新潟駅周辺が変わり始めてきた*

  日本海側初の政令都市へ移行にともない、新潟駅周辺も変化を始めてきた。今日明日中に新幹線改札口近くの専門店街大改装と、
  その至近距離にあるやはり大型ビルの地下と1Fに大型書店など合計1万平米が開店。駅から6分ほどにある万代シティー
  SCのダイエー跡も今日、開店。合計一万数千坪の商業施設が新たにオープンするのだから、雰囲気は一変するだろう。
  今までが、郊外のSCに押されて、駅周辺が寂れる一方だったが、これで駅再開発工事も始まりやっと明るさが見えてきた!
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2006年03月02日(木)
1794, 超アメリカ整理日記 ?1
       (o´・ェ・`o)♪ぉはょぅ  ー読書日記
スタンフォードから日米をみると・・・ー
野口悠紀雄氏がスタンフォード大学客員教授時代に週刊ダイヤモンド誌の2004年5月1・8日合併号?2005年4月16日に
連載したものをまとめたもの。米国生活からみる日本の政治経済システムの貧困を説いている。
政治経済学者の視点で、米国と日本のシステムの差異の分析が解りやすい。現在の日本の国際競争力の低下、高コスト構造、
年金制度、など、社会システムの非合理性を指摘している。イケア、マイクロソフトトヨタ、米国デトロイトの盛衰なども登場。
経営、経済、経済システムや、荒涼とした大地に、都市と生活とクルマ社会のアメリカのシステム。
それに対する、日本という国土の狭い国の諸処にシステムとの比較、それによって、浮かび上がってくる
システムの矛盾の指摘がわかりやすい。         ~~旦_(^O^ ) コフィーどうぞ!
 ー印象に残ったところを幾つかあげてみるー
p.43 「能力に応じた役割分担」こそ、アメリカ社会の能率を支える基本的なメカニズムなのだ。
p.190 日本で所得を得て海外で生活すればよい
   →日本の高い物価を回避する手段。年金生活者にとっては、不可能ではない。ただし現地のコミュニティに溶け込むことが重要。
p.204 伸びる中国、追うのは日本ではなく韓国
スタンフォード大学に留学生数では、中国人がトップ。
現在、2番手は日本ではなく、韓国。ここ10年で逆転されている。日本の資源は人材であると考えると、将来が不安と指摘。
米国のトップスクールで学んだ経験とそのときの人的ネットワークは、ビジネスをする上で非常に有利に働くと考えられる。
これらを考えると、10年後の日本はどうなっているのだろうか心配になる?
p.237 まともに生きる人間が正当に報われるアメリカ社会
p.245「人間の時間間隔は、<新しい経験をどれだけしたか>によって決まる」
最近の野口悠紀雄氏の本は、ほとんど目を通しているが、この本は実際のアメリカ滞在者の実感が正直に書かれていて
説得力があってよい。自己制御がきかなくなっている日本の現状は、一歩外からみると鮮明にみえるのだろう。
                [○´・ω・]ノ ヂャァネッ
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2005年03月02日(水)
1429, 中年クライシス(中年の危機)の悲劇
岐阜で57歳の父親が子供と孫と犬を道ずれに心中を図った事件があった。以前から、随想日記で書いてきた
「中年クライシス」の暴発である。母親の痴呆と、長男の問題、病気、職場の関係、犬の世話等々で、
自分の神経をやられてしまった典型的な事例である。そういえば、十数年前の私の環境に似た環境である。
海外旅行と、精神療法系の本を読んでいたので何とかのりこえた。40代後半から60代前半は、
こういう問題が誰にも押し寄せる。見せているか見せていないかだけである。その中で一人でする、スキップと鼻歌は、
背中に大きな荷物がある為か演歌調になるが。真面目な人ほど、ある日突然爆発する。その処理法の知識がない上に気弱だと、
尚のことである。この人の趣味は警察犬の調教とTVでいっていた。それでも苦しみを乗り越えることができなかったのだろう。
外的適応に疲れ果てた末路といえばそれまでだが、人生の転換期に、内側に対して目を向ける術を知らなかったのだろう。
深い洞察に裏づけされた内的適応が必要だったのだ。痴呆症の親族と同居は、苦しみの底に落とされてしまう。
直接原因はこれだろう。 以前、読書日記に ー『心』の出家ーの感想文を書いた。
後でコピーしておきますが、 その一節の言葉が印象的である。自分の周囲に張りめぐらした垣根(ペルソナー仮面)
を取りさることである。神吉拓郎の「金色の泡」の中での主人公欣吾と従兄弟の会話で以下を語らせている。
 ー文雄がいった。
「俺、発見したんだ」「なにをさ」「40にして惑わず、という言葉があるだろう。騙されてはいけない。 あれは偉大なる皮肉なんだ。
本当はそうなんだ」「どうして」「とにかく、そうなんだ。40前には、 迷うことなんかないよ。 夢中だよ。世の中に出たばかり、
目がくらんでいるか解らない。 あり合せの目標に突っ走る。一段らくしたときが一番恐い。 40をすぎた頃に初めて迷いが出るんだ。
今まで何をしてきたのだろうか気づくんだ。え、そうじゃないか。 迷いが出てきただろう」「そういえば、そうかな」
「迷うのは、40からなんだ。それが本当だよ。恐らく、 死ぬまで迷い続けるんだろうと思う」「迷わない奴だっているだろう」
「そんな奴は、一生馬鹿なままさ。 しあわせという言い方もあるだろうがね」
ペルソナ(社会的仮面)は必要なものである。それは一定の効果を持つし、社会を渡って行くために不可欠かもしれない。
しかし、その仮面を剥いで生きたいと、こころの奥に思っているものだ。そのことに気づき、生き方の大転換を図るのが、
こころの「出家」なのだ。ペルソナについて、ユングは、外部に対する適応とか、やむをえない便宜とか理由から生まれてきた
一種の「機能コンプレックス」であるという。それは個性というものとは違うものである。
安定したペルソナの下に。常にそれに影響を与え、それを脅かす内的世界が存在している。
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誰も、この一家心中の中年男の心を知ることが無かった。タマタマ犬の調教で、TVのニュースの映像が流されていた。
真面目な、気弱そうな、何処にでもいる善人面をしていた。
私の解釈では、・真面目な、・気弱そうな、・善人面ということが、問題全てを一人抱え込んでしまった。
誰に聞いても、優しい良い人だというところに問題があった。それ故に、母親と長男の問題と、職場の配転とか、
犬の調教の疲れなどの全てが、長年にかけて山積になった。良い人というペルソナを、脱ぎ捨てるとかができなかったのだ。
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2004年03月02日(火)
 1063, 高級1DKマンション ー1
 高級というよりアッパープライスのマンションという表現が適当だが。
最近インターネットで、最新型の1DKマンションをネットサーフィンをしながら調査をしている。
そして面白そうなものは、資料を取り寄せている。特徴としては、多くのホテル並みのサービス機能がついているものが多い。
もちろん、高速インターネット付である。イメージとしては「スタジオ・マンション」という感じである。
ホームページを見ていると、何か別世界に入り込んでしまったような錯覚をしてしまう。情報化社会の時代の新しい空間とは、
こういうカタチと見せつけられたようだ。またソフトハウスとしても利用可能のようである。特に新橋や品川や山の手周辺に多く、
一室で月20万?70万もする。ホテルの1泊3万の部屋を月契約で2万円にしても、月60万になってしまう。
ならば少し高くとも、長期滞在専門の本格的な1DKが求められて当然である。大規模のものが近々、品川にオープンするが、
都心だから入居者があるのだろう。買って、そこに縛られるより、こういうところを渡り住んで楽しんだ方が良い。
面白い時代になったものだ。古ビルを買って、情報・サービス機能付き空間に大改築をするのも面白い。
時代の変化に合わせて、既存のものを変える事業も出てきているようだ。組み合わせを変えることによって、新しい価値の
創造をするデザインが現在求められている。ホテルプロジェクトを1DKに集中? 「高度化」がキーワードになる。
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2003年03月02日(日)
 697, ルーツー2(縦人脈)
ーその資料によると
 先祖を遡ると「平家の侍」であったが「源平の戦」で負けて、落人となって富山から上越と逃れてきた。
そして「上杉家の家来」になった。上杉謙信の時代に、上越の高田の先にある新井市の郊外にある「鮫ヶ尾城」
という出城の城主であった。謙信の死後、跡目相続の争いの「お館の乱」に巻き込まれて、小千谷の郊外の
片貝の近くの「池津」の村に知人を頼って逃れてきたという。その時の先祖の名前が「堀井宗親」と「堀井四四太郎」という。
一緒に逃げてきた名前が馬場、小黒、大矢とか。その後、そこで百姓をしていたようだ。ルーツというほどのものではないが、
平家・上杉という流れと、関西ー富山ー新井ー小千谷ー長岡の流れがある。また、武士ー百姓ー商人という流れも時代によって
変わってきている。金沢にいた時(25歳)によくいった店が落人焼きの「平家」であった事を思い出した。
また第二新館の鉄骨が富山の「堀井鉄工所」であった。その検査に富山に行った時に会った社長は正しく「堀井ヅラ」。
その時入った食堂の電話帳で堀井の名を調べてみたら、三桁に近い堀井の姓があった。上越市も新井も小千谷も本当に多いのだ。
長岡は10あるかないかで、新潟市では数人だけ。20年近く前に家内と子供と、ドライブがてら鮫ヶ城に行ってきた事を思い出した。
車を止めて独りで歩いて城跡に行ったが、そこに立った時に何ともいえない気持ちになった。何か昔の記憶が沸き立ってくるような
フワ?という感覚で、何かオーラに包まれたような気分である。この気分は柏崎の「極楽寺」に行った時に同じ気分になった事があった。
そこで亡くなったある僧の墓を訪ねた時だった。人間の脳には全く知られてない領域を感じた瞬間であった。
家のルーツ探しから500年ー1000年スパンの鳥瞰ができたのが最大の収穫だ。
それと「自分とは何か?」を考える一つのヒントになったことだ。
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2002年03月02日(土)
347,心の陰
人を指さしたとき、他の指は全て自分のほうを向いている。人を非難するのは、結局自分の影を非難しているに過ぎないことを、
いっているのだ。「他者認識は不可知」という論がある。ー他人のそれを認識はできない、認識したらもう他者のそれでなく
自分のそれを認識しているに過ぎないー
これが理解できるかどうかで、「人生に背負っている人間関係の重荷」が半分か三分の一に軽減する。
特に「嫌いな人間」に対しては「自己の嫌いな部分」をみているにすぎないからである。
自己脱皮のできない「子狐」どもを嫌っているのは、今でも脱皮できなかった自分の部分を見ている。
自分もその「子狐」で、少し程度がいいだけだからだ。
私の嫌いな「教養のないオバサン」結局教養のない現実志向も、自分のある一面であるからだ