最近になって、「貧困率」という言葉が話題になることが多い。
 −そこでウィキペディアで調べてみた
  貧困率は、「絶対的貧困率」と「相対的貧困率」とに大別される。
絶対的貧困率
 当該国や地域で生活していける最低水準を下回る収入しか得られない国民が全国民に占める割合の事。
 相対的貧困率よりも実状を反映しやすいという特徴があるが、逆に言えば、「生活していける水準」を
 どのように設定するかによってさまざまな基準があり、設定者の主観が入りやすいという危険を持つ。
相対的貧困率
 国民の経済格差を表す指標で、「年収が全国民の年収の中央値の半分に満たない国民の割合」の事。
 絶対的貧困率と違い数学的な指標なので主観が入りにくい。しかし絶対的貧困率と異なり国によって
「貧困」のレベルが大きく異ってしまうという特徴を持つ。この為裕福な国Aにすむ人が
 相対的貧困率の意味で「貧困」であっても、貧しい国Bにすむ人々よりもずっと豊かな暮らしをしている、
 という事もありうる。よって相対的貧困率は「貧困率」という名前であるが、貧困を表す指標と
 とらえるよりも国民の経済格差を表す指標ととらえたほうが正しい。
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以上だが、貧困率アメリカは17パーセントに次いで、日本は15パーセントの二位。
アメリカでは黒人・ヒスパニック系が25〜30パーセントに対して白人は10パーセント。
2000年には日米ともに13・5パーセントだったことから、その数字はジワジワと上がっている。
社会保障の行き届いている北欧はわずか5〜6パーセントからみれば、異常な数字と見てよい。
現在の日本の平均収入が307万円だから、大よそ150万がラインだが、実際には月15万×12ケ月=180万辺り。
中流時代という言葉が懐かしい時代になってしまった。「ゆとり教育」の世代が社会の中核になってきたが、
ますます貧富の差が大きくなる要素が増えてしまった。 とはいえ社会主義政策の結果の総貧困社会も困る。
社会主義者は現在でも、やり方が間違っていただけと言ってはいるが・・・
貧困の恐怖が人間のエネルギーの元になってきたが、それさえ感じられない世代を「ゆとり教育」が作り
あげてしまった。 結果として、能力カースト制度を子供時代から作り上げてしまった罪は大きい。
国が衰える背景には、マイナスの重なりがある。 
情報社会は、格差の実態をアカラサマに露出するから鬱積が溜まり爆発するのである。
 自由主義の拡大は、結果として豊かになる自由もあるが、貧困になる自由もある。 
「自由、平等、博愛」は人類の永遠のテーマである。 これも動物である限り共同幻想ということ?

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