< ユングー地下の大王  コリン・ウィルソンー? >
15〜6年前に、この本を買って読んだ時の衝撃は現在も残っている。それ以前にスェーデン・ボルグの
霊に関する本を読んだことがあったが、この序文からして、一挙に著者によって、「ユング」の異様な世界に引き込まれてしまった。
6年ほど前に、文芸春秋の誌面で立花隆が、「ユング」について、書いた時、ここで取り上げた。 ユングといえば、
超常現状と霊について、心理学者として真正面から向き合った人である。それでフロイトと袂を分かった。
 日本では河合隼雄秋山さと子が、ユング研究で知られている。日本では明恵という坊様が、霊感の強いので知られている。
著者のコリン・ウィルソンは、これまた面白い人物で、「アウトサイダー」以来一貫して、「現代人の精神の貧困を問題視し、
その原因と克服の道は何か」を問い続けてきた人物。 この著書は、序文から終わりまで、息をつかせないぐらい濃い。
オカルト、共時性(意味ある偶然の一致)、能動的想像など、ユングの神秘的側面を明快に説いている。 
この本を読み返したと同時に、連日、不思議な夢を見ている。
 私の人生の節目時に、ユング心理学を通して自分を振り返るに丁度良い機会と、怖いが、オカルト世界を再度、覗いてみたい。
一笑にふすなら簡単だが、この世界は踏み込んだものしか知ることが出来ない。
この10年哲学を独学してきたので、オカルト世界を探索し戻ってくる命綱(哲学が)、と気休めもある。
ユングは、内面の対話を重視した心理学者。 ソクラテスの対話法にも影響され、患者との対話と、バランスを重視した。
 「汝自信を知れ」を潜在意識に求め、それまで科学者がタブーにしてきたオカルト世界の神秘世界に、正門から入っていった。
ユング関係の本を数冊、目を通しため、毎日、明らかに潜在意識の地下の世界の夢を見ている。この手の世界は自分の内面の
意識下の何かを刺激する。 以前から、ここでも書いているが、人より強い?霊感が私にある。
ネット世界になってから、この手の話題は静まった。 直感、霊感より、ネットによる認知が強くなったのでは?と思われる。
 何が今さらユングだが、それでもユングユングである。それで何を知ることが出来る? 宇宙の外のXとやらを何でもよいから、
ネットで公開したら良いではないか。神秘主義など、情報不足のなせる技。で、終わってしまう。
・・・・・・
3393, 閑話小題
2010年07月10日(土)
  * お金の恐ろしさ
 金の持つ威力、魔力は今さら言うに及ばない。では、その恐ろしさを本当に知っているかというと疑問?
その魔力の金を金融工学で創りあげ、破壊したのがアメリカである。 金があれば世界の9割が自由になるし、
無ければ今日明日の飯の心配をしなかればならない。 1万円を持って千円の買い物をするのと、1千円を持って
1千円の買い物をするとでは気持ちの余裕が違う。 身近で金にまつわる人間模様を見ていると、その恐ろしさを実感する。
親戚が親からの相続で大金が入ったところが、人相と着ているものが様変わをした。環境=条件が人をつくる典型的事例である。
逆の話しは幾らでもある。 だから、その恐ろしさを充分に知り尽くさないと・・・・
  * 再びユーチュウブについて考えてみる!
 昼休みをYoutubeタイムにしている。見ていると次から次へと面白いものが出てくる。これまではマスコミがチョイスしたものが、
今度はキーワードで、あらゆるジャンルから選ぶことができる。 思いもよらない映像で、その都度、噴出したり真面目にみたり・・
これからはTV局が壊滅するのは当然と思えてくる。 私のブログで毎日のように面白いものを紹介しているが、
色いろのサイトが、それを元もとしていた。 これではダラダラ見のTVが売りの総合局は廃れて当然である。
  * 不機嫌とイライラ
 歳をとるとともに人間は円熟していくと青年期までは思っていた。ところが社会に出て、仕事を通してみる年寄りは
機嫌の悪い偏屈の人の方が多いことに気づいた。 30年前から駅前で事業を始めて出あった老人の何割かは、明らかに不機嫌と
イライラの塊のような人が多いという事実がある。 しかし今度は自分が60歳を過ぎた辺りから、イライラが多くなってきた。 
それは肉体の老化の上に、精神の老化もある。あの出会ったイライラした老人の不快を自分が、その歳になって始めて気づいたのである。 
なるほど人生は60歳までと曽野綾子が述べていたが、その一端が分かってきた。それと社会は年寄り向きには出来ていない。 
円熟なんぞは、年寄り仲間でしか通用しないのも、道理である。むしろ不機嫌、イライラは避けることの出来ない事態と割り切って、
人に見せないようにカモフラージュすべきである。 自分もそうであるように、同年代の知人も老化現象が起こっている。 
他人から聞いた片耳で喧嘩を仕掛けてくる、それを、待ってましたとばかり受けて立つ、というような老化現象を自分にみる。 
 先のことを考えられなくなると、過去の経験がフラッシュのように思い浮かぶ。 40年前のことを思い出して独り怒ってみたり、
ニヤニヤしたり、年老いた幼児である。これが高じると痴呆症ということか。 晩年は、冬景色ということか。
 ・・・・・・・・
018, 旅する力 ー深夜特急ノート ー2
2009年07月10日(金)
 「旅する力ー深夜特急ノート」 沢木耕太郎著    読書日記
第一章 旅という病
 * スタインべックの『チャーリーとの旅』には、
  ―子供のころ、たまらなく何処かに行きたくなると、大人は私に「大きくなれば、そんなに
   むずむずしなくなるよ」といったものだ。年齢から見て大人の歳になると、中年になれば収まる、
   と言われたものだ。いざ中年になると、今度は「もっと歳になれば、その病は治るよ」といわれた。
   いま58歳だが、これだけ歳をとれば大丈夫のはずだが、いっこうになおらない。
    解)年齢ごとに行きたくなる場所が変わっていく。だから、その歳ごとに行けるところに行くのが理想的。
     時間の隙間を見つけ強引に行くしかない。定年後に行こうとしても、限界がある。準備を充分してもだ。
 * もし旅が病だとすれば、私がそれに冒されたのはいつのことだったのだろう。
   ひとり電車に乗って行ったあの旅においてだったのだろうか……。その小さな旅がすべての始まりだったかもしれない。
  「最初のひとり旅はたった一日で逃げ帰ることになった」 中学生の時、伊豆・大島の三原山を登る途中、
   テントを張っている若い男性から「泊まるところが決まっていなかったら泊まってもいいよ」と声をかけられ、
   泊めてもらうつもりだったが、犯罪者ではないのかとの疑問が恐怖に変わり、山を下りるとそのまま東京に戻ってしまった。
  「たくさんの経験を積んだ今なら、その男性を冷静に判断しただろうが、その時は、誰かが親切にしてくれた場合、
   それがどういうことなのかを判断する力量がなかった」
 解)私の旅の病は《学生時代の30日間の欧州旅行であった。》
    自分を取り囲んでいた殻が、大きくヒビが入り、半年間は放心状態であった。
   日が経つほど、ヒビの割れ目が大きくなっていくのが分かった。
   その翌年に、北海道の一人旅や、そして九州、紀州能登と一人旅をした。
   一人旅は、一歩踏み出せば気楽で良いことを、その体験上知ったが、世界に出て行く器量はなかった。
   もし可能性があるとしたら、20代までだろう。 私の場合は。
   あの21歳の時の旅行は、私の人生を大きく変えた。 今から考えてみると、
    ・世界は広いこと 
    ・人間も社会も普遍的な部分と異質の部分の両面を持っていること
    ・自分の目線は、多くの世界の目線の一つでしかないこと、この三つを二十代の経験から知ったのである
 ・・・・・・・・
653, サッカーやオリンピックで、何故ひとは熱狂するのか
 2008年07月10日(木)
  あまりサッカーの歴史のない日本人が、欧州や南米のサッカーの盛り上がりに、「何故あそこまで熱狂するのか?」
 戸惑うことが度々ある。人種間や、国家間の代理戦争?とは気づいてはいたが、ある本にその辺の事情が詳しく書いてあった。
 巨人阪神戦が盛り上がるのは、関東人対関西人の、特に関西人のコンプレックスのハケグチということか。
 サッカーで韓国が異常に燃えるのも、先進国に対する追いつけ追い越せ精神が拍車をかけている。現在では、世界共通の
 集団チームプレーとして、代理戦争の様相さえ示している。そう思ってみると、またサッカーが面白く見えてくる!
                                  ー(哲学ワンダーランド・貫成人著)より
 ある時期以降の世界的サッ力ー熱の背景には、「人間の本質」などという、ある種崇高とも見えるような事柄には収まり
きらない複雑な事情がある。アルゼンチンの首都ブエノスアイレスにはボカ・ジュニアーズリバープレートという
二つのチームがあり、互いにライバルチームだ。 いわゆるダービーマッチ」といわれる同一フランチャイズのチームだ。
・・・・Jリーグなどでは、かつての横浜マリ・スと横浜プリューゲルスなど、ダービーマッチの対決でも、その応援は、
ほかの試合とそれほど変わらないが、アルゼンチンの場合には異なる。・ポカ・ジュニアーズはブエノスアイレスの低地、
港湾地域のひとびとをサポーターとし、・リバープレートはより高台のブルジョワ階級のチームである。
前者は主として、もともと貧しいイタリア系移民労働者の地域であり、後者は裕福なイギリス系移民の住むところだ。
両チームの対戦はしたがって、テクニックやスピード、戦術などの優劣を競う単純なスポーツ試合ではない。
それは、同じブエノスアイレスの住人同士でありながら、人種や階級、言語を異にするふたつのエスニック・グループ同士の
「戦い」なのだ。低地の住人にとってボカ・ジュニアーズの勝利は、常日頃自分たちを見下し、こき使っている富裕層に対して、
自分たち労働者が勝利することであり、高地の人たちの敗戦は革命に等しい。だからこそ、それぞれのサボーターは
「たかがサッカー試合」なのに両チームのプレイのひとつひとつに熱狂するのである。
ー(字数の関係で中間カット2010年7月10日)
・・・・・・・・・
007年07月10日(火)
2289, 霊長類オンナ科図鑑 ー2      才ノヽ∋?_φ(゚▽゚*)♪
ーヨゴレ自慢女ー
  この本の中でも特に「ヨゴレ自慢女」が、面白い。私も「偽悪主義」と、ある姉に言われるほどである。
 奇麗事をいう人の前に出ると、意識的に「非奇麗事」を言わないと気が済まない性質である。 
 しかしこの「ヨゴレ自慢女」には敵わない。中村うさぎといえばやはり「うんちネタ」が浮かぶほど、露悪主義女。
 「ヨゴレ自慢女」は、自分のことを書いているので、言葉が躍っていて迫力のある内容である。
 本人は病気と開き直って、それを盾にとって好き言いたい放題である。それがまた、面白いところである。他人を子供扱いをし、
 エロ系などのヨゴレネタが9割といってよい。自らを貶め、その場の人々に対して優越感を抱こうとする、逆説的な「露悪魂」が
 彼女の彼女たる所以である。
 ーまずは、そのの真骨頂の部分を抜粋してみる。
  ー(字数の関係で中間カット2008年7月10日)
・・・・・・・・
2006年07月10日(月)
1924, ワールドカップー2
                      おはよ?!(*^ワ^*)i (~O~)ふぁ・・
 2006年7月10日6時記
今ワールドカップが終わった。有利といわれていたイタリアの優勝で終わった。試合はフランス優位であったが、1対1で終了。
PK戦の結果,イタリアが優勝した。PKを外したフランスの選手は一生ハンデを持つだろう。 フランスのジダン
後半の終了間際に、イタリアの選手の挑発に乗って頭突きをして退場になったのも印象的であった。   
開催前はブラジルが優勝候補で、イタリア、フランス、スペイン、イングランド、アルゼンチンが、
次の候補に挙げられていた。私の予測は「ドイツが開催国の勢いに乗ってもしかしたら?しかし、ブラジル」と、思っていた。
イタリアが優勝の予測は、あまり見あたらなかった。これだけは、終わってみなければ解らないことだ。
サッカーは玉一つの行方に、世界中が注目するのがよい。日本と世界の差はまだ歴然としている。体格と歴史の差はいた仕方がない。
私の楽しみ方は、家内の反対側を応援することだ。その方が面白いからだ。決勝戦は、家内がフランス。
私がイタリアであった。 国同士の戦うなら、互いに反対の立場で応援した方が盛り上がる。
 昨日は、21時に寝て、3時半に起きてみた。4年に一度のことだから・・
 ーーー                    
2002年07月01日(月)
 454,面白かった!!
ワールドサッカーが終わった。やはり世界のトップが集まる試合は面白い。
サポーターと一体になった選手が段段燃えていくのがよい。その時の勝負のアヤが左右するのが特に面白い。
優勝候補のフランスとアルゼンチンが早々に敗れるというのも、勝負のアヤであった。
   =字数の関係上カットしてます。   タタタタッッ≡≡≡≡≡  ☆^(*≧ω≦)ノ~~~βyёβyё♪
・・・・・・・
2005年07月10日(日)
 1559、つれづれに
 ー新潟駅連続立体交差ー
やっと新潟駅連続立体交差事業が動き始めた。十年は工事関係の宿泊見込めるので、稼働率のアップが見込める。
三年前までの4年間は、朱鷺メッセ東横インの再開発の工事関係者の団体宿泊で潤った。
これが至近距離の駅の工事だと、かなり見込める。来年の今頃は一日一日が、その具体的な動きで沸き立つだろう。
「25年間このために事業をしてきたといってよいと思える」とまではいかないとしても、それに近い状態が期待できる。
たんなる書いた餅ではない。長期宿泊用の低プライスの価格帯は当社しか出せないからだ。 4棟を建てた辻褄があってくる。
 ー梅雨、真っ只中ー
梅雨と雪が日本の豊かさの源泉と思えば、それもよい。散歩をしていて雀とカラスの巣立ちの時期だ。カラスのツガイが巣立ちした
ばかりの子ガラスを連れているのが何とも微笑ましい。また巣立ちしたばかりの雀の雛が、まだ人間の恐れをしらないのが可愛い。
 ー同期会の打ち合わせー
昨夜は中学校の同期会の打ち合わせ会が開かれた。10人集まった。60歳のなろうとしているのだ。
一応、この歳が一つの人生の目安になる。逆成人式というのが良い表現になるだろ。
41歳が同級会で一番良い時という。 そして60歳は次の大きな目安である。
・・・・・・・・・
2004年07月10日(土)
 1194, ニーチェ(2)
ー哲学についてー15
ニーチェの最も受け入れられている考えかたとして、「人は自分自身にとってどんなに受け入れられない不快な現実であっても、
ひるまずに立ち向かい、それを直視すること、そしてその知識に基づいて、人生そのものを目的として、それ以外の見返りを
求めずに生きるべきだ」が支柱にあった。当時、信仰心が薄れていた人たちにとって、まさに生きるべき指標となった。
これは儒教とほとんど同じ考えといってよい。人生を徹底して生ききろうとしたとき、人はその分だけ争いに巻き込まれる。
それだけ振動が大きくなるのだから当然のことだ。 しかし、ニーチェによれば、「争いの緊張感が、指導者としての力を
最大限に引き出しその能力をさらに高めてくれる」と説いた。反面、彼の思想はファシズムにも大きな影響を与えた。
ファシズム創始者ムッソリーニが彼の本を幅広く読んで、ヒトラーと1938年に歴史的会談をおこなった時にニーチェ
作品を贈呈している。そのため彼の思想は大きく誤解されることになってしまった。彼はむしろ、ドイツの民族主義を嘲笑し、
反ユダヤ主義を軽蔑していた。19世紀末から20世紀にかけて、ニーチェは芸術家にも大きな影響を与えた。
その一人バーナードショーはニーチェの思想をシェークスピアがリチャード三世に語らせている次の言葉に
要約されていると指摘した。良心など臆病者の使う言葉しかすぎない。そもそのも勇者を脅かすための計略なのだ。
我々の力だけが良心、剣をもって法律とするのだ。ニーチェは特に文学的才能を持ち合わせていたのが特徴といってよい。
多くの人によって散文作家とみなされている彼の文章は哲学者に見られがちな、主張と反論がつづく長い文章ではない。
格言や聖書のように短く区切られていた。新しい視点でものごとを見てもらうために、心に残るイメージを利用した。
彼の主張は暗示的であり、喩えから類推しなくてはならない。[稲妻の閃光のあとで轟きわたる雷鳴]のように工夫してあった。
当時の人に直接大きな影響を半世紀にわたって与え続けた哲学者として、やはり特記すべき人である。
  ー以下の抜粋の言葉の中にニーチェの思想がことごとく入っている。
 彼の言葉は、難しく体系化されてないところが、逆に解りやすくなっている。
・私は君たちに、君たちの官能を殺せと勧めるのではない。 私が勧めるのは官能の無邪気さだ。
・独創的?何かの新しいものをはじめて観察することではなく、古いもの、古くから知られていたもの、あるいは誰の目にもふれていたが
 見逃されていたものを新しいもののように観察することが真に独創的な頭脳の証拠である。  ー「人間的な、あまりに人間的な」ー
・善とは何か??人間において権力の感情と権力を欲する意志を高揚するすべてのもの。
 悪とは何か??弱さから生ずるすべてのもの。 ?「反キリスト」?
・生きるとは何のことか??生きるとは、死にかけているようなものを絶えず自分から突き放していくことであるー「華やかな知識」ー
・真実の山では、登って無駄に終わることは決してない。
        (字数の関係で中間カット2009年7月10日)
・・・・・・・・・・
2003年07月10日(木)
 827, アラスカ旅行記ー2
ーデナリ国立公園ー
 今回のハイライトは、なんといってもデナリ国立公園のワイルドライフツアーであった。
デナリ国立公園は四国を少し大きくした位の大きさで、アンカレッジから3百数十?、車で6時間の距離にある。
このデナリに二泊をした。ワイルド・ライフツアーは朝5時過に出発して午後の1時過ぎに帰ってくる、
野生動植物や自然を堪能する内容だった。グリズリーベアーやヘラジカ、ムースカリブー、大型鷲、山岳羊、
雷鳥などが多く見られた。アラスカの大地を背景にした動物が自然に溶け込んでいたのが印象的であった。
なんといってもビューポイントからみた、マッキンリーの美しさに息を呑んだ。スイスのマッターホルンと、パタゴニア
パイネ山の夕景に匹敵する神々しさであった。ツアー客の全景をみれる確率は20?とパンフレットに書いてあったが、
その20?に当ったのが幸運であった。更に幸運が続いた。 偶然、有名な日本人ガイドの伊藤さんがガイドについたのだ。
彼の年齢は63歳、顔中髭だらけの現地のエスキモーそのものといってよかった。
ーこのバスは40人乗りで、幾つかの日本人のグループが乗り合わせていたが、その一つのガイドが彼であった。
その彼がバスのガイドをかってでたのだ。彼のことはミッキーハウスの坂本さんの本でしてっいた。
またその本に「三億円事件の犯人」疑われた人と書いてあったが、本人も嬉しそうに、その逸話を話していた。
3億円事件当時、ハーレーダビットソンを乗り回していたのが疑われた理由という。日本からアラスカに渡って30年経って、
アラスカのエスキモーとの外見の差は全くない。「アラスカン・ハイ」という言葉を聞いたことがある。人里離れた人がたまに
街に出てくるとスナックなどで話しまくる姿が見られるという。発語(専門用語でさかりのついた動物の発情と同じで、
溜まった言葉を吐き出す)が伊藤さんの特徴のようで、マイクを持って話しまくっている姿が何とも自然でよい。
イスラエルの老添乗員もそうであった。めったに来ない日本人に自分の生き様を全て話すのだ。自己承認を求めているのだろう。
色いろな人生があるものだとつくづく思う。彼は星野道夫の友人で、彼とのエピソードを色いろ話してくれた。
NHKで彼のドキメントタリーを数年間にわたってシリーズでやっていた。また地球シンフォニーという映画にも出ていた。
旅をする木』『森と氷河と鯨』など何冊かを読んでいた。数年前にグレズリーベアに食べられてしまった。そのためか伊藤さんの
一言一言が胸に突き刺さるようであった。 マッキンリーで亡くなった冒険家の植村直己とも親交があったという。
彼が死んだのは日本では、クレパスに落ちて死んだと信じられているが、アラスカでは風速100?の突風で飛ばされたといわれている。 
アラスカに遊びに来る変わった人のエピソードも中々だ。沖縄の裏世界の実業家の話も面白い内容だーその人が舌癌になったが、
足の肉を切り取って舌の再生手術で、また味が感じ取れるようになった人間の身体の不思議な話とか、名古屋の実業家の自由奔放の
生き方とか、彼でなくては聞けない話を次々と話してくれた。 伊藤さんのような生き方に何か男のロマンを感じた。
ガイドと猟師が本人の職業で、好きな生き方をしながら現在、二人の息子を大学にいかせているという。
                                ー続く
・・・・・・・・
2002年07月10日 スイス旅行中
・・・・・・・
2001年07月10 北欧旅行中