ジョーク・ハンターからいうと、面白いと思えるのは滅多にない。
 その時の自分の心情とレベルもあるから尚のことである。 
 ネットで調べても、ジョーク全集を探してもである。その中で、やっと次のを見つけた。
  ージョークあれこれー
* ある熱心なユダヤ教徒が神に祈った。
 「神様、うちの息子がキリスト教に改宗してしまいました。 どうしたらいいでしょう?」
  神様、答えていわく。 「うちの息子もじゃ」
                        解)好きだね、こういうのは!
*「 知ってるかい? ナポレオンが赤いマントを着ていたのはな、
  自分が流血しても部下にショックを与えないためだったんだとさ」
 「 それでわかったよ。 ヒトラーが何故褐色のズボンを穿いているのかが 」
                        解)これも!
* ありふれた一般家庭、そこに言い争いをする兄と妹がいた。 それを父親が目撃し止めに入る。
 父 『 コラコラどうしたんだお前たち 』
 兄 『 どっちがパパを愛してるのかって言い争ってたんだ 』
 父 『 お前たち…… 』 うっすらと涙をうかべ子供たちの頭をやさしくなでて 部屋をあとにした父親。
   すると、また言い争いが始まる
 兄 『 お前のほうだよ! 』 妹『 お兄ちゃんよ! 』
                        解)これも! 親父が聞いていた方が面白いと思うが!
* 愛のVIP戦士
  故郷を遠く離れて大学生活を謳歌していた弟から久しぶりに電話があった。
 「あ、姉さん。ぼくだよ。それよりキティは元気かい?」 家に残してきた愛猫の様子が知りたかったらしい。
 「あ、あんたの猫ね。こないだ死んじゃったわ。近所の酔っ払いの車に轢かれてね」
  受話器の向こうで弟は絶句し、やがて「思いやりがない」と非難した。
 「そういう時は…姉さんだってぼくがキティを可愛がっていたの、知ってたんだから…嘘でもいいからこう言うんだよ。
 『キティは昨日、木に登ったのよ』って」 「なによそれ。人の話、聞いてる?。あんたの猫は酔っ払いの…」
 「黙っててよ。そしたらぼくが、『え、それでどうしたの』とたずねるだろ。
  そしたら『みんなで助けようとしたけど、自分でどんどん上の方に登ったのよ』って言うんだよ」 「…」
 「そう聞いたら僕にだって心の準備ができるだろ。 で『それからどうなったの』と聞かれたら
 『かわいそうだったけど、木から落ちてしまったんだよ』って言うんだ。
  そしたら僕だってひどいショックを受けなくて済むじゃないか」 「…わかったわよ。これからは気をつけるわよ…」
 「…いいよ、もう。…それより、母さんは元気?」 「母さん? ああ、母さんは昨日、木に登ったのよ」
                        解)私なら、最後の捻りは「猫と木に登っていたよ」にする
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2730, 恐慌前夜 −1
2008年09月25日(木)
「恐慌前夜」副島 隆彦 (著)  ー読書日記

再び副島隆彦の本である。
発効日が今月の15日というから、8月末に書き上げた本だが、その半月後に予告どおりにリーマンブラザーズが倒産した。
そして、恐慌前夜というより世界恐慌そのものの様相になってきた。
世界恐慌が今日、突入しました」と誰も言わない。 あとで、あの日(9月15日)が・・・・、といわれるのである。
ーアマゾンの、この本の紹介文からー
アメリカの住宅市場危機(サブプライムショック)に発する金融不安は底なし沼の様相を呈している。
7月13日、米政府系住宅公社2社の経営危機が表面化。 NYダウは下落の一途をたどった。
アメリカでは今年8月末時点で10の銀行が破綻、取りつけ騒ぎが起きている。
現在のアメリカは、まるで「住専」処理に追われ血を流した10年前の日本のようだ。
しかし金融危機は米国内だけの問題にとどまらない。農林中金など日本の大手金融機関が、
信用毀損した米住宅公社債を大量に買い込んでいたことまで判明したのである。
かねてから「アメリカ帝国の崩壊と没落」を政治・経済の両面から唱えつづけてきた著者は、本書でこう断言する。
  「やがて米国経済は恐慌状態に陥る。米ドルはさらに暴落してゆく」
  それは1929年「暗黒の木曜日」の再来なのか。そのとき、日本はどうなるのか。
 ーー
9月15日以来の一週間の大激震は、この本の次の箇所に集約されている。
「ついに私たちは生き延びた。惨めに撤退するナポレオン軍を、じっと見つめるロシアの英雄のような気持ちだった。
 アメリカの金融侵略軍は、今静かに日本から撤退を開始した。戦後62年目で、アメリカはついに崩れ始めた。」
 ーまずは「はじめに」の書き出しの部分であるー
  〜〜
この7月から新たな金融危機が始まった。7月13日にペンリー・ポールソン米財務長官の驚くべき記者会見があった。
私が前々作「ドル覇権の崩壊」と、そのあとの『連鎖する大暴落」(いずれも徳間書店刊)で主張してきたとおりである。
アメリカはいよいよ本格的な金融恐慌に突入しそうである。次の「連鎖する大暴落」が年末までに起きるだろう。
この7月危機を引き継いで、事態はさらに深刻になってゆく。大きな銀行と証券会社が世界はたんの中で次々に倒産してゆく。
この7月危機では日本の三つの大きな金融法人が相当の打撃を受けた。致命的と言ってもよい。
それは農林中金(5兆5千)と三菱UFJ銀行(3兆3千)とニッセイ(2兆6千)である。農林中金は実質的にすでに破綻しており、
やがて、みずほ銀行救済合併されていくのではないか。しかし、みずほも同じく1・2兆円「やられている」。 
この農林中金、三菱、ニッセイ三つの日本の大金融会社が今回受けた大損害(戻ってこないお金)は、7ぺージの表のとおり。
 ーー
ー次は、「あとがき」の出だしの部分になるー
 〜〜
この本「恐慌前夜」で私が最後に言いたい(書きたい)ことは、アメリカはどうせ壊れるということだ。
アメリヵの株価が少しぐらい上がったり、ドル高(円安)になって、アメリカが景気(経済)回復したように見せかけても、
どうせ次の大暴落が襲ってくる。日本の金融機関は政府系を含めてアメリカの国債や住宅公社債
地方債(ニューヨーク市債やカリフォルニァ州債など)を山ほど買い込まされている。
合計で600兆円(6兆ドル)ぐらいある。それらの投資資金(債券買いや資金の貸し付け)は、もう戻ってこない。
アメリヵ(人)はまったく返す気はない。アメリカ政府はこれらの返済の保証などしない。
このことが日本人には分からないようだ。日本はこれから大損をするのだ。多くの国民が年金をもらえなくなるだろう。
私は金融・経済の先読みで予測・予言をはずさない。これまでずっとはずさないでやってきた。その評価をすでに得ている。
読者になってくれる人々の信頼を得てきた。私はいよいよサイキック(霊能者)になることを目指そうと思う。
自分が優れた霊能者になることができて、人々に正しく助言できれば、多くの人々を破産と投資の失敗から救うことができる。
 −−−  
次回は、印象に残った部分を、取り上げてみる。

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2007年09月25日(火)
2366, わたしと仕事、どっちが大事? はなぜ間違いか

「わたしと仕事、どっちが大事?」はなぜ間違いか  ー読書日記ー
    ―弁護士が教える論理的な話し方の技術   谷原 誠 (著)
図書館の返却コーナーで数日前に見つけて借りてきた本である。
弁護士の論理の立て方の内容だが、一般人の考え方、対話の曖昧さを指摘。
いま一度、その一つ一つを見直して世間様レベルの思考法からの脱却を勧めている。
考え方、言葉の組み立て方を冷静に見つめなおすのに適している本である。
この本のタイトルの「わたしと仕事、どっちが大事?」を、論理の落とし穴の1つ
「誤った二分法」の例として挙げている。「わたし(恋人・妻)」と「仕事」は同類のものではない。
同じ基準でこそ比較が可能であり、この質問自体が間違っていると指摘。
この質問に対する答えを考えてみると、・「比べる対象ではない」ことを相手に主張する
 相撲取りと、砲丸投げの選手とドッチが力が強いの?と、 同じような質問と 理解させる。
・「もちろん君の方だよ」と、相手の求める返事をする 。
 求めている答え(相手のニーズ)は、そう言ってほしいだけ。
・「それは何と何を比べてるの? どっちかと言えば貴女を選ぶけど、
  ネバならない仕事なら、それをするのが会社勤めの最低条件。
  その兼ね合いは注意するけど」と答える。などが考えられるが、私の実感としては、
 「収入が入らなくなったり、転職をしたらゼロからやり直しになる。
 収入が激減することを考えてみろよ。そうすれば、今より貴女との関係が悪くなる。
 長い年月の間に、こういうこともあるのが人生じゃないか」辺りになる。
6年半の間、毎日この随想日記を書いているためか、他人の論理の矛盾点や、甘さに気づかされる。
家内も、言葉の甘さや矛盾を直ぐについてくるので、普段の言葉使いから緊張感に包まれている。
反面、社会的に突っ張っている人の言葉に、苦笑してしまうことが度々であるが、
それが大よそ著者が指摘している内容と同一であり、著者のいうのは至極ごもっとも!
書き続けることからくる効果が、この内容の通り論理の甘さを重ねるごとにそぎ落としてくれる。
ある世間の権化のような男が何時も使う言葉。 自分の言いたいことを、「人は・・・と言っているぞ」
が恒?だった。 こんなことを言っていればフラストレーションが溜まり早死にするだろうが!
ーーーーーー
内容の概要)
日常生活で非論理的な主張をする人たちに対し、法律家が業務上使っている
論理テクニックを使って言い返す方法がまとめられている。
この本は法律家が法的トラブルを解決する際に用いる交渉術を、日常生活で発生する
トラブル事例にあてはめながら紹介する形がとられている。法律家による交渉術の本らしく、
テクニックとしても三段論法・原則例外パターンといった法律初学者がまず叩き込まれる
法的思考法や、争点整理・門前払いといった裁判実務で必要になるノウハウを、
法律事例ではなく日常生活トラブルにあてはめる形式がとられている。
「法律家が裁判で用いる手法を日常生活にも持ち込んで、トラブル解決に役立てよう」
というのが本書の特徴だろう。従来の交渉術とは違った解決法が紹介されてい
目次)
第1章 :あなたに必要な“論理力”という武器(人間は非論理的思考にダマされる!?
   人は誰もが論理的であろうとする ほか)
第2章:論理的に考え、話すための“第一歩”(三段論法―「A→B、B→C、ゆえにA→C」
                そもそも式論法―「ルール→事実→結論」 ほか)
第3章:相手のペースに巻き込まれない会話術(相手の価値観に反論する
   他の事例に飛び火させる ほか)
第4章:論理の落とし穴を見破るテクニック(非論理的な論理に正しく反論せよ
   誤導尋問―「お支払いは現金ですか、それともカードになさいますか」 ほか)
第5章:論理的な思考力をみがく質問術(言質を引き出すソクラテスの質問術
   相手が警戒する前に言質を引き出す ほか)

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2006年09月25日(月)
2001, 二千日の随想日記!
            おはよ〜!(*^ワ^*)i(~O~)ふぁ・・
                
この随想日記が昨日で2千回目になった。母の十周忌の命日というのも何かの因縁である。
千回時の達成感ほどではないが、やはり2千回は・・・。
といって意識したのは3日前だから、千回の時ほど達成感がないのは事実。
千回時ほどの心理的な圧迫感がないが、常に黒い影?に追われている感覚は同じ。
あまり深刻に考えないで、書けることを書けばよい!と気楽に思うようにしている。一種の気楽な喜〔苦〕業と思えばよい。
次は三千回が目標になるが、楽しむ?しかない。2009年6月某日になるが、どうなることか。
千回はきつかったが、二千回の労力は半分になった? 楽しまなかったら、続かない。
良寛の  たくほどは 風がもて来る 落葉かな  と同じで、習慣の流れにまかせて    
書くほどは 知恵(空)がもて来る 話・題(色)かな  というところか!
だいたい2〜3つ位は時間の合間に下書きを用意して、寝る前に30分かけ一応書き上げ、当日の朝に修正をする。
朝はそれでも一時間はかける。テーマ探しと、下書きの時間を入れると合計三時間は一文章にかける。
その三時間のプロセスは考える時間になる。そのために毎週図書館と本屋に通ってテーマ探しをする。
アウトプットを習慣づけることによって、インプットを図るのが目的の一つになる。もう一つのプラスは五年分の
同月・同日の文章を読み返せること。未来の自分の眼に対して、好い加減な文章をかけなくなる。
毎日読み返すことは、このようなコントロールがはたらく。最大の読者は未来の自分である。
書いた文章を会社に行って読み返すと、数時間の経過後の冷徹に自分の文章を見ている自分に驚く。
自分が初めの読者であると同時に、一番の批評家になっている。
これは、書き重ねるほど鋭くなっていく。これは読書力の強化につながっている。
                     \(^▽^*)バイ!
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2005年09月25日(日)
1636, ローズパレード

昨日、何気なくNHKのBSHVをまわしたら、ど派手のパレードを放映していた。
アメリカのロス近くにあるパサデナの「ローズパレード」であった。
花や自然植物で作られる豪華な山車や行進が見もののお正月恒例のパレードである。
一時間の番組もアッという間に過ぎてしまった。アメリカ全土だけでなく、世界からも多くが参加。
100チーム以上が参加している。アメリ海兵隊、カナダ騎馬隊、大学のチアガールチーム、企業体などが
テーマを決めて行進する。これに参加すること自体が、アメリカでは大きなステータスになっている。
参加するには厳しい審査のパスが必要という。リオのカーニバルと違い、ど派手だが、控えめな演出?で
心打つものが次々と出てくる。実際にみたらTVとは違った感動があるだろう。このパレードを見るために全米から
100万人が集まってくるという。TVでは終始生放送で、その様子が一日中流されている。前夜には、
道に泊り込んで場所確保する人達で込み合う。指定席もあり、かなり高い値段がする。そのローズパレードは、
毎年1月1日の朝8時から始まり、パサデナ市内のメインストリートの コロラド通りを多くの山車などが練り歩く。
その山車も年々豪華になっている。それと並行してローズクイーンコンテストも開かれる。またこのパレードが
終わると全米カレッジ・フットボール勝戦のローズボールが行われる。ローズパレードの始まりは1888年迄遡る。
今年で116回目という。七十数回も参加しているチームもある。当時、キツネ狩りで有名なプライベートクラブ 
リーハントクラブがあって、クラブのメンバーが1890年1月1日に四輪馬車をきれいに飾りつけて
パレードしたのが始まり。ヨーロッパの<バラ>の祭りを手本にして、山車に沢山の花を飾って自然の美しい輝く
太陽を本当に楽しそうに行進している。この中で美しさ、パレードのテーマ、デザイン、独創性、花の使用、
また花の新鮮さや、参加者のコスチュームなど数々の項目で審査され、賞が決定される。
このパレードに使う山車(フロート)1台の平均費用は、1000万円という。
1台で10万本の花が使われまれ、まさしくローズパレードといわれる所以である。
お祭りは、TVでみていても楽しさが伝わってくる。 世界は広い、そして深い!

・・・・・・・・・
2004年09月25日(土)
1271, 母が亡くなって、まる八年!ー2

十数年前のこと、新潟に著名な教育者が講演に来た。その夜、勉強会の「新潟木鶏クラブ」で、
彼を囲んだ座談会を開いて話を聞いた。そしてそのままホテルに泊まってもらった。
翌朝お礼を兼ねて、弥彦の良寛で有名な「五合庵」などを車で案内をした。
二人きりの車の中、4時間位話をする機会になった。そして直に旧知の友のようになった。
知らないうちに、昨日書いた母の生い立ちと、それゆえの不幸の出来事の話と、不条理の話に及んだ。
本人も、思いもよらない「五合庵」の散策と、新潟の田舎の風情を楽しんでいたようであった。
それから2ヵ月後、本人から連絡が入った。「先日のお母さんの話」を、森信三さんに話したところ
「すごい内容だ。是非うちで開いている勉強会で話してくれないか」と依頼されたという。
いま考えたら、そこにいって話をすべきであった。「自分の話ならするが、母の話なので、勘弁して欲しい」
と断ってしまったのだ。こういう機会でなければ、森信三という戦後日本最大の教育者とは、会う機会がなかったのに、
本当に惜しいことをした。また、そこに聞きに来ている人はふだん会えない、凄い人ばかりのはずである。
後悔あとに立たずである。森信三氏も似たようなことがあったというが。
それから数年後の1992年に、森信三氏は亡くなったのだ。 本当にバカのことをしたものだ。
話は元に戻るが、母の7人の兄弟・姉妹のうち、母の実父の上・三人は幸せな人生をおくり、下4人は??
ー 幸せ不幸は、本人が決めることであるが。「事実は小説より奇なり」というが、母方の姉妹をみていると
軽く一冊の小説になる。一人一人の一生は深く重いものである。

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2003年09月25日(木)
904, 讃岐うどんの店−2

 9月2日に『讃岐うどんの店』というタイトルで書いてから、3週間経つ。
 その後、新潟の郊外にある店に7〜8回通っている。何かヒントがあるようだからだ。
・いつも感心するのは、お客の滞店時間が短いことだ。 平均15分で出ていく。
・並んでからレジまで3~4分で済む。ウドンは注文をして、平均15秒で出てくる。
・毎回、色いろな組み合わせができ、何回通っても飽きない。
・値段が安いことも驚きである。 特に100円のかけウドンは価値がある。
・外国の飛行場などにあるセルフ方式で、トッピングできるのがよい。
若い女性や女子高生が平気で一人で食事をしている。
 面白そうなので、今マスコミで話題を集めている「はなまる」という讃岐ウドンのチェーン店の
FCの説明会にいってきた。新潟のワシントンホテルの会場で、社長が直接説明をしていた。
「まだ100店だが、数年のうちに1000店にする」と言っていた。
聴く前はハッタリだろうと思っていたが、可能性は充分あるようだ。
婦人ファッション関係の出身で「ダサイ讃岐ウドンの店を、若い女性でも平気で入れるブテック的な店」
が店舗のコンセプトと言っていた。 聴いていて、これは本物かと思った。
・今まであるものを、
・時代のニーズに合わせて、
・提供方法を変えることで、
価値を作りかえることー業種から業態に置き換えることー を忠実に実行している。
 ホームセンターも、スーパーも、
・郊外に大きい店と駐車場をつくり
・セルフ方式で
・より多くのアイテムを
・ディスカウントにして売る  業態にしただけである。その意味で、面白い可能性のある商売であろう。
ホテルも、いま一度新しい業態という視点で、見直す時期に来ている! 一番の課題である。
去年の今日も焼肉屋の『新業態』の店の分析をしていたー後にコピー たくもう、全く成長してない自分を見る思いだ!
分析している暇があったら、ホテルの新業態を死ぬほど考えろ!という言葉が心の奥から聞こえてくる!

・・・・・・・・・
[161] 自然体(自然態)
 2001/09/25 07:01

 あまり気張らず、心配せず、そのまま、自然のまま、なるがまま、生きていく生き方。
目の前の出来事に気を取られず、その背後の流れに従う行き方。「自然体の経営そして生き方が大切」
15年前かパレスホテルの経営セミナーに出ていたとき、その時の時勢の勢いにのっていた
ある経営者がいった言葉である。 丁度必死に仕事をしていた時の不自然の自分にピッタシの言葉であった。
浪人を何回か経験していて少なからず身につけていが、しかしかなり印象深い言葉であった。
 丁度ホテルという長期物件を手がけて、その意味‐長期の装置産業の難しさにきずき始めた為もあった。
その後この言葉に生き方がかなり影響された。 目の前の困難に対してあまりジタバタしないで済んだのも、
この言葉のおかげだった。7〜8年前南アフリカを旅行した時、あまり添乗の経験少ない中年の女性の添乗員が、
出発前に成田で言った言葉が印象的であった。「この旅行全てのトラブルが起こるはずです!
起きた時に一つずつ解決していきましょう。自然体しかありません。無理せずそのままでいきましょう」
「なるほどいいことを言うな、でも素人だな!」とそう思った、そしてそのとうりになった。
その言葉が最期まで利いていた。トラブルも旅行の一部、慌てずそれをうけとめ、そしてそれを楽しむこと。
自然体そのものであった。たしか法華経自然法爾(じねんほうじ)という言葉があった。
イスラムの「すべてアラーの神の思し召し」もこれに似ているところが面白い。
もうひとつ似たのに、名人の域に達した落語家もこれに近い。