先日の4月28日に、無事に第二シングル・インの中のテナントが決まり、調印が終わった。
そして午後にテナントの内装屋から電話が入り、「建物の用途変更は、お宅でして貰えるのでしょうね」という。
用途変更など必要がないはずと思いつつ、第二シングルインを設計した設計士本人に電話を入れたところ、
「姉歯の一件から、法律が変わり、新法に適応した設備を変更をしないと許可が下りませんよ」という。
「エレベータを変えて、更にスプリンクラーを全室つけて・・」聞いたところで、こりゃ、数百万でなく、
数千万は軽くかかる。 この厳しい折に、そんな投資なぞ無理。 といって、契約済みである。
その瞬間、身体と気持ちは凍りつき、40時間近くは硬直状態。 契約上、破棄をするには・・・。
そして昨日、会社の担当が役所に聞きに行ったところ、設計士の解釈違い。
最悪の事態を、あれこれ二晩考えて、「自宅を売却するしかないか!」と思いつめたら、気が楽になったが・・。
しかし設計士の解釈が本当だったら、自宅が吹っ飛んでいる。 何処に落とし穴が潜んでいるかわからない。
一昨日の朝6時のニュースをみたら、「豚インフルエンザがレベル5に引き上げ」と、
そして今朝の8時のニュースは、ついに日本でも感染者が初めて出たと報じていた。
日本にも数日以内に上陸、レベル6になるのは時間の問題になる? とすると、これから半年は経済も社会も
更に大荒れになる。 数ヶ月はホテル業も客は皆無に等しい状態も有り得る。
地球が過って経験をしたことのない領域に入ったことになる。
グローバル化の時代に、世界恐慌に、インフレエンザが重なったことで「グローバル・パニック」である。
神様が人類に大きな問題を突きつけたと冷静に解決をするしかない。
二つとも人間が作り上げてきた不自然な行為の突然変異のなせること。神(自然)が罰(結果)を与えたということ?
昨日の午前中は、テナント問題と、「日本がレベル6になったら?」問題と、が重なり混乱状態。
これからも刺激的日々が続くことになる。 どうなっているのか、世界は。
・・・・・・・・
2585, 情報は1冊のノートにまとめなさい
2008年05月02日(金)
「情報は1冊のノートにまとめなさい 」
−100円でつくる万能「情報整理ノート」 ー奥野宣之著
買って、その底の浅さに「騙された」と思ったが、それでも千三百円も出したのだから何かを
得なければ面白くないと、とにかくお勧めのA6版の大学ノートを買った。文庫本の大きさである。
このノートを肯定してみるため、とにかく数日の間、書き込んでみたが、
それで千三百円の元を取ったような気持ちになった。図書館で借りた本なら、おそらく、そこまでしなかっただろう。
このサイズの大学ノートを〜2度使ったことがあるが、現在改めて手に取ると、小さなサイズが便利で使い勝手が良い。
一般的な大学ノートも良いが、手軽に持ち運びをするには大きすぎる。
ところが、このサイズのノートは手軽に持ち運びが出来る上に、ある程度の文章を書き込める。
情報を時系列に集約するのは「超整理法」のノート版とも言える。
袋に入れて並べていくのが野口悠起雄の整理法なら、手帳の情報整理法と捉えることができる。
それと、このサイズのノートの効用と、使い方がよい。その上に、自分で工夫して何でも情報整理ノートにする着想。
理想のオリジナルノートの「作り方」のノウハウ書といえる。
現在、普通のサイズの大学ノートで毎日、モーニング・ページを書いているが、
買いだめの在庫が無くなったら、思い切って、このサイズのノートに切り替えるつもりである。
スケジュール表も自前で作って貼り付ける、メモも重要と思ったものを貼り付ける。
そして、検索のためのナンバーリングを作って、パソコンに憶えこませるのも面白い。
ノートに書く本体とパソコンに入力する索引の「二分割」管理ということになる。
「パソコンの検索を紙メモのシステムに組み込むことにより、過去のメモを完全にデータベース化する」といった方がよい。
これを読んでいて 「情報は一つのブログにまとめなさい」という着想が出てきた。
これを書いても本として売れるかどうか。 ブログを使いこなしている人は、そのことを知っており、
知らない人には、その意味の一端も理解できないからである。(それだけブログは別世界である。)
私のHPも、マンダラ風の9つの升目に、それぞれの用途別ブログを貼り付けるのも悪くはない。
手前味噌だが、試行錯誤の結果そうなっただけだが。「分類のコーナー」の中に検索機能があって、
過去の自分の書いた中に記憶をたどる場合、キーワードを入れる検索がベンリである。
時間がたっぷりないと無理だろうが。それと材料も!
・・・・・・・・・
2007年05月02日(水) ー遇然同日に、酒の話があった。面白いものだ2008年5月02日
2220, 酒の話ー3 +.(ノ*・ω・)ノ*.オハヨオォォ☆゜・:*☆
酒の話は、ここで何度も取り上げてきた。酒には付き合い酒、祝い酒、涙酒、別れ酒、
怒り酒、迎え酒、寝酒など、色いろあるが、あるHPで酒に関する面白い文に行き当たった。
酒は下ネタと同じく時空を超えて万国共通であるためか人間の本質を知る上で身に沁みる戒めが多い。
特に私は!? 偶然の一致だが、三年前の今日、『酒について』というテーマで酒について、
書いていた。面白いものである。 それにしても、酒の失敗があまりにも多い!
=====
*まずは『旧約聖書外典』である。『外典』は、『正典』としての「旧約」や「新約」聖書の成立の編纂で、
排除された文章をまとめたもので、酒に関する戒めのような実用的なものが多い。
これが2000年前の旧約聖書にあったのだから、酒は今も昔も人間を狂わせてきた魔物。
ー『旧約聖書外典』(関根正雄編 講談社文芸文庫)よりー
大酒を飲むことで勇者を気取るな
酒で失敗した人は多いのだ
炉が鋼鉄をためすように
酒は酔っ払う人の性格をためす
酒はほどよく飲めば
生命の力となる
酒なくして何の人生か
酒は人を幸せにするために作られた
時をえらんでほどよく飲めば
酒は心を楽しませ 愉快にする
だが飲みすぎれば苦い思いを味わい
怒りと復讐の心を生む
愚か者は酒によって憤り 自ら害を招く
酒は力を弱め ついには障害をうけるようになる
酒の席ではとなりの客と争うな
相客が楽しんでいるのを妨げるな
隣人をあざけったり
借金の催促などをしてはいけない
====
また若山牧水「酒の歌」で『今まで自分のして来たことで多少とも眼だつものは矢張り歌を
作ってきた事だけの様である。いま一つ、出鱈目に酒を飲んで来た事。』と酒の思いを述べている。
ー牧水の酒のうたー
人の世にたのしみ多し然(しか)れども 酒なしにしてなにのたのしみ
酒無しにけふは暮るるか二階より あふげば空を行く烏あり
酒のめばなみだながるるならはしの それもひとりの時に限れる
酒の名のあまたはあれど今はこは この白雪にます酒はなし
一杯をおもひ切りかねし酒ゆゑに けふも朝より酔(ゑ)ひ暮したり
それほどにうまきかと人のとひたらば なんと答へむこの酒の味
うまきものこころにならべそれこれと くらべ廻せど酒にしかめや
酔ひはててただ小(こ)をんなの帯に咲く 緋(ひ)の大輪の花のみが見ゆ
白玉(しらたま)の歯にしみとほる秋の夜の 酒はしづかに飲むべかりけり
====
勧酒 干武陵
勧君金屈巵 コノサカズキヲ受ケテクレ
満酎不須辞 ドウゾナミナミツガシテオクレ
花発多風雨 ハナニアラシノタトエモアルゾ
人生足別離 「サヨナラ」ダケガ人生ダ
井伏鱒二訳
====
深夜の酒宴 諏訪優
一九八六年十一月二十五日 午前二時
ランプのまわりを飛びまわる一匹の蠅よ
この界隈で
いま 目覚めているのは
わたしとお前だけだろうよ
すべての音も消えて
俺は黙々とお前と遊ぶ
午前二時 これから
深夜の酒宴だ
いいさ
明日は狂って
”冬の海でも見に行ってくるぞ”
やがて白々と夜が明けて
窓 あけ放つ
わたしと一夜をともにした
一匹の蠅 曇天に去る
ああ蠅よ
お前は蠅の中の美女だったよ
わたしたち
ゆうべ けして孤独ではなかったな
そしてほら
お前が去ったあと
細かい雨が降り出した
田端一丁目XX番地
雨と墓地の竹林が美しい
冬の雨 竹百年の青さかな 優
「太郎湯」 思潮社
ーー
解)酒は何時の時代でも、人間の大問題である。
上記も実際に一人で冷酒を飲んで、しみじみと孤独観の中、
一匹の蝿と戯れる姿は、自分が実際に経験しているような気持になる。
酩酊の最たる状態で独り夜明かしをしながら白々とした夜明けを向かえ、、
冷静に酔った自分を見つめている永遠の時間・・・
何度か経験したような? してないような?
死刑囚が執行前夜、まんじりとしない一晩を過ごす時も似た気持になるのだろう。
*´∀`)」" さいなら☆彡
・・・・・・・・
2006年05月02日(火)
1855, ローマから日本が見える−9
(o´・ェ・`o)♪ぉはょぅ
ローマ街道を彼らローマ人は武器と考えた。 そして、その武器を最大限生かした。
その武器を平時の時に常につくり続けていった。このため、彼らは兵隊を駐留させる必要はなかった。
その詳細が、この本には解りやすく書いてある。
ーー
ーなぜローマ人は街道を造ったのかー
(字数の関係でカット2,008年5月2日)
('Д'*⊂⌒`つ
・・・・・・・・
2005年05月02日(月)
1490, 24歳の日記ー4 ー4月1日 1970年
一番大事なことは、誠実である。誠実さを持てば自ずから幸福につながる。
言葉というものは、いわば自由な消費財と捉えられる。しかも、その消費財を使う消費者は生産者を兼ねている。
何か解ったような解らないような。父親に言われる、
「人間、自分が将来に希望を持てないようだったら死ぬべきだ!周囲に迷惑がかかる。死ぬなら今のうちだ」
ー4月11日
10日間、両親と三人で四国に行ってきた。両親と三人で旅行するのは、今迄で初めてである。
考えていたより、素晴らしい旅行であった。 良い思い出になった。
特に、香川の坂出の夕陽のオレンジ色の輝きは生涯忘れることができない。
生まれてみる初めて見た自然の輝きであった。瀬戸内海の景色の中の波の照り返す黄金の輝き!
学生時代に湘南で見た夕陽とは、また違った輝きであった。
それと、両親と旅行することも二度とないだろう。 かなり加熱していた頭を冷やすのに丁度良い。
中原中也の詩「山羊の歌」の中の
ーあき・修羅街輓歌ーと、
ーみちこ・汚れてしまった悲しみにーが、今の自分を慰めてくれる。
今の自分の心をそのまま表現している。 心の傷を消毒をしてくれる。 強くあらねば!
ーーー
ー修羅街輓歌ー
序 歌
忌はしい憶ひ出よ、
去れ! そしてむかしの
憐みの感情と
ゆたかな心よ、
返つて来い!
今日は日曜日
縁側には陽が当る。
ーもういつぺん母親に連れられて
祭の日には風船玉が買つてもらひたい、
空は青く、すべてのものはまぶしくかゞやかしかつた……
忌はしい憶ひ出よ、
去れ!
去れ去れ!
� 酔生
私の青春も過ぎた、 ―この寒い明け方の鶏鳴よ! 私の青春も過ぎた。
ほんに前後もみないで生きて来た…… 私はあむまり陽気にすぎた? ―無邪気な戦士、私の心よ!
それにしても私は憎む、 対外意識にだけ生きる人々を。 ―パラドクサルな人生よ。
いま茲に傷つきはてて、 ―この寒い明け方の鶏鳴よ! おゝ、霜にしみらの鶏鳴よ……
� 独語
器の中の水が揺れないやうに、器を持ち運ぶことは大切なのだ。
さうでさへあるならば モーションは大きい程いい。
しかしさうするために、もはや工夫を凝らす余地もないなら……
心よ、 謙抑にして神恵を待てよ。
・・・・・・・・
2004年05月02日(日)
1125, 酒について (ああ、酒よ!)
「神はこの世を六日間で創り給うた。そして、第七日目には、二日酔いを与え給うた」
というとおり、酒はよいことだけではない。
「バッカス(酒の神)はネプチューン(海の神)よりも多くのものを溺死させた」と、ローマの諺にある。
酒は肝臓に悪い。腎臓に悪い。 しかし、酒は「心の特効薬」?である。酒の一杯は健康のため。
二杯は快楽のため。三杯は放縦のため。四杯は狂気のため。というが、酒はプラスにもマイナスにもなる。。
「おい堀井。お前、晩酌で二日酔いしたことがあるか?」と高校の同級生に聞かれたことがあった。
「ほとんどない!」と答えたら、「おれなど、いつも晩酌で二日酔いをしているぞ!」何か深い深い意味があった。
目の前の悩みを洗い流してくれるのは、酒と先人の言葉と諦念である。酒は愉楽の完全な典型である。
酒は実にうまい、不満を追い払ってくれる。 それ以上何を望もうか、それでよい。
酒を飲むことほど日々を楽しくさせてくれるものはない。くよくよさせず、勇気をいっそう勇敢にさえしてくれる。
しかし、酒であまりの多くの失敗をしてきた。 若き日、酒を飲んで多くの議論をしてきた。
そして、多くの人と争ってきた。 酒は、脳に入れた敵、気違い水であり、あまりに危ない敵である。
それでも、酒は美味い。これで20年は寿命を短くしただろう。
ー私の場合特に以下の言葉は胸に刺さるー
・酒を飲む理由は二つある。一つはのどが渇いたときに喉をうるおすため。
もう一つはのどが渇いていないときにのどの渇きを事前に防ぐため。 Tーピーコック
・若者にとって酒は大人の勲章である。 ー吉行淳之介
・一生を洗い流してくれるのはただ酒だけである。 ー韓愈
・どういうことになるものやら見当のつかない二つの場合がある。
男が初めて酒を飲むとき。女が最後に(今夜きりよ、と)酒を飲むとき。 ーヘンリー
・土曜の夜の酒の味が、平生と違うことを知らないものには、日曜の朝の楽しさは解るまい。ー水上滝太郎
・酒がいちばんいいね。酒というのは人の顔を見ない。貧乏人も金持ちも同じように酔わせてくれるんだ。
−古今亭志ん生
・酒と美しい娘は二本の魔の糸。 経験を積んだ鳥でもこれにはまんまと引っかかる。−リュッケルト
・酒に害はない。泥酔する人に罪がある。 −フランクリン
・煙草が存在しなかった時は、セックスの後で皆何をしていたのだろう。 −ヴァシリス・アレキサス
・酒は百薬の長なり。 −「漢書」
・百薬の長とは言えど、よろずの病は酒より起これ。 −吉田兼好
・ときには我を忘れるほど酔うことも人間の特権だ。 ー山本周五郎
・大体お酒のみには二種類ありますね。酔いたい人と飲みたい人とです。 −内田百輭
・・・・・・・・
2003年05月02日(金)
758、ある医師の夢
10年近く半年〜一年に一度の定期健診ー人間ドックにいっている。その主治医と、いつの間にか懇意になった。
先日検診に行くと、オホーツクの僻地に赴任することになったという。
僻地医師になるのが長年の夢で、「あと定年まで3年で、このままいても今と同じくり返しでしかない。
一度しかない人生、夢の実現の為に思い切って決断した!」
ほとんど長岡を出たことのない最後の人生のデザインである。人生いろいろある。
青年期に読んだ本の一節で「人生、小説でないのよ、勝者が善、敗者が悪なのよ!」
というソルジェニーツェンの小説の一節がある。
しかし小説のように生きる事こそ人生の要諦ががあるのではないだろうか。
死ぬ時につくづく「小説のような人生を生きていてよかった!」と思える生き方もある。
最後は自分の納得の行く決断が人生のデザインである。
一人で、自分で自分をどう考えるかである、それしかない!同じ人生なら納得して死んでい(生)きたい!
「いいじゃないですか!もし事前に相談されたら、いけいけ絶対に行けというでしょうね!
でもどっちも結果として大して変わりはないでしょうね!」と無意識で答えていた。
自分の答えの冷たさに自分で驚いてしまった。「それは他人の事だら言えるのことだ!」と本人の答え。
こういう場合は「五分五分に迷ったら行動すべき!但し結果には期待しない!」
これは人生の私の経験則である。その真意は相手には伝わらなかったようだ。
「そこで独りぶつぶつ言いながらつきつめ一つ一つこなしていくのが、事業の立ち上げの経験でいえるんですよね!
その経験をインターネット上にホームーページの日記として載せた方 がよいと思いますよ。
『僻地医師の独り言』がよいじゃないですか!」と進言した。
「奥さんは一緒ですか?」との問いに、「いや、まず自分がいってから判断をするつもりです!」
「最低何年のつもりですか?」 「三年です!」 「一年でもよいのではないでは?」
「そういう訳にはいかない、僻地なので後任がそうは決まらないので辞めるわけにはいかないのです!」
言葉の中に永住という感もあった。
例えが悪いが、お屋敷の卓上犬が広野に一匹飛び出すということだ。
設備もない僻地で、全てを独りで解決しなくてならない世界である。
その苦労が目に見えているが、一度もお屋敷ー大病院から出たことのない人は純粋性とエネルギーを持っている、
すばらしい事である。 こういう純粋性が教養というのだろう。
「いま貴方にそのエネルギーがあるか?」と問われれば、「ない!」が正直な答えである。
エネルギーというより、教養の差ともいえるのか。 先日、親戚の人の「30数年を賭けた夢の実現」と、
「医師の夢」の話は、いまの私にとって身近で人生ドラマを見せてもらったようであった。
・・・・・・・
2002年05月02日(木)
394,「人生を変える至福の散歩」
昨夜、NHK でウオーキング特集を組んでいた。「人生を変える至福の散歩」というタイトルだった。
今更という感で見ていたが、散歩の素人向けの番組だった。15年のプロ、柔道でいうと2段くらいか。
新潟市内を平日の日中歩けば、3段ぐらいになれる。 ただ楽しい至福の時間だ。
他人のことはどうでもいいが、これだけの素晴らしい事を殆どの人が見つけていない。
家内に言っても、息子にいってもいまだ解らない。それが他人にいっても解るわけがない。
全てが含まれている。一日7^8時間歩いているという人の手記を日経新聞で読んで、凄い人がいるものと驚いた。
毎日散歩をしていて感じる事は、自然に溶け込む、自然と一体感が持てることだ。
鳥の世界が見えてくる、草木の世界が見えてくる、昆虫の世界が見えてくる。
橋が見えてくる、山が見えてくる。その世界に入っている自分が見えてくる。
太陽の光と空気の世界が見てくる。自分の人間世界の卑小さが見えてくる。
そして何よりも自分の人生が見えてくる。雀のあの楽しそうなしぜんが見えてくる。
ー過去に書いた文章をコピーしておこう。
〜〜〜
H0311事業百訓
最近私が造った言葉で“夜明けのリゾート・タイム”がある。
(江藤淳の“夜の紅茶”をもじったものだが)�早朝(4時半〜5時半)起床
�近くの土手を一時間散歩�テレビ体操�瞑想�家族全員のお祈り�食事
�風呂と続く。特に散歩が非常により。山の彼方をみながら複式呼吸をして歩く。
季節ごとの草花や鳥をみながら川のせせらぎを聞き、時々に般若心経をとなえる。
この散歩に全てが含まれても過言ではないという“気”にもなる。
これを実施して4年、副産物としてアフター・ファイブに出あるく事と、
酒量が激減した事だ。健康食品を口にする事も加えて七kgも体重が減った。
時々不節制が続くと散歩していると身体がだるく重くなるのがはっきり判る。
また朝の風呂も非常によい。当初は疲れが残ったがなれると気分爽快になる。
早朝型のきっかけは、松下電器の山下俊彦元社長の講演を聞き、感激して自ら挑戦してみた事だ。
彼は登山がライフ・ワークであり、その訓練も含め毎朝3時半起床。1時間半10km歩くという。
そして読書とシャワーをあびるとの事。夜は定時がくるとすぐ帰宅。夜のつきあいは一切断っている。
これが逆に考える時間と、心の余裕をつくった。山下跳び(飛躍的出世)の秘密もこれがポイントだ。
・・・・・・
H0503万歩計
“万歩計”をつけてから約一年が経過する。冬期八千歩・それ以外が13000歩・平均して歩いた。
一年で420万歩、一歩50センチとして、2千km歩いた事になる。江戸時代の人は平均二万歩近く歩いたという。
ある調査によると会社の営業系の人は七千歩!事務系六千歩!管理職が五千歩!
トップは四千歩が平均歩数との事。また人間の身体の構造は本来、歩くようにできているそうです。
私の場合必ず手帳に歩数をメモにとり一週と一ケ月の平均歩数を出します。
これを実施していて雨の日の休日でも傘をさしてでも散歩に出るか、
天気予報を見ながら“歩き溜め”をしたりする様になりました。私の知人も数名万歩計をつける様になりました。
今では、万歩計をつけ忘れても大体、歩数はわかるようになりました。
参考の為に、万歩計は薬局かドラッグストアに二千円位で売っています。