2005年02月07日(月)
1406, フリーター漂流

一昨日のNHKスペシャルの「フリーター漂流」に、考えさせられた。

フリーターを臨時採用する会社があって、その会社は(派遣ではなく)下請けの立場で、
「フリーター」を工場に送り込む。ラバー(単純作業労働者)を、下請けとして契約相手先の工場内で作業をさせる。
元請は契約下請け作業員を直接工場で働かせているにすぎない。そのため自由に配置転換が可能になる。
下請け会社は、全国レベルでフリーターを集めたラバーを工場などの現場に配置する。
フリーターを嫌う大手と、単純作業を割り切って働きたいというフリーターを結びつける必然的な機能である。
フリーターも割り切っているから、お互い様である。しかし、多くのしわ寄せが彼らに直接くる。 
残業なども不定期にきて、それが原因で病気になっても定期契約なので一切の保証は無い。
フリーターを続けてきた人は企業は欲しがらない。彼等は、正社員としての適性がなくなっているのだ。
この番組みでは、その彼等の個々のケースを追っていた。フリーターに、なりたくってなっているのではない。
決して、気楽ではないのだ。この会社は「ニッケン」といい、チラシなどで募集内容を目にしていた。
仕事内容が多彩で不思議に思っていたが、フリーター専門の下請け会社だったのだ。
そういえば、コンビニの開店専門派遣会社を経営している人がいた。
一種の開店屋として、FC契約のオーナーのオペレーションが落ち着くまでの臨時作業を請け負うのだ。
なるほど、そこまでドライに割り切っているのかと感心していたが。
フリーターは誰にもできる仕事に限られ、使い捨てになる。そこには冷徹な時間売りとしての肉体労働が要求される。
今は若年層に限られるが、今後は熟年層だけでなく女性層にも広がっていくだろう。
こういうカタチで一部勝ち組以外は、賃金の引き下げが進んでいく近い未来の姿だ。
私も過去に浪人時代が何回かあるが、その時の心の空洞感を思い出す。世の中の全てから見下されているような虚脱感と
虚しさが、まだ生々しい。あの虚脱感が、私の事業の失敗に対する恐怖にある。 それが事業の出発点の原点である。

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