2002年03月02日(土)
347,心の陰

人を指さしたとき、他の指は全て自分のほうを向いている。 人を非難するのは、
結局自分の影を非難しているに過ぎないことを、いっているのだ。「他者認識は不可知」という論がある。
ー他人のそれを認識はできない、認識したらもう他者のそれでなく 自分のそれを認識しているに過ぎないー
これが理解できるかどうかで、「人生に背負っている人間関係の重荷」が半分か三分の一に軽減する。
特に「嫌いな人間」に対しては「自己の嫌いな部分」をみているにすぎないからである。
自己脱皮のできない「子狐」どもを嫌っているのは、今でも脱皮できなかった自分の部分を見ている。
自分もその「子狐」で、少し程度がいいだけだからだ。
私の嫌いな「教養のないオバサン」結局教養のない現実志向も、自分のある一面であるからだ