2003年02月10日(月)
677, イヤなやつ

「ぶざまな人生」があるなら「イヤなやつ」のテーマが面白いだろうと調べたら有った有ったーサブテーマだが。
河盛好蔵が昭和33年に週間朝日にかいた「人とつき合う法」の第一章にかいてあった「イヤなやつ」という文章があった。
一部を書き写してみる。
ー「私自身のことを考えてみると、私まず人に快感を与える容貌の持ち主でない。性質についていえば、他人の幸福より
不幸を喜ぶ感情の悪さがある。自分ではできるだけ怠けて、人をはたらかせ、その功を自分だけで独り占めをしたいという
ズルさと、欲の深さがある。権力者にはなるべく逆らわないで、進んでその権力に媚びようとする卑しさがある。・・・・
自分に寛大で、他人には厳しくって、エゴイストの部分が非常に多い。ケチで、感情高くって、他人の不幸にそ知らぬ顔をし、
・・・・考えてみると「イヤなやつ」要素・条件をことごとく持っている。そしてそんな事を、あけすけに書いたほうが、
かえって得になるとひそかに計算しているのであるから、われながら謙悪にたえない」

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以上であるが、読んだ人はドキッとするはずだ、自分の事だからだ!
私など更に弱い相手には威張り、こすっからいし、馬鹿なくせにより馬鹿が大嫌いで、酒癖が悪いし、
書いていてイヤになる。しかし「人間はイヤな奴の程度が高いか低いかの差」の存在でしかないのも知っている。
仏教でいう四苦八苦の中にも「怨憎会苦(おんぞうえく)」:怨み憎む人と出会わなければならない苦ーがある。
人間誰でも持っている要素で、かつ何処かでいつも気にしている言葉
でもある。男は一歩外に出れば7人の敵がいるというがー8人の味方もいるが、敵から見たら
「イヤなやつ」になる。私などいつも言われてきたし、特にイヤなやつである。
ところでそれが如何したという開き直りがある。私など言葉という凶器?があるから、いらない敵までつくってしまう。
ところで「いい人」とはどういう人か考えた事があった。ある純朴な?居酒屋のママさんが人の好き嫌いがハッキリしていた。
あの人はいい人だ、いやな人だと明け透けにいっていた。よく聞いているとー自分では気がついてないが、
自分にとって今その時の都合のよい人が「よい人」、不快の人や都合の悪い人が「イヤなやつ」であった。
単純明快のところが大変面白いが、度が過ぎると問題だ。彼女いつもストレスの塊になっていた。
人間という奴は本当に面白い!「イヤなやつ」をやったり、「よい人」をやったりしながら色いろ人生を過ごしていく。
夫婦なんて、この両方の織りなす柄を創っていくようなものだ。嫁姑の関係も、その際にある。

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