新聞広告のー「無趣味のすすめ」村上龍著ーの説明文である。
 ーわたしは趣味を持っていない。小説はもちろん、映画製作も、キューバ音楽のプロデュースも、
 メールマガジンの編集発行も、金銭のやりとりや契約や批判が発生する「仕事」だ。
 趣味の世界には、自分を脅かすものがない代わりに、人生を揺るがすような出会いも発見もない。
 心を震わせ、精神をエクスパンドするような、失望も歓喜も興奮もない。  真の達成感や充実感は、
 多大なコストと危機感を伴った作業の中にあり、常に失意や絶望と隣り合わせに存在している。
 つまり、それらはわたしたちの「仕事」の中にしかない。ー
  思い切った問題提起である。
「人生は仕事だけではない」ことは今さらだが、中途半端な仕事をしながら、趣味の世界に生きる人間に対する一撃。
 しかし仕事一筋できた男が挫折した時に、趣味の世界を持っていたために救われることがある。
 仕事のできる男ほど、それと同じぐらいの趣味の世界を持っていて それが仕事をプラスへ導く。 
 しかし、仕事を達成するには多大なコストと危険を伴い、常に失意や絶望という底知れない荒海が舟板一枚下にある。
 趣味だ娯楽など、余所見をしている暇などないのも事実。
 読書を趣味としてきたものにとって、いや酒が好きで居酒屋通いをしてきたものとして、
 秘境・異郷ツアーが好きで世界中を巡ったものとして、そこには失望も歓喜も興奮が満ちていた。
 そこは熱帯雨林のように豊穣な世界が存在をしていた。
 しかし、言われてみれば過去の事業を振り返れば、その数倍の豊穣な世界があったことも事実である。 
 要は、「力、愛、知」の「力」の部分に力点を置くべし、ということだろう。
  少し、趣味に力を入れすぎたか? そうでもないか?
 新聞広告に列挙していた内容を次回に書き出してみる。その一つが 
  ー効率化とゆとりー 
 「農耕と国家が生まれてから、ゆとりを持って生きることができた人は全体の一%もいない。」
 が、面白いが、そうでもないんじゃないかとも思われるが、如何だろうか?
  身近では、一人も存在していないが、いや、ごく身近に一人居る? いや、そう見えているだけ?

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2554, 閑話小題
2008年04月01日(火)

*予習と復習
 人生の終盤に入ってくると、色いろとそれまで気がつかなかったことが、実感としてわかることが多くなってくる。
特に学習に対しての予習と復習の大切さを、あの時、気がつかなかったか悔やまれる。
そういえば、先生が予習復習を口すっぱく言っていたが・・こと、学業に関しては予習30、復習70?と目安だろう。
ここにエネルギーの20?を入れると、効果として200?300?の効果になったのである。
ところで中高学校、そして大学の学業は人生の予習であり、熟年期から、その復習期といえる。
その意味では、熟年期こそ人生の一番大事な時期と言えるのである。
先日、知人と「若いときの節目の旅行こそ大事ではないか」と話した。
その後の人生で長い時間をかけ、その経験に知識を加えていくこと(復習)こそが、
人生をより豊かに彩ってくれるからである。 一度行った旅行は何時までも続くのである。
 ーー
* 客引き・スカウト行為が今日より禁止
4月1日から、「新潟県迷惑行為等防止条例」改正により、客引き・スカウト行為などが禁止され、
50万円以下の罰金が科されるなど規制が強化される。 以前は古町界隈にイカガワシイ男たちが
立って、客引きをしていたが、数年前から新潟駅前も悪質な客引きが目立つようになった。
来年の国体の開催もあり、迷惑行為防止法が実施されることになったが、これが実施されると
ほぼ客引は他の都道府県の実施例からみて、ほぼ姿を消すことになる。 三月になってから、
自警団も駅前にも出来て見回りが実施されているようで、四月からは、少しの客引きでも取り締まられる。
先週末には、警官が二名立って、客引きに警告をしていたようだ。
ピンクなどの客引きも、仕事はできなくなり、少なくとも新潟駅前と古町では仕事はなくなる。
新潟駅構内にも、カラスといわれる「ホステスのスカウト」が目に付いていたが、これで一掃される。
良いことである。
ーー
*ガソリン値下げ
道路関連税制を無くすことは非常に結構なことだ。恐らく、自民党は4月に再議決をして成立を図るつもりだろうが、
そのプロセスで数十年間にわたり国民をだまし続けてきた構図が浮き出るだろうから、これだけでも充分である。
これこそ、道路族を含めた建設マフィアとの金つるである。叩き壊すのは当然のことである。
これで地方が更に不況になってもである。

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2007年04月01日(日)
2189, 「考える」とはどういうことか? 
   おはよう!♪? ヽ(´π`)ノ    ー 読書日記
     
「近代哲学再考」 竹田青嗣
ー「ほんとう」とは何か 自由論ー
  
池田晶子の本の中で、「考える」を多く取り上げ、考察している。また読書日記でも取り上げた。
「思う」から「考える」へ、どのように変化するかというと、その対象をまず把握することから始まる。
我われが「悩む」というと、悩んでいる対象を把握していないことにある。
その把握ー情報収集が考える第一歩が始まる。把握のプロセスから、すでに考えることになる。
「考える」をー検索すると、「問題の解決や,目標の実現や達成のために,いろいろな経験や知識を
組みあわせながら,新たな構想をさぐっていく精神活動。
すなわち,思いをめぐらし(連想,想像,推理),考え(思考,工夫),
そして決断する(判断)ということである」と定義している。ひとことで言えば、「本質の洞察をするための精神活動」
ということである。難しいことを解りやすく整理するのが、私の考える切り口でもある。
池田晶子が子供向きに哲学用語を一切使わない文章などは、一瞬で深い真理に導く。
ーこの著の以下の部分は「考えるとは何か?」を考える上で、なかなか解りやすい!
ーー
プラトン入門」という本で、わたしは哲学の方法原理をつぎのように整理しました。
*「物語」を使わずに抽象概念を使用する。
*「原理」を提示する。
*つねに「一から」(根底)から再始発する。

ーについて、宗教では世界説明をするのに「物語」を使います。
そしてこの簡潔な「物語」を通して、世界はなぜ、どのようにして存在したか、
人間はどういう理由で存在するか、なぜ生きて苦しみ、またその生の意味は何か、
といった自己と世界の存在それ自身についての「問い=謎」に対する答えが、明快に与えられる。
 これに対して「哲学」は、「万物」「原理」「水」といった抽象概念を用いて世界説明をおこないます。
ここで抽象概念とは、「一」「他」「同」「静」「変化」「不変」「多」「完全」「不完全」「永遠」・・等々の言葉。
「物語」を排し、「抽象概念」を使うことによって、哲学の世界説明が、特定の文化や民族や共同体の限界を越えて、
誰もがその思考に参加できるいわば開かれた言語ゲームとなった。

   ??について、哲学は「概念」を論理的に使用しつつ「原理」を提出する、
    というルールで行われる世界説明(人間とは何かを含む)の言語ゲームだ、
    といえます。そして、ここでの「原理」という言葉は、本来、
    根本的で究極的な「真理」という考え方とは違ったものである。
    自然科学の、仮説と実験とを繰り返しつつ理論体系を徐々に整備していく、
    という基本方法は、一見、哲学の思弁的方法と異質なものと思える。
    しかし、少し注意すれば、科学もまた、「物語」を禁じ手にし、
   「抽象概念」を論理的に使用し、「原理」を提出し、さらにすでに
    成立した世界説明を神聖化したり、固守したりせず、常に時代の要請に合わせた、
    できるだけ深い前提に立ち戻ってもういちど理論を組み立て直す、
    という根本原理によって成立していることがわかる。
    哲学は、ある多様な現象を、どのような「キーワード」(=原理)で呼べば、
    またそれをどう構成すれば、より普遍的な(=広い共通了解を生むような)
    説明方式になるか、これが哲学どいう思索方法のもっとも革新的な方法であり、
    自然科学はまさしくこの方法を「自然科学」の領域に当てはめ成立したものである。

 ??について、哲学の重要な点がある。
それは哲学において、先人の説を聖化しないで常により根源的な仕方で、「一から」考え直そうとすることです。
新しい哲学者は、必ず一度、先人の思考をもっとより深く根底的なものへ、つまり普遍的な説明方式へ
推し進められないか、と考える。そして先人の提出した「原理」から現れる矛盾をよく考え抜き、
その難問をクリアしうる新しい「原理」(キーワード)を提出しようと努力する。
ともあれ、哲学の方法の本質は、自然科学の方法の本質と同じであり、それは世界説明をより`普遍化’
していくことであって、「客観」」や「真理」へ届くための絶対的方法ではないのです。
 ーーー
ー以上であるが、「哲学=考えること」と、単純化すれば、「考える」ということは、 
ー物語を使わないで「抽象概念」で、問題設定をして、これを展開する為のキーワードを提出して、対象の核心に受けとった上で、
常に初めの一歩より再出発すること。 これが基本といえる。これを「人生」ということに当てはめると、
より良い人生を生きる為には、子供の時の夢を具体的な言葉として持ち、常に自分の生きていく中で繰り返し、
そのイメージを大切にして生きること!である。そのために、「よく学び、よく遊び、よく働く」ことである。
ポイントの「よく」は、キーワード(原理)を明確にすることである。
                 ヾ(*'-'*)バイバイ!!
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2006年04月01日(土)
1824, あちら側の世界 ?5
                オハ (´・ω・`)(ω・`)(・`)
ウェブ進化論ー5  ーオープンソース現象ー(2)
 ー「ウィキペディア」について

この本で知ったのが百科事典の「ウィキペディア」である。
まずは、この百科事典から調べてみた。

ウィキペディア (Wikipedia) はインターネット上で作成、公開されている
オープンコンテント方式の多言語百科事典。ウィキペディアウィキメディア財団の展開する
最初の多言語プロジェクトである。 執筆、編集は主に参加者の共同作業によっておこなわれており、
自由参加型である点にも特徴がある。
 (字数の関係でカット2008年4月1日)

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2005年04月01日(金)
1459, 遠くにありて日本人 ?2

この番組が面白いので見ていたら、先日で最終回になっていた。
スペイン在住の日本人画家であったが、その中で印象的な場面があった。
大きなキャンパス全体に、斑模様の微妙な茶色を背景として塗りこんで、あとは数日間、
その画面を睨み続けて、何か閃きが来るのを待つ。そしてヨギッタ一瞬に、それをすくい取るという。
そのキャンパスを睨み続けて数日、やおら絵を書き込み始めた。
元々頭には、何の構想もないという。その構想は、絵を睨んでいるうちに自然に湧いてくるという。
自分の潜在意識から湧き出るイメージを絵にするのだ。ただただ、驚いてしまった。
それを見ながら、レオナルド・ダビンチのヒントの掴み方を思い出した。
天井の節目とか、何かの模様を見て、それからの発想・展開をしていったという。
これも、自分の脳(潜在能力)の中のメッセージを得るキッカケにしていたのだ。
その絵の作成行程を最後まで映し出していたが、最終には素晴らしい絵が完成していた。
何ごともそうだが、プロセスは似ているものである。ただし、自分の中に十分の経験と知識があっての話だが。
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2004/12/13
1350, 遠くにありて日本人 ?1

この番組み、度々見ているが、昨日のアメリカのロス近郊のバイク・ビルダー(手づくりバイク)
の日本人がなかなか面白い。ライダーからの特注のバイクをつくるミニメーカーの日本人の紹介なのだが、
ライダーの世界と、そのバイクの製造過程が垣間見れた。
この「遠くにありて日本人」は世界のそれぞれで自分の生き方を貫いている日本人を紹介しながら、その地域や、
人間の生き方を覗き見る内容である。自分の好きなことを見つけ、それを貫いていることが人間としての理想的な生き方。
グローバルの時代に、本場に行って理想的な生き方をしている人を紹介している。
アルゼンチンに行って、「アルゼンチンタンゴ」の踊り手になっている中年に差し掛かった女性も印象であった。
この番組みを見ているとき、時たま街で出会う高校の同級生から電話が入った。
「佐藤というあの無口の同級生が、中越地震で被害にあった山古志村の診療所の医師をしている。いま仮設の住宅地で
やはり仮設の診療所を開いて苦労しているからクラスの同士で来年早々、慰安会を開いてやらないか」とのこと。
時々TVや新聞に出ているという。それを聞いた家内がいうには、「近くにありて日本人。ね」なるほど上手いことを言うものだ。 
色いろな人生があるものだ。

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2004年04月01日(木)
1094, 『携帯電話不安症』症候群

先日、ニュースで携帯電話不安症について特集をしていた。メールが来ないと、不安になってしまい
精神のバランスを失ってしまい、不安と疎外感で一晩中泣いてしまうという。
手軽に自分の気持を携帯電話で誰にも伝えることができる反面、
孤独になる機会が少ない為に、チョッとしたことで精神のバランスを崩してしまうという。
常に誰かと繋がってないと息もできない感覚になるという。
いま一つの特徴としては、'周囲の人と同じような自分'でなければ不安でしかたがなくなる。
それは、今までにない異常な大ヒット現象を生み出す一方、いじめなどの社会不安の増加をもたらしている。
さらに彼らの、「カリスマを求めてしまう心」は、社会をファシズムに走らせる危険性もはらんでいる。
会社員の場合、会社の携帯電話を待たされていると、
・いつも誰かに追われているような気がしてストレスを感じる。
・携帯電話の電源をオフにする勇気がない。
・呼び出し音がする度にドキッっとする。(心拍数の上昇)
・冷や汗が出る。
・呼吸が苦しくなる。(過呼吸症候群
・動悸・息切れがする。
・お腹が痛くなる。(過敏性腸症候群
これは「仕事上のストレス、会社に束縛されるストレスの二重のストレスの状態が原因」
という。いずれにしても、携帯電話が今の社会を大きく変えたことは間違いはない。
これからは、使い放題の定額制になると、若者のマスマス携帯の利用頻度は増すだろう。
携帯電話の使い過ぎは、自分の放棄といってよいほど、人間を無能にすることは間違いない事実である。
ある中年の男の人で、友人のたった一人の電話呼び出しを待っている姿をみた事がある。
別にヘンな関係ではないが、友人がいない人なのだ。たび重なる不祥事の為、奥さんや子供にも相手にされず、
たった一人の携帯電話を見つめている姿は鬼気迫るものだった。
中年にとって、携帯電話なんぞは、そのレベルの使い方なのだろう。
もし学生時代に携帯電話があったら、数倍愉しい時間を過ごせただろう。
身近で見ている限り、(仕事や家庭への連絡を除いて)携帯を多用している人間に
ロクの奴はいない。 自分を持てない付和雷同になっているからだ。

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2003年04月01日(火) 727,  
「結婚スピーチ 」-読書日記
     ー死ぬまで忘れられない話 ー  
 
 この本がタイトルとは違って、斉藤茂太の人柄の為か面白いのだ。
おそらく我々のスピーチの数十倍の機会が多いから、色いろの逸話を集めたのだろう。
考えてみれば、夫婦の何ともいえない機微を取り上げるのは結婚式が一番多い。
夫婦の関係ほど微妙で複雑で赤裸々で面白いものはない。
 ー以下を抜粋してみたー私の感想を入れた。
・ある人がアインシュタイン夫人に、
 「あなたは相対性理論をおわかりになるの?」と訊いた。
 それに答えて「いいえ。でも,わたしはアインシュタインをよく理解していますよ」といった。
(感想)フォード1世に、ある記者が学歴がないことを知っていて、難しい質問をした。
 フォードいわく「それは解りませんが、それが解る人間はすぐ呼べますよ」の逸話を思い出した。
・結婚をしなかったわたしは、なんてバカだったんでしょう。
 これまで見たものの中でいちばん美しかったのは、腕を組んで歩く老夫婦の姿でした。ーグレタ・ガルボ
(感想)朝のモーニングショーで、離婚をしてよかったといっている中年女タレント数人に小沢昭一が、
「歳をとってね、ばあさんと一緒に飲むお茶の味はいいものだよ」といった。
 元気のよかったバカタレント何もいえなくなった。

・作家の吉川英治は、亡くなる前に奥さんの手を取って、こういった。
 「7たび生まれかわっても,7たびきみと結婚するよ」(感想)わたしの知人の奥さんが亡くなるとき
 「またわたしを貰ってね!」といったそうだ。家内には「今度生まれてきたらあなたとは結婚はしないわ!」
 といわれてしまった。結婚生活のコツは「また生まれ変わったら、この人と結婚したいと思うように
 互い努力することと聞いたことがある。
・人間にとって昔から大事なことは、夜、家に帰ってこないとき、どこにいるのかと心配してくれる人がいるということだ。
                           ーマーガレット・ミード
(感想)アメリカの地質学者の言葉だ。  やはり港があるから楽々遊べるのだ。
・結婚は鳥篭のようなものだ。外にいる鳥は、入りたがり、なかの鳥はいたずらに出ようともがく。
 ーモンテーニュ
 (感想)理想は開けっ放しの餌の充分ある篭がよい。 そうもいかないか?! 
 夫婦生活は最後は 明るく、暖かいことと、最後はお互いの品性である。

 「結婚スピーチ 」ー死ぬまで忘れられない話  斉藤茂太著  
   文化創作出版 1996年出版

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2002年04月01日(月)  
363,人に好かれる方法
          
聞き役

学生時代読んだ本に、カーネギーの「人を動かす」という本があった。
その中にあったデールの6原則があった。
1、名前を覚える 2、聞き手にまわる 3、誠実な関心を寄せる
4、相手の関心を把握する 5、笑顔で接する 6、褒める ーと記憶している。
学生時代まだ田舎を出たばかりで、人間関係の都会的感覚が身についてなかった。
どうしたら人に好かれるか上手くやれるかに、悩んでいた時にこれを読んだ。
即実行、ものの半年もしないうち世界が一変した? もちろん男だが、友人が私の周りに
オオバーに云えば屯したのである。そうも上手くいくものかと自分で驚いたものだ。
特に聞き役は大変だ。そこですぐ覚えたのは、聞いたフリをして他の事を考える事である。
と同時に関心の中心に、相手の話題を掘り下げてやる事である。
あの頃は頭でっかちである。誰かに知ったばかりの知識をヒケラカシタイ歳である。
誰か聞いて欲しいのである。また孤独で自分を知って欲しいのだ。
そして2年続けていたら馬鹿馬鹿しくなった。「おれはカウンセラーじゃねえぞ!」「今度は逆をやってみよう!」
ヒステリック的に自分でハッタリをかましてみようと。その時読んだ本が「教祖の話術」?赤塚行雄ーであった。
聞き役の寡黙の男が、急にわめきだしたのだから周りは吃驚した。そしてその話にそのバックあるから、その効果があった。

行動科学のシュミレーションをしていたことになる。