街を闊歩している。
その美しさが街並みにマッチしているのに驚いた。 また郊外にある古城の絵に出てくるようは美しさ。
それと高台からみた高原の輝く景色。それが次々と続いて出てくるのである。
 そしてロンドンに。中学校の教科書の小さな写真でしか見たことのないバッキンガム宮殿、そしてロンドン市内には、
シルクハットをかぶって歩く風格ある紳士。 パブに入って飲んだビールの美味さ。 重厚なパブの雰囲気も異次元の世界へ
タイムスリップをしたような感覚であった。 そこで仲間数人酔ってしまい、子供時代以来、腹の底から笑った経験をした。
こんな楽しく高揚をしたことは今だかってなかった。もう、その世界に入ってしまったのである。
これを何度か経験すると、チョッとしたキッカケで同じ気分になれる。これが人生を楽しさという面で非常に豊かにしてくれた。
元もと実家で商売をしていて、年に一回、家族、従業員、取引先など5〜60人が、年末に飲めや歌えやのドンチャン騒ぎをしていた
回路があったが、ロンドンで仲間と騒げば面白みが格段と上がる。それで酒席が好きになり、ハメがきかなくなってなっていった?
 パリのシャンゼリゼ通りと、凱旋門エッフェル塔。歴史的な積み重ねが、そのまま、街並みに出ている。そのシャンゼリゼを、
独りで歩いたことが今でも記憶に鮮明に残っている。歩行者の、ほぼ全員が白人。
その中で、東洋人の自分に違和感を初めて覚えたということ。

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3071,衆院選挙の各新聞の論評から
2009年09月01日(火)
  各新聞の衆院選挙の結果の論評をみたが、なるほど要点を突いている。
 ーまずは印象に残った箇所から
麻生首相保守本流を強調し過去の実績を訴えたが、戦後の日本を作ってきた自民党は「腐ってもタイ」でなく、
「腐ったタイ」としか見られなくなった。(毎日新聞
・麻生が任期満了まで解散できなかったのは、郵政民営化などの構造改革の総括ができない自民党
 国民に顔向けができないという方が正確だ。(毎日新聞
・小泉を引き継いだ浮世ばなれした三代目が三人が「売り家と唐様で書く三代目」の巻き添えに
 されるのではという危機感を国民が感じ取ったのでは。(日経新聞
・タダ、今回の結果も、ローマ帝国時代の「パンとサーカス」を庶民に与えて手なずけたのと、
 似ている。パンは子供の手当ての支給とか年金の値上げや、高速道路の原則無料化。
 サーカスは、政権交代という危機のスリル。 (産経新聞
  以上だが、今回の選挙は、あくまで自民党の自壊の要素が大きい。
 自民党は「腐ってもタイ」から「腐ったタイ」に変わっていたのである。
 民主党も実際の政権の維持の経験がない上に、寄り合い所帯の危うさがある。
 それから考えて自民党が自己改革をして受け皿になる体質に変更すれば再起の可能性は残されている。 
 しかし戦犯というべき残党が比例代表で(小選挙区で敗れたに関わらずに)当選し居残っている。
 彼等こそ、まずは整理されるべき人たちに関わらずである。
  今回は、あくまでも自民党が自滅した結果であり、国民は元社会党の残党には疑念を持っている。
 それが、いずれにしても露出して1〜2年で政界再編になるのが目に見えている。
 自民党から民主党に替わったところで、恐慌が収まらないし、財政破綻が帳消しになるわけではない。
  まずは法務大臣に、鈴木宗男亀井静香に、外務大臣小沢一郎にすればよい。
    そうこうみると、民主党にも人材がいないように見えるが、実際どうだろう?!  
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2706, 現代とはいかなる時代か
2008年09月01日(月)
人類の現時点を俯瞰してみると、人間圏が限界に達してしまったことと、
インターネットという人類文明史にとって大きな情報手段を手に入れた、という大きな分岐点に立っている。
著者はアポロの月面着陸が地球史・生命史という時間スケールでも、特記すべきことと見ている。
4億年前に、生命が初めて海から陸に進出した事件に匹敵するという。現代は宇宙から地球をみなければ
ならない時代になってしまったのである。グーグルアースも地球だけでなく天体飛行のできる機能がついている。
我々は何時の間にか、その立ち位置に置かれてしまったのである。
 ー以下、要点を抜粋したー
「地球システムの崩壊」 松井孝典著         −読書日記   −2
  *現代とはいかなるじだいか
1969年、人類は地球上の生命としては初めて、地球の重力圏を突破し、月面にその足跡を印した。
人類としての記念すぺき最初の一歩を印したアームストロング船長は、 その歴史的瞬間に立ち会った気持ちを、
次のように述べている。「これは一人の人間としてはほんの小さな一歩だが、人類にとっては大きな飛躍である」。
この言葉ほど、現代という時代の特徴を、簡潔にして明瞭に伝えるものはない。
 アメリカの文豪ノーマン・メイラーもまた、この高揚した時代の気分を次のように残している。
「二〇世紀はアポロー1号の打上げをもって終った」。それは地球史、生命史という時間スケールでも、特記すべき事件。
今から四億年前、生命が初めて海から陸に進出した事件に匹敵するからだ。 地球の重力圏を突破することの哲学的意味は、
宇宙から地球を見る視点を獲得することにある。それは地球が、他の太陽系天体と同じくひとつの天体にすぎないことを、一般の人にも、
画像としてはっきりと確認させてくれるが、しかし一方で、地球が他の太陽系天体と、異なる天体であることも認識させてくれる。
 その雲の変化や、季節による大陸の地表変化は、大気と海との複雑な相互作胆あるいは生物圏の存在を示唆し、
地表が、その領域を構成するいくつかの構成要素間の、相互作用による動的な平衡状態にあることを語っている。
専門的な言い方をすれば、それは地球がひとつのシステムであるということだ。
 また、夜になると地表を覆う光の海は、この天体に、高度に発達した知的生命体、あるいは文明が存在することを、
灯台からのシグナルのように宇宙に向かって発信している。従って、「現代とはいかなる時代か」と問われれば、
「我々の存在が宇宙から見える時代、あるいは我々が宇宙を認識しはじめた時代」といっていいだろう。
それはまた、我々が大脳皮質に外界を投影し、内部モデルを構築するーそれが認識ということだが、
その認識の時空を拡大することで、ギリシャ以来の学問のゴールである普遍性について、具体的に語りはじめた
時代といってもよい。宇宙からの視点を得るとは、俯瞰的、相対的、普遍的視点をもつということと同じである。 
その結果、「我々は初めて、我々とは何か、どこから来てどこへ行くのか」という根源的な問いに真正面から
向き合うことができる。その詳細を議論するには、宇宙や地球や文明について、いくつか基本的な認識を
確認しておかなくてはならない。
〜〜
何度も書くが、これはコペルニクス的な人間観の転換でもある。また、その視点が最重要になる。
月面着陸が地球史的にみて、これほど大きな出来事だったとは知らなかった。そして宇宙の彼方から地球を改めて
みた時に地球システムの中に、自然の中に人間という知的生物がいて、生物を支配しているのである。
それだけでなく、自らを創りあげた地球システムを破壊始めたのである。それが自滅とわかっていても自分自身どうすることも
出来ない事態に入ってしまっている。この知的生物とやらは、知を得たがゆえに消滅していくのである。
正しく「アダムとイブが禁断のりんご食べたこと」が、これに当たるのだろう。
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2007年09月01日(土)
2342, 「ある」ことと「あった」こと          お|* ̄O ̄|は
 『狂人三歩手前』 ー中島義道
ー「ある」ことと「あった」ことー
理屈っぽくなるが、「ある」とは「あった」があるからあるから「ある」のである。「あった」があるから、その想起で現在が「ある」。
「私」も現在から過去を振り返ったとき、「私」が発生するのと似ている。現在は過去にかこまれているのである。
かって旅先で暴漢に襲われて記憶を無くしてホームレスになって、そして立ち直っていく男の物語の映画をみたことがある。
これこそ自己喪失である。そこに記憶も生活基盤を無くすことの恐ろしさを見た。それは「あった」があるから「ある」という説明に、
解りやすい物語であった。その映画を見て、人生は「ある」ということと、「あった」ということで成り立っており、
その両者を大事にしなくてはならない!と実感をした。過去は消せないのである。
   ー以下は『狂人三歩手前』から・・・
世界についてでも、私自身についてでもいい、物体についてでも、心についてでもいい、われわれは
現在の知覚を基準にして、何らかの客観的対象が「ある」とみなしがちである。
(以下、字数の関係でカット09年9月1日)
ーー
非常に解りやすい、深い内容である。これを歴史に当てはめてみても、成り立つことである。
遡れば、ビッグバンがあったから、現在があるのである。
(その説が正しければだが)ありえない事が起こったのである。そして、現在、私が世界を生きている!
これは偶然か、必然か?そしてビッグバン以前は何だったのか? これを考えるのが哲学の一歩である。
            バ━━ヾ(′ω`●)ノ━━イ
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2006年09月01日(金)
1977, 三回目のケニア旅行ー2 (≧∇≦)オハヨウ~ゴザイマス!
 10年前には日本人観光客が一万人だったが、現在では十万になってしまった。以前はケニア旅行といえば珍しい存在であった・・
また首都のナイロビからマサイマラへの道路では以前はあまり車が走ってなかった。しかし現在では対向車が絶えることなく走っていた。
 話は変わる。 マサイマラでの出来事。サファリカーが5~6台終結しているところに若い雄ライオンが二匹寝ていた。
ところが何分経っても寝たままなので、その場を去ろうとすると、突然隣の車が二台が交互に、そのライオンの鼻先に
車を突進、寝ているライオンを飛び跳ねてしまった。若い現地の運転手が笑いながらからかっているのだ。
初めてみるシーンである。自然動物に対して絶対してはならない行為と、ただ驚いてしまった。後ろの席にいた若いツアー仲間の女性が、
それをみて突然泣き出してしまった。 彼女の気持ちが痛いほど理解できるが・・考えてみれば、現地人にしてみればライオンなど
野良猫のようなもの。もし抗議したとしたら「観光客こそサファリーカーで勝手に排気ガスを撒き散らして、奇麗事を言うんじゃない!」
というのが本音だろう。ただ、長い年月を通して、動物とサファリカーはお互いに危害を加えない暗黙の了解を作ってきた。
その意味でやはり問題だろう。今回の旅行でアフリカが遠い存在から、ごく近い存在に感じ取ることができた!
それにしても7年前のヌーの河渡りの印象が、あまりにも強烈過ぎた。
野生のライオンや、豹を見ても感激しなくなった!もうサファリは最後か!いやタンザニアがある。
まだまだ、深いアフリカは!添乗員から、マリが面白い!と聞いた。
地方経済がもっと回復してくれば大手を振ってもっと出かけるのだが・・絶望的か!もう年一で充分だが・・    
                  (*^ー^)/C□~~ コーヒーいかが?        バイバイ!
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2005年09月01日(木)
1612, ハワード・ヒューズ
 ー字数の関係でカット(08年9月01日)
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2004年09月01日(水)
1247, さよなら!五十嵐恭一さん
 −五十嵐恭一さんへの弔文
友人の五十嵐恭一さんが8月21日の夜半の11時過ぎ、長岡西病院で亡くなった。 享年57歳であった。
その日はオーストリアの旅行の為、日暮里に前泊していたので、旅行から帰ってきた翌日の30日になって初めて、
その事実を知った。朝日新聞系の「朝日広告」の営業で、高校の後輩ということもあって、公私の付き合いがあり、
私の弟分であった。かなり激しい躁鬱症で、間接的だが私がカウンセラーとコントロール役をしていた。支局長までなったが、
その病のため平社員に降格された。それでも過去の経験を買われて、そのまま同じ職場で仕事を続けていた。
盆暮れを含めて年数回、20年以上飲み続けていた。 アポ無しで事務所で直接来ても、
抵抗感を持たせないキャラクターがあった。気持ちが純粋で、面白いミニ情報を多く持ってきてくれていた。
三年前から、唇に腫瘍ができ、それが原因で転移して末期癌になっていた。 この5月に自宅に見舞いに行ったところ、
苦痛に呻いていたのをみて、末期医療の長岡西病院のビハーラ病棟への入院を勧めた。
躁鬱病の重症の時も、私が入院を勧めると、直ぐに従った。)自宅への見舞いの三日後に、即入院をした。
そして最後に見舞いに行ったのが、亡くなる10日前であった。一緒に見舞った人が、五十嵐さんの知人で、
先に亡くなった人の名をあげて「私も直ぐに行くから、彼らと待っていてくれ!」と慰めた。
ところが、「まだ、早い!」と絶叫をしたのをみると、マダマダ生に未練があったようだ。
死ほど、自分と他人の差が大きいものはない。苦痛は想像を超えていたようで「24時間の拷問にあっているようだ」
といっていた。奥さんに苦痛の為[殺してくれ!]と、懇願したそうだ。 私の身辺で多くの末期癌の壮絶な死を見てきたが、
彼のそれは悲惨で見るに耐えないほど激しく厳しいものであった。本人しか知らない想像を超える辛さがあったのだろう。
オーストリアの旅行先で、行く先々の観光地で、バスを降りると雨が降ってきた。
そして、バスに乗ると雨が止む。 それが三度目に、虹が出たとき、「ああ、五十嵐恭一は亡くなった?!」と、
思ったのが事実と知った時、なるほど、彼らしく自分でお知らせをしてきたのだと思ってしまった。
知人縁者の死は、自分の死でもある。しかし自分の中では、より身近になって何時までも生き続けることを実感する。
さようなら、五十嵐恭一!そして、ありがとうございました!  ご冥福を!
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2003年09月01日(月)
880, 敗戦の時 ー有事の時代に突入 −2
 彼が新宿のビルの上から東京を見ると、「大震災の後の無残な街の姿に見えてくる」という。
 このセミナーを聞いていて、その無残な国の真っ只中に置かれて、何も手をうってこなかった自分の鈍さに、
 背筋が凍る思いであった。 99?の人や会社が手をうってないとしても、大震災から疎開する1%で
 なくてはならないのが経営であり、時代を生き抜くということだ。 この内容を一ヶ月かけて熟慮して、
 手順に一つずつ落としていくつもりだ。 去年からの対策を含めて戦略は進行中だが、装置産業はこの有事では
 大きいハンデになる。返済能力が10~15年以内なら「良い借金」の範疇というから、一応大丈夫だ。
 四棟のホテルのうち2棟が新潟駅再開発の道路拡張にかかる。 ついているのだろうが、しかし有事である。 
 ある日売り上げが半分ということもあり得る。 今は返済能力が100年や500年はざらというが、
 その仲間内に入ってしまう可能性も無いとはいえない。 逆に考えれば、大チャンスである。  
 その為には、自宅などの全ての資産を売払い、その全てを金ーゴールドに 換えておく位の覚悟がいる。
 頭の固まった私に果たして、それができるだろうか。できれば今の大震災を軽く乗り切ることができるはずである。
 どこまで決断できるかであろうが。 全てを賭けたゲームとして割り切っていけば面白いだろう。
 このセミナを再度聴きに来ている人が数人いた。 何かわかるような気がした。凄い時代なのに、
 普段の生活の中では実感がわかない。多くの資料を貰ってきて、何度も何度も読み返しているが、考えれば考えるほど 
 日本の惨状に驚きざるを得ない。『今は有事なのだ!!』 「今頃わかったのか?」という声が聞こえてきそうだが、
 実をいうと実感として、正直そうである。 有事の意味の捉え方もあるが。
 ー以前に書いた読書日記をコピーしておきます。
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「財産を無くす人、財産を残せる人 」ーデフレ経済下21世紀の日本型蓄財術-
                   ー読書日記ー 清水洋/著

ー私のマトメタ内容ですー
時代を見極めよ、そして早く決断を!
 その為に日本の現在をどういう時代かを整理してみると
・「デフレ基調」に変わった。
・官僚型社会主義システムの崩壊過程にある。
・市場原理が支配する自由競争になるー競争の激化。
・レース型競争社会からゲーム型競争社会になる。
・圧倒的な「勝ち組」とその他大勢の「負け組」と分けられる。
・これから5年間は「最悪期」に入る。
国債の暴落とハイパーインフレの可能性が大である。
その結果
 ・不動産価格は5分の〜10分の1
 ・株式は5分の1から20分の1
 ・ゴルフ会員権は5分の1から1000分の1
 ・失業率は15~20?
 ・消費税は15~20? になる。
 以上はITなどの情報化や、それに伴うグローバル化が起因としている。
 更にこの動きは拍車がかかるだろう。
企業としては、この流れに対して
・総資産の圧縮と借入金の圧縮
・知的集約の企業形態に変身
・固定資産を手持ち流動資金への変換 ー手元キャッシュフロー流動性を高める。
・不良部門を徹底的に切り捨て、優良部門に集中する
・公的部門の民営化時代に先手を打つ   等への変身への決断をしなくてはならない。
以上であるが、以前この人の経営セミナーのパンフレットをみてさっそく取り寄せて読んだ本である。
これを元に会社を変身しないと遅かれ早かれ消滅してしまう運命にある。 以前書いた随想日記をコピーしておきます。
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2003年01月17日(金)
649, 損切り
ー字数の関係でカット(08年9月01日)
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2002年09月01日(日)
506, 孤独について
人間は独りで生まれ、独りで死んでいかなくてはならない。本質は孤独である。
学生時代、名僧いや怪僧?の新井石龍禅師との問答で、禅師は、[禅は一言でいうと何ですか?]
の私の問いに「字のとおり単を示すことだー宇宙に自分が独りということに気づくこと」と答えられた。
全くそのとおりである。 若い時に大都会に出る必要性は、大都会の中で、凍りつくような孤独の経験をしておくこと。
圧縮された大都会の真ん中での孤独な生活である。 じっくりと孤独の厳しさを知ると
・仲間の大切さを知る事ができる、但し真っ当な人だが!
・本を通して数千年前、数百年前の人物と出会うことができる。
・独り遊びの大切さ知るー音楽会や映画に独りで行くとか。
・自分のアイデンテティーが見えてくるー自己の確立。
・孤独の賑やかを知る。
 それを若い時にじっくり経験してないと、「何処かの子狐?」のように中年期・壮年期を迎えたとき、
 どのようにしてよいか解らないで、そのレベルでベタベタ群れるしかないのだ。
 それか濡れ落ち葉になるしかない。失敗の人生である。地方にはこういう人が大部分だ。仕方ないことだが?