「自己を見つめる 」 渡邊二郎 (著)
  * 老いについて ー②    〜P270
【 ショーペンハウアーが言ったように、そうした老年の実りが熟するためには、まず何よりも、人は、健康と生計の維持に、
早くから留意して、みずからの人生設計を築き上げる努力を怠ってはならない。 生計もままならない病気がちの老年は、
悲惨の一語に尽きるからである。 そうではなしに、比較的健康に恵まれ、また、なにほどかの金銭を蓄えた老年は、
少なくとも社会生活全体の安寧が保たれた条件下では、むしろ、静かで、平穏な人生の実りの時期になるであろうと、
ショーペンハゥアーとともに、人は言うことができるかもしれない。 生の本能の激しい渇望も静まり、社会的責務もいちおう
果たし終えた、比較的自由な老年は、自己を振り返り、世界を見つめ、知性の働きを純化させて、洞察と実りを結びうる
最良の時期だと、たしかに言えるであろう。
 しかし、そのためには、人生に対する過剰な期待や野心に惑乱された、思い込みの激しい混乱した想念から解き放たれて、
冷静にこの世の営為をその真相において見つめる知恵の魂が熟成してこねぽならない。ショーペンハウアーが言ったように、
人生の表側だけでなく、裏側もすっかりよく眼のなかに入った老境においてこそ、初めて、人生の虚妄と空しさが会得され、
所詮はいかなる人生も五十歩百歩であるという事態が得心されてくる。 そうした人生の有限性への徹底した悟りが、老境の
平静さを築く基底とならねぼならない。実際、誰しも、老年とともに、そうした悲愁にみちた諦念を学び取るものであろう。
 老年になって、やっと人は、自分の人生を変えた大きな出来事が、そっと気づかないうちに自分に忍び寄ってきて、
自分を支配するに至ったことを理解する。 自分の周りの人々が、ほんとうは何者であったかが、ようやく分かるのは、
老年になってからである。 老境に至って、ようやく、自分の歩いてきた人生が、その意味と射程において、誇張も、卑下もなく、
ありのままに見つめられ、自己の人生の限界と特性、その意味と無意味とが、過不足なく凝視される萌芽が生い育ってくる。
この世の中の名誉や名声や栄誉などが当てにならず、他者の身勝手な憶測に依存した評価に過ぎないことも、すべて見抜かれている。】
 ー
 新潟で事業を事業を立ち上げた時、近隣の土地のオーナーの老人と建築確認の判を貰うため交渉をしたときに、心底、驚いた。
自分の優位の立場を利用して、自分の人生の鬱憤を晴らしている姿が老醜そのものに思えた。これは沼垂界隈の特性と当時は思ったが、
最近分かったのは、実は老人全般が持っている性癖ということである。内面を見つめる力のない人は、その鬱憤を外に向けるしかない。
それを長年かけて培ってきたため、心の底には、怒りと憤りが底なしの泥沼のように深く蓄積され毒ガスのように湧き出ている。
そのガスの対象を次々と探し出し、他虐、そして自虐として爆発を始める。それが老醜である。 老年は、その道を一歩ずつ
歩いていると割り切った方が良い。そうすると、長生きは、ほどほどということになる。 それにしても、老醜という奴は、である。
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3332, 全然人種が違う「携帯世代」
2010年05月10日(月)
 ー「知の衰退」からいかに脱出するか?ー 大前研一 (著)  ー5
 * 全然人種が違う「携帯世代」
 この7〜8年で、ブログと携帯電話が、我われの生活を激変させたといってよい。携帯電話とブログが、これだけの機能を持つとは
驚異的といえば驚異的である。さらに、ミニブログツイッターと、iPadなどが爆発的普及を始めようとしている。
第二次大戦後の電話とTVの普及から始った情報革命がデジタル化などで、人類そのもののあり方を変え始めた。
情報端末によって、その世代の性格、能力まで既定をするほどになっている。で、次は携帯電話世代である。
 ー まずは、その部分を抜粋してみる ー
 ゲーム・キッズに続く世代が、この章の冒頭で述べた、いわゆる「ケイタイ世代」である。この「ケータイ世代」は、
これまでの日本人とは、また全然人種が違う。 この世代の特徴をひとことで言えば、彼らは私たちの見えないもの、
私たちの見ていないようななものを空想できるカは持っているが、まったく無欲だということである。 
たとえば彼らは「モバオク」や「モバゲータウン」を平気で信頼して、モノを売り買いしたコミニティを形成したりしている。 
これは上の世代からすると、ある意味信じられないことだ。 ここまでサイバー空間を無条件に受け入れることは、おそらく、
私たちにはできない。 10年前に携帯電話が普及し始めたころ、誰が、ここまで携帯が進化し、私たちの日常生活に入り込むと
考えただろうか? それが、いまやメール、ネットアクセス、テレビ視聴、ゲーム、写真、動画の撮影や交換、スケジュール管理、
ショッピング、切符予約・購入、決済など、全てがケータイで済む時代になった。 前記した「モパオク」だが、
これは2004年にディー・エヌ・エーが立ち上げた携帯電話からのオークションサイトで、売りたいものをケータイで撮り、
DenAのサイトに送るシステムである。現在では1日1600万のべージビューがあると言い、その利用者の6割以上が女性という。
また、その後導入されたケータイゲームサイト「モバゲータウン」は1日2億ページビューがあるというから驚く。 
忘れてはならないのは、この携帯文化は日本特有のものということである。外国は、せいぜいチケットやメールくらいである。
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 さらに、これが進化してパソコン機能まで付いたモバイル携帯電話に変化を始めてきた。それと兄弟的機能を持った
iPadが次の主役になるのは間違いない。現在の5〜10歳の子供たちは、ツイッター・iPad世代と、
後々になっていわれるだろう。 「情報機器からみる世代分類」というテーマを立つ。それは、後のテーマにする。
  いずれにしても、別世界が出来てしまったのである。
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2957、世界はパンデミックに入ったのか!
 2009年05月10日(日)
新型インフルエンザの拡大が、警戒「5」に入ったが、近々に最悪の「6」が宣言される可能性が出てきた。
今のところ鳥インフルエンザのような猛毒ではないが、世界中に拡大していく中で猛毒に進む可能性が大。
日本も初の感染者が出たが、新型インフルエンザの進入自体は避けることはできない。
数ヶ月は日本中でモグラ叩き騒ぎで持ちきりになる。 最悪のケースで4000万人が感染するが、
それより感染拡大の過程でインフルエンザの毒性が強くなることである。
もし日本に上陸すれば個人としても防禦体制に入るしかない。
通勤は車にして新幹線は乗らない。昼飯も当分は弁当か、カップヌードル。 スーパー、百貨店は避ける。
部屋から出たらマスク着用。 生死を賭けたサバイバルの様相を浴びてくる。
それより刺激的なのが、HISの広告である。
・添乗員付きでイタリア5都市、8日間で、チャージ料込みで10万円。
       オーストラリア、6日間で、       10万円。
・ソウル、グアム、香港、台北、それぞれ3日間で、チャージ込み 1・5万円
・バリ島5日間で、3・5万円  ・ハワイ 5日間で 4・5万円
目を疑うほどの安さだが、行く方も命を賭けたツアーで、見ている方もみが沁みる!
何処もかしこも、恐慌の最中で瀬戸際立っているところに、もし国内で数百万の死者が出るようなパンデミック
出るような騒ぎになったら、大部分の企業は存続の危機になる。それが半年、一年後に生じる可能性があるというのだから、
世界中が、いや日本が震え上がるのも当然。この金融危機が発生した時、知人に「これは第二次世界大戦
10倍規模の破壊が起こる」と直感的に言ってしまい、過激すぎるかと思っていたが、そうでもなさそうだ。 
 何か金融危機を、他の危機をつくることで、注意を向ける策謀という仮説を立てると、丁度良いタイミングというのが気になる。 
それもアメリカ国境近くで発生するとは?  ハリウッドの陰謀映画の見すぎか
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2593, 閑話小題
2008年05月10日(土)
*地元スーパーの社長の死
地元長岡のスーパー原信の社長が亡くなったと、新聞で報じていた。40数年前に、セトモノ屋をしていたが、
先代と供にスーパーを立ち上げ、一部上場までもっていった。20年ほど前に胃癌になったと聞いていた。享年73歳。
チェーン理論を教える「ペガサスクラブ」のセミナーでよく、顔を見かけていた。
30年ほど前に会計事務所の所長の紹介で会ったことがあった。40過ぎの温和な人という印象が残っている。
スーパーを立ち上げた直後に私の父親のところに創業を供にした先代の父親と、衣料品の仕入れ先とか、
産地とかを聞きにきたと父から聞いたことがある。 ・・・私には関係ないことだが。
 何時も人様が亡くなると思うことだが、仕事の質量より、どれだけ人生を楽しんだかを推し量る。
あまり楽しい人生ではなかったように思えたが、それは私の想像でしかない。 しかし、生きていることが90%、それをフルに利用して
多くを学び、楽しむことを加えれば99%の価値がある。他人様の死は、そのことを自戒させてくれる。 
弟と供に途中まで会社を伸ばしていたが、子息が大学から卒業するあたりを狙って追い出したのは驚いた。
その前後に、弟と故人は二人とも癌で倒れた。 そして大よその20年後に鬼籍に入ったのである。
その弟の方が余程、人生を味わったと思われる。 所詮、他県に行けば聞いたことのないスーパーに全てを捧げるより、
弟が実践した(ハワイあたりで、読書三昧)方が良いに決まっている。それを2人が一番感じていただろう。
  死ぬときは生きてきたとおり死ぬものである。 ストレスも溜まってきたことだし、そろそろ海外でも行くか!
*人生とは自分の物語を生きること
振り返ってみると誰もが自分歩いてきた道が見えるものである。その足跡が自分の人生であり、それを語ることが自分の物語になる。
常に自分の心の中で内省をして、自分の生きてきた跡を見つめ、そして現時点の位置を確かめて、何処に行こうとしているか
考える必要がある。 最近になり、知人の死を見るにつけ、その人の物語を想像しながら、自分のことを振り返ることが多くなった。
それと哲学書を読んで、己の人生を付き合せてみると、喜劇的物語に気づく。自分が経験し、乗り越えたことしか物語としての場面は
無いのである。そこにいる己は喜劇的な卑小な人物でしかない。自分の物語、それは平凡な至近の日常を見逃してしまいがちになる。
いや、平凡な日々の細部の素晴らしさの織り成す味わいに慣れてしまう。
自分の物語、そんなものと簡単に切り捨てることができないから厄介なのである。
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2007年05月10日(木)
2228, 「多財布」家計
     ヾ(?o?o)ノ 【ぉはょぅ?】
 先日の日経新聞に、「総働き家族」“富山にはなぜか富がある!?”という記事があった。(日経新聞07.05.04朝刊1面)
ーまず、その記事を要約すると、
 *日本一豊かな家計の秘密は「総働き家族」の風土と環境・・
   ▼「平均月収」71万円=日本一      ▼「消費支出」40万円=全国二位
   ▼「こづかい月額」4万5千円=日本一   ▼「平均預貯金残高」569万円=全国七位
  その秘密は一家の「多財布」という。 (*'-'*)ヾ(*'-'*)ヾ(*'-'*)ハ
女性の常用雇用率は全国一位の66%で、全世帯の6割近くが共働き。 日本では家計に占める世帯主収入の割合が82%だが、
富山では62%。配偶者や他の世帯員の収入が異常に大きい「多財布」家計になっている。富山の女性は働くのが 当たり前で、
家にいると『体が弱い』と思われる。子供は姑が見て、働けば旅行など楽しみも増えるという考え方。
富山は三世代同居が世帯の2割もいる。日本型家族制度という昔ながらの伝統が、逆に女性の社会進出を支えている。
化学や金属加工など産業が盛んなことも女性が働く風土を育てている。富山市は昨年「運転免許証を返上すれば2万円給付」
という制度を始めた。対象は65歳以上だが、市が高齢者と若者の住まいの交換を仲介する。
高齢者は車が必要な郊外の一軒家を出て中心市街地に引っ越し、空いた家は子育て世帯に貸す。所得に応じ月1万円の補助も出す。
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以上のことからみて、県民性が堅実な働き者家族で、これからの日本の家庭のモデルともいえよう。
私の知人に夫婦で都合、年収1600万の人がいる。長男で家を継いでいるので家賃やローンもないので、
非常に豊かそうだ。 下手をすると、本社の重役より豊かな生活を送っているようだ。
以前、ある知人から「サラリーマンの三ランク」を聞いたことがある。
・家持ちの人(親から家を受け継いでいる人)で、妻がキャリアの収入の多い人か資産家娘で、二つの条件が揃っている人。
・二番目は、そのどちらかの一つの条件の人。
・最後は、いずれもない人という。その知人は三番目だが、「奥さんが少し稼いでいて良い方だ」と言っていた。
    一番目でも、その分、奥さんが威張っていて家では頭が上がらないし、
    三番目でも奥さんがシッカリしていれば、それなりの生活もできる。
    二つが揃っていても、旦那に問題があれば、全てを失うケースもある。
    兄姉が7人もいて、従兄弟も40人もいるので、色いろなケース見ている。
    金が全てではないが、一朝一夕で収入源の確保や資産形成は出来ない。
    外国並みに日本もなっていくしかないのだろう。子供の頃、『共働き』という言葉があったが、
    今はそれが当たり前になったためか、死語になったようだ。    ホナナァ☆ |∀・`@)ノ|Ю
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2006年05月10日(水)
1863, グーグル Google -3    +.(ノ*・ω・)ノ*.オハヨ 
              ー 読書日記
第一章 世界を震撼させた「破壊戦略」?2
 ーグーグルニュースの凄い意味ー
以下、字数の関係でカット2,008年05月10日)    バイ♪(ノ´∀`*)ノ
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2005年05月10日(火)
1498, 男と女ー4
携帯電話とかパソコンで気楽に?意思交換ができるようになると、以前のようなワクワクするようなイメージが
お互いに湧かなくなる時代である。それでも性の違いによる違いに驚く。大本教出口王仁三郎の書に面白い話が載っていた。
もう35年前になるが鮮明に憶えている。ーまず初めに女性を自分好みに美しく創られた。神様は非常に女性に優しかった。 
女性は、毎日幸せに暮らしていた。鳥は女性の美しさを称え鳴いていた。 蛇は女性の身体を快楽に満たしていた。
たくましい生き物が自分を守っていてくれた。猿は果物を木から取って持ってきてくれていた。ある日、その女は何か
満たされないものを感じた。そしてあることを思いついた。「この動物たちの全てを一つにした自分のような生き物を創ってください」
と、神に頼んだ。 そして、神は男を創ったのである。
 ーー
 以上である。だから本質的に女性は威張っているのだ。我侭で、かつ神様に男より愛されている生き物である。
そうとも思わないと、彼女らとは上手くはやってはいけない。
ある本に偉大な女たちの一言が載っていた。女こその言葉を、多く見ることができた。
ーー
ー偉大な女達の一言ー
人を導くことはできる。しかしそれは、彼らが望むところまでであって、あなたが望むところまでではない。
                    ージャネット・ランキン(アメリカ下院議員・1880?1973年)
≪字数制限のためカット 2010年5月10日≫
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2004年05月10日(月)
1133, 中坊公平氏の「後輩に与える言葉」
正義感から強引に詐欺的な債権を取り立てて、逮捕直前までなって消えていった、
弁護士の中坊公平氏は誰がみても真っ当な正義の人であった。
 その彼の「後輩に与える言葉」が素晴らしい。
一、正面の理  二、側面の情  三、背後の恐怖
人生で前向きで生きていこうとした時に直面する正直な気持ちである。 考え抜いた彼の言葉であろうが、背後の恐怖という
正直な表現がよい。これが正面の理も、側面の情も、強くしてくれるのだ。過去のどの場面をとっても、結局はこの三つの
バランスの上で成り立っていたように思える。現在でもまったくおなじ状況といってよいのだ。
人生は突きつめれば、背後の恐怖の死が待っている。そこに哲学としての正面の理が出てくるし、側面の情念が色濃く囲むのだろう。
私なりに、これを人間的弱さに言い換えると 一、正面の利  二、側面の状(況) 三、背後の恐怖、
になるし、これが一般の人間の姿であろう。経営も、そのものずばりである。
ーーーーー
2004年05月03日(月)
1126, 「ライフ・レッスン」?9
ー恐れのレッスン
秘境ツアーに行きはじめた当初、出発前のプレッシャーは相当のものだった。その恐怖感と不安感の波を乗り越えたさきの、
すばらしさが直感できたからこそ、恐れを乗り越えることができた。 初めてアフリカに行った時、10年のベテラン
女性ツアーコンダクターも不安で、震えていた。先輩に『天国と地獄がある』と脅されたきたという。インドの時も、
タンザニアの時も、南米の時も、恐怖感の山であった。しかし一度飛行機に乗ってしまえば腹が据わる。そして実際現地に
いってみると、恐れの殆どは無知からの妄想でしかないことが判る。いまでは、そのプレッシャーも料理の味付けとわりきっている。
恐れのプラス面は、万一に備えて、こころの準備と、持ち物の準備、情報の準備のエネルギー源になることだ。
未来を思い煩うなかれ、過去を悔やむなかれ。いまに挑戦し、いまに生き、いまを見つめ、いまを味あうことだ!
人間ができることはそれしかない。積極とは、極みを積むことである。極みは、自分の限界のラインにたつことである。
積極とは、その先の経験にチャレンジすることである。そこには、恐れのレッスンがある。恐れは自分の壁に対する
自分自身のレッスンになる。すべてがレッスンと思うことは、世界を広くしてくれるし、こころを上からみる魂の視点になる。
 ー抜粋ー
・人生がわたしたちにあたえるものの多くは、恐れや心配などの前兆なしに、いきなりやってくる。
恐れが死の進行をとどめることはない。恐れがとどめるのは生の進行である。大部分の人が考えている以上に、わたしたちの
人生の多くは恐れとその波及効果への対処に費やされている。恐れはすべてをさえぎる影である。愛、真の感情、幸福、
そして存在そのものが、恐れの影にさえぎられている。私達は恐れのなかで育ち、未来にみえるのは恐ればかりだ。
しかし、恐れていることの何パーセントが、実際におこるのか?ほとんどはおこらないのだ。それにもかかわらず、
多くの人の人生が危惧や心配や恐怖に支配されている。
  (--以下は字数の関係でカットしてます。)
・・・・・・・・・
2003年05月10日(土)
766, いまスナックでおきていること
 いま人気の店は、とにかく安い店である。
・代替わりの居抜きの店を、家賃半額でそのまま引き継いだ店である。
・近くの店のホステスがママになって、値段を半額近くで売っている。
・若いアルバイトをピーク時間に合わせて、短時間で、高給で、きめ細かく回している。大体基本が、このパターンである。
以前も書いたが銀座ママのホームページをみたら、銀座クラブの価格破壊を売りにしていた。値段が銀座相場の三分の一であった。
商品価値を落とさずに如何にコストを下げるかを考えぬかなくては不可能な事。 以前よく通っていたスナックが潰れそうだという
噂が入ってきた。その店はバブル期に小さな店から表どうりの家賃の高い?ビルに高級店?を開いた。それ以来ほとんどいかなくなった。
やはり高くなったので、それまでの常連客に逃げられてしまったと他の店のママが言っていた。
 5〜6年前に古町のよく通っていた店から、閉店の挨拶の葉書が来た。半年後に店の前を通ったところ、店がそのままあった。
てっきり代替わりをしたと思っていた。私の知人で飲食コンサルタントに聞いたら「実をいうと最終日にその店に行った。
そこで何故止めるのか聞いたところ、赤字になってきたのでやめるという。経費を聞いたら家賃が半額なら何とかやれそう?。
そこで「駄目もとでオーナーに交渉してみたら!」と進言したという。ところがオーナーがその条件をのんだので、
そのまま営業を続けているとのこと。エレベーターが無いビルの3階にあり、半額でもテナントが入りそうもない場所で、
条件をのみざるを得なかったのだろう。初期投資をいかに少なくして、ランニングー営業コストを下げて、値段を安くした店にお客が行く。
スーパーでも家電チェーンも全く同じである。私が見ていてこうすれば良いのにと思うのはー90分で男2500円、女2000円。
その後30分単位で500円をプラスする。それを何気なく値段を表示しておく。 そして一人でやれる範囲にしておく。
もちろん居抜きの安い物件を焦らずさがすことだ。これは業種より業態への転換である。
そのために如何したらよいか商品ー酒・ツマミを組み立てる。これがなかなかできないが、実際やっている店がある。
 スナック談議の一節!
・・・・・・・・・
2002年05月10日(金)
402,結婚と離婚
現在離婚は4組に一組という。家庭内離婚も半分?はその状態という。そうすると上手くいく結婚の確立は(相性)は、
五分五分ということになる。厳しいことだ。やはりこの世は不幸で満ちているのか? そうとも思えないが。
私達はまあ上手くいっているうちだ?。そうでなくては海外旅行を一緒に24回もできない。旅はカスガイの部分があるが。
旅行は8日から15日間にわたり24時間一緒だから厳しい。お互い同行者と割り切り、一線を引いておく事だ。
私の場合の結婚生活で守っている事は
・お互いある一線を越えないこと。(浅くて広い川があるー溝ができようがない)
・外部のごたごたは絶対に持ち込まない事。
・会話を絶やさない事ーお互いの話しを聞く事。
・長女と末っ子の組み合わせが良かったが、その特性を生かす。結果として、長女的視点で(一段上の視点)見守ってもらう。
・美点凝視。
スナックのママなどは、離婚経験者が多い。みていると一人で生きていくことは本当に大変だ。
知人でも何人かその経験者がいるが、そう甘くはない。特に長期連休など、何の取っ掛りがなくなり、
孤独地獄に落ちてしまうらしい。あとは女1人、男社会で生きていくのはそう甘くはない。
考えてみれば、人生の一番の難題かもしれない。でも乗り越えなければならない難題である。
ある姉が言っていた「結婚は一生の大事業だ」 相性の悪いのもどうしようもない事だが。
・・・・・・・
2001年05月10日(木)
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