* アフリカに魅せられて ー2
 以前にも書いたが、ケニアのマサイマラにあるマラ川のヌー河渡りが圧巻だった。
「ヌーの河渡りツアー」に参加したのだが、10人のツアー仲間とサファリのプロの日本人がつく。
サファリカー二台の分譲して、マラ川の近くで、ヌーとシマウマの群れが集結するのを待つ。そして、遥か彼方に
集結するのを発見すると、気づかれないように近づき渡る瞬間を待つ。30分、一時間は待たされる。そして次の瞬間、
地響きをあげて川に飛び込む。 それを隠れ潜んでいるワニが力強いあごでヌーやシマウマに襲いかかり、水の中に引きずり込む。
そこは生と死のドラマが繰り広げられる。それが緊張に満ちており、感動的である。それまでTVで何度か死闘を見たことがあるが、
生(なま)の現場でみると迫力が全く違う。 河渡りの途中に襲われ、一度水中に引っ張り込まれたシマウマが最後に、
ワニを振り切って生還する場面が圧巻であった。 また、渡りきった後に、水辺から上に登ろうとするが、
力尽きて河に流されていくヌーと、力を振り絞って何とか登りきるヌー。 それを近くの藪の中から見るのである。
正に生と死のドラマの真っ只中で見る。 アフリカのサファリに魅せられるのは、生と死の狭間で動物が大自然の中で生きている
エネルギーが直に感じることが出来るからである。 動物園内のライオンやシマウマと、野生のそれとは全く違うのである。
最近、Youtubeで、ライオンなどの狩りの撮影が投稿されているのを見るが、これも迫力がある。
 私が参加したチームの6割がリピーターで、ヌー・クラブをつくって東京で会合を開いているという。
都会生活に疲れ、癒しを求めているという。 「オンリー・ユー」をかけて「オンリー・ヌー・クラブ」とか。
ここで、驚くべき場面に出くわした。 現地のジープのドライバーが60歳近いシングルの女性に、自分を買わないか?と、
人が居ないところで言っていたのである。 本人は断っていたが。 更に金持ちそうな人にドライバーが家を買ってくれと提案された。
一軒が30万で買えるので、年に一度来たときは、家賃とサファリを差っ引きに出来るし、別荘をケニアに持つことが出来るからと、
真剣に考えていた。マサイマラに30万の別荘といえば、面白いといえば面白いが、トラブルの元になるのは火を見るより明らかだが。
 ヌーの川渡りも一度で充分だが、それでも強烈なサファリである。
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3082,対話とは何か
2009年09月12日(土)
 以前から新入社員教育でST訓練を取り入れていた。 会話しか経験のない20歳前後の新人に、
基本としての対話を教えるもの。 この元となる書を四十年近く探していたが、先日、偶然ネットで見つけたのである。
「ダイアローグ 対立から共生へー議論から対話へ 」デヴィッド・ボーム (著), 金井真弓 (訳) ーである。
さっそく注文をしたが、前の会社を含めると30回前後の訓練をしてきた。
これは訓練をされる方より、指導するほうが勉強になる。 驚くのは若い人が、この訓練をすると見ちがえるほど変化する。
相手が何を言わんとしているかを把握して、今度は自分の考えを言葉にして相手に伝える基本中の基本である。
学生時代に武澤ゼミで一年間、15人位のグループでみっちり鍛えられ、更に金沢の新人教育で罵声の中で鍛えられた
経験から、見よう見まねで指導してきた。 そして30年近く、自分が一番得るところがあった。 
相手の話の筋道を聞き取るのは当たり前と思うが、私の知るところ3割もいない?。
一度、自分の脳の中に言葉としてインプットして、こんどは相手に向けてアウトプットするのは、厳しい訓練か、
ハードな上司に鍛えられないと出来ないのだろうか?  哲学者の池田晶子が、その著書で
「対話とは、普遍の理性によって、個別の事柄について、その理非曲直を論じ合うことである。
それは相手が誰とかは関係なく、原則に貫かれるべきことである。」と述べている。
 −そこでネット検索で「対話」を入れて調べてみるとー
 対話(ダイアローグ)とは、「ダイア」(通る・流れる)と「ロゴス」(意味・言葉)
 を語源とするギリシャ語からきている。 そのため対話の基本姿勢としてつぎのようなことが大事となる。
・徹底して言語化する。 言葉にして初めて存在する
・知識と経験を共有する。 言語化された意見・知識・経験は共有される
(ただし、それ を持っているから優位な立場になるわけではない。言葉を個人から切り離すことが重要)
・「目的を持たずに話す」「一切の前提を排除する」など実践的なガイドを織り交ぜながら、チームや組織、
 家庭や国家など、あらゆる共同体を協調に導く、奥深いコミュニケーションの技法。
ー以上だが、地頭が良いということは、自分の地言葉?(私の造語)を持って、真剣に現象と対話することである。
 現象の背後にある構造を読み取ることである。これは難しいことだが、最後の最後は、これしかない。
 それを対話の中から互いに引き出すのが目的である。 神との対話、本を通した著者との対話、
 販売データーを通した顧客との対話、コンサルタントとの対話、知人との対話、等々、色いろある。
   対話が出来ないじゃなくて、対話段差の違い? ということか? 
   人の話を聞こうとしない人、知ろうとも思わない人が多いが、それは「程度」ということ?
 この随想日記も、考えようによっては、対話をしているのだろう。 自分と、読んでくれている人と!
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2717, iPhoneその後
 2008年09月12日(金)
購入をして45日になる。自宅と会社の事務所の机に上には、オールイン型のiMacのパソコンが置いてある。
また、8GのiPodもあるので、必要ないといえば必要は無いのである。
しかし、新しいもの好きな者にとって、これは身近に手を取ってみたいもの。
実際、現在も携帯電話に戸惑っている。 もちろん携帯電話機能は、既存の方が使いやすい。
デジカメ機能もデジカメの方が良い。じゃあ、何が良いのか?といえば、
携帯電話と、デジカメの多くの機能が付いた小さいパソコンを腰ベルトに付けておくことが良いのである。
ただ、それだけ。 携帯電話のように、時間の経過とともに身体の一部になるのだろう。
マスコミでは、思ったより、これが売れてないといわれ始めた。しかし時間がかかるだろうが、これは売れる。 
多くのメーカーが、携帯電話を、このカタチに近づけてくるだろう。
これはハシリのマシーンで、これを出発点として進化を始めるだろう。
この欠点を並び立てることは幾らでもできる。
・何であるが、中途半端である。
・電池が、みるみる減る。
・携帯電話としてはでか過ぎる。   等々。
恐らく、私のように携帯電話を使いこなせなかった中高年が興味を持つだろう。
現在、何でいま一つヒットしないのは、女・子供に行き渡ってないからだ。
彼らは、あまりに現在の携帯に適応しているのである。で、お勧め出来るかって?と言われると、
私のように趣味として割り切ればよいが、携帯電話を使いこなしている人は、1〜2年は様子をみても良いんじゃないですか、
である。でも、昨日のように東京にセミナーに出席した時に、小さなパソコンが腰についていると
何か奇妙な感じのことは事実である。 未来が現出しているオモチャ、と思えばよい。
それでは、携帯電話に戻しますかというと、いや、これがよい、ということ。 それが現時点の感想である。 
使い出した初めは、携帯電話の方で良かったのに! と思うだろう。
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2007年09月12日(水)
 2353.ベナレス・・・9
 12、母なる河ガンジス
日本の文化や精神性を象徴するのが富士山であるとすれば、インドのそれは間違いなくガンジス河である。
ヒマーラヤの山間部ガンゴーツトリー氷河に源を持ち、勢いよく南下して平地に達成するかがわかる。
日本では英語のガンジスの名で親しまれているが、インドではガンガーと呼ばれ、女神そのものもと考えられている。
神話によれば、バギーラタという王が先祖の犯した罪を浄めるため、神々に懇願し苦行を重ねた結果、罪障を洗い浄める
力を持つたガンガー女神が天界から地上に流れ下つたのだとされる。 それ以来、ガンガーはあらゆる人びとの罪障を浄め、
より良い再生をかなえてくれる聖なる河として崇められるようになったという。ガンジス流域から離れた場所で
儀礼を行う際も、その土地の水を入れた壺にガンジスの聖水(ガンガー・ジヤル)を一滴でも注げは浄められるというほど、
この水は霊力を持つと信じられている。ヒンドゥー教徒はこの河で沐浴するときには母なるガンガーに身をゆだねる
安堵感にひたリ、また、死んだときには母に抱かれてヒマーラヤに帰っていくことを願って、ガンガー女神に篤い信仰を捧げる。
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解)死体を流す川での沐浴。そして、その近くで骨の中から指輪などの貴金属を川の中からあさっている人たちの姿。
なんともいえない悠久の流れがそれらを全て包み込んでいるようであった。
インド、特にベナレスは一度日本人は行ってみるべきである。 死はサシたる事ではないと思えるようになるから・・
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 13、大いなる火葬場
ベナレスには「大いなる火葬場」という別名がある。ヒンドゥー教では浄・不浄を厳しく峻別する観念を持っているので、
ほかの都市では火葬場は人の眼に触れない場所にあるのが普通だが、ここでは人びとのもっともよく集まるガンジスの
岸辺の二か所に火葬場がある。
市街の中心に近いマニカルニカー・ガートはそのうちの大きい方で、二十四時間火葬の煙が途絶えることがない。
ここに運ばれてきた死者は、まずシヴァ神を祀るターラケーシュワル寺院のリンガのそばに安置される。
死者の耳にシヴァ神がターラカ・マントラ(救済の真言)を囁くことで、生前いかなる大罪を犯した者でも解脱できるという。
死者がガンジスの水に浸され、火葬の薪の上に載せられると、喪主が火を付ける。
遺骨は火葬場の仕事をするカーストの人たちによってガンジス河に流される。
ちなみに、子供と出家遊行者は奈毘に付されず、石の重しをつけて河の深みに沈められる。
子供はまだ十分に人生を経験していないから、また出家遊行者はすでに人生を超越しているからだといわれる。
ヒンドウー教徒は墓を持たないが、命日などには祖霊供養を欠かさない。また、遺族が遠方から遺骨を拝参してガンジスに流し、
バラモンに供養の儀式をしてもらつている光景も眼にすることができる。
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解)まあ、私も自分の骨をガンジスに流してもらう遺言でも書いておこうか?
面白いじゃないか、自分も聖なる川に流されると思えば! 変な輪廻に巻き込まれるか? いや、大丈夫である。
それにしても、火葬場の街とは、凄い世界である。この街と、ガンジス川の火葬場と日の出は、実際に見てみないと、
その神聖さと、そこに漂っている死の匂いはわからない。とにかく、ここは一度見ておいた方がよいところである。

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2006年9月12日
1988, デジタル一眼レフカメラ −2
 (。^0^。)ノ オッ(*^○^*) ハ〜 ヨウ            
今回、「初心者用のデジタル一眼レフ」を買うについて、色いろ調べたが、結論として、
・キャノンのEOSKissデジタルNと、 ・ニコンD200と、
ソニーα100と、        ・パナソニック一眼L-1LUMIX に絞られた。
何ということはない、「ヨドバシカメラの売れ筋コーナーのエンド」に並んである順である。
さらに値段と、メーカーと、売れ筋を、インターネットで調べた結果、最後の選択はソニーというブランドと、千二十画素と、
手ぶれ補正機能と、CCDにゴミがつきにくいアンチダスト機能など、全て採り入れてあったソニーのα100に決めた。
パソコンやTVなどソニーの商品を買ったときに、記億媒体やソフトの共用の可能性も判断材料であった。
ソニーが、デジタル一眼レフに参入する為の機種が悪いわけがない。 私のお勧めはソニーです。
そして現在は当店で一番売れてます!」これが、ヨドバシカメラの担当のお勧めの殺し文句である。
今回のケニア旅行で使って後悔をしなかったのだから、良かったのだろう。
コンパクトデジタルなら買え替えも気楽にできるが、一眼レフは少なくとも10年は付き合わなくてはならない。
望遠や広角レンズを徐々に買い揃える?ことなど考えると、慎重になりざるをえない。
型落ちの4〜5万円の5〜6百万ガソの一眼レフとも考えたが、ローンにすることで、思い切ってこれにした。
いつも安いものを買ってしまって後悔しているので・・・
最近、冷蔵庫、コンポのステレオ、このカメラにしろ、買い替えをする時に、「冷蔵庫として最後の買い物かもしれない」と、
その度に思うようになった。 そうみるとシビアな感覚になるが、60歳過ぎの心象であろう。
洗濯機と、電子レンジが寿命間近かだが、その時も同じことになる。そう思いながら楽しんでいるだけだが・・ 
しかし、やはり・・・
                     さむ~ ○=(≧Σ≦)へっくし             
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2005年09月12日(月)
 1623, 自民党大勝
予測どおり自民党が歴史的大勝をした。 反面、民主党が惨敗である。
これで自民・公明で三分の二を占め、郵政改革案は確実に成立することになった。
自民党の郵政反対派が34人のうち18人も当選したのが意外である。三分の一になると思っていた。
綿貫と亀井が当選したのも、地方の民度の低さをそのまま現していた。 この二人は落とさなくてはならなかったが。
これで、参院が法案を否決をすると面白くなってくる。参院の存在そのものが、無用になっているのは誰の目にも明らか。
コントロール機関であるべき存在が、害悪そのものでしかない。二院制度は激変の時代には、時間がかかりすぎである。
何回もここで書いているが、郵便局の存在価値が全く無くなってしまった。それを国民が知っている。
宅配便と郵便局のバイクのオジサン、どちらが合理的で社会の役に立っているか、誰の目にも明らかである。
『くちなしの花』の、「ゆうびんや(指輪)も まわるほど、・・・」ではないが、もう歌謡曲の世界の存在でしかない。
謡曲は必要だが、郵便局は不要である。それを誰も声高々に言えないことが、この事態を生み出してしまった。
今回の判断は当然の結果である。思い切った国家リストラをしろ!という国民の声である。
ただ自民党の体質がそれを許すかどうかは、大いに疑問がある。小選挙区制度のあるべき選挙の姿が現れた選挙であった。
まさか、ここまで大勝するとは思っていなかった。二大政党から、自民圧倒の「一大政党」の時代になってしまった。 
                                           時代は大きく変わる。
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2004年09月12日(日)
 1258, 人生のセイムスケールとは?
最近、個人のホームページが、注目を始めているという。趣味を写真や文章で、個人のホームページに表現し始めてきた。
このHPもそうだ。10年も経てば、(あくまでも私にとってだが)膨大な資料館になる。
自分の情報基地を個々人が持ち始めて、ここにきて時間と供にカタチになり始めてきた。
ネットウエーブをしていると、最近思わず唸るようなものに多く行き会う。ほぼ毎日、新聞の死亡欄を見ているが、
自分の年齢の前後から下を見て、その数を数えている。今日は一人もいないとか、5人とか。大体15?である。 
歳を重ねると間違いなく、その比率がドンドンあがっていく。山田風太郎の『人間臨終図鑑』に、
年齢別に亡くなった有名人と行蔵が分類してある。山田風太郎が既に先陣をつけていたことを知らないで、
2001年7月9日から実行していた人がいた。途中で風太郎の『人間臨終図鑑』に気がついて、その時から勝手に
二代目・風太郎として、その遺志を継いで、その後、こつこつと書き溜めて1200人以上になろうとしている。 
この人の趣味のようだが、そのプロセスで多くの人の行蔵と魂を知ることが可能になる。実際始めたら病みつきになるだろう。
サロンに、このホームページのアドレスをコピーしておきます。とにかく面白い。自分と同じ年齢をクリックすると、その歳で
亡くなった人が出てくる。何か自分が情けなくなる感がしないでもないが。この作業は、膨大な時間とエネルギーを使う作業。
好きでないと出来ない。 この人の最後の文章がよい
ー「大きな物語」の喪失した現在、「小さな物語」の集積とネットワークによる「終わりのない人生の森の物語」は、
どこへ向かうのだろうか。ボクにはわからない。ただ言えることは、この「おつとめ」をするためにボクは今生きている。
 ーセイムスケール(空間のセイムスケール)
建築の世界では、新しい建物を計画する際、よく知られた古今東西の建物の平面図や立面図を同じサイズ、スケール(縮尺)
で並べて空間の大きさや高さ、・・・
(以下、字数制限のためカット 09年09月12日)
http://www009.upp.so-net.ne.jp/artrandom/samescale/index.html

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2003年09月12日(金)
 891, 9・11に思う
アメリカの9.11テロから2年が経つ。この日を境に世界が変わった。アメリカにとって、テロとの全面戦争に入った。
無条件に「テロ容認国家とテロ集団を破綻させる戦い」に全てのエネルギーを注ぎ込む決意をしたのだ。
100年戦争の突入である。まずはアフガニスタン、そしてイラクである。いまイラクの戦後処理に手こずっているというが、
そんなもの当初からの予定の範囲でしかない。 次は北朝鮮、そして中国。ロシア?とは取引済みのことは当然。
表面はポーズで和平交渉をしているが、戦争をするための一里塚でしかない。まずは、兵糧攻めを徹底的し、戦争をせざるを得ない
状態まで追い込む。そして、戦争は至極当然に始まるだろう。その間にある日本は一番の標的になることは間違いはない。
 私の9.11の出来事があった。丁度その時、私が居間のTVの前でうたた寝をして、寝室に行こうとしていた時であった。
就職をしたばかりの下の子供が帰省中であった。寝室のTVで二人はその事件があったことを知っていたが、居間で私と交代のタイミング、
歴史的事件と解っていながら無視をして黙っていた。寝室から開放されて、居間にきたのに今更呼ぶことがないと。
翌日、初めてその事件を知ったが、二人はそんなことは全く知らぬ顔。たまに帰ってきた子供と家内に怒ることも出来ない。
これが私の9.11であり、家内の私に対する可愛いテロ?である! テロの後の一ヶ月はライブで見たか見ないかが話題の中心。
ライブで見たという話を聞くたび腹がたった。多くの人が見ていたのには驚ろいた。
今でも9.11になると腹が立つ。 昨夜その話をすると、「『ありがとう』を回数いっている割に
くだらない事に拘っているのね」と軽くいなされてしまった。 まあいいか。
 --今日から、一年前と二年前の同日の随想日記をコピーします。
暇だったら、読んでください。 三年日記帳のつもりで読み返す習慣をつけるためです。
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2002/09/12
 勉強方ー速読法
昨年から今年の前半は、ホームページ立ち上げとその為のパソコンの勉強であった。
今年の前半からは、「読書法と文章作法を中心とした勉強法」に集中した。
特に読書法の方法論が目から鱗という内容が多く、じっくり
身に付けるというより、いろいろな方法論の知識に気がいった。
しかし読めば読むほど、それだけ吸収力が確実につく!更に集中力とポイントの把握が飛躍的に付いた。
空の上から下の動物の群れをみる鷲のような感覚が強くなった。 共通の内容は大体がこんなものだ
まずは前書き、後書き、目次を集中して読んで骨格を把握。−これは10年以上前から実施していたが。
・キーワードをさがす。
・図や箇条書きや太字のところを読む。
・それが終わったら最後の章からポイントを探しながら、一とおり流し読みをする。
・常に目次をベース基地にして各論を読む。
・旅としての読書か、旅行としての読書かハッキリ分ける。 (読書そのものを楽しむのかーA、
 知識を多く得たいのかーB) 両者の速読の仕方がまったく違う。前者ープロセスを楽しむにも早読法がある。
次がこの1年間に仕入れたポイントである
・目をスキャンに例えて、 一ページをなぞる、そして半ページをなぞる、
  4~5行の段落でなぞってから2~3行ずつ飛ばし読みをする。ーー A、B両方可能
・とにかくページをパラパラと何回も目を通す。  ーーB
 目から脳に多くの情報が無意識で取り込まれるという。
・間違っても、初めから終わりまでまともに読もうとしない。
・段落の初めの2~3行を読んだあとは、流し読みをする。 
 ー大体が10~20行で段落になっており、一目で塊りは分かる。
その一割の2〜3行に大部分の情報が載っていることが多い。−−B
自分で発見した方法は
・折込をいれる。ー前書き、目次、後書き、項目、図、まとめ箇条書きに。大項目ほど折込を大きくする。
・マーカーを引くより、ポストイットを縦に半分にきり、その部分の上に 貼り込む。
・とにかく繰り返して読む。  一冊に重要なポイントは少ないと 割り切ってしまう。 
 −本より3~4つの最重要の部分のつまみ食いで十分と割り切る。
実際のところ本はまだまだ情報化とはいえ、まだまだ一番の情報の宝庫だ。 また合理的手段である。
・・・・・・
2001/09/12
 [142] 宗教戦争
今朝おきて初めてアメリカのテロのニュースを知る。
・株を持っていなくってよかった!
・次に全面宗教戦争の可能性!
・そして恐慌の引き金にならなければよいが!  まずそう思った。
3日前の日曜日TV映画で、イスラム系アラブ人によるニューヨークのある地区の無差別テロの
「マーシャル・ロー」というのを見たばかり。 さすがアメリカ映画と思ってみていた。
それは劇場公共の場を狙った無差別テロで、今回のテロに酷似していた。かなり迫力のある内容であった。
その桁違いの内容が現実に起きようとは思っていなかった。 21C最大のニュースと解説が言っていた。
厳重な警戒態勢の中で行われたのが重大だ。 今日から、戦争・恐慌も含め何が起こっても不思議でない。
数万でなく、数百万単位の死者の起きる戦争になる可能性がある。 恐ろしい事件だ。