* 印税は定価の一割
作家の一冊あたりの手取りは大まかにいうと、定価の一割という。
といって、一万冊売れると思って出版はしたが、半分も売れなければ、その一割が入るかどうかだ。
本を出版して一万冊売れるかどうかが目安というから(現在は7〜8000冊ともいうが)
1500円の本が、まあ売れたとして150万円でしかない。だから作家にしても、ノンフィクションのライターが
物書きで生活するには並大抵のことではない。 現在は、出版不況で総合月刊誌の休刊が相次いでいる。
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  * モノを知らないから困るのではない
「我われは、モノを知らないから困るのではない。知っていると勝手に思い込んでいるから困るのである。」
 という名言がある。その上に、知っていることが、実は間違っていることもある。
 「人は、それぞれが知っている範囲の中でしか、理解しえない」ということも最近つくづくと思うことだ。
 結局は何にも知らないも同然だったということだ。特に他人に対して、それがいえるのでは。
 知っていたつもりの人が、全く知らない一面というより、多面を持っているのを知り度肝を抜かれることがある。
 我われがインドのカースト制度の差別社会を見るとき、それは実は気づかないだけで、日本でも歴然としてあること。
 自由、平等、そして思いやりのある博愛、等々は全部ウソ。 それを知っているつもりで、実態は不自由で、
 身分社会が厳然としてあり、全て金で左右される取引社会の真っ只中にある事実が見えてないだけ。
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  * 昨夜は高校の同級会
 昨夜は、高校の同級会。 幹事だったので気を使ったが例年通り盛況に終わった。
 出席が15名。 ドタキャンが一人と、連絡なしの欠席が一人。 二次会は6人出席。
 ドタキャンもあろうと会費を千円を上乗せをしていたので何とか凌いだが、 問題の二人は、
 これまで一度も出席をしたことのない男。 亡くなった山田君の奥さんに三回忌という名目で出席して貰ったが、
 故人も喜んでいただろう。 それより故人の奥さんが、その場に馴染んでいたので安心をした。
 驚いたのは、奥さんも含めて無職が一人だけのことだった。 自営業が半分以上ということもある。

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2683, iPhoneは、超小型パソコンだった! −3
2008年08月09日(土)
  −Phnoe の経過報告

これが気に入っているのは、携帯電話に馴染めなかったことが大きい。
ボタン入力が苦手なこともあり、気楽に弄りまわせないでいた。
それより気楽に電話をかけたりメールを出す相手がいないこともある。
家内が昨年の春に初めて自分の携帯電話を持ったとき、嬉々として使い出した。
妹とメールの遣り取りを遊び感覚でしはじめた。土日の暇なときに、「いま、暇。何してる?」
とかをメールで入れたり、私がTvを見ている前で、ワンセグで他のTvを見たりしている。
それに比べ私など二日に一度あるかないかの電話機能しか使ってないし、金・土曜日のホテルの
宿泊数の報告をショートメールを週末にもらう位。 
実のところ、「外出時に持っていると安心できるのが唯一の所有理由」というと、言い過ぎか??。
しかし、iPHONEは面白い。 使えそうである。 いや、遊べそうだ。GPSナビゲーションを使ったことがないため、
これが意外と面白い。直感的に気楽にタッチすれば、どの機能にも飛んでいけるのもよい。
このマシーンは、アップルのジョブスが、さあ使ってみたら?と、語りかけているようだ。
電話機能、iphone機能、情報端末機能、の3つが柱。 電話機能も抵抗無く使える。 
(しかし、ショートメールがドコモの携帯などに送れないのが弱点。)文字入力のタッチパネルは、
これまでの中ではベスト。まだ慣れてはいないが、量をこなせば使いやすくなるだろう。少なくともボタン入力よりは。
ところで今年に入ってMacファンになってしまった。会社の机の前にも、自宅の居間の机の前にも、
オールイン型のiMacを設置。同時に携帯ステレオiPodを購入、完全にMacの世界に取り付かれてしまった。
そして、このiPhoeである。 当分は手に入らないだろうと思っていたが奇しくも入手。
二週間経つが、やはり何かが違う。 未来が、凝縮して、ここにある!という感覚である。
パソコンのデスクの画面が、そのまま手の平のマシーンに表示されるのが奇妙である。
私のブログを幾つか表示してあり、外出先でみている自分が不思議な気分である。パソコンのデスクがそのまま
凝縮して胸ポケットサイズになり、携帯電話とナビとカメラが入ったマシーンになったのである。
触っているだけでSFの世界に入っているような一番ショックだったのは、日本の携帯電話メーカーだろう。
特に、ソニーは。 やはり、創業者のジョブスでなければ、これは創れなかった。
ワイヤレス式のタッチ超小型パソコンのため、問題が無いわけがない。
しかしパソコンの問題処理のストレスから見たら、数十分の一でしかない。
使い込んで、一つずつ問題解決をすればするほど、親しみを覚える。
それにしても、初歩的な登録の入力などに大きなエネルギーを要している。
とにかく携帯電話やゲーム機を使い込んでないため、それすら大きな壁になる。
昨日、知人に手伝ってもらい登録や、不都合の部分を解決してもらった。
これで、今月中に8割?がたは使えそうだ。  最後に一言、凄いマシーンである。

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2007年08月09日(木)
2319, 5次元世界が存在する?
   ヽ(★>з<)。o○[ォハヨ]○o。(>ε<☆)ノ
        
何かSF的な話か、新興宗教の本に出てくる異次元の話が、たまたま見ていたNHK・TVで放送していた。
「エッ、何?」と注目してみた。あと数年もしないうちに「『5次元の世界』が発見される可能性がある」という。
来日中の理論物理学者のリサ・ランドールがNHKのアナウンサーと、朝から異次元を語っていれば、私でなくても
誰でも驚くであろう。彼女は、いま全米が注目する物理学会のニューヒロインで、5次元世界の提唱者。
加速器を使った粒子の衝突の実験で、消えてなくなる素粒子が存在することから、
その理由を探しているうちに5番目の次元に移動するのでは?と、思い至ったという。
5次元の世界は私達が触ったり、感じたりはできないが、物理的には必ず存在するという。
3次元空間の中にスライスされた2次元の平面(膜)が無数にあって、その膜のひとつに私達や銀河が
張り付いているようなイメージという。 これは「超弦理論」の「M理論」に非常に似ている。 M理論とは、
「プレーンとプレーンの間は唯一重力が伝播されていて、あるときプレーンとプレーンが何かの要因で
接触すると莫大なエネルギーが解放されてビッグバンが起こり、新たな宇宙(プレーン)が発生する
カニズムを理論化したもの」 M理論は11次元の超重力理論であり、ランドール博士の5次元宇宙と何処が違うか 
私の知識内では理解できない・・ ランドールは子供向けに数式を使わずに「ワープトパッセージ」
という本を書いていて、全米の科学分野でベストセラーになっているという。
20年位前に、NHKがシリーズで壮大な「宇宙」についての番組を放送していた。
その中で、「ブラック・ホールが周囲の星など何もかも吸い込んでしまうが、その宇宙の歪みからできた穴の行き先は、
この宇宙とは違う宇宙に通じている。」という説を紹介していたが、それにも通じるのかも知れない。
その時、その別宇宙への目に見えない管が我々周辺にも満ちている、と。
それにしても、数年以内に5次元世界の存在が証明される?現実的には信じがたいことである。
発見されれば、科学にとって、いや人類にとって衝撃的ニュースになる!
別宇宙の空間が我々の周辺に満ちている?そんなバカな!
                          (≧∇≦)ノ~~~マタネー
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2006年08月09日(水)
1954, ある首斬り役人の日記 −1
           (\ Y /)(\ Y /)オハヨウ!         
                     −読書日記
 「ある首切り役人の日記」 フランツ・シュミット/ 訳・藤代幸一  白水社
 −そろそろ、お盆! 少し背筋が凍りつく内容もよいだろう!ー

何気なく図書館で借りてきた本。少し気味悪いが、人間の極限における生々しい姿が書かれている・・・
初めは事務的に時系列の処刑の記述が、時間が経つにつれて具体的に
リアルになっていくのがわかる。 しかし汚職とか、政治闘争の結果の死刑は見当たらない。
16世紀に実在した、死刑執行人の日記で、自分の仕事内容を記録したもの。
16世紀末から17世紀初頭にかけて、ドイツで刑の執行を行った親の代からの首切り役人フランツ親方の日記で、
剣と綱で生涯に361人の処刑をした。他にも鞭打ち・指切りなど死刑以外に彼の手にかかった処刑者は345名である。
彼は日記を書くにあたり、極力個人的感情を入れないようにしている。
だから真に迫ってくる。1~298まで、それぞれの犯罪と死刑の方法を書いている。
そして年末に、その年に処刑した合計数が書いてある。日記と言うよりは記録の書といってよい。
・犯罪の種類として、追い剥ぎ、泥棒、殺人、嬰児殺人、同性愛、近親相姦、詐欺、教会からの窃盗(罪が重い)・・・ 。
・刑は、打ち首、絞首刑、車刑、火刑から、追放刑、むち打ち、腕の切断、指の切断、耳の切断等々、
 現代からみれば残酷のものが多い。当時はこれは当たり前の処刑であった。権力者の見せしめの意味が大きかった。    
 死刑の中で、首切りは苦しまないで瞬時に絶命するので一番望ましいものだった。
 お慈悲により首切りの刑に処したと、ところどころにある。犯罪も、どこの町や村に住む人が、
 いったん暗転をしたとき、こうなるに違いないドラマを、そこにみることが出来る。
 この原書は、首切り役人・フランツ親方の日記である。散逸してしまったものを掘り出して公にしたのが、
 同じニュルンベルクに生まれた法学者のフリードリヒ・フォン・エンターである。
 かれは1764年生まれ、1789年に法学博士となり、弁護士を開業している。この書により、当時の社会の庶民の姿が
 垣間見れる。 グリム兄弟などの当時の作家が、この本を見て幾つかの作品のヒントにしている。
話は変わるが、吉田松陰の処刑の逸話がある。それまで悟り済ましていた松陰が、いざ首切りの時に、
恐怖で転げまわったりして抵抗したあげく押さえつけられ、やっとのこと首を落とされたという。
人間的でよいが・・・
 ーー        
‘何故、わざわざ気味の悪い本を読むのか?’ですかって。
400年前の、ドイツの生々しい人間の叫びと、庶民の哀しみの姿が垣間見ることが出来るからだ。
またフランツ親分の首切り人生を通して、一人の男の背後に控える膨大な闇が見えてくる。   
次回は、その日記の幾つかを抜粋してみる。                ーつづく
                       ヾ('c_'ヽ,,)*.:      
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2005年08月09日(火)
1589,自民郵政解散の攻防−3
(字数の関係でカット2008年08月09日)

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2004年08月09日(月)
1224, 広松渉ー哲学について −26

広松渉の「新哲学入門」を私が理解したレベルで書いてみるが、内容はかなり難しい。
しかし、これを理解しないかぎり現代の哲学を語ることができない。簡単に加工可能な
デジタル社会の現在、存在・認識・実践そのものを根底から考えなければならない時代になっている。
荘子の[胡蝶の夢]で、蝶になった夢から醒めた男が「醒めた自分こそ蝶が夢をみているのではないか」。
「蝶が人間になった夢が現実」とすると、見えている事実は脳内の作用でしかない?
TVドラマの世界に入り込んでしまい、現実をむしろ虚構と思い込んでしまう可能もある時代である。
この書は、認識、存在、実践の近代的世界観を根底から批判しているが、最後の章の
「実践するとはどういうことか」から、感想と印象的な文章を書きだしてみる。
  −−−−−−−−
 第三章 実践するとはどういうことか
   第一節 行為の存立構造
 
 行為の存立構造の、糸口として、演劇(芝居)を喩えのモデルとしてすると構図が見えやすくなる。
社会学では、役割行為論がスポーツ・モデルが展開するケースが多く見られるが、演劇モデルを取り上げる。
                           *ー私の感想である
 ー人生劇場の舞台
人生劇には、舞台的場所や道具的与件があり、総じて幕場的状況がまずある。
−−神といった超越的「劇作家」の存在を考える立場もありますが、
これは暫く括弧に収め、[即興劇]ということにしましょう。
人生劇では[舞台]が大変に広く、観客席や楽屋までが舞台であり、観衆や裏方も俳優に導入される。
舞台的場面は、自然的環境と社会・文化的環境とに二分して考えるのがふつうである。
*人生を徹底的に、舞台劇場として自分を醒めた目で書き出してみると、全く違った見方ができるだろう。
長期的将来の計画をたてるのは「劇作家」の存在の視点であろうし、現在は過去の自分という劇作家の結果といえる。
何も考えず惰性に流されて生きている人もいるが。
 〜〜
ー行為の共演性と役割存在
行為という時、一個人だけで自己完結的であるように扱われるのが常套です。
いわゆる集団の行為といえども、個々人的行動の代数和のように扱われがちです。
確かに単独行為があるが、舞台的・道具的条件なるものからして、他人たちの介在によって初めて成り立ちます。・・・
今、例えば、農夫が孤独に畑を耕しているとします。畑は彼自身が拓いたものではなく、農具も彼自身が作ったものでなく、
農耕動作も彼自身が案出したものでありません。いずれ他人が作ったものです。
行為は、本質的には、協演的存立構造にあるものと看じます。行為の協演性とは、行為が役割分担ということです。
・・たとえば、[ハムレット]という劇は、先王役、新王役、ハムレット役、といったまさに「役・割」
によって成り立っています。・・・人々は幕場的情況に相応しい仕方で、余程の場合以外は、期待された行動以外は
ナチュラル」に遂行する態勢を形成しており、共演者どうしはおたがいに相手を
「当方の期待する所作を当然体現する筈のもの」と覚識する。*劇である限り、何らかの形で行為の協演性がある。
行為が役割分担になっている。それはそれぞれのお互いに期待された役を演じるということだ。
その中でも、それぞれの個性ー主体がある。
 〜〜
ー役割行動と「内自的主体」
(字数の関係でカット2009年08月09日)
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2003年08月09日(土)
857, 閑吟集-チロリチロリチンチロリ

 よのなかはちろりに過ぐる ちろりちろり (49)
 何ともなやのう 何ともなやのう うき世は風波の一葉よ (50)
 何ともなやのう 何ともなやのう 人生七十古来稀なり(51)
 ただ何事もかごとも 夢幻や水の泡 笹の葉に置く露の間に あじきなき世や(52)
 夢幻や 南無三宝 (53)
 くすむ人は見られぬ 夢の夢の夢の世を うつつ顔して (54)
 何せうぞ くすんで 一期は夢よ ただ狂へ (55)
   ー 大意ー
世の中は、ちらっと、瞬く間に過ぎる ちろり、ちろりと。
浮き世は「風波の一葉」でいいじゃないか。古希まで生きられる人間が「古来まれ」でもかまわない。
「水の泡」「露の間」のようなはかない「夢幻」の世。「夢の夢の夢の」ような世間だからこそ、
すべてを肯定して「狂へ」ばいい。ー数年前にこの「閑吟集」の一節を読んで、この歌の中に流れている諦念と
反面、強烈なエネルギーにショックを受けた。その翌年の年賀葉書に書いて出したりもした。
またコピーをして、知人に配ったり、手帳にはさんで、この一節を暗記をした。、
そして数ヶ月間近くいつも口ずさんでいた。たまたまモロッコ旅行の飛行機やバス移動の中で一人口ずさんでいた。
その時の自分の気持ちをそのまま歌にまとめてあるようだった。 一種の無常観を歌っているし、
「ちろりちろり」には茶化したユーモラスな感じが漂っているのがよい。「ちろりちろり」と人生は
あっという間に過ぎていくものよと、諦念混じりに笑っているのが心の琴線に触れてくる。
 反面、強烈な現世肯定の歌にもとれた。 「狂う」とは常軌をいっした行動ととれるし、、
ある物事に集中する意味にもとれる。 びくびくと、したり顔をしてつまらない一生を送るより、
ただひたすらに「狂う」ように集中して生きろと。この世の儚さをそのままに受け止め、
一期の夢と見切る覚悟があればこそ、人は「狂う」ことが出来るのだ。
読み人知らずの作者が5百年近くの時間を越えて語りかけているようだ。
「世間」を「男女の仲」の意味もあり、そう解釈するとまた意味が違って来る。
「ちろり」は、昔、酒を暖めるのに使った、「銚釐(ちろり)」という道具を連想すると、
男女の交わりを暗示していることになる。

=あるホームページの感想文をコーピーした=
 ー宇羅道彦の「春風録」
断言命題/現代状況構造分析*「閑吟集」より
(以下、字数の関係上カット2008年9日)
 
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2002年08月09日(金)
482, 毎日が刺激的

下の息子に一昨日、電話をしたら自分の会社が買収されてIBMになるという。
Pwc−プライスウオーターハウスという、世界最大のコンサルタント会社でナンバー2を2倍以上引き離している優良会社。
まさかと思って知人に聞いたら、日経新聞に8月1日に出ていたそうだ。
アメリカ最大の倒産のエンロンに関連して、あのアンダーセンが消滅寸前。
会計部門とコンサルテング部門の二つの部門を持ってることが、今回のエンロンの事件を引き起こした。
その轍を踏まないように、コンサルテング部門をIBMに売却するという。
全世界に12万人の従業員を抱え、IBMより上と見ていたのに。二分割して吸収される。
入社2年目で本人には全く影響はないだろうが。外資系は劇的なことを平気でする。初めからIBMに入社したと思えばよい。
しかしあくまで吸収先という事実は変えることはできない。またゼロから再教育は最低必要条件である。
本人は長い目でみたら、よい勉強になる。外資を短期間で二つも経験できるのだから、最大の教育だ。
考え方一つだ!直接本社か、子会社か、関連会社か。今回IBMのホームページを見て、初めて知ったが
100?出資が子会社で、関連会社は出資比率で書いてあった。

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2001年08月09日(木)
[103] センチュリーベーカリー
  −昭和50年3月〜8月31日ー

ほとんど他人に話した事がないが、焼きたてのベーカリを立ち上げた事がある。
千葉千城台のビルと養老の滝1122号店を立上げ一年、空きビルを埋めるべく
何がいいかみた時、当時団地では全くなっかった‘焼きたてのベーカリー’に目をつけた。
冷凍生地を主体とした焼き立てパン屋である。商社の東レの子会社の蝶理という会社が、
このフランチャイズをやるという新聞記事をみて早速やることにした。
東十条にある関連のパン屋に朝4時に起きて、二カ月オープン!
何時ものように、パニックそしてーー。素人は初めは良いがある時期がくると、応用が利かない弱点が出てくる。
その時期、長岡の実家で問題が生じ帰ることになった。第三者の経営委託に切り換え急遽長岡へ。
恐らくあのままやっていたら3〜4年で行き詰まったのではないかと思われる。
しかし若さか今考えてみると良くやったと思う。苦し紛れで‘開発型委託経営ビル’を造った事になった。
考えてみれば、ジャスコ、いとはん(北陸ジャスコ)、ビル開発(飲食フランチャイズ+ベーカリー立上げ)、
実家の衣料デスカウント・ハウスと12年近く、全く未経験の体験の自己配転していたことになる 。