「旅する力ー深夜特急ノート」 沢木耕太郎著    読書日記

第一章 旅という病

 * スタインべックの『チャーリーとの旅』には、
  ―子供のころ、たまらなく何処かに行きたくなると、大人は私に「大きくなれば、そんなに
  むずむずしなくなるよ」といったものだ。年齢から見て大人の歳になると、中年になれば収まる、
  と言われたものだ。いざ中年になると、今度は「もっと歳になれば、その病は治るよ」といわれた。
  いま58歳だが、これだけ歳をとれば大丈夫のはずだが、いっこうになおらない。
    解)年齢ごとに行きたくなる場所が変わっていく。だから、その歳ごとに行けるところに行くのが理想的。
     時間の隙間を見つけ強引に行くしかない。定年後に行こうとしても、限界がある。準備を充分してもだ。
 
* もし旅が病だとすれば、私がそれに冒されたのはいつのことだったのだろう。
  ひとり電車に乗って行ったあの旅においてだったのだろうか……。その小さな旅がすべての始まりだったかもしれない。
  「最初のひとり旅はたった一日で逃げ帰ることになった」 中学生の時、伊豆・大島の三原山を登る途中、
  テントを張っている若い男性から「泊まるところが決まっていなかったら泊まってもいいよ」と声をかけられ、
  泊めてもらうつもりだったが、犯罪者ではないのかとの疑問が恐怖に変わり、山を下りるとそのまま東京に戻ってしまった。
  「たくさんの経験を積んだ今なら、その男性を冷静に判断しただろうが、その時は、誰かが親切にしてくれた場合、
  それがどういうことなのかを判断する力量がなかった」
    解)私の旅の病は《学生時代の30日間の欧州旅行であった。》
     自分を取り囲んでいた殻が、大きくヒビが入り、半年間は放心状態であった。
    日が経つほど、ヒビの割れ目が大きくなっていくのが分かった。
    その翌年に、北海道の一人旅や、そして九州、紀州能登と一人旅をした。
    一人旅は、一歩踏み出せば気楽で良いことを、その体験上知ったが、世界に出て行く器量はなかった。
    もし可能性があるとしたら、20代までだろう。 私の場合は。
    あの21歳の時の旅行は、私の人生を大きく変えた。 今から考えてみると、
    ・世界は広いこと 
    ・人間も社会も普遍的な部分と異質の部分の両面を持っていること
    ・自分の目線は、多くの世界の目線の一つでしかないこと、この三つを二十代の経験から知ったのである

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653, サッカーやオリンピックで、何故ひとは熱狂するのか
2008年07月10日(木)

   あまりサッカーの歴史のない日本人が、欧州や南米のサッカーの盛り上がりに、
  「何故あそこまで熱狂するのか?」戸惑うことが度々ある。
   人種間や、国家間の代理戦争?とは気づいてはいたが、ある本にその辺の事情が詳しく書いてあった。
   巨人阪神戦が盛り上がるのは、関東人対関西人の、特に関西人のコンプレックスのハケグチということか。
   サッカーで韓国が異常に燃えるのも、先進国に対する追いつけ追い越せ精神が拍車をかけている。 
   現在では、世界共通の集団チームプレーとして、代理戦争の様相さえ示している。
   そう思ってみると、またサッカーが面白く見えてくる!
 ー (哲学ワンダーランド・貫成人著)より
ある時期以降の世界的サッ力ー熱の背景には、「人間の本質」などという、
ある種崇高とも見えるような事柄には収まりきらない複雑な事情がある。
アルゼンチンの首都ブエノスアイレスにはボカ・ジュニアーズリバープレートという
二つのチームがあり、互いにライバルチームだ。 いわゆるダービーマッチ」といわれる
同一フランチャイズのチームだ。・・・・Jリーグなどでは、かつての横浜マリ・スと横浜プリューゲルスなど、
ダービーマッチの対決でも、その応援は、ほかの試合とそれほど変わらないが、アルゼンチンの場合には異なる。
・ポカ・ジュニアーズはブエノスアイレスの低地、港湾地域のひとびとをサポーターとし、
リバープレートはより高台のブルジョワ階級のチームである。
前者は主として、もともと貧しいイタリア系移民労働者の地域であり、後者は裕福なイギリス系移民の住むところだ。
両チームの対戦はしたがって、テクニックやスピード、戦術などの優劣を競う単純なスポーツ試合ではない。
それは、同じブエノスアイレスの住人同士でありながら、人種や階級、言語を異にするふたつの
エスニック・グループ同士の「戦い」なのだ。低地の住人にとってボカ・ジュニアーズの勝利は、常日頃自分たちを見下し、
こき使っている富裕層に対して、自分たち労働者が勝利することであり、高地の人たちの敗戦は革命に等しい。
だからこそ、それぞれのサボーターは「たかがサッカー試合」なのに両チームのプレイのひとつひとつに熱狂するのである。
同じようなことはスコットランド・リーグのセルティックとレンジャーズにも見られ、この場合には、
新教と旧教という宗教的対立、英語とスコットランド語という言語的対立とも連動している。
同じ町のチームというわけでなくても、スペイン、リーガ・エスパニョーラにおけるレアル・マドリード
バルセロナの対戦は、もともと地域ごとの独立性が強かったスペインにおいて、
地方自治を弾圧する国王のチームであるレアル・マドリードと、言語その他において独立性の強い
カタロニア地方のチームであるバルセロナの対戦という意味を持つ。ここにも文化的。政治的対立が潜むのである。
ヨーロッパでも南米でも、それぞれの地域ごとに、近代化以前からの先住民、近代化=欧米化とともに渡来した住民、
そのかれらが強制的に連れてきた住民といった、それぞれの履歴の落差がある場合、
こうした言語的・人種的・宗教的・階級的・経済的・文化的対立が、各サッカーチームの成立の要因となり、
サッカー試合はエスニック・グループ同士の代理戦争という様相を呈する。
各チームのファン、「サポーター」は、自分が応援するチームのプレイやゴール、勝敗のたびに、
スタジアムやテレビの前で「一体となって」、喜びや怒り、悲しみを共有する。
アメリカ合州国文化人類学者ペネディクト・アンダーソン(一九三六?)は、国民国家について「想像の共同体」
という言い方をした。サッカースタジアムの観客は、むしろ「熱狂の共同体」を、しかもきわめてリアルに形成するのである。
Jリーグの場合には、第二次世界大戦後に世界的にも希有な形で国民全体の富や資産の平準化(一億総中流)が
達成された日本で生まれたリーグであるために、欧州や中粟でみられるこうした性格は見られない。
その各チームを「地域に根付いたチームではない」
  ーーー
 それで会場では、熱くなった観客同士が乱闘するのが理解できた。
  *今気づいたことだが、一昨年の今日に、ワールドカップについて偶然書いていた。
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007年07月10日(火)
2289, 霊長類オンナ科図鑑 ?2
                 才ノヽ∋?_φ(゚▽゚*)♪
  ーヨゴレ自慢女ー
    この本の中でも特に「ヨゴレ自慢女」が、面白い。私も「偽悪主義」と、ある姉に言われるほどである。
    奇麗事をいう人の前に出ると、意識的に「非奇麗事」を言わないと気が済まない性質である。 
    しかしこの「ヨゴレ自慢女」には敵わない。中村うさぎといえばやはり「うんちネタ」が浮かぶほど、露悪主義女。
    「ヨゴレ自慢女」は、自分のことを書いているので、言葉が躍っていて迫力のある内容である。
    本人は病気と開き直って、それを盾にとって好き言いたい放題である。
    それがまた、面白いところである。他人を子供扱いをし、エロ系などのヨゴレネタが9割といってよい。
    自らを貶め、その場の人々に対して優越感を抱こうとする、逆説的な「露悪魂」が彼女の彼女たる所以である。
 ーまずは、そのの真骨頂の部分を抜粋してみる。
  ー(字数の関係で中間カット2008年7月10日)
   ーー
   等々、つづく。 彼女のエログロも慣れると、何とも快く?聞こえてくるから不思議である。
   でも、読んでいて反省するのも、合せ鏡になるからである。
   たっくもう?!こういう上手(うわて)の話は反面教師になる。
   考えてみると、私は「露悪的偽悪主義」か、 いや、「偽悪的露馬鹿主義者」か??   
                 ☆ァディオス☆(`・ω・´)ノ
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2006年07月10日(月)
1924, ワールドカップー2
   おはよ?!(*^ワ^*)i (~O~)ふぁ・・
               2006年7月10日6時記

今ワールドカップが終わった。有利といわれていたイタリアの優勝で終わった。
試合はフランス優位であったが、1対1で終了。PK戦の結果,イタリアが優勝した。
PKを外したフランスの選手は一生ハンデを持つだろう。 フランスのジダンが後半の終了間際に、
イタリアの選手の挑発に乗って頭突きをして退場になったのも印象的であった。   
開催前はブラジルが優勝候補で、イタリア、フランス、スペイン、イングランド、アルゼンチンが、
次の候補に挙げられていた。私の予測は、「ドイツが開催国の勢いに乗ってもしかしたら?しかし、やはりブラジル」
と、思っていた。イタリアが優勝の予測は、あまり見あたらなかった。
これだけは、終わってみなければ解らないことだ。サッカーは玉一つの行方に、世界中が注目するのがよい。
日本と世界の差はまだ歴然としている。体格と歴史の差はいた仕方がない。
私の楽しみ方は、家内の反対側を応援することだ。その方が面白いからだ。決勝戦は、家内がフランス。
私がイタリアであった。 国同士の戦うなら、互いに反対の立場で応援した方が盛り上がる。
 昨日は、21時に寝て、3時半に起きてみた。4年に一度のことだから・・
   n(0 ̄) ネム~(ρ_-) (/_-)    バイ!ヾ(  ̄ヘ ̄)θキック!(★)゚
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2006年07月04日
ワールドカップ?1
    (p≧w≦q)オッ☆ o(≧▽≦)o ハァァァァァァ♪ヨ?

 前回のサッカーのワールドカップの感想が 2002年07月01日(月) 「454,面白かった!! 」
というテーマであった。この内容からみると、当地の新潟でも試合があった。
そのわりには、あまり興に乗っていない。しかし今年は、4年前の何倍も興味を持って観ている。
私も変わったものだ。この4年で多くの劇的な試合を多く観たためである。
      ヽ`д´)┌┛┌┛★( )??(ノ★´з`)┌┛☆(:*・*゚)
日本は早々に敗退し、優勝候補筆頭のブラジルも、準準決勝で敗れてしまった。
  ブラジルの二つのジンクス、
・ペレがいた、958年の大会で優勝して以外は、欧州大会開催でのW杯の南米の優勝はない。
・ブラジルは優勝候補に挙げられた時の優勝はない。 を破ることはできなかった。
           (*・-・)θ (*・-・)θ (*・-・)θ☆ 【蹴り隊】      
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 2002年07月01日(月)
 454,面白かった!!

ワールドサッカーが終わった。やはり世界のトップが集まる試合は面白い。
サポーターと一体になった選手が段段燃えていくのがよい。その時の勝負のアヤが左右するのが特に面白い。
優勝候補のフランスとアルゼンチンが早々に敗れるというのも、勝負のアヤであった。
   =字数の関係上カットしてます。   タタタタッッ≡≡≡≡≡
                     ☆^(*≧ω≦)ノ~~~βyёβyё♪
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2005年07月10日(日)
 1559, つれづれに
   
新潟駅連続立体交差ー
やっと新潟駅連続立体交差事業が動き始めた。十年は工事関係の宿泊見込めるので、稼働率のアップが見込める。
三年前までの4年間は、朱鷺メッセ東横インの再開発の工事関係者の団体宿泊で潤った。
これが至近距離の駅の工事だと、かなり見込める。来年の今頃は一日一日が、その具体的な動きで沸き立つだろう。
「25年間このために事業をしてきたといってよいと思える」とまではいかないとしても、それに近い状態が期待できる。
たんなる書いた餅ではない。長期宿泊用の低プライスの価格帯は当社しか出せないからだ。 4棟を建てた辻褄があってくる。
 ー梅雨、真っ只中ー
梅雨と雪が日本の豊かさの源泉と思えば、それもよい。散歩をしていて雀とカラスの巣立ちの時期だ。
カラスのツガイが巣立ちしたばかりの子ガラスを連れているのが何とも微笑ましい。
また巣立ちしたばかりの雀の雛が、まだ人間の恐れをしらないのが可愛い。
 ー同期会の打ち合わせー
昨夜は中学校の同期会の打ち合わせ会が開かれた。10人集まった。60歳のなろうとしているのだ。
一応、この歳が一つの人生の目安になる。逆成人式というのが良い表現になるだろ。
41歳が同級会で一番良い時という。 そして60歳は次の大きな目安である。

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2004年07月10日(土)
1194, ニーチェ(2)
ー哲学についてー15

ニーチェの最も受け入れられている考えかたとして、
「人は自分自身にとってどんなに受け入れられない不快な現実であっても、ひるまずに立ち向かい、
それを直視すること、そしてその知識に基づいて、人生そのものを目的として、それ以外の見返りを
求めずに生きるべきだ」が支柱にあった。当時、信仰心が薄れていた人たちにとって、まさに生きるべき指標となった。
これは儒教とほとんど同じ考えといってよい。人生を徹底して生ききろうとしたとき、人はその分だけ争いに巻き込まれる。
それだけ振動が大きくなるのだから当然のことだ。 しかし、ニーチェによれば、「争いの緊張感が、
指導者としての力を最大限に引き出しその能力をさらに高めてくれる」と説いた。
反面、彼の思想はファシズムにも大きな影響を与えた。ファシズム創始者ムッソリーニが彼の本を幅広く読んで、
ヒトラーと1938年に歴史的会談をおこなった時にニーチェの作品を贈呈している。そのため彼の思想は大きく
誤解されることになってしまった。彼はむしろ、ドイツの民族主義を嘲笑し、反ユダヤ主義を軽蔑していた。
19世紀末から20世紀にかけて、ニーチェは芸術家にも大きな影響を与えた。
その一人バーナードショーはニーチェの思想をシェークスピアがリチャード三世に語らせている次の言葉に
要約されていると指摘した。良心など臆病者の使う言葉しかすぎない。そもそのも勇者を脅かすための計略なのだ。
我々の力だけが良心、剣をもって法律とするのだ。ニーチェは特に文学的才能を持ち合わせていたのが特徴といってよい。
多くの人によって散文作家とみなされている彼の文章は哲学者に見られがちな、主張と反論がつづく長い文章ではない。
格言や聖書のように短く区切られていた。新しい視点でものごとを見てもらうために、心に残るイメージを利用した。
彼の主張は暗示的であり、喩えから類推しなくてはならない。[稲妻の閃光のあとで轟きわたる雷鳴]のように工夫してあった。
当時の人に直接大きな影響を半世紀にわたって与え続けた哲学者として、やはり特記すべき人である。
ー以下の抜粋の言葉の中にニーチェの思想がことごとく入っている。
彼の言葉は、難しく体系化されてないところが、逆に解りやすくなっている。
・私は君たちに、君たちの官能を殺せと勧めるのではない。 私が勧めるのは官能の無邪気さだ。
・独創的??何かの新しいものをはじめて観察することではなく、
 古いもの、古くから知られていたもの、あるいは誰の目にもふれていたが見逃されて
 いたものを新しいもののように観察することが真に独創的な頭脳の証拠である。
                     ?「人間的な、あまりに人間的な」?
・善とは何か??人間において権力の感情と権力を欲する意志を高揚するすべてのもの。
 悪とは何か??弱さから生ずるすべてのもの。 ?「反キリスト」?
・生きるとは何のことか??生きるとは、死にかけているようなものを
 絶えず自分から突き放していくことである。 ?「華やかな知識」?
・真実の山では、登って無駄に終わることは決してない。
・誰であれ、若いうちは、思う存分遊ぶべきである。
 長いあいだ活字の森にばかりいると、そこから抜け出られなくなるものだ
・人間のみがこの世で苦しんでいるので、笑いを発明せざるを得なかった。
・人間は深淵に架けられた一本の綱である。
 渡るも危険、途上にあるも危険、後ろを振り返るも危険、身震いして立ち止まるのも危険。
                     ?「ツァラトゥストラ」?
・狂気は個人にあっては稀なことである。しかし集団・民族・時代にあっては通例である。
                     ?「善悪の彼岸」?
・自殺を想うことは強い慰謝剤である。これによって数々の悪夜が楽に過ごせる。
                     ?「善悪の彼岸」?
・怪物と戦う者は、その過程で自分自身も怪物になることのないように気をつけなくては
 ならない。深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ。
・私は隣人に対する愛を諸君には勧めない。
 私が諸君にすすめるのは遠き者に対する愛である。 ?「ツァラトゥストラ」?
・苦しみを共にするのではなく、喜びを共にすることが友人をつくる。 ?「人間的な、あまりに人間的な」?
(2008年7月10日字数の関係でカット)
                       
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2003年07月10日(木)
827, アラスカ旅行記ー2

ーデナリ国立公園ー
 今回のハイライトは、なんといってもデナリ国立公園のワイルドライフツアーであった。
デナリ国立公園は四国を少し大きくした位の大きさで、アンカレッジから3百数十?、車で6時間の距離にある。
このデナリに二泊をした。ワイルド・ライフツアーは朝5時過に出発して午後の1時過ぎに帰ってくる、
野生動植物や自然を堪能する内容だった。グリズリーベアーやヘラジカ、ムースカリブー、大型鷲、山岳羊、
雷鳥などが多く見られた。アラスカの大地を背景にした動物が自然に溶け込んでいたのが印象的であった。
なんといってもビューポイントからみた、マッキンリーの美しさに息を呑んだ。
スイスのマッターホルンと、パタゴニアのパイネ山の夕景に匹敵する神々しさであった。
ツアー客の全景をみれる確率は20?とパンフレットに書いてあったが、その20?に当ったのが幸運であった。
 更に幸運が続いた。 偶然、有名な日本人ガイドの伊藤さんがガイドについたのだ。
彼の年齢は63歳、顔中髭だらけの現地のエスキモーそのものといってよかった。
ーこのバスは40人乗りで、幾つかの日本人のグループが乗り合わせていたが、その一つのガイドが彼であった。
その彼がバスのガイドをかってでたのだ。彼のことはミッキーハウスの坂本さんの本でしてっいた。
またその本に「三億円事件の犯人」疑われた人と書いてあったが、本人も嬉しそうに、その逸話を話していた。
3億円事件当時、ハーレーダビットソンを乗り回していたのが疑われた理由という。
日本からアラスカに渡って30年経って、アラスカのエスキモーとの外見の差は全くない。
「アラスカン・ハイ」という言葉を聞いたことがある。人里離れた人がたまに街に出てくるとスナックなどで
話しまくる姿が見られるという。発語(専門用語でさかりのついた動物の発情と同じで、溜まった言葉を吐き出す)
が伊藤さんの特徴のようで、マイクを持って話しまくっている姿が何とも自然でよい。
イスラエルの老添乗員もそうであった。めったに来ない日本人に自分の生き様を全て話すのだ。
自己承認を求めているのだろう。色いろな人生があるものだとつくづく思う。
 彼は星野道夫の友人で、彼とのエピソードを色いろ話してくれた。
NHKで彼のドキメントタリーを数年間にわたってシリーズでやっていた。
また地球シンフォニーという映画にも出ていた。『旅をする木』『森と氷河と鯨』など何冊かを読んでいた。
数年前にグレズリーベアに食べられてしまった。そのためか伊藤さんの一言一言が胸に突き刺さるようであった。
 マッキンリーで亡くなった冒険家の植村直己とも親交があったという。
彼が死んだのは日本では、クレパスに落ちて死んだと信じられているが、アラスカでは風速100?の突風で
飛ばされたといわれている。 アラスカに遊びに来る変わった人のエピソードも中々だ。
沖縄の裏世界の実業家の話も面白い内容だーその人が舌癌になったが、足の肉を切り取って舌の再生手術で、
また味が感じ取れるようになった人間の身体の不思議な話とか、名古屋の実業家の自由奔放の生き方とか、
彼でなくては聞けない話を次々と話してくれた。 伊藤さんのような生き方に何か男のロマンを感じた。
ガイドと猟師が本人の職業で、好きな生き方をしながら現在、二人の息子を大学にいかせているという。
                                ー続く
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2002年07月10日
スイス旅行中
・・・・・・・
2001年07月10
北欧旅行中