オーラを見たことがあるか?というと、殆どの人は見たことがないのでは?
一般的にオーラがかかっているというと、「貴乃花を見たときに、オーラが見えた」という人は、弟子に前後5〜6人に
囲まれて熱狂的なファンの間を歩いている姿の全体のエネルギーの威圧感を言っている。
「光の手」という本に、「人間の体にはエネルギーフィールドがあり、7つのチャクラがある云々」とあった。
それを一般的にオーラというのだろうが、実は私は一度だけオーラを見たことがある。
15年ほど前、母が痴呆症になった時に三年ほど毎朝、車で20分の長岡ニュータウンの丘陵公園に母親を連れて、
車椅子で誰も居ない広場の散歩道を歩いている時のこと。大きな広場を坂道をやっと上がりきった瞬間に前方から
朝の陽光が雲間から私たち二人を照らした。その時に車椅子の後ろから見た白髪の母に虹のようなものが
包みこんでいるのが見えたのである。 逆光が私の位置から母の白髪を通して見たため光の加減もあったのだろう。
早朝の誰も居ない坂道の幻想的背景もあってか、今も心に焼き付いている。

その半年後に二番目の姉夫妻が千葉から母を訪ねてきた。その時のオーラの話をしたところ、そこに行きたいという。
そこで母と姉夫婦と私の4人で車でドライブがてら行ってみたところ、そこで義兄が面白いことを言った。
「私が学生時代に登山で似た体験をしたことがある。早朝の山頂で日の出をみていた時のこと。
 自分の影が朝日に映し出された時に、その光景がオーラのように感じ取られ何とも不思議な感覚になった。
 その感覚とソックリのような気がする」とのこと。 
自分のオーラを影の中で見たのだろう。 これは経験した者でなければ分からないこと。
自分の感覚にはバクテリアの発生から進化を20億年以上かけてしてきた蓄積がある。
それを何かの折に、底知れない何かを感じるのは何ら不思議のことではない。
 この年齢で人生を振り返ると、色いろの経験をしてきたのである。 
過去に数百、数千億人が人生を過ごしてきたのだから、信じられないほどの蓄積が存在している。
それを可能な限り知ること、これも生きるということである。 
まったく、人間には自分というバカの壁が強固に張り付いている。 しゃ〜ないが・・・

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