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ー 初笑いー
* 臨月に入った、ある奥さんが電車に乗った時の出来事。上品な紳士に席を譲られ、お礼を言って座りました。
その紳士が下車する一瞬、紳士の着るスーツの襟に付いた、見覚えのある社章に気付きました。「主人と同じ会社だ」。
帰宅したご主人に事の顛末を話しました。奥さんから聞いた背格好から推定し調べた結果、顔見知りの、
別の課の課長さんである事が判りました。課長さんは「ああ、君の奥さんだったのか。こんな事もあるんだねぇ」と言い、
この偶然について驚いていたそうです。3ヶ月後。課長さんの自宅に、奥さんの名前で一通のハガキが届きました。
赤ちゃんの写真が印刷され、その横にはこう書き添えられていました。
「その節は、ありがとうございました。この子は、あの時の子供です」 その日、課長さんの家は、大変な修羅場と化した。
* 小さな島国の小さな人間がだ。
10年で国を根こそぎひっくり返し、
20年で中国と戦争し、
40年でロシアと戦争し、
80年で太平洋全域で戦争し、コテンパンにのされたのに世界二位の経済国になり、
アメリカの横面を札束でひっぱたきそうになった。
そんな国が平和を唱えたとして、信じるバカがどこにいる。
* るるちゃんはいつも、ママとおふろに入っています。
ある日の夜、るるちゃんがテレビを見ていると、おふろあがりのパパが素っ裸で出てきました。
全裸のパパを真正面から見たるるちゃんは、驚いて声をあげました。
「ねえママ!!パパのあれ、なあに?まんなかについてる、ほら、あれ!」
「るるちゃんたら。指差したりしないの。あれは大事なものなのよ。
もしあれがなかったら、るるちゃんは今、ここにいないのよ」
「へえ。そうなんだぁ」 「・・・まあその前に、ママもここにはいないでしょうけどね」
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3195, 三が日、つれづれに
2010年01月03日(日)
今年も明けた。久々に雪は積もり、風が吹き荒れる冬らしい正月である。腰痛も今のところ治まっているし、
少し鼻風邪気味以外は体調は良い。そろそろTVや新聞で、今年の予測が始るが、金融恐慌からくる世界不況は
収まる気配はない。恐慌とはいえ、戦後からの60余年のインフラ整備があるので、一見穏やかに見えるが、
普段の生活に不況感と、周辺環境から聞こえてくる話しは厳しいものが多い。
これまでは、2対6対2の割で、裕福、普通、余裕なし層というイメージが、1対4対5の割りになってきた。
更にいうと平均年収の半分以下(日本では200万円以下)の層が6人に1人の割りであり、母子家庭の過半数が、
その層になっている。 最近の貧しさの背景は、グローバル化と、情報化、ハイテク化がある。
経験でしか得られなかった個々人の能力の大部分が、ハイテク器械とか、システム化で単純労働に置き換えられた。
更に海外から安いものや人が入ってきており、グローバル化による労働賃金や物価の平準化は抑えようもない。
問題の先送りも、いつか数倍になって返ってくる。21世紀は決してばら色ではない。しかし、情報は誰にでも
劇的に安く手に入る時代でもあり、チャンスも無限に広がる。 我われは、生涯を全うするために生きる。
その大きな位置を占めるのが「知ること」である。その意味で、人類にとって非常に良いインフラが劇的に整備される時代である。
携帯でミニブログ「ツイッター」を瞬時書き込み、その場で発信できるようになってきた。先日、地震があった時に、ツイッターに
「地震」と入れたら、「今、地震の揺れで目がサメタ。まだゆれている」という生々しい書き込みが、次から次へと出ていた。
ツイッターにビデオを貼り付けるソフトもあるから、キーワードを入れると、いつでも現場の臨場感のある情報が行きかうことになる。
鳩山首相も、今年からツイッターを公開するとか。 去年のオバマも選挙でツイッターを、最大限使って勝利した。
時代は厳しさを増しているが、無制限に近い状態で情報が入手可能である。 想像を遥かに超えた時代を、
我われは経験を始めた。 誰も、数年先のことは想像すらつかない。
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2830, 新年に、つれづれなるまま! −2
2009年01月03日(土)
* 自らの文化を大切し、誇りを持て!
年末30日の産経新聞の一面の岡本行夫の「人界観望楼」の中の一文である。
そのテーマは ー歴史は「現在進行形」ー
《 今年の初め、私はある中学校を訪問して、二年生のクラスで質問をした。「君達、松尾芭蕉のことを知っていますか?」
生徒達は当たり前だという顔で答えた。 「小学校で習ったから、みんな知っている」「えっ、みんな?」
クラス全員の手が挙がった。「知ってます」に驚いた。これはウクライナの首都キエフの中学校のことだ。
日本の中学校で同じ質問をしたら如何だろう興味があることだ。 ウクライナの学習指導要領には
「自然を描写して気持ちを表す日本人の国民性を学ぶことにより、ウクライナとは違った文化を持つ日本と
日本人に対する尊敬の念を養う」とあると、前駐ウクライナ大使の馬淵睦夫氏から聞いた。
・・・馬淵氏は「ウクライナは自らの文化を大切し、誇りを持っているからこそ、他国の文化に対して関心を持ち、
尊敬の念を持つことが出来るのである」と書いている。日本人が胸を張って世界に輸出できるのは、「日本人」である。
これほど善意で真面目で勤勉な国民はいない。例えば途上国での援助活動において日本人ほど愛情をもち、かつ大きな
成果をあげている人はいない・・・・ 》
以上だが、成るほど、今どきウクライナみたいな国もある。「日本人の特質こそ誇るべき」である。誇るべきことがなければ、
他者のそれも理解できない。私の通勤途中で、ゴミが落ちているのを見ることは殆ど無い。誰も捨てないし、あっても住民が
掃除をしている。当たり前の普段の現象が外国に行くと、そうでないのが理解できる。 欧米文化に追いつけ、追い越せが
果たして進歩なのだろうか。 哲学の世界では、欧米文化主導の価値観に疑問を呈している。
外を見る目で内を見つめないと! 個人として、企業として、国家として。
* 今年になってしまったが・・・
今年になってしまった。目先はオバマ次期大統領の言動に注目が行くだろう。 問題は、その熱が冷めた後である。
昨年の10月の最初の二週間で、アメリカの銀行は毎日4300億?以上をFRBから借りている。
総額は二週間で5兆ドル以上。それだけお金をつぎ込んでも問題が解決されていない。
ビッグスリーだけを見ても、今後も膨大な損失が予測される。恐らく、ブッシュ政権が隠していた実態がオバマ政権に
移転したと同時に次々に公表されるだろう。その時に世界は真実を知ることになる。 いや、知らしめないか??
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2008年01月03日(木)
2465, 居場所を見つけたときに人間は変わる −2 ヽ(★>з<)。o○[ォハヨ]
居場所は自分のアイディンティーと関係してくる。もし、そのアイディンティーが、寄る当ての無いものなら、
寄る当てのあるように変えていかなくてはならない。まずはボタンのかけ違いを一番初めから、かけ直さなくては。
居場所こそ、人間が持っていなくてはならない場所である。私の場合は、机と本棚である。
そこに好きな愛読書とコーヒーカップが有ればよい。 そしてステレオかラジオかTVを置く。
誰でもが、まず始めることだが!現在なら自分のパソコンと、その中のブログと携帯電話になる。
ブログは、そういう意味で居場所の概念を変えてしまった。携帯かパソコンが身近にあれば、それが自分の居場所になる。
それもあるが、前回にも書いたが、やはり暖かい家庭こそベースになる。
*前回の続きです*
ー 芹沢
この話が告げているのは、悪いことをやる奴には「悪いことは悪い」ときっちりと教えなくてはいけない、
それを強い規律と指導と訓練で教え込もうというような方策が、実は失敗への道でしかないということです。
いまアメリカがイラクに対してやろうとしていることは、それに近いですね。でも、その女性がやったことはそうではない。
盗みでもしなければやっていられないような彼自身の、安心も安全も安定もないようなこれまでの人生を、
ーそれは過去からの歴史が作っているわけですけれども、しっかり受け止めたのです。受け止められた中で、彼が変わっていくのです。
例えば、青年はものすごくケチで、自分のことにはお金を使うけれども、人にプレゼントなんて一切しない人だった。
そんな彼が、彼女にプレゼントを初めてしたというのです。そんなふうに初めて安心、安全、安定できる場所ができ、
ここが自分の居場所なのだと初めて感じたとき、その居場所を作る支えになった人が大切な存在として見えてくるということが
起きているのです。 すごいな、と思います。彼女は母の役割をしたのです。
母というのは「存在の大地」につながるのだ、とそのケース・カンファレンスを聞きながら実感しました。
ー 二階堂
芹沢さんは、先に大地とは居場所だと言われましたね。言い換えれば、どこに座っているか。
仏教では、仏さんそのものより仏さんが座っている蓮華の座をまず観て大事にするのです。
どこに座っているかということで、その人間がわかる。座る場所がなくなってしまうのが、いちばん苦しいわけです。
「拠りどころ」という言葉もありますね。「人・地に寄るが故に倒れる・還りて地に依りて立つ」(地に因りて倒るる者は、
地に依りて立つ)という言葉が仏典(『入大乗論』にあります。人はいろいろな苦難があって、大地に倒れても、
必ず同じ大地から立ち上がる。 良い言葉だなと思います。
−−−
心の拠りどころ、心が何処に座っているのか、それも大事である。自分の夢と信条、好きなことを明確にして、それに従って
生きることこそ重要である。そして、物理的にも自分が座るべき場所を明確にしておくことも! 父親の位牌とか、母親の形見とか、
そういうものを常に身近に置くことも居場所つくりに良いだろう。森の鎮守様など、それだろう。 ヽ(・д・`●)
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2007年01月03日(水)
2101, ウェブ人間論 −2
b(^o^)dおっW(^O^)Wはようー♪
この1〜2年でネットによって社会が劇的に変わりつつある。光ファイバが各家庭へ劇的に普及したことと、
ブログと、携帯電話の進化のためで、この激変はとどまることはない。私の今年のテーマは現在のHPから
「ブログ」への転進である。第一章から内容は深く核心をついた内容になっている。梅田のネット世界が窺い知れて面白い。
第一章 ウェブ世界で生きる −?
*ネットの世界に住んでいる*
梅田:今の僕は、朝4時に起きてトータルで1日8~10時間位ネットにつながっていて、「ネットの世界に住んでいる」
という感覚である。僕の仕事は、アメリカで考え事をして、ニケ月に一度日本に戻り日本企業の顧客と議論するという
スタイルなので、東京にいる間は、打ち合わせなどリアル世界で朝から晩まで忙しいから、ネットにすめない。
だから僕は「アメリカに帰る」と「ネットの世界に帰る」は同義で、ネットの世界が僕にとって「リアル」なのです。
梅田:ネット上の僕の分身が僕のブログだから、まずそこに行きます。 家族が元気かどうか、
家は家事になってないか心配する感覚で、分身が異変を起こしていないかを、確かめに行きたいんですよね。
梅田:少しまとまった時間があれば、いつもチェックしているブログを見に行きますが、それだけでも英語のもの、
日本語のものあわせて300~400位あります。気になっている人300~400人の日常や、いま考えていることを、
シャワーのように浴びるっていう感覚でしょうか。もちろんリアルの友人のブログもその中に含まれますが、
それは全体からみればわずかですね。
平野:僕が2004年にパリに住んでいた頃に、ネットカフェがパーッと増えたんです。当時のパリは、
自宅のネット接続まだまだ遅くて、やっとADSLが出てきたという調子であったからと思います。
パリのカフェは本当に人がお喋りをする場所で、いつ行ってもフランス人がダラダラ喋っている空間であったのが、
いまやインターネットカフェでは誰も口をきかず隣の人でなく、数千キロ、数万キロ離れた人とやりとりをしている。
これは何なんだ!という雰囲気が、特にネットに関係ない人たちの間にありました。
その時、コミュニケーションの際の「時空」の把握の仕方が変わってきているなと、感じました。
*検索がすべての中心になる*
梅田:「ウェブ進化論」でも紹介した将棋の羽生善治さんの「高速道路」論というのがあって、
「ITとネットの進化によって将棋の世界に起きた最大の変化は、将棋が強くなる高速道路が一気に
敷かれたということです。でも高速道路を走り抜けた先には大停滞が起きています」と、彼はいうわけです。
僕はその大停滞を抜け出せるかどうかのカギの一つは、構造化能力と思っています。
(以下字数の関係でカット)−2008年01月03日 ーつづく
−−−−−
映像ブログが本格化してくると、また一味違った社会が出現するだろう。
梅田のブログを、興味を持って見つづけるしかないか・・・ 1975年生まれの人が、
ウェブ人間の大きな境目になるというが、息子の歳である。なるほど、見ていてそう思うが・・・ ホンジャ(*^ワ^*)i
・・・・・・・
2006年01月03日(火)
1736, 日本一短い手紙 「喜怒哀楽」 −2
ヽ(*´∀`*)ノ.+゚おはよ〜♪.+゚
このシリーシーズの「喜怒哀楽」は、読めば読むほど良い。心は、喜怒哀楽と感激・感動・感謝が大きな比重を占める。
日常は、それが原動力で動いているといってよい。感想文かわりに、絵文字で語ってみました。 \(@^0^@)/♪
怖いのは、怒っているのに笑っている人。 偉いのは、哀しいのに笑っている人。 阿部 智幸(山形県 43歳)
(字数の関係上、ここでカット、あとは過去歴から御覧あれ! )
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2005年01月03日(月)
1371, 人生における成功者の定義と条件−1 −読書日記
大げさなタイトルだが、面白い内容である。 作家の村上龍と各界の著名人との対談集。
「これまでの成功者のイメージを壊したいという気持ちがあるんです」お金でも地位でも名声でもない“成功”の定義とは何か?
格差が顕著化し、価値観が多様化する日本において、“成功者”とはいったい誰なのか?仕事と人生について考え抜いた著者が
5つの職業の第一人者と語りつくしている。 終身雇用制度が終わろうといている現在、過去の成功の定義はゆらいでいる。
まえがきの最後に人生の成功者というのは、その人の人生における目標を達成した人という言い方ができるかも。
それでは人生のおける目標とは何かというと「生活費と充実感を保障する仕事を持ち、かつ信頼できる小さな共同体を持っている人」
と言う仮説を立てて論じている。しかし充実感と生活費のだけでは何か足りないような気がする。
現代では、平均以上に金を稼ぎ、出世する確実な方法はない。つまり良い学校に行って、いい会社や権威のある役所に入っても
成功者になれるかどうかわからない。それが、今の子供たちに勉強のモチベーションを失わせている。
価値の多様化でも旧来の成功モデルが機能しなくなっている今、あえて成功者の新しい定義と条件を示す事は無意味ではないと
あって本文が始まっている。大きな時代の変化の中で、どうしたらよいのかの問いかけとしてのヒントを与えてくれる内容である。
むしろ、よい学校に行って、よい職場に入って、人並みに良く生きて、定年をむかえた後に、
自分の人生とは何だった?と初めて気がつく人たちより良いのかもしれない。
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「人生における成功者の定義と条件」著者ー村上龍 NHK出版協会
次回は、その内容を抜粋して、考えてみる。 −つづく
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2004年01月03日(土)
1004, 正月の過ごし方
基本的には寝正月だ。元旦は、墓参りとTVと自宅に訪ねてくる兄一家と酒を飲む。
2日は家内の柏崎の実家に行って、お節を食べるのが習慣になっている。近くの料理屋のものだが、絶品である。
?万もするとか。お節だけは恒例で贅沢をするという。実家では子供の時から、「まるやま」という魚屋のお節をとる。
内容は家内の実家の方が、倍位は美味しい。 魚屋と料理屋の差は歴然としている、仕方がないが。
2日は家内が子供と実家に泊まる為、一人で帰ってきて何処かのスナックで酒を飲む。
今年は家内が日帰りの為に、家でおとなしくしていた。年末年始の挨拶は一切なし。
図書館で読んだ月刊誌の中で、正月に対して今の若い人は以前ほどの思いいれはないという。
むしろクリスマスの方に思い入れが強いとか。 正月に対する若者の意識の変化は家庭崩壊の一つの現象と、
筆者が分析をしていたが、少しオーバーに思えた。日本では年越しにマトメテ年をとる習慣があったのも年越しの
思い入れにあったのだろう。 田舎や実家に年二回帰る習慣はやはり根強い。これを書きながら、実家以外で正月をむかえた事の
少ないのに気が付いた。 初めて勤めた年に神戸で宿直をしたことと、7〜8年前にタンザニアの年越し位である。
あとは全て両親か母親と供にいた。実家は私が引き継いだ為に、いまも実家で正月を過ごしていることになる。
反面、タンザニアにしても、神戸の宿直は強烈な思い出がある。
以下をコピーしておきます。
-H10・01 タンザニア・サファリ -
(字数の関係でカット09年1月03日)
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2003年01月03日(金)
630, クロスエンカウンター
仏教学者の紀野一義の講演会で
「ー縁ー の英訳で迷った訳者がキリストの十字架との出会いと人との出会いを兼ねてクロスエンカウンターと訳した」
という言葉が印象的であった。先日読んだ野口悠起雄の本に大蔵省にいた時に先輩に「急に出先で講演を依頼された時などの
緊急の話題をつくらなければならなくなった時に、縦軸と横軸のキーワードを探して話をまとめるとよい」という内容があった。
一つの例として学校でのケースで考えてみると先生を縦軸、生徒を横軸にすると面白い内容になる。 即興で作ってみると
「生徒を縦軸、先生を横軸に考えてみると生徒と先生のそれぞれの立場が明確になる。 生徒の一生を縦軸とすると、
先生やクラスは大きいメルクマールであり、知識や性格形成にとっても大きい影響を与える。逆に先生の立場を縦軸とすると、
教師生活での担任は先生にとってもメルクマールになる。その時々のクロスこそ教師にとっても生徒にとっても
真剣勝負でなくてはならない・・・」このことは時間が縦軸、空間が横軸といえる。
商店主の会なら、店主とお客の関係を縦横にして話の構成をすればよい。取引先と店も縦横にできる。
これをもう一歩進めて「考える中心軸」にすればよい。対象を縦か横にすえて自分との対比とか、対立する対象を縦横にして
考える軸にすればよい。 一生はクロスエンカウンターの繰り返しである。そしてその中心は自分だったり神様だったりする。
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2002年01月03日(木) 289,歓喜
「歓喜ー>理智ー>意志ー>気ー>肉体」
私にある知人が転勤で引っ越していく時の挨拶の文書に書いてあった文章の一文である。「生きてきて人生これだと思う」
という内容だった。その時私がこの文章を解釈するために考えた「たとえ話」がある。 実を言うと私は「たとえ話」を
自分の思考法に昔から使っている。喩えの名人になってしまった?いや迷人か。この時の喩えは、巨人の9連覇の選手である。
彼らの多くが監督、コーチになっている。もちろんそれだけの才能があったからだが、多くの試合と優勝積み重ねの中で、
上記の内容を全身全霊に体験したからである。勝ち癖ををつけろということは、こういうことである。
どんな奇麗事をいっても所詮「歓喜ー>理智ー>・・・」の経験にかなわないのは、それは理智に留まっているからである。
秘境ツアーにいそいそいくのは、自然・歴史の中の対象に感動し歓喜するからである。
薬物とか、酒でそれを求めると「歓喜」のそれだけになってしまうから、不自然のカタチになってしまうからだ。
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ある時間の断片
1月3日 1969年
10時に実家の店に手伝いに行く。17時まで働く。あまり街には人出はない。家に帰って食事をする。
22時から本を読む。そういえば店にいたら中学校の同級生の山本に会う。
中学校以来だが、殆ど変わっていない。実直な大人しい男だ。長崎屋に勤めているとか。
同級の阿部さんと遠藤が結婚したという。思いもよらない組み合わせで驚いてしまった。
そういえば数年前に同級会の2次会で二人が中座をした事を思い出した。
それと姉の正子さんに長靴を買ってもらう。お返しに、持ってきたカーネギーの「人を動かす」を贈る。