2005年02月14日(月)
1413, スペインについてー2
ー闘牛の話

闘牛について何回か断片的に感想を書いてきたが、もう少し詳しく闘牛について書いてみる。
三回行ったスペイン旅行のうち、二回見ている。
マドリッドで初めて見た闘牛には、大きな衝撃を受けた。帰りは下を向いて黙って帰ってきた。とにかく残酷なのだ。
その日、一人の闘牛士が牛に突き殺されてしまった。牛の角に刺されて空中に放り出され、会場が異常にどよめいた。
こういう場合殆ど、闘牛士は亡くなるという。死ぬと、闘牛の世界では大ニュースになる。
現地のガイドが興奮をして、「こういう場面に出くわしたことは、不謹慎だが、非常に幸運です」と言っていた。

二回目に見た、パンプローナ牛追い祭りの最終日の闘牛が面白かった。
牛追いは、その夜の闘牛の牛を早朝街を追い上げる時に、男達がその前を走って勇気を競うことから始った。
またヘミングウエーの小説の舞台にもなって、世界的に知られるようになった。
延々と続いたパンプローナの最終日、興奮は最高潮に達して、スペイン中がこの闘牛に注目する。
二回目となると、初めと違って冷静に見ることができる。闘牛は、闘牛士と人間の殺し合いである。
生と死のギリギリのドラマが演じられる。興奮した牛の登場から、熱狂的な闘いの後、死体になって
数頭の牛に引きずられながら葬送のラッパと供に消えていくまでの全てを見るからこそ良い。

アンフェアなのは、牛に何回か槍を刺して弱らせてから、闘牛士と闘うことだ。
そのままで闘うと闘牛士が殺されるケースが多いからだ。初めてみた時には、アンフェアと腹が立った。
が、二回目から「こんなものだろう」と楽しむことにした。一晩、2時間以上かけて、前座から横綱クラスまで、
三人の闘牛士と六頭の闘牛の闘いがある。闘牛士にもランクがあって、その実力は見ていても解る。
牛にも実力があり、闘牛用の牧場で人間に触れないようにして、野性味を残してある。
とにかく逆三角形で大きく格好がよいのだ。また闘っている姿は、勇者そのものである。
気の強い奴、弱いくて逃げ回る奴、性格のクセのある奴、それぞれ違っている。
闘牛士も同じだ。 気の弱い牛は途中でも退場させることがある。

相撲は僅か数秒の勝負に気を入れた仕切りを長々し、だんだん気合を入れていく。そして立ちあいの
駆け引きの後に勝敗が決する。最後に負けた力士が、肩を落として帰る場面までのフルコースで成り立つ。
ダイジェストで勝負の一瞬を見ても何も面白くはない。闘牛も同じである。
地元の観客を見ていると、この殺戮をサンドイッチを食べながら家族連れで見ている。
最後に死んだ牛を、ラッパによる葬送と供にヒモを付けた虚勢した牛が引きづって
退場するのだ。そして、帰りに解体された牛肉が売店で売られている。
西欧文化東洋文化は基本から全く違う。長岡近郊の山古志村の「闘牛」は、牛同士の押し合いでしかない。
中世にスペインが南米を占領したのも当然である。今の、イラクとか、アフガンも同じ構図である。
アルカイダの立場も解らないではない。今の日本は、この闘牛の牛でしかないのだろう?少し飛躍をしたが。
とにかくスペインは、情熱と死と愛が、入り混じった文化が露出している。芸術、建物、踊り、そして、闘牛。 
以前書いた、「スペインについて」をコピーをしておきます。
 
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