* ユングについての総括
・ 父親の死の時の不思議な体験をキッカケに奇妙な感覚が10年余りの間、身についておたこともあり、ユングの理論には
 非常に興味をひかれた。ユング本人に元もと通常以上のシックス・センスがあったため、それを、そのまま発達すればよかった。
 大本教出口なお天理教教祖の中山みきは、そのセンスが強力だったようだ。 また日蓮には身体全体にオーラが包み込んでいた
 という記述が残っている。 27歳時の父の死亡時での実体験が無ければ、シックス・センスに対して信じることはなかっただろう。
 現に幽体離脱のような(夢?)体験をしたのだから、これは信じるしかない。 ユングフロイトと対立・離別をしてまで、
 この方面の研究を続けた内容は侮れない。
・ ユングが取り上げた中で、「共時性」と「布置」に、まず興味をひかされる。 奇妙な偶然の一致の不思議さである。
 これは多くの人が経験しているはずだが、それを話すと、何か軽薄と誤解されるのを恐れてか、あまり口外をしない。
 子供の頃に親戚の人が、その類の話しをするのを聞いて、「いい大人が、他愛無い話をしている」と心底で感じていた。
 しかし人生経験を積み重ねるうちに、親戚の人たちの言っていることは、決して他愛無い話でなかったことを知った。
 幽霊の話しも、その一つになるが、これも、あり得ることである。共時性、布置とは少しズレルが・・
・ またオカルト現象も、ユングを読んで、実際のところ驚いてしまった。これも個人が持っている、ある能力が何かに
 感応した働きだろう。そうこう考えれば、哲学の存在論に関わってくる。現在、自分が、現に此処にいる不思議からみれば、
 オカルトなど、他愛にないもの。エスキモーで5キロ先にいる白兎を見つけることが出来る人がいるとか、犬が数千キロ先の
 親の鳴声に反応するとかを疑問に思うこと自体が、小さな限界の範囲内で決めているからである。脳には20億年の生物進化の記憶がある。
・ 最近、特に感じるのが、それぞれが持っている経験と能力の深さと広がりである。特に、ブログなどで、それが比較的簡単に
 覗き見ることが可能になったこともある。デジタル化で人間の五感を遥かにしのぐ機器が不朽はじめると、逆に人間の持つ不思議さが
 一つずつ解明されることになる。ブログ、ツイッターなどの普及はユングの世界を超える可能性がある。ネット世界の出現こそカルト?
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3421, 日本の幸せ度
2010年08月07日(土)
 昨日、ランチを食べていた店の週刊誌に「日本人の幸せ」について、特集をしていた。
といっても、ある本の内容を、そのまま要約した内容、許可を得ているのだろうが・・・
メモを持ってなかったので、頭のメモに書き付けてきた。如何いうわけか、全部スラスラ?と、出てきた。
 日本人の幸せー9
* 流動資産一人あたり700万、一世帯1500万、金融・土地など資産2千万が、幸福の飽和点。【これ以上あっても、同じ】
* 幸福度は、学歴に正比例する。    【 中学校、高校、大学の同級・同期会を見ると、歴然としている】
* 女性より男性の方が不幸の割合が高い。 【 家内と私を比較すれば分かること。男は社会の消耗品 】
* 都会は、そうじて幸福である。     【これも残念ながら、本当。新潟市長岡市は都会かどうか?】
* 幸福の80パーセントが、遺伝する。  【 選択前の最終学歴の同級生の、その後をみると、正比例している】
* 経験・体験は、幸せには左右されない。 【 これは、難しい問題だが? 】
* 世界的にみて、税金の高さは幸せに関係しない。 【高いところほど、豊かだからか?】
* 幸福度は加齢とともに下がっていく。 【 そう、一番幸せだったのは、0〜9歳、20〜29、30〜39、50〜59歳の順】
* 失業の不安は、幸福度に関係してくる。【   】 以上だが、間違いがない。
  ▽ その他に、* タバコを吸う人は不幸になる。* 月一度以上、ギャンブルする人は不幸になる。
   * 気短、心配性、は不幸な人が多い。 * 社民党は不幸な人が多く、内閣支持者に幸福な人が多い。
 この辺が、私の記憶である。よくぞ憶えていたものだが・・・ 幸福論が好きだからだ。
ラッセルは、「幸福な人を特徴づけるのは、まずは人生への熱意であると言う。人や物に敵意をもつようなことをせず、
熱意をもって生きれば、外界への興味も湧き、人生も楽しくなる。 男性も女性もほんものの愛情をもち得る。
家族、家庭での生活も楽しくなりプラスに転じる。」といっている。 前向きの熱意が、この恐慌の中では、どうもこうもである。
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3046,卒業40年周年か〜 −5
 2009年08月07日(金)
 40年前に奥野君と何を話したのかを知りたくなって、「分類のコーナー」の中の検索で『奥野君』を入れたら、
その当時の文章が出てきた。 これは一度書き込んでしまえば、直ぐに出てくるから便利である。
この3000の随想日記は私の人工頭脳?のストックの役割を果たしている。当然、みすぼらしいのは自覚している。 
いや、自覚せざるをえない、というのが本当のところ。ところで4時間も何を話したのだろうか? 当時の日記を読んでみて、
書き残しておく重要性をつくづく思う。言葉として残しておくと、それを糸口として40年の時空を超えて、当時の光景が
昨日のように蘇ってくる。現在、日記を「10年日記」など何種類か書いているが、このような心情を、そのまま書くものはない。
いや、もう書けなくなったのかもしれない。 20歳半ばからも日記を書き続けておけばと後悔をしている。
 この随想日記は良いメルクマールになっているが、心情ではない。                  
ー11月19日ー 1968年      2003/11/22
・11時起床。 13時半に同級の奥野君が私の部屋に突然に訪ねてくる。
 1〜2年の時、席が隣のこともあって親しかった人だが、専門課程になってから疎遠になっていた。 
 話をしたかったのだろう。 人生について、倫理観について、その後読んだ本で感銘したことを必死に話をしていった。 
 特にケネディの自伝に感銘を受けた、というのが印象的であった。 見違えるように自信を持ったように見えた。
 男っぽくなったという言葉がピッタシだ。4時間ばかりして帰っていった。もうこうして彼と話し合うことは無いだろう。
 アパートから一時間以上かけてきたというから、自分のメッセジーを伝えたかったのだ。
・それにしても最近多くの人が吹き付けるように来るのに驚く。 聞き役に徹していることもある。
 それと大学最後の時が来ているからだろう。
・武沢先生にいわれて急こしらえに親しい女性をつくろうとしても無理。
 といってチャンスは幾らでもあるが。理想と現実の乖離か大きすぎるのだ。妥協はしたくない。
▼ 最近になって知ったことだが、女性は同じレベルの学校ではなく、一〜二ランク上の男を狙う。
 だから当時は妥協できなかったのである。 それと姉達のレベルより下げることができない
 シスターコンプレックスもあった。 四人の姉は、地方では、それなりのレベル?だったので、その眼もある。
 一つの判断が人生を大きく左右する時期で、ふりかえってみると非常に緊迫した日々だった。
 この齢になったためか、一年前も二十年前も、四十年前も大して変わらない感覚になってきている。 
 過去という一つの袋の中味が一年前も五十年前も大して問題ではなくなったというイメージである。 
 死期を悟った時に、これがもっと強くなるのだろう。 この時期の日記を読み返すと、当時は人生の使用前。今は使用後。という感? 
 使用後というには早いか? 学生時代は、社会に出る前の予備訓練期というのが、みてとれる。
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2681, マネーの未来、あるいは恐慌という錬金術 −1
 2008年08月07日(木)
  「マネーの未来、あるいは恐慌という錬金術」 松藤民輔著    -読書日記
この数ヶ月以来、この人の本は三冊目になる。「無法バブルマネー終わりの始まり」「世界バブル経済の始まり」
を読んで、世界と日本の先ゆきに唖然としたが、更にこの本はショッキングな内容である。
金山を買って、大もうけして、更に金のブームを起こしたいのだから、力が入っている。
 世界経済の危うさは誰の目にもハッキリしている。金鉱山の投資家の切口から社会の潮流を見ると違ってくる。
 まずはーはじめにー の以下の部分から
   〜〜
さて、いまが本当に金融恐慌の入り口なのであれば、身をすくめてこの「嵐」が通りすぎるのを待つしかないのか?
けっしてそんなことはない。ものは考えようである。いつの時代も、運の女神は前向きに創意工夫する人間をサポートしてくれる。
恐慌とは、あらゆる「プロ」が負ける時代を意味する。従来の投資法が通用しない時代を意味するのだ。恐慌が本格化する前に、
この恐慌を逆手にとってひと財産築いてしまえばいい。 そのためのポジションを早急に準備すればいいではないか。
金融恐慌を前に、わたしたちがとるべきポジションは「金」と「金鉱山株」しかないと思うが、どうだろう。
これは、過去の大恐慌の歴史のレッスンでもある。 投資で勝つ鉄則は、「真似る」「学ぶ」「待つ」という3Mにこそある。
十五年間、わたしはこの恐慌を待っていた。 それは、いまかいまかと「恋人」の登場を待っている気分に似ている。
いま、金は、一九八○年の最高値一トロイオンス1875ドルをあっさり超えて、1000ドルを挟んで上下しているけれども、金融恐慌が
本格的に始まれば、あっという間に二〇〇〇ドルの壁を超えていくにちがいない。わたしは一九九三年、ソロモン・ブラザーズ証券で
当時得ていた二億円の年収を捨て、ペーパーマネーの世界から実物経済(金鉱山事業)の世界へと身を投じた。
いまや北米をはじめ、世界のあちこちで鉱山を経営している。普段はヘルメットをかぶって地下二千の鉱山で金を採掘している。
つまり、パソコンの前で金や金鉱株の動きに一喜一憂している「投資家」ではない。自らリスクを負った経営者として、
現在のこの金融恐慌に向き合っている。いずれにせよ、もしもこの恐慌が最大級のものならば、リターンも最大級のものになる。
そのとき、恐慌は、わたしたちにとって「恋人」から「恩人」に変わっていることだろう。
 〜以上だが、更になぜ、私たちが恐慌のトバ口に立っているかを次ぎの5つをあげている。
  ーサブプライム問題は、まだ片付いてない。
  ー金融機関の倒産は、これからが本番
  ードルの転落
  ー原油高、資源高、食料高の三重苦が始る
  ー「有事のドル」の伝説崩壊
〜次回は、この本の目次を俯瞰しながら考えてみる。
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2007年08月07日(火)
2317, 「朝青龍」問題について
         オッ☆ o(≧▽≦)o ハァ〜
ここで扱う問題ではないが「戦後最強?の横綱」が「ノイローゼ」一歩手前がテーマとして面白そうなので取りあげてみる。
幼少のときから父親に大相撲が地方巡業で来ると何度も連れて行って貰ったこともあり、ラジオの大相撲放送を聞いたり
新聞記事をみていた。私がみてきた50数年間の力士の中で「朝青龍は戦後最強の力士」として認めている。
   (字数制限のためカット 2010年8月7日)
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2006年08月07日(月)
1952, ローマから日本が見える−21    ー読書日記ー
  第九章 ローマから日本が見える −1
さて、最終項である。この読書日記を書いていて、自民党を中心としてきた戦前からの官僚システムが、
共和制に酷似していることに唖然とした。それも二代目・三代目が恰も共和制度の破壊者という顔をして、
そのじつ国民を欺いている現状を鳥瞰できる。
小沢一郎も同じ穴のムジナだが、しかし本気で壊そうとしているだけマトモということか?
 ー「リストラの」名人たち ー
BC753年の建国から始まっておよそ8Cにわたるローマの歴史がこの本の主旨であったが、ローマ人は「リストラ」
に長けていた民族であった。事業縮小や、撤退、人員の削減といった消極的な改良ではなく、
本当の意味でのリストラクチャリング、すなわち再編成なり再構築に何度も成功したからこそ、
ローマは千年の歴史を持つことができた。本書の中で取り上げた中でも大きなものだけで、数えて三回あった。
・最初は、王政から共和制への移行です。
 BC509年、ルキウス・ユニウス・ブルータスによって第七代王「尊大な王タルクィニウス」が追放され、
 以降は一人の王に代わって、執行官が毎年二人ずつ選出された、この二人が国の政治の最高責任者になった。
・二度目の改革は、BC390年に起こった、「ケルト・ショック」を機に行われた共和制体部の改革である。
 貴族と平民との階級闘争も終わり、ローマの再興を果たすため政府の要職を平民に開放する決断もこの時に行われた。
・そして三度目の改革は、帝政の移行であった。
 カイサルがその設計図を引いて、アウグストゥスが、そのとおりに石を積み上げていくことであった。
  ローマの改革は、もちろんここで取り上げた三つだけではない。
・BC494年から始まった護民官制度、ポエニ戦役ごの「混迷の時代」にグラックス兄弟やマリウスやスッラが行った
 諸改革は、数えればきりがない。
 ローマ人にとっての政治システムは、ローマ軍の補修と同じく「メンテナンスすべきもの」であったということ。  
・哲学的思考によって真理を追い求めようとするギリシャ人とも、
一神教絶対神を信じるユダヤ教キリスト教の信者とも違って、ローマ人はこの種の「絶対」は馴染まない。
 どれだけ優れたシステムであっても、人間が作るいじょう、かならず欠陥を隠し持つという現実的な感覚を彼らは持ち続けた。
ある意味で、ローマ帝国史における経験は、人類にとっての大きな遺産の宝庫である。多民族が入り乱れる欧州で
1000年以上も帝国を存続させたシステムは、現代でも、いや現代こそ、経験則として学ぶべきである。   −つづく
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2005年08月07日(日)
 1587, NHK 受信料不払い問題
NHKの不払いが、その後どうなっているのかと思っていたら、毎日新聞の社説に丁度良いタイミングで、不払いの深刻な
事態についての解説があった。 現時点で900万件の未契約があるというから、今年の契約数3660万からみると2割が
受信料を払ってないことになる。不払いの理由は、一連の不祥事に対する怒りや抗議から始まったが、最近それが変質して、
払わなくて済むものならという層が増えた。この流れは、不景気も含めて当分終わることがないだろうから、NHKにとって、
大問題である。以前『NHK不払い』について、この日記に書いたことがあったが、そのキーワードの検索で、NHK関係の人が?、
このHPを覗いていた。大相撲を除いて殆んどNHKは観てないので、不払いをしたいのだが。30?を越えたら
真剣に考えるつもりである。不払いに対する罰則が無い限り、歯止めは難しいだろう。有料制度にしたら、半分以下になるのは
私でも判断できる。いや3分の一か。罰則が無いのに、今まで殆んどの人が払ってきたのは日本人の真面目さだろうが、
これからはそうはいかない!深刻な存続の危機である。時代は民営化の時代である。早めに思い切った民営化への方向転換が必要。
情報は、携帯電話やパソコンやTVから無尽蔵に入ってくる。NHKも、この情報化の大波で漂流を始めた。
恐ろしい時代になった。この問題と郵政を重ね合わせると、NHKの問題は郵政民営化に対して酷似している立場になる。
国営放送の時代ではない、完全民営化の変身しかない。 公務員?は現在の十分の一でよい!!
ー以前書いた文章をコピーしておきます。2005/01/31 1399, NHKと朝日新聞
昨日の朝日新聞天声人語が時期が時期だけに、少し際どい?内容であった。
  (字数の関係でカット 09年08月7日)
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1222, 今まで見たことがないほどのバス
2004年8月7日
長岡祭りの花火で、メインは信濃川の駅から見て手前側であった。この数年川向こうにも観覧席が出来はじめたときいていた。
それが、家内の知人の話によると、信濃川河川敷跡の空き地に「今まで見たこともない位の多くの観光バスが止まっていて、
近畿ツーリストのシールが貼ってあった」とか。この20数年来、長岡に泊まれない花火客が新潟まで来て泊まって8月2日は満室。
それが突然、半減をして如何したことかと不思議であったが、なるほど納得をした。バスパックなら、新幹線の交通費片道の半額で、
目的地まで行ける。帰りも朝一で帰ってこれるのだから、お客にとって合理的である。その上宿泊代は浮くし、わざわざ新潟まで
新幹線をつかって行くこともない。京都の花見のパック旅行のようなもの。前日の22時に新潟を出発、早朝に京都に着いて、
花見をして夕方に京都を出発。やはり、22時に新潟に到着。車中は睡眠に丁度よい。それで一万円なのだから、価値は充分にある。
その花火版ということだ。サッカーも、最近バス・パックができた。会場まで来て、遅い試合でもバスで帰ってしまう。
それで入場料を含めて新幹線の料金の半額で済む。趣味の「秘境旅行」でも、このパックを使うから安く安心をして行けるのだ。
最近は、各社が共同をして、飛行機を貸切で、乗り継ぎをなくして直接、秘境?の地(アイスランド、アラスカ、グリーンランド
に乗り付けるパックも出始めてきた。       時代は、サービス化である。
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2003年08月07日(木)
 855, 「借りた金は返すな!」ー読書日記
 本屋の平台に最近山積みになっていている。題目からして刺激的である。中小の経営者の知人が、この本を読んで
目が洗われる思いだったといっていた。潮流が恐慌状況の為、ベストセラーになっていると家内も言っていた。
その人から借りようかと思っていたが、最近会うチャンスがなかった。wアマゾンからある本を発注する時に偶然この本を見つけた。
中古本もあり半額以下で買える。迷ったが買ってみた。読んでみて、中小精細企業の経営者なら、会社の良し悪しに関わりなく
読む価値があると思った。ここに書いてあるようなことをやらなければならない事態に陥らないようにすることが大事であると思えた。
新幹線で読んでいたら、隣席の人の冷たい視線を感じた。 公衆の面前で読む本ではないのだ。 20~30年の長期の投資物件を事業と
している為、計画段階で最悪を想定して資金調達をする。余裕があっても抵当枠一杯の借り入れをして資金余裕を十分すぎるくらい持つ。
それだけ用心をしても結果的に丁度よいか足りないぐらいになる。時代がどんどん変化していくためだ。この本でも、会社を傾ける人は
資金に対してあまりにも甘いと指摘している。 連帯保証人など青酸カリを飲むと同じことと思っていたが、その知識のない人は平気で
判を押してしまう。連帯保証は銀行にとって都合がよいが借りる方にとって、これほど冷酷な制度はない。先進国では日本だけだという。 
江戸時代の隣組の制度を銀行が悪用しているためだ。その連帯保証の断り方まで書いてある。私は子供の時から両親に数百回も
「保証人の請け判だけはするな!」「手形は切るな」と言われてきた。この本に「親からの遺言で保証人にだけはなるな」を
口実に使え!と書いてあったのに驚いた。「宗教上の教えで絶対にダメ」というのもあった。「父か親戚が請け判をして倒産したので
これだけはしないことにしている」でもよい。身近の人が何人か頼ってきた事があった。上手いもので断れないような状況をつくる。
次に一瞬、封筒の連帯保証書を置いて気楽な感じで押させそうとする。詐欺の手口とほぼ同じである。それも・・・・・?
あるチェーン店の社長などは銀行の支店長との飲み会を設定して、借入の話を持ち出し間接的に保証人の話に持ち込もうとしたりもした。
 いつも姑息の手を使うので有名な人だが。その支店長もぐるかと疑ってしまった。 金に切羽詰った人間は何でもするものだ。
 誰もが、いつその立場に陥るかわからない時代になってきた。『借りた金は忘れろ』という続編の本も出ている。
いずれにしても前向きの本ではないが、街金融に手を出すような愚行を避ける為にも読んでおく必要がある。
・・・・・・・・・
2001年08月07日(火)
 [101] 倒影ー2
人の悪口は倒影の最たるものだ。「あまり悪口をいうな、その指摘部分が自己に移るから」という理屈は子供のときから
分かっていたが。「人を指差すときあとの指は自身を指している。」という戒めの言葉もそういえばあった。
「人を呪わば穴二つ」という諺もあった。「ある自信過剰の男、周りの人間かったぱしから、弱点を見つけて倒影を続け
一人満足をしていた。ふときずいた時、何にもしないで歳をとっていた。」こういう人間の本当に多いこと。
これで一番本人にマイナスになるのはマイナス視点が本人に身につくことである。親戚に結婚もしない、仕事もほとんどしない
「俺はでかいことを考えている、2〜3年後に実行するつもり」といい続けて40年近く、言うのは人の噂と成功した人間悪口、
自身の影におわれているのだ。もう60になって法事であったらまったく同じことを言っていた。
こう言っている自分もこの男の中にある自身の影倒しか。