「うわさ」をもう一歩掘り下げて考えるために「オレルアンのうわさ」と「和服美人局のうわさ」を対比してみる。
似ているところは、バックにある犯罪組織の臭いと、性的な危うさ、そして「ユダヤ人経営者」=「女好き経営者」
への虐めである。 違うところはオレルアンが若い女性の間の噂だったのが、長岡は街の酔い客である。
前者は根も葉もないデマだったと後で判明したが、後者はファジーのままで終焉したこと。
「うわさは愚者に始って、賢者で終わる」というが、冷静になれば風評ということが分かるはず。 
人は「事実より、信じたいことを信じる」傾向があり、心の闇に符号することには更に強くなる。
 「悟りとは、平気で死ぬことでなく、平気で生きること」というが、うわさなど一々気にしていたら
自分の世界を小さくするだけである。 特に地方では小さい世界を更に小さくしてしまうことになり、生き辛くなる。
 女性週刊誌は芸能人の「うわさ」(とくに下ネタ)を商売のネタにしている。
逆に芸能人も売名のため、自分の方からネタを売り込む場合もある。「火のないところに煙がたたない」というが、
うわさをたてられた当人が火ではなくて、うわさを好んでする「劣化した連中の口が火元」になるから、複雑になる。
 中世の頃にあった「魔女狩り」や、第二次大戦の東京大空襲直後の「朝鮮人狩り」とか、デマが
真実と信じられ殺害にまで至る。 今では「2チャンネル」のサイトが、その機能を果たしている。
 人間の心の弱点には「 自分の心の不安を言葉に言い換えた物語を信じてしまう傾向 」がある。
それをついたのが新興宗教であり、占い師である。 週刊誌の記事は売らんがために、不安のネタを見出しにして、
あらゆる手法を使う。 それを額面どおりに受け止めるのも問題だが。 この選挙のキャンペーンにも、
その不安を煽って物語をつくり、自分を解決の主役にしている輩を多くみかける。 
それを選挙民が求めているいるのだから、虚像でもよいから演じるのは当然のこと、といえば、その通りだが。

・・・・・・・・・
2701, 地球史における革命的事件
2008年08月27日(水)

  6500万年前に巨大な隕石が衝突し、恐竜が絶滅したというドキュメントをTVでみた記憶はある。
  この本で知ったことだ、米ソの核の爆発のエネルギーの1万倍の規模とは驚いた。
  当時、「もし核戦争で起こって核が全て使われたら人類を数万回は殺戮できる」と聞いていた。
  その一万倍の破壊が6500万年前に実際あったのである。 それが現代に来たとした物語の映画が幾つかみたが...
  その御陰で、恐竜が絶滅して人類の祖先が生まれる環境が出来たのである。
  1000万年遅れれば、我々人類の祖先さえ、まだ地球上に存在してないのである。
  
 以下は「レンタルの思想」を読んで、さっそく取り寄せた本にあった地球にとっての
  革命的事件の内容を抜粋した。
  −−−
「地球システムの崩壊」松井孝典著  −読書日記
  *地球史における革命的事件
   〜〜〜
K/T境界層と略称される地層がある。絶対年代では、6500万年前の地質のことである。
この年代を境に、生物の絶滅が起こっている。それぞれの地層にふくまれる化石に基づいて
その年代が決められる地質年代では、その前後の年代を、白亜紀第三紀命名して区分している。
それぞれの年代の、外国語表記の頭文字がKとTなので、その境界の地層は、K/T境界層と呼ばれる。
この地層は世界中至る所に分布する。もちろんわが国にもある。・・・・
カリフォルニア大学の、アルパレスという地質学者を中心とするチームが、そのK/丁境界層で、
イリジウムという元素が濃集している事を発見し、それが巨大な隕石の衡突によってもたらされた、とする学説を、
サイエンス誌に発表したのである。 それが地球史観においてなぜ革命的なのかといえぱ、従来、
地質学の根本原理といわれていた「斉一説」を否定するものだったからである。斉一説とは、前にも紹介したように、
現在生起する自然現象が過去においても同様に起こったと考え、従ってそれを前提にして、地層に残された記録を
解読しようとする考え方のことである。 天体衝突のようなアドホックな現象を排除して、地質詑録の解釈をするのが
より科学的、ということで導入され、悟奉されてきた。 その後一〇年くらい、この論文の妥当性に関し、論争が読く。 
論争に終止符がうたれたのは、1991年のことだ。メキシコのユカタン半島において、その地下に6500万年前に形成された。
直径180キロメートルに達する巨大なクレーターが発見されたのだ。 一九九四年、筆者は米国、メキシコの研究者らと共同で、
このチチュルブ・クレーターと呼ばれるクレーターの地琢物理学的調査を始めた。多くのダイナマイトを使うことなどで、
許可まで時間がかかったが、一九九六年にようやく、地質調査の許可を得るところまでこぎつげた。 予備調査を開始したところ、
欧米やメキシコのK/T境界では、これれまで報告されないような異常なK/T境界層が存在することを発見した。・・・・
例えば、ぺニャ一ルベル層、ババナ周辺の100キロmくらい渡って、東西に分布する。
それぞれが場所ごとに、様々な厚さをもつ。それらは、当時のユカタン半島の東に分布した地塊の、大陸棚斜面ドに、
東.西に分布したひと連なりの地層と考えられる。ユカタン半島に、直径10キロメートルを超える巨大な阻石が衝突し、
直幡180キロメートルに連なる巨大なクレーターが形成されたその時、衝突の衝撃波は大地を揺るがし、
海には波長が1千キロメートルにも達するような、また海岸ではその波高が数百メートルに連するような、巨大な津波が発生した。
地震により大陸棚の斜面は崩壊し、すざましい土石流となって海底に滑り落ち、更に津波によって運び込まれた土砂で、
海は汚され、泥海と化す。それらが堆積し、形成されたのが、キューバ各地に堆積されたK/T境界層である。
これらの地層を調ぺた結果、それまで知られていなかった、いくつかの新事実が明らかにされた。
ひとつは、いずれもが、津波によって形成されたことである。天体働突と津波とがどう結びつくか?
直後10kmの巨大隕石が秒速二〇?メートルを超える速度で衝突すると、その瞬間、膨大なエネルギーが解放される。
その衝突のエネルギーは、かって米ソが冷戦時代に保有していた核弾頭のすべてを同時に爆発させエネルギーにひってきする。
今は亡きカール・セーガンらが指摘したように、全面的な核戦争が起これば、いわゆる"核の冬゜呼ばれる地球環境の
変動が起こるが、この衝突によぞ引き起こされる環境変動は、そのエネルギーの比較からもわかるように、
それとは桁違いの大きさである。
 〜〜〜
 その衝撃のため生き延びたのが海中の動物と、小動物だったというのも注目に値する。
 地球システムからの人間圏への報復は、この延長ならもっと大きな事態になるのだろうか?

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2007年08月27日(月)
2337, 郵便配達夫シュバルの理想宮  −1
                                 ゚∇^*)オハヨ♪
 「郵便配達夫シュバルの理想宮 」−河出書房ー岡谷公二

図書館の返却コーナーで見つけ一昨夜読んだが、とにかく面白い! 
以下は、シュバルの理想宮の概要であるが、私好みである。最近は、普通の成功話など何とも感動などしないが、
こういう馬鹿と気違いの紙一重の話には興味をそそられる。 それもユング的な世界を、
そのまま理想宮という形で33年間もかけて、コツコツと創りつづけるなど、何と感動ものである。
ーまずは、その概要というとー
   (字数の関係でカット08年8月27日1)

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2006年08月27日(日)
1972、事業百訓ー1996年(10) 
  (字数の関係でカット08年8月27日)
ーH0805 エジプト、トルコ感激の旅  ーエジプト編ー 
 まさにタイム・スリップして数千年前の古代を旅している日々であった。まず最初に訪ねたのがカルナック神殿
“まさしく驚愕!”直径が二mの石の大列柱が百数十本並ぶ神殿。
これが三千数百年に本当に!周辺の王侯貴族を驚かす為に造られたというが、今まさに自分が、目を丸くして驚いているのだ。
歴史が私という小さな存在を見下ろしているのだ。
 日本ではまだ縄文の時代、これを造りあげた高度の技術があったのだ。
そして壁に刻みこまれたレリーフ、古代文字、現地のまだ若い日本人女性ガイドの熱心な説明も手伝って
古代文明の世界にタイムスリップした気分になってしまった。
空に天を指すオペリスクとラムセス?世などの王や神の像の数々、今まで何度か海外旅行をしていながら、
何故ここにもっと早く来なかったのだろうか?と考えてしまったほどだ。
 次に行った“王家の谷”。ここは何代の王様の墓が、 かくれるように数々掘られている集団墓地だ。
この中で英国の考古学者カーターの執念でつきとめられたツタンカーメンの墓室にも入ってみた。
 また、夕日の長い影を落としていたハトシェプスト女王の壮麗な葬祭殿と、そこにやはり刻まれていたレリーフの数々。
その帰りにたちよったネクロポリスの麗に立つメムノンの二体の巨像の神秘的な光景も印象的であった。
 その翌日行ったアブジンベルの大神殿、小神殿、のラムセス?等の巨大な立像も実際そこに立ってみて
古代歴史の深さを実感する事ができた。またアスワンのナイル川で乗ったのんびりした“ファルーカ”という
小さな帆かけ舟の夕日の中での“ひととき”も、一瞬の中に永遠を感じる事ができるようだった。
 旅の後半になってカイロに入ったが、ナポレオンが言ったという“四千年が諸君を見下ろしている!”という、
まさに異様なイスラム社会が大きなカルチャーショックになった。
丁度、ラマダン(一ケ月間の日の出から日の入りの断食の行)という事もあり、
異様さがさらに目立ち、我々日本人は西欧社会に感化されているのが対比する事ができた。
 早朝、街中とどろくアラーラの祈りのスピーカーの音も異様そのものだった。
我々の目からみると、接するエジプト人全員が金に特に汚い詐欺師そのもの、
“騙すより騙されるのが悪い!”“車は轢かれるほうが悪い!”とか、それがイスラム教という。
 カイロ郊外にある二百五十万個の巨石を積みあげたピラミッドも本当にすばらしいの一言。
考古博物館のツタンカーメンの黄金のマスクと財宝をみた瞬間、ゾクゾク身ぶるいをしてしまった。
まだ今にも起きあがりそうなラムネス?をはじめとする数々のミイラも
数千年をこえて、不死への激しい希求を魂に語りかけてくるようであった。
ーH0805 エジプト、トルコ感激の旅  −トルコ編 ー
 トルコといえばキノコ岩等の奇岩の群れのあるカッパドキアが有名である。
トルコ中央に位置しているアンカラの南東に広がる高原地帯にある。
中世にイスラム教徒の圧迫により逃れ逃れたキリスト教がたどりつき、奇岩をくり抜き洞窟教会や住居をつくりあげた聖地。
まさにSF映画やアニメ漫画に出てくるような現実ばなれした奇景そのもの。“本当にここは地球上?”と息をのんでしまうほど。
 その近くにあった地下都市・カイマルクも異教徒からの目から逃れる為の秘密地下都市群。
あちこちに蟻の巣穴のように縦横に掘られており、地下のマンションと形容できた。
一万人以上が何世紀にわたり隠れ住んでいたという、信仰の深淵さをみた思いであった。
そして、その帰りのバスの中より夕景の“大きな 丸い真赤の月光”も生まれて始めてみる生涯忘れられない光景であった。
 イスタンブールの地下宮殿と呼ばれている地下水道の貯水池“イエレバタン・サライ”も非常に印象的なものであった。
十二列×八mの列柱が三百三十六本整然と並んでおり、その一本の柱の下に神話に出てくる女神、メンドーサの石首が
土台になっているのが神秘的だ。バック・グランド・ミュージックにベートーヴェンの第九が厳かに流されていたが、
その場の雰囲気にぴったりであった。
 トプカプ宮殿では、かのオスマントルコ帝国が、何世紀にわたって世界中より集めた秘宝がところ狭しく展示してあった。
リンゴ大の四十数カラットのダイヤモンドや純金の椅子には驚いた。
宮殿もその絢爛たる宮廷生活をしのばせ、四〇〇年間のスルタン(皇帝)の日々が目に浮かぶようだ。
 また、イスラム寺院のブルーモスクやアヤソフィアも、その荘厳な内部も圧倒された。
私自身、気功をやっている為か、右手がいたくなるほど、しびれがきたのには驚いた。
 これだけの深い歴史の国に四日間だけで、ほんの一部しか触れる事はできなかったが、
この国の“光”の一部はしっかり見たつもりである。 最後に行った巨大市場、スークも面白かった。
五千の貴金属、みやげ物を売っているが、ほとんど偽物の金銀の貴金属商品という。
そういう目でみると逆に面白いものばかりであった。 殺人的なスケジュールの十日間の旅であったが、
中味の濃い感動・感動そして感激の日々であった。   (H 8年.1月30日〜2月8日)
 ーH0807  インカ帝国<夢の旅> ーマチュピチュの遺跡編  ー
 ペルーはインカ帝国がスペインに滅ぼされるまで文字が一切ないという不思議な文明の国であった。
その為かプレインカ(インカ帝国以前の文明)と、インカ帝国がより神秘的にナゾめいて来る。
その圧巻がマチュピチュの遺跡である。高度三千三百mのインカの首都であったクスコよりバス、登山列車、
登山バスを乗り継いで四時間あまりの行程。 四千〜五千mの山々の谷間に、突然小さな(といっても二千三百m)
山が見えてきた。
 そこに空中都市といわれるマチュピチュの遺跡が、霊界のように造られていた。
まさに地上世界ではなく「あの世」を思わせる神秘的、霊的、宇宙的な別世界である。
エジプトのカルナック神殿をみた時の驚き!と同じか、それ以上の驚嘆に一瞬につつまれてしまった。
あれだけTVドキュメントと写真でみていたのに、“現実にみると全く違う!” 神秘的あまりにも神秘的、
いや霊的神性という言葉が、ぴったりとする! 本当に地球は広いそして深い!とあらためて実感した。
 この空中都市は、インカの人々がスペイン人より逃れる為と復習の為の作戦都市といわれている。
そして突然、この都市を焼き払い奥地へと消えていき、 まだ発見されてない地に伝説のそして幻の
ビルカバンバの都市を建設したという。マチュピチュを去る決意をした人々は老人と“太陽の処女”たちを殺し、
その一角の墓地に葬った。この遺体がこの遺跡が発見された時に一緒に発見されたという。
私もこれだけの異界文明の“すごみ”を経験するのは生涯で初めてであった。
 まさにSF小説の地を夢で浮遊しているようであった。
 ーH0807インカ帝国<夢の旅>  −ナスカの地上絵編ー 
 AC百〜六百年の昔、海岸から三百八十kmの乾燥地帯に一つの文化が栄えていた。
謎の地上絵で知られるナスカ文化である。彼等は何を思ってか九百k?にわたる広大な大平原に直接、
三角形の図形と線の動物、虫、植物、宇宙人(?)の絵を描いた。
(その絵と同じものが当時の土器に描かれているので、彼等の時代に描いたのが判明できたという。)
 その地上絵は飛行機ではじめて発見、判明された。それが何を意味しているのか、
宇宙人説、空飛ぶ人間説、星座をあらわすカレンダー説などあるという。
灰色の土地を十cmも削ると黄色の地面が出てくる。それを三十cmの巾で十〜三百mにおよぶ絵をえがいている。
その数がペルー全土で二百以上あるという。そしてその多くがナスカに集中している。
 セスナ機で二十分位飛んだ大平原にあちこち見えてきた。
本当に宇宙人にみせる為としか思えない。“UFO”のまさに世界である。
少なくとも、このフライトの間は宇宙人は本当に存在しているのでは?と確信したくなる光景であった。
ハチドリ、クモ、コンドル、サル、宇宙人の絵と、その背後に何キロにわたる縦横に描かれた直線は、
誰に見せる為のものであろうか不思議そのものである。
 編みあげの髪の毛のインデォのおばちゃん、アンディスの山脈、チチカカ湖にすむ原住民の素朴な生活。
そして世界の七不思議といわれる巨石建設の技術等に、強烈なペルーの魅力的な世界が今でも脳裏に
やきついてはなれない。高山病に悩まされ死ぬ思いであったが、そんな事は些細に思わせるほどの
聖なる不思議な日々であった。
 (次の南米はペルーの反対側にあるキアナ高原にある世界最後の秘境、テーブル・マウンテン)ーH08年6月6日〜
ーH0809 大地の果て南アフリカ
 はじめに南アフリカに注目した時、何と遠い国かと思ったが、
 英国・ジンバブエ・ボツナワと飛行機を乗り継いで本当に“遠くへ来たものだ!”と実感した。
 わずか十一日の間にこれだけ多くの見聞と感激と驚きを経験できるとは…。
 ツアーの同行者十名が二十〜五十回以上のリピーターが大部分で、トラベルにつきもののトラブルを
 全員で逆に楽しむ強者ばかり。そのためかストレスが最小に済んだ事もあって、非常に楽しく味わい深い旅行であった。
・ 一番の圧巻はジンバブエにある世界三大瀑布の一つのビクトリア滝であった。
 リビングストンの発見したこの滝は幅千七百m、落差百五mあり、
 まさにあのイグアスの滝に匹敵する壮大かつ豪快な男性的な景観であった。
 またそこでの超恐怖体験のバンジージャンプは、この旅行のすべての記憶を消しさる位の強烈な体験であった。
・また次に行ったボツナワ共和国のチョベ国立公園でのサンセット・サファリと、
  翌朝のポート・サファリもケニア・サファリと違った味わい深いものであった。
  野生の象がハトやスズメのように街の中へ入りこみ、木の葉を食べているのには腰を抜かさんばかり驚いた。
  そしてロッジに帰ってくるとホテルの柵の入り口に、やはり五〜六頭 木の葉を食べていた。
  ケニアの殺気だった緊張感がまるでなく、田舎の、のんびりしたアフリカ…
  という感覚であった。ここでは象があまりに増えすぎ間引をしているという。
喜望峰も感激の連続であった。 大地の果ての峰の左にインド洋、右に大西洋という。
  ここでしか見られない高台で海をみとれていると、何と!クジラが泳いでいるのが見えたのだ!
  これこそ喜望峰での最高の見ものであった。 また喜望峰に来る途中でたち寄ったミニ・クルーズでの、
  数千頭のオットセイの群れの岩場も印象に残った。帰路にたち寄った小さな湾の野生ペンギンの群れに
  一〜二m近くまで近づき顔をつきあわせたのも、自分が人間である事を一瞬忘れてしまいそうであった。
南アフリカといっても、ヨハネスブルクは一千万人近いロスアンゼルスを思わせる大都会であった。
  ケープ・タウンも人口百三十万人の高速道路、高層ビルがたちならぶ超近代都市であった。
  反面、地方の大部分が超貧困層の黒人が占めており、まだ深刻な人種対立が根が深いようだった。
  現地の年配の英国人妻の日本人ガイドの視点よりみる、人種間の対立の話を聞くうち、あくまで我々は生活者でなく、
  旅行者(通行人)でしかない事を思い知った。まだまだほとんど書けないほど多様な旅行であったが、
  どこに行っても人間の普遍性とそれぞれの文化の多用性、特殊を見ることができるのが旅行の最大の収穫でもあった。                                        H 7.10/27〜11/6
  ーH0809 愛と憎しみと価値判断ー
「“愛”の反対語は“憎しみ”ではなく、“価値判断を下すこと”」という言葉に接して、
その深い含蓄ある意味を私なりに考えてみた。この事よりまず愛の一面の意味として“価値判断を下ださずに、
1歩さがって見守る”という事になる。“憎しみ”とは“価値判断を下す事”それより生じる壁を相手との間につくる事、
それはとりもなおさず自分の壁をつくる事につながる。それはその壁を越えてくる(相手)、事象の拒否感情といえるのではないか。
この壁の内側は長い間の価値判断のくり返しにより、ますます卑小化していく。 そしてマイナス思考回路の習慣化と、
その結果としての病気の誘発を供う。 価値判断を下さない事はそれでは可能なのだろうか!?という疑問も残るが、
対象を“あるがままの姿でみる(きれいとみるでなく、きたないとみるのではなく、そのままみる目)が必要となる。
  ーH0811  人生の楽しみ方ー
 遊びの定義とは“自分の好きな事をして、それを楽しむ”というらしい。人生五十年の実感として
全く苦労した感が少ないのは、自分で目標をたて、そのプロセスを楽しんだ為とハタッと思った。
 もっとも“自分の目標をたて、それを楽しむ”までの準備期間と、そのエネルギ−は大変であったが。
両親がこの達人であった。仕事も趣味も本当に楽しみつくしていた。“お金”とは楽しみの滓と父は常々いっていた。
母もありとあらゆる趣味を持っていた。そのほとんどが一流の域に達していた。
 そのポイントを聞いた事があるが、“好きになれるかどうか、そして自分のモノになれるかどうか
始める前に見きわめる事、そして手をつけたら死んでもその域にいくまであきらめない。
そしてライバルをみつけて、その人についていく事”という。何事も遊びにまで昇華していく事がその主旨のようだ。
制約等でワクをはめられて“好きな事”ができないなら、“好きになる事”だ。
好きになれないのは自分の“主観”の固さでしかない。ある新興の大手企業で社是として
“おもしろ、おかしく”にしているのを知って驚いたが、単純だが奥ゆきの深さを感じる