2008年02月17日(日)
2510, 黒柳徹子

子供の頃から、いつも彼女の声や姿をみてきた。美空ひばり黒柳徹子は私の生きてきた時代の中で何時も
ラジオかTVで見かけてきた。現在もTVの『徹子の部屋』などで毎日のように見かけるが、殆ど彼女の番組はみてない。
しかし芸能界の一線で55年も活躍しているのだから、それなりの信条があるのだろう。
どちらかというと、女性の好みとして苦手のタイプ。彼女は子供の頃からの異端児で、学校では劣等生だったという。
ある本に、彼女の手記があったが、なかなか面白い。
 その概要といえば、
 −−
仕事をはじめて5年目に過労で一ヶ月の入院をした。 当時のTVは殆ど生番組で、出ていた番組では
私抜きでもドラマは進行した。その時に、二度と病気をしたくない、と思った。
だから退院をするときに院長に、「死ぬまで病気をしたくないですけで、どうすればよいか?」と聞いたら、
先生はおっしゃった。「長いこと医者をしているが、そういう質問は初めてだ」。
でも、と先生はおっしゃった。この先生は名医だった。「一つだけ方法がある。でもたいがいは、出来ないんだよね」
私は必死に食い下がった。「やります、どんなことでも」「じゃあ、好きなことだけをして生きなさい」
「え?じゃ、明日は芝居を見て、あさってはピクニックをして、しあさってはショッピング。そんなお金はないな〜」。
「誰が遊んでなさいといいました。自分が進んでやる仕事をやること。
身体の疲れは、寝れば直る。でも、嫌だなと思ってする仕事は、少しずつ身体に溜まっていく。
それが繰り返されると病気になるんだと思うんだ。だから、進んでやる仕事はやっていれば、病気にはならないんだと思うんだ」。  
私はそうしようと決めた。だからマネジャーと相談してよく寝ることは勿論だけど、極力、自分が進んでする仕事をするように
生きてきた。もちろん、若いときは難しかったけど、どんな金儲けの仕事が来ても、気が進まないと、
やめた。その代わり、自分が引き受けた仕事は、すべて、これは自分がやりたくて
引き受けた仕事だから、と全力でやった。そんな風にして、50年間、病気なしでやってきた。                                                     ーつづく
ーー
なるほど、素晴らしい信条であり、それが彼女を、ここまで一線で活躍させた源泉である。
ここで何度も書いているが、50歳になったときに、はて、どうして生きようか?と考えた。
そして、50代で一生分を前倒しをして生きること。その為には、嫌なこと、嫌いな人とは
一線を画する。それと、社会の価値観を徹底的に疑うこと。好きなこと、したいことを優先することと決めた。
そうすると楽になった。そして日々が非常に楽しくなった。この経験があるから、彼女の言葉が理解できるのである。
 いや、元々してきたが、より徹するようになった!ということ。

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