* 日めくりの格言
    「仕事に雑用はない!」 そうか! そうだ! 
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  * セレンディピティとは
  ウィキペディアによると、
 < セレンディピティは、何かを探しているときに、探しているものとは別の価値あるものを見つける能力・才能を指す言葉である。
  何かを発見したという「現象」ではなく、何かを発見をする「能力」を指す。平たく言えば、ふとした偶然をきっかけに閃きを得、
  幸運を掴み取る能力のことである。 例えば、諺の『犬も歩けば棒に当たる』や、北原白秋作詞の童謡『待ちぼうけ』の一節
 「ころりころげた きのねっこ」の状況にちかい。>
 ー「運」が良い人は、突き詰めると、この能力が研ぎ澄まされている。それには心根が真直ぐに伸びてないと、土壌もあるが?
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  * 「あげぽよ」「うけぴー」「わや」「ちゃいちゃい」
 これが女子中高生ケータイ流行語大賞の候補と!ニュースにあった。まったく理解できないが、感覚的には面白い。
  ーそこで早速ネットで調べてみたー その内容といえば、
【 流行語大賞の候補に、「あげぽよ」「アラシック」「ちゃいちゃい」「うけぴー」「うぇーい」「わや」「もふもふ」
「やっふぃ」「もいきー」「ちゃんねー」「ポイポイポイポポイポイポピー」「やびゃあ」など20があるとか。
それぞれの言葉の意味や出所だが、
・「あげぽよ」は「テンションアゲアゲな状態」を意味するギャル語。『ぽよ』は、可愛いので語尾に付けるが特に意味はない。 
・「ちゃいちゃい」は『ばいばい』『またね』を意味する」
・「アラシック」は「アイドルグループ『嵐』のファンを指す。病気になってしまうほど、嵐が好きという意味。」
・「やびゃあ」は、「『やばい』が変化した言葉で意味は同じ。
・「ポイポイポイポポイポイポピー」は、素人女性宴会芸集団『あやまんJAPAN』が『LOVE&JOY』という曲に乗せ
  歌い踊る中で使用される掛け声」などである。…
ー流行語は、その時代に反映するが、女子中高生の間だけなら良いとも言ってられない。 普段使う言葉こそ重要だが、
 「今どきの若い者は!」のレベルダウンになる。何処かの女子大生の別れ際の言葉「皆様、御機嫌よう、さようなら」もある。
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3209, 年金支払い総額 1400万
 2010年01月17日(日)
「年金定期便」とかいう大型の封書が日本年金機構から送付されてきた。 41年間で総額1388万円である。
(以前の年金通知の中にもあったかもしれないが、記憶に残ってなかった>)その間の金利や貨幣価値の変動などからみて3倍が妥当。 
 実質の支払額は 1400×3=4200万は積み立ててきたことになる。それも半強制的にである。
 私の年齢は63歳の去年の7月から21万円が死ぬまで年金として支払われ。
21×12ヶ月×(平均余命80−63歳=)17年 −>、4284万になる。 成るほど、こんなものになる。但し、自民党と官僚が、
これを過去に食い散らしてなければである。ところが、田中角栄様が、その年金を食い散らす算段?をしていたのである。
その掛け金の支配金は、我われに年金が支払われる時点の掛け金で賄われるシステムに換えていたのである。 
未来のために積み上げた年金を現政府が自由に使えるようにしていたのである。 酷いものである。 
腹がたつ以上に、情けない。 当時の政府も、少子化とか、国家のダウンサイジングが現実のものになるとは
思ってもいなかったのだろう。 数年前から団塊世代が年金組になって、大問題になってきた。
 こういう事態をみて、今の若い世代の人たちは年金を支払いに疑問を持つのは当然である。
いずれにしろ我われは大きな問題に直面していることだけは確かである。 年金税も現実問題として有りえる。
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2844, 「ほめる」言葉  −1
 2009年01月17日(土)
 《精神対話士》の「ほめる」言葉  ーメンタルケア協会偏 読書日記
図書館で何気なく手に取った本。人間関係を円滑にするための褒めるノウハウ書と思ったが、《精神対話士》の、
という部分が気になり借りてきた。 ところが、なるほど口先で褒める言葉ではなく、心の底から褒める言葉が
並んでいる本であった。基本は、「相手の存在を認めることから、すべてが始る」である。
 この本を編集した財団法人メンタルケア協会とは何か?がHPにあったのでコピーしてしてみる。
< 慶応大学医学部出身の医師達が中心となって設立された協会。
 「人間は病気など、さまざまな障害によって心に不安を抱え、人生をマットウするための根幹となる「生きがい」
 を見失いがちになることに着目。 それらの人々を真心の対話によって励まし、「生きることの尊さ」を共感できる
 「メンタルケア・スペシャリスト養成講座」を開催。一般に普及させるため精神対話士の育成、認定、派遣を行っている。
 この本は、精神対話士の効用の一端を「ほめる言葉」にまとめたもの。
 「温かいひと言」を相手に投げかけることで、親密な人間関係を築けることを教えている。>
 借りて少し読んだ後に、直ぐにアマゾンで注文をして取り寄せた。こういう場合、アマゾンは有り難い! 
私が人を褒めると、知人や同級生に驚かれることが何度かあった。
「おい、どうした?お前が人を褒めるなんて殆どないのに!」である。ということは、「けなしても、褒めてない」のである。 
私はけっこう褒めているつもりだが、違うのである。 「営業用の褒め言葉」を聞きなれているため?言えないのである。
全て知った上で「嫌味」を言うより、営業用でも褒めた方が良いのだが、しかし、しかし、言えないのである。
「どっこいしょ」と言うだけ、持ち上げるのは重い。この本の中で私が感じた一番の褒め殺し文句は
「あなたには華があるね!」である。同級会で、前回休んだ人に「あなたが居ないと、会が盛り上がらないよ」と
言った時の嬉しそうな顔が印象的であった。実際にそうだったから言っただけだが。 
 以前書いたことがあるが「あなたは持てるでしょう。女性がほうっておかないタイプだよ」 これはイジリ? 
真から褒められたことは忘れないものである。そうそう、真から褒められるものではない。
なら、真から褒めれば良いことになる。 ブッシュ大統領の功績(功罪でなく)でも書いてみるか!(もう、嫌味か)
<暖かい一言>と言えば、心から発した褒め言葉と、相手の成功・幸せへの祝い言葉、それと慰めの言葉である。
 それを相手の胸に受けとめさせるには、本体が誠実でなくてはならない。 私のように褒めと、皮肉が紙一重は難しい。

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2008年01月17日(木)
2479, 新潟県の物流の現状は              (。´_`)ノおはぁ。
 地元の大手の中越運送社長が昨日の日経新聞新潟県内版のインタビューで語った「新潟県の物流の現状」
 が注目すべき内容だった。貨物量の動きが、そのまま景気の動きを表すが、何処も同じ秋の空である。
 ーまずは箇条書きにまとめてみるー
・足元の景気と言えば、年末でも、これまでのような活気はない。
・住宅着工の遅れで、建設資材が動かないうえに、原油高のせいか人々は買い物には行かなくなっており、百貨店も人が少ない。
・かっては9月から年末年始にかけて越冬需要でモノが大きく動いたが、今は通常の月と変わらない。
中越沖地震の影響で消費は減り、復興需要があったのは特定の業界だけ昨年は上半期から低迷、9月以降はめっきりダメで、
 12月に入ってから目に見えて落ち込んだ。12月20日でしめた決算も非常に悪い。  年末年始もこの流れがつづく。
・いまは企業によって二極化している。大手、とくに輸出を手がける企業は世界の運賃の高騰に水準を合わせて上げているが、
 一方中小はなかなか値上げは出来ない。うちで運賃があわないのに、下請けはもっとあわないはず。
・新潟での海外の荷物のほとんどは中国からの輸入。新潟で待っていても、仕事は殆ど取れない。
 中国の仕事を入り口で取る体制を整える。  日本郵政との競合はどうなるか分らない状態だ。
 ーー
 以上だが、どの業界も厳しさという面で、ホボ同じことがいえる。ところで、運送のコスト構造は、人件費が6〜7割、燃料が2割。
(当業態のホテルは、人件費が三割、燃費は一割)2005年度になるが、その4年前の6割に貨物量が減ったという。
中越沖地震から県内の動きは更に10?は減ったから、この5〜6年で半分ということになる。これでは運送業界だけでなく、
県全体は壊滅に近い事態といってよい。今年は更に落ち込みが見込まれるから、一足先に恐慌が来ていると言って過言ではない。
しかし、事業者の数は中小がジワジワ増えているというから、悲鳴をあげるのも分かる。
何処も同じであるが、それにしても酷い状態である。
                   ヾ(@⌒ー⌒@)ノ マタ!
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2007年01月17日(水)
2115, だと!    ○┓
『    だと!』   《     》
             『  んで!』  《     》
『 で、どうした!』  《     》
             『 で、どうする?』  《     》
『 うんで?』 《     》
              『 あふぉか!』 《     》
『 フニャ!》 《     》
             『 うんだ、うんだ!』 《     》
『ま、いいか!』 《     》
             『     』  《・・・・・》
『  ! 』 《  ?    』
             『   。   』  《   ・   》
                          ( ゜∀゜)ノ
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2006年01月17日(火)
1750, おひとりさま     (*^o^*)オ (*^O^*)ハ (*^。^*)ヨー!!
先日、TVで『おひとりさま』というテーマで女性の一人の食事や音楽会の参加について取りあげていた。
女性といえば、つねに誰かと二人以上で行動するのが常だが、最近になって、ひとりで行動するスタイルが格好よいとされている。  
 お茶どうぞ ( ^-^)_且~~~   「おひとりさま」のスタイルといえば、映画やリサイタル一人で観たあと、ぶらりと店に入り
ワインかコーヒーを飲みながら食事…。大人の女性としての一人の時間を楽しむことである。背景にはキャリアウーマンの出現がある。
時には一人で旅行に出て、ジックリと孤独の時間を味わうスタイルを身につけること。ひとりの時間を楽しめる人間こそ、
「おひとりさま」であり、しっかりした個を確立してこそ他人との関係も良好になる。
自然態で自分と向かい孤独を楽しめる人こそ「ひとり」の世界を確立できる。         
ー自己の確立がしっかりしているとは
 1「個」の確立ができていること   2 他人の個を認めることができる
 3 独り遊びができること      4 知的裏付けをもっている である。
都会住まいをすると初めに直面する問題が男女を問わず『おひとり』の生活である。
三食の食事などの生活を自分で考え組み立てなくてはならない。そして家族から離れた寂しさのコントロールである。
(字数制限のためカット 2010年1月17日)
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2005年01月17日(月)
 1385, ラムセス2世
「たけしのエジプトミステリー?」ー古代エジプト最強の王ー  の録画を先日みた。10年近く前にエジプトに行った時に、
初めてラムセス2世の存在を知った。現地添乗員が「日本では、クレオパトラが有名だが、欧州ではラムネス2世の方が
段違いに有名である」と説明をしたが、なるほど彼の遺跡の多さには驚いた。この番組は、タケシと吉村作治
女レポーターの対談方式で進行していた。ラムセス2世と古代エジプトを、より知りたいと思っていたので丁度よいタイミング。
  ーまずラムセス2世の概略をみるとー
・第19王朝のファラオで紀元前1304年〜紀元前1237年まで67年間エジプトを支配。 
 紀元前1295年頃、シリアのヒッタイトと戦い、決着がつかず、世界最初の国際的な和平条約を結んだ。
 そして後にヒッタイトの王女を妃に迎えた。
・後半の治世は内政に力を注ぎ、神殿建築等の事業を起こした。
・100歳近くまで生き、多くの女性との間に100人以上の子供がいた。
・彼は大規模な建造物を数多く建てたが,中でもアブ・シンベル大神殿が特に有名である。
・数の上では最も多くのオベリスクを建てたファラオとされ,実際8本のオベリスクが現存している。
 彼が建てたオベリスクは比較的小さなものが多いが,ルクソール神殿第1塔門前の一対のオベリスクは非常に大きいもので,
 エジプトに残るオベリスクの中では「ハトシェプスト女王オベリスク」に次いで二番目に大きなオベリスクです。
 本来ペアであるべきものが欠け,いまや1本しかない。
・最後はミイラとなって王家の谷に葬られた。しかし、彼の遺体は墓泥棒たちによって、本来の墓所から運びだされた。
 墓泥棒の隠し場所である共同墓所に、セティ1世、アメンヘテプ1世、トトメス3世などの他のファラオたちの
 ミイラとともに、隠されていた。1881年に、この隠し場所が発見され、現在、カイロのエジプト博物館に展示してある。
ラムセス?のミイラは、死後3000年の時が経たあとも、その表情はリアルで、強い意思が感じ取れる。
彼の生涯で私が最も強くひかれたのは、彼を偉大なファラオに押し上げた王妃ネフェルタリの存在である。
歴史が男を動かし、その男を女が動かす。3300年以上も昔の2人の愛が巨像やレリーフとなって永遠に地上に残されていることだ。
ネフェルタリの愛が、そのまま遺跡を巡っていると感じ取れるのだ。私が知る限り、一個人が数千年の時間を越えて、
直接これだけ訴えかけてくるのは、彼以外見当たらない。まさか博物館で万人の目に触れるように展示されるとは夢にだに
思わなかっただろう。自己顕示欲が強かっただけに、本人も本望だろう。遺跡は、直接当時の世界がリアルに感じ取れるのがよい。 
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2004年01月17日(土)
1018, 「会社にお金が残らない本当の理由」 −1      ー読書日記
 紀伊国屋で、この本の帯につられて買ったがナカナカ面白い。タイトルは−93・7?の会社は10年以内に潰れる
ー攻めるだけでは会社は10年続かないーである。「初めに」の出しからして刺激的な文章である。
ー「まずはキャッシュで一億を作る。」
社員5名ほどの中小企業‥とか零細企業に私が最初に言う目標である。「零細企業にそんなことができるか?」と思うかもしれません。
しかし、会社経営をしているなら、当たり前です。現在日本には一億の預金を持つ人は108万人。総世帯4700万ですから全体の2.3パー。
50世帯に一世帯が一億を持っているのです。 実際の中小企業やその社長はどうでしょうか。資金繰りに追われているところが大半。 
何故こうなったのでしょうか? それはほんのチョッとした差から生じています。そのチョッとした差が生死を分けてしまいます。
・・普通の経営者は、経営の背後になっているシステムが分らないのです。
 ーとのっけから読み手を引きつけていく。
 ー印象に残ったところを抜粋してみるとー
・資本主義社会そのものがボッタリの本質をもっている。
・今の日本の税制は「かっぱらい」である。「取りやすいところからとる!」
・決算上の利益とは、実態とは違った税金を取るための数字でしかない。
 その粉飾決算の利益を経営者も税理士も会計士も信じきっている。税理士や会計士は無知もいいところ。
 ゾンビを生んでいる日本の税制に気がつかない。 設備投資の耐用年数は実態とかけ離れている。
 その数字のおかげで、ありもしない利益を計上させられ、税金をボッタクラレている。
・自宅の名義は奥さんにしておくべきだ。
・「車」と「家」と「保険」を、おさえておけばお金は残る。 ーこの詳細がナカナカ面白い
・社長で「いい人」ほど儲かってない。 一般常識の世界で生きているからだ。
 ロータリークラブとか・・ それとは別の独自の指標が必要だということが分ってない。
・中小企業ー零細企業の報酬の内訳は「役員20?、社員30?」但し役員報酬は合法的裏金で
 実質的に会社の金と割り切ること。 内部留保金と未来投資資金として割り切ること
・裏帳簿の勧め・・・
・戦略3つ,戦術7つ
・ローリスクだからこそハイリターンを得ることができる。
 リスクは極力かけるな!ローリスクは本業の中にしかない。
ー以上が印象に残った内容だ。   ーつづく
・・・・・・・
2003年01月17日(金)
 649, 損切り
ある経営セミナーの案内のパンフレットが送ってきた。
題目が 「会社と個人の資産防衛策」 副題がーいま「損切り」してこそ新しいチャンスがつかめるー
その内容がなかなか面白い。このパンフレットに殆ど90パーが含まれている?
ーその概要を書くと以下のとおりであるー
・大清算時代ー含み損を吐き出してしまえ!
・個人も会社も、いまは「損切り」をしないと生き残れない。 いまは有事の時、平時の常識を捨てなさい。
 −不採算部門の切捨て
 −不良資産の切捨て
 −不良幹部ーヘドロの切捨て
 ー倒産を恐れるな
・不動産は「短期の流動資産」と考えよ、決め手は利回り
 −まだまだ不動産の大放出が続くと思え
 −より安全で、より高利回りのものに切り替えよ
・銀行取引の全面見直し
 社長は先手を打って資産を守るべし
 ー次は地銀・第二地銀信金・・・金融機関の大編成が始まる。
 −貸してくれない銀行には返さないこと。
 −手元流動性資金の確保が絶対に必要
 −絶対に応じるなー追加担保と追加保証人
 −担保に入っている社長個人の不動産を会社に売却
・5年先を読むと先手必勝である。
 −国債の暴落から始まる大マネー戦争になる。その結果金利上昇・円安そしてハイパーインフレ・・
 −不動産の金融商品化が本格的に始まる。
 −円資産だけでは危ない時代。 ゴールド・円でドル建て預金
 −事業こそ最大の資産だ。その事業を良くしておく事、それはデフレに勝ている事業だ。
 ・・以上がその内容である・・
「処分すべきは処分をして、徹底的にスリムな体質にすべきだ」という事だ。 去年から、個人の事業用資産を会社に譲渡して
 損だしのプロセスに入った。次に、会社のデフレからきた損だしのプロセスに入るが? ここで思い切ってやらねばならない時期が来た。
 体力あるうちに先手を打ってやるべしということだ。 先行きはもっと悪くなるのは自明のことだ。
 こういう時代は知恵を絞って乗り切るしかない。 この数年は負け組みの最後の整理が控えている。
・・・・・・・ 
2002年01月17日(木)
 303、事業と難関
 事業を始めると、必ずといっていいほど「身辺」に思いもよらない何かが起こる。
それと当然「事業そのもの」にも、想定以外のことがおこる。必ず難関が次から次に起こってくる。回を重ねるうちに、
そういうものだと割り切れるようなった。そしてかなりの極限に追い詰められた時、「これが今回の丁度ピークのそれ」と
冷静に受けとめれるようになった。そしてその二つが重なってくることが多い。しかし経験とは凄いものである、
それが勘で解る。 ここを踏ん張っていると次の展開が出て来ると解ってくる。従っていつの間にか、その感覚がゲーム的になる。
難関を一つずつ乗り越えていくのが逆に面白くなってくる。 それは付き物である。これが一波、これが二波、これが三波と、
そして「これが今回の一番の大波」?とうけながら冷静に対処していく。一番の大波と感じた時は、これが自分の限界点に近いことがある。
しかしこれ以上の波はないのも解る。それが仕事というものだ。人生もそうか! 初めて事業を興した時、全ての問題がはき出た。
「そういうもの」ということが解らなかった。気持ちに余裕はなかった。しかし親戚の同じ歳のナショナルに勤めていた人が遊びに来て、
帰りにボロボロの姿を見て「羨ましい!」といった一言が自分を支えてくれた。その人は今かなり出世をしたとか聞いている。
その人の弟の葬式に7〜8年前出会ったとき、「私は自己採点は80点だが、貴方はいくつか?」
と聞いたら、「93点」と言っていた。 人事系の仕事だから冷静な点数と思う。
・・・・・・
ー1月17日 1968年
 午後一時にゼミに出席する。今までのゼミの反省と総括をする。私の意見は「週2日を週一回にしたのが問題ではなかったのか?」
であった。全体的に同調されたようだった。 石川君と私の卒論の発表会的なところもあった。その後ゼミの連中と飲みに行く。
「嵯峨」から飲み始める。 下落合の助手の横浜さんの下宿の近くまで、17時から翌朝の5時まで12時間も飲みまわる。
その後数人で横浜さんの部屋で泊まる。石川には、「その仮面を剥げ!」とかなり激しく言ってしまった。彼も私を辛辣に批判をする。
私のほうが過激であった。 あとで謝らなくては! 言いたいことを言ったあとで自己矛盾がおこる。 自分が解らなくなってしまう!