2004年02月10日(火)
1042, 随筆はプロが書くもの! −2
 「文章術の千本ノック」 −読書日記ー2

この要点を目次に書き込みながらまとめてみる。品格もあるようだから、心して文章を書かなくてはならない。
                (ー>が要約である)
序ー文字を惜しめ
−>お金と文章はケチなほど良い.その為には最小限に書く心がけが必要だ。
 書き直しと添削を繰り返すことが重要である。文章は明らかに芸術的な営為である。 簡単なデッサンではない。
 
1−文章の第一要件は[客観性」にありー
 ー>客観的な「批判」というプロセスを通過したものでないと、他人が読む場合には
 耐えられない。エッセイは常に書こうとする「外」にいて、外からこの「世界」を 描写するのをエッセイとはいわない。
 エッセイは一度内側から書いて、それを外側の眼で眺めかえさなくてはならない。
 エッセイ(随想)と随筆は、明らかに違う。エッセイは、一言で言うと「論理的文章」と定義したらいい。
 論理のない文章はエッセイではない。見てきたこと、生きてきていてこう思うとか、文化論だとか、
 その中にある論理を読んでもらうのがエッセイである。「随筆ってものは素人が書くものではないと思います。」
 「これが天下の真実というもので、功なり名を遂げたプロの作家が、趣味で書くものです。
 あるいは松平定信のようなお殿様が、日ごろの生活の中で心に浮かぶ『よしなごと』をぼつぼつと
 書き付けたというものが随筆であって、これはよほど文章力があるとか、その人の人生が面白いとか、
 その人の観察力が鋭いとか、描写力が秀逸だとか、そういう経験と筆力が物を言う世界なんです、随筆は。」
 随筆は論理性より、プロがつれずれに書くもので論理性は逆に求められない。
2−エッセイと観察ー
 エッセイにはまずテーマがなくてはならない。そのテーマをどういうふうに論理を展開するかが
 エッセイの一番の醍醐味になる。 エッセイは「あ、おもしろい」と思う切り口が必要である。
 我々は多くのものを雑にしか見ていない。団子だったら団子という概念でしか見ていない。
 その団子を取り上げて面白おかしく描写をするのがエッセイである。
 人が見ないところまでよく観察して、人が読んでくれるような文章にするのがエッセイ。
3−論旨の方法ー 
 論述には、難しくいえば帰納法演繹法がある。 結論をまず出して、その要素を面白おかしく書く演繹法的手法と、
 謎を残しながらプロセスで引っ張りながら、最後にひねった内容にする手法がある。
 私の場合は両方を使うことを心がけているが。最後にヒネリを入れたニヤと笑わす手法。 
 これは自然に出てくる? いや性格か?
4−文体の問題ー 
 文体には敬体と常体とある。 敬体とは「です・ます」調と言われています。
 常体とは「だ・である」調と言われている。 何もいわないと男性は常体で書く。
 敬体は形容詞がつかいにくくなる。 従ってエッセイは常体で書くのは当然のことである。
5−テーマと寸法ー 
 テーマにも、大きいテーマ、小さなテーマがある。 テーマが小さければサイズを小さくしなくてはならない。
 大きなテーマは長い文章になってしまう。 小さなテーマを小粋にまとめるのが随想の醍醐味である。
                 ー続く
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