* 村上龍カンブリア宮殿
 以前にサエゼリアについて書いたことがあるが、大不況の中で最近、再び注目を浴びている。
テレビ東京に「カンブリア宮殿」という村上龍がメインナビゲーターの番組がある。それぞれの会社のトップを
インタビューをしながら、成功の秘密を探る番組である。先日、珍しく家内が自主的に録画をしてくれた番組を見た。 
 私たちは「サエゼリア」のファンである。 家から100mにあるのが最大の魅力だが、兎に角安い。
同じSC内にあるスーパー原信の惣菜よりやすい感がする。それと、高校生からファミリーや私たちの年代まで
気楽に入れる雰囲気が良い。 しかし、そのサエゼリアを褒めると、次男や会社の副支配人は顔をしかめてしまう。
「あんな女、子供の屯している煩い店。それに料理は美味くも不味くもない味。イタ飯なら少し高い店が良い」云々。
「世界中の美味しいものを食べつくして、好きというのだから、そこを斟酌しろよ」といっても、思い込みは変わらない。
「美味いものは、癖がある」ので、時たま食事に行くには良いが、度々ならば、あまり美味くない方がよい。
食べたことを直ぐに忘れてしまう程度がよいのである。まあ、趣味の問題。 ところで、何時も気になっていたのが、
そのシステム。 特に厨房内である。 この番組で紹介していたが、あれだけの客席の厨房に店員が一人には驚いた。
サエゼリアの社長の話していることは、ペガサスの渥美俊一のオウムカエシだが、忠実に実行しているところが凄い。
 ーTV東京の番組紹介から ー         
イタリア料理専門店のファミリーレストランサイゼリヤは「安さと美味さ」で勝負。創業以来右肩上がりで
売上849億円を叩きだす。しかも、この飲食不況でも全く影響を受けない。42年前、街の小さな洋食屋から
スタートしたサイゼリヤが、今や800店ほどのチェーンストアの巨大企業に成長。 その秘密を追う。
スタジオのゲストは創業者で現在サイゼリヤ会長の正垣泰彦。正垣は大学で理論物理学を専攻。 大学4年生の時、
起業したが、客はさっぱり来ない。そこで質は落とさずに定価の7割引をしたところ、今度は大繁盛。
その時、サイゼリヤの経営哲学である「安くて美味しければ客は来る」ことを確信した。
同時に、フードサービス業を水商売ではなく、しっかりとした産業に育てて社員を幸せにすることを目指した。
そのためにはじめたのが徹底的に無駄を省く生産性重視の経営。しかも、理数系の正垣らしく合理的なデータ分析を重視。
その現実を、レストランと自社工場、自社農場で見ていく。レストランの厨房には何と、包丁がない。フライパンもない。
しかも店員ひとりで調理している。究極の人件費削減。その訳は、食材が自社工場ですべて加工されていたのだ。
 その神奈川県にある工場では毎日、東関東580店舗分の食材11j;:\重油・イオl。ムがあった。
正垣は「サイゼリヤは農場・工場・レストランが一体となった生産工場だ」と言う。
その徹底した効率重視の経営には低賃金のフードサービス業の現実への憤りがあった。 
正垣は「社員が一生、家族を養っていけるだけの給料を払い続けられる会社にしたい」という。
本社の会長室には、正垣の母が贈った言葉が飾ってある。それは「驕らず、謙遜に生きよ」というメッセージ。
そこに「サイゼリヤに関わる人すべてが幸せに」という正垣の原点が見える。
 ≪ゲストプロフィール≫  サイゼリヤ会長 正垣泰彦
1946年 兵庫県生れ。 1964年 東京理科大学物理学科入学  1967年 大学4年生の時、洋食店サイゼリヤ」を開く
1973年 多店舗化を視野に法人化、株式会社サイゼリヤを創業 1997年 フードサービスの産業化を目指し、食品工場を設立
2000年 福島県に自社農場を設立 現在、国内799店舗、海外46店舗を展開
 〜〜
ニトリユニクロ、100円ショップ、サエゼリア、そしてネットショップのアマゾンの中古本販売システム。
この、どれもこれも、機能や素材、そして工場の海外委託、中間流通のトレードオフで破格の価格破壊をしている。
どれもこれも、私の人生の力=創造の分野で、やりたかったことばかり。といって、それはそれと諦念しているが。

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2744, 劇的な毎日が刺激的だが、凄惨な日々が待つ?
2008年10月09日(木)
 *東証が1万円割れ、NY株も一万ドル割れ

株式がジワジワ下げてきたが、二日前に日米ともに一万割れになり、現在は9200円近くに下がり続けている。
次は前回の下げの7600円が目安になる。 状況からいえば4000円でも不思議でない。10月中は一万台は持つだろうと
思っていたので、驚きである。9月15日から始った金融恐慌の波は日ごと大きくなってきている。 
東証株価は去年の同時期からみると45%の株価の下げになる。企業も、個人投資家にとっても大きな痛手になる。
ホテルは景気に直接影響を受ける商売。小団体が何組か入っているので現在のところは数字は出来ているが、
それを除くとマイナスである。駅前の飲食街も、このところ立て続けに長岡の飲み屋街に行っているが、
どこもホボ客は皆無。深刻をとおりこした状態である。 事業所のある新潟駅周辺の飲食街も殆ど歩いていない状態! 
なるほど、これが恐慌前夜の状況かと・・心の底ではアメリカの金融崩壊に拍手を送りたいが他人事でないのが米国属国の悲哀。
まずは欧州に飛び火をして大きな影響を出ているようだが本格的な危機は、これからである。
あのGMの倒産確率が95%、そして次の金融機関のターゲットはシティー・バンクだが、最近のニュースでは
バンカメの株が26%暴落し$23になっており、一気に経営危機が表面化し、近々に$20を割り込み、$10をも
割り込む暴落状態の可能性があるという。もし、シティーとバンカメが消滅したら、世界は最大級のパニックになる。
ソ連の崩壊を目の当たりにして驚いたが、今度はアメリカの崩壊過程を連日目にしているのである。
色いろのブログの中の生々しいレポートによると、アメリカはパニックで金融恐慌の話題一色という。
一ヶ月も経ってないのに、連日飽きもせず金融危機のニュースが飛び込んでくる。
それが日ごと深刻な内容になる。十月から十一月にかけて、更に大荒れになるだろうが、金融危機は、我われの生活に
直接に影響してくるから深刻である。現在進行中の一連の出来事は、私が生を受けて最大の事件である。
家内がTVで誰かが『日本は破滅だ〜』と言っていたとか、NHKのニュースで急遽上場を延期した会社社長が、
「台風と、サイクロンと、大地震が一度に襲ってきたような状況の中で不安で延期するのが当然のこと」
と言っていたが・・・・ 恐ろしいことは、アメリカの大統領選挙でアメリカの頭脳が麻痺していることだ。
大統領の交代時期が来年の一月というから、一番重要な時期に手を打つべきことが最小になることだ。
現在の日本にも同じことがいえる。 それでも十数年間にわたり金融に関しては合理化をしてきたので
金融バブルは最小だったようだが?  恐慌は数年間で大小の会社の半分は消滅するというから、
せめて自分のところだけは生き延びないと! サバイバルの世界に入ったということだ。
イラクは早々にアメリカ軍は撤退だろうし、北朝鮮も金が回らなくなって政変間近になったし、中国も荒れるだろう。
恐慌は国際間の緊張を呼び込み世界戦争への道を作っていく作用がある。 恐ろしい状況である。

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2007年10月09日(火)
2380, ハンモックのある生活
                  才ノヽ∋―_φ(≧ω≦*)♪
「ハンモックを二つ買った」ということは、他のコーナーで写真付で書いた。
一つは2Fの居間の隣のベランダ用に、一つは室内用のハンモック・チェアーである。
この三連休、非常に有効に使っていた。このハンモックの脚に古い靴下を履かせ、本を読む時、TVを見る時と、
居間の中を気楽に移動できるようにした。その為、居間がこれ一台で様変わり、もう数年もあったかのように鎮座している。
我々は座っている時、寝ている時、身体にベッドや椅子の接触面に重圧がかかる。
そして、それが当然のことと思い込んでいる。寝ている時に何度も寝返りをうつのは、それに耐えられないからである。
ところがハンモックは、その接触面が網のため重圧が最小になる。 さらにブランコのように揺れる。
それが不思議な感覚になるのである。 その妙な経験すれば、その浮遊感の虜になるだろう。 コンパクト・ハンモックは、
「網で出来た揺れるベッド」ハンモック・チェアーは「網のブランコ」という感覚であり、網が身体を包み込む感覚と浮遊感が、
異次元世界の入った気分にさせてくれる。ハンモックといえば、木と木の間に網を吊るして寝るもので、
日常の生活とは無関係の存在であったが、吊るす木の替わりに鉄パイプを組み立てて(コンパクトにすることで)
何処にでも設置したのは知恵の産物である。家内は新しいものを拒否するタイプ、当然居間の中に異物が入ったため、
この事態をどのように判断してよいのか、戸惑っているようだ。常に一週間は文句をいって、その後は黙する。 
Xチェアーのデザインが居間とフィットしているので、時間の経過で、その拒否反応は解決するはずだ。
ますます、カウチポテト族か 馬鹿になる!いまさらか。
(参考のために、コンパクト・ハンモック=5000円、Xチェアー=16800円。税送料込み)
             ☆ァディオス☆(`・ω・´)ノ フウ〜
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2006年10月09日(月)
 2015, ゴミ少女 −2
          (。^0^。)オッ(*^○^*)ハ〜 ヨウ
この写真とゴミ少女に対して論議を呼びおこし、多くの意見が寄せられたという。そんな中に写真家は、
ある日一通の気になるメールを受け取った。25歳の元・ゴミ少女からで、読んでいても説得力がある。
その彼女にあって藤原新也はインタビューするのだが、彼女たちの心の深層を見事に浮かび上がらせていた。
 ーまずは彼女のメールの内容であるー
私は、吉野さやか(仮名)といいます。25歳です。サイトで貴方の原稿を拝見しました。
で何かいいたくて打っています。私は彼女たちと地続きの人間です。
地べたに座っているときは、無敵でした。毎日、楽しくなさそうに働いている大人を馬鹿にしていました。
ギャルはギャルでないすべての者を見下しています。そうすることでしか、自分の存在意義を見出せないからです。
「ゴミ化」という言葉を使われていましたね。当初、藤原さんに否定されたと落ち込みました。
しかし、徐々に、確かにそうじゃないかと思い始めました。 独特の化粧をして、大きな声でしゃべって、
社会に反抗して、でも親は怖い。・・・援交をしていなくとも、その身なりから「公衆便所」のように見られます。
彼女たちは、自己を過大評価して強くなるしかないんだと思います。弱さの裏返しで、他人の足元をみて虚勢を
はるしかありません。 25歳ぐらいで、ようやく「自分が何者でもないことに気づくはずです。・・・
よい子が「よい子」になろうと頑張るように、いわゆる駄目な子も「ダメな子」像に自分を当てはめようと
必死なのだと思います。その後彼女とのインタビューとの中で、その彼女のゴミ化した原因を鋭く捉えている。  
ーその中で幾つかを抜粋してみるー
「母は私そのものを見ていませんでした。自分の理想だと考える「ぬいぐるみのお人形」
を私に着せて、それを見ていたんだと思います。私はそのぬいぐるみの暗闇の中で、いつも孤独だったんです。
その光の射さない中でじっと胎児のようにうずくまり本当の愛に飢えていたんだと思います。
母が見つめれば見つめるほど、私はぬいぐるみだけの自分になってしまうのです。
それは子供の存在がないネグレクト(無視)と一体どこが違うのでしょうか」
「私をぬいぐるみにしている母は偽者の母で、ある時からそんな偽者の母を、ただのぬいぐるみにしか見えなくなったんです。
何かぬいぐるみ同士が向かい合っている感覚っていうか。その母の着ているものを殺してあげたかった。
殺せばそのぬいぐるみの中から、胎児の中から本当の母が生まれるんじゃないかって。
そして私を閉じ込めているぬいぐるみの中から、胎児のままの私を取り出してくれるんじゃないかって。
母を殺せばそこで母が自分のものになり自分の本当の母に戻ってくれるんじゃないかって不思議な錯覚に陥っていたんです。
ぬいぐるみの母がこの世から居なくならない限り、自分の存在は永遠に消えたままじゃないかって、
そんな気持ちが渦巻いていたんです」
評)
非常に深い彼女の暗闇からの叫びである。母親の強力なエネルギーに押しつぶれされた娘の悲鳴である。
親が自分の都合でつくり上げた「あるべき姿」というぬいぐるみに押し込まれて、真の自分が暗闇に落とされてしまい、
死ぬほど辛い格闘が歪んだカタチに出ているのが、「ゴミ少女」たちの姿である。
私の中学校の担任の定年祝いを兼ねた同級会での、二次会のスナックの深刻な打ち明け話
「おい堀井!俺の悩みを聞いてくれ。定年を向かえた現在になり後悔しているのは、『自分の人生が無かった』ことだ。
両親が二人とも教師で現在も健在。ずっと同居してきた。もう90歳近い。そのため、二人の世界から一歩も出れなかった。
『自分の人生が無かった』と、この歳で後悔するほど辛いものはない・・」先生の言いたかった事は、この女性のぬいぐるみに
押し込まれた状態と同じである。もっと悲惨なのかもしれない。そのぬいぐるみを一生着せられてきた人生。
そういう私も、両親のぬいぐるみを着ている。少し違うのは、他のぬいぐるみを幾つか見たり着たりしてきたことだ。
そして、ぬいぐるみを作ったこと。しかし、同じじゃないかい、どっちにしても。
といって、後悔してはいない!そのぬいぐるみが好きだったからだ。   
 自由とは、このぬいぐるみからの脱皮であろう・・ 脱皮できないなら、
 演じきるしかない!大根役者で。    ただ後悔あとに立たず!であるが。
                  \(^▽^*)バイ!
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2005年10月09日(日)
1650, 北イタリア旅行記−1

9月30日〜10月8日まで北イタリアのツアーに行ってきた。 ミラノ、ドロミテ街道、べニス、ピサ、フィレンツェ
シエナ、チンクエテッレ、サンタマルガリーリグレなどである。何回にかけて書くが、今日は総括の感想を書いてみる。
実質、7日間の滞在中2日、雨になった。ドロミテの二日目と、ベニスの観光の日である。
特にベニスは期待していただけに残念であった。山や海は、荒れたら悲惨である。
ベニスはもし快晴であったら、すばらしいはずである。土砂降りでも、あれだけよいのだから。
イタリアは世界遺産の宝庫といわれ、39ヶ所もあり世界最多を誇っている。3千年の時が遺跡という形で、
そのまま残こっている。いかにローマ帝國が偉大なものであったか現在でも巨大な遺跡建造物から窺い知ることができる。
今回は遺跡は殆どみることはなかったが。オーストリアと国境を接するドロミテは峻険な山々の間を・・・
また美しいリビエラ海岸のチンクエレッテは・・・ これは明日書くので止めておきます。
それにしても、イタリア男は女性を見ると誰もかしこも、直ぐに口説きにはいるには驚いてしまった。 
女性の添乗員が、『イタリア男は、誰もかしこも女性とみれば口説きに入ります。
それは年齢とか、美貌に関係ありません。充分に気をつけてください。それがマナーと思っているようです。
イタリア男は、そのことしか考えていません』と言っていたが、なるほどその通りであった。
このところスイス、オーストリア、北イタリアと欧州が続いたが文明国は、このあたりで当分やめて秘境に切り替えである。
一年以上も海外に出なかったのは20数年来であるが、海外旅行はストレスの解消になる。
                   ー つづく                  
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2004年10月09日(土)
1285, 「北朝鮮人権法」

先日、何気なくニュースを見ていたら、アメリカで中国・北朝鮮に厳しい
北朝鮮人権法」が法案が可決、今後アメリカの政策はそれに従うという。
アメリカの法律を他国に適用しようという、アメリカの強引の内容であると、
解説で言っていた。これは北朝鮮にとって、宣戦布告を受けたと同じようなものである。
内容は
脱北者の保護を中国に要求する
アメリカ系「自由アジア放送」を一日4時間を12時間にする
・拉致された日本人・北朝鮮人の情報公示、彼等の本国への無条件帰還を認めなくければ、経済援助を認めない
北朝鮮の人権回復のために働く団体に年間200万ドルの資金提供、等々かなり刺激的なものだ。
 これでは、北朝鮮にとって大打撃になることは必定である。もっとも、当然といえば当然のことである。
日本も、これで今までの北朝鮮軟化政策を根本的に変えざるを得なくなるだろう。 今回の外務大臣の交代も、
かなり強硬派に変えたのも肯けた。先日の北朝鮮の「ミサイル威嚇」も、この法案に対するサインであった。
最近、北で大きな大爆発があったが、北の内部では何かが起こり始めているのは間違いない事実である。
これをキッカケとして、日本の世論も強行になっていくだろう。それに対して、北が暴発する可能性もある。
日本に対するテロや、ミサイルの再度上空に飛ばす可能性もある。アメリカも、大統領選挙に対して
有利にする為に、北に対して何かしてくる可能性もある。

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2003年10月09日(木)
ある時間の断片ー39

 11月13日 水曜日  1968年
8時起床。9時に友愛バザーの手伝いで文京区役所に行くが、実際は10時であった。
一時間近くを散歩をして時間を潰す。売り始めたが、さっぱり売れない。
仕方がないので寮の駒村を呼び出す。彼が来てから、俄然と売れ出す。
という事は私に問題があったからだ。如何して売れないかを考えなかったからだ。
16時に帰寮、20時から26時までゼミの予習をして就寝。
 11月14日
・9時起床。
9時半に大学に出発。 到着後、掲示板を見ていると川崎とバッタリと会う。
学生証を忘れてきたので、丁度良いので借りて学食で食事。
図書館に行くと雨宮君がいる。一時間近く話す。彼も面白い人間だ。去年新潟の自宅に二泊していった男だ。
典型的な都会っ子だ。進路を迷っているようだ。昼飯を川崎と食べる。その時、川崎に私の毒舌を指摘される。
彼に対して「隙と甘え」があったようだ。「価格理論」の授業に出席後、石川譲治と「ウエスト・サイド」
へいく。彼はいま私と感情のもつれがあり上手くいってない。かなり混乱しているようだ。
少し覚せい剤を飲んでいて、時々おかしなことをいうが。彼からは多くのことを教えられた。

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544, 「シャムネコという店」

  • 2002年10月09日(水)

10年前にある不動産を買った時のオ-ナーに紹介された店に「シャムネコ」という店がある。
 一年に1〜2回位行っている店で、知人などを新潟の古町に案内する時に連れて行くと喜ばれる店だ。
 一昨日に一年ぶりに行ってきた。この店の特性が面白いのだ。
シャム猫が3匹いて、この猫が接客をする。この三匹に序列があり、社長、専務、常務と言われている。ママは従業員という。
・店に入ると社長が挨拶に来て接客をする。自分の役割を知っているのが面白い。帰る時は必ず外のエレベーターまで見送る。
・つまみ等を口に持っていっても絶対に食べない。
・社長が疲れると専務が交代に出てくる、そして常務が最後に出てくる。序列が出来るまで、死闘がおこなわれたという。
・その店のいま一つの特性は整理をしない店の雰囲気を売っている。 雑然としているのだ。10〜15年前のビデオテープが
 置いてあったりする。阪神の掛布のテープがあったりして見れる。夏なのにコタツがそのままあったりする。
・とにかくそこに行くと休まる。自然体の不思議な雰囲気の店である。今はないが、ドアに一見お断りの張り紙があって、
 紹介される前に前を通り「変な店がある」という記憶がある。 その時は恐ろしくて入らなかったが。
・15〜6席あるカウンターが5〜6人も座れないほど昔の変なもので溢れている。
 計算ずくで逆転の発想で売っている店である。一年に一二度行くに良い店だ。

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[180] 創造ー1(心観学術態)
 2001/10/09

会社を作るときまずは
1、理念、 2、何をやるか  3、何をモデルとするか 4、どうしてそのモデルをカタチ化していくか、の手順を踏む。
 別の例をとれば医者の例がある。医者に子供の頃助けてもらって、自分も医者になりたいと誓いを立てるーこれが心、
 そしてその為に良い進学校に入らなくてはと考えるーこれが視点・観点である。
 そして勉強をするーこれが学である。そのうち成績もトップクラスのノウハウを身につけ、そして医者の卵インターになり、
 学び続け医者の技術を身につけるーこれがーこれが術である。そして医者になるこれが態である。
・心ー目的、中心点、目指すところ。  (芯・真・親・信・神・心・新・信・深・針・深
・観ー観点、視点  (感・観・勘・感・歓・完・歓・幹・肝・幹・
・学ーその視点から学ぶ  (楽・学・愕
・術ー学んだ結果身につく、熟練する  (術
・態ーそれがカタチとしてみえている  (態・体・諦
  心観学術態は、カタチ作りのシステムそのものといってよい。
・ 心ー会社の理念、個人の信念、国の国是−ー芯というところか!
・ 観ー心からの視点、見方といってよい(ある商社の部長が部下の女社員に手をだして妊娠させてしまった。
  帰りのの電車から、20数件の産婦人科のネオンが見えたという) たとえが悪いが、解りやすい!
・学ー観からの情報収集とか、経験から学ぶ。
・術ー学からくる、体質化、業態化、熟練化
・態ーカタチ 逆もある。業態−現象から学・観・心を観ていく