2月4日 火曜日 1969年

朝8時半、母屋から電話で起こされる。誰だろうかと、思ってでると中条さんだ。
アルバイトで知り合った人だ。石原慎太郎と美濃部の都知事選挙で、数日間宣伝カーでマイクを
ガナッタ連れであった。数日間、そのアルバイトからの帰路、寮が近くにあり
飯田橋の駅から二人で話をしながら帰った。富山県のおっとりした芯の強い人だった。
その後オーストリアに留学をした寮隣の部屋の河路さんと親しくなった。
その妹分の洋子が、今日これから荷物をまとめて帰ってしまうという。洋子は躊躇をしていたようだった。
本人と話をしていると、胸がつまって何も言えなくなる。自分がおかしくなって涙が出る。彼女も泣いていたようだ。
三年の時によく合コンで気があって何時も一緒だったが。学生時代で女性では一番心が通じた一人であった。
私の好きなタイプの品の良い、素素としたお嬢様タイプの美しい人だ。
一年間全くの接触が無かったのに、このタイミングの電話は厳しい!
中途半端に、何もいえないで電話を切ってしまったが。見送りに行くべきであったのだろうが、
不意なので思いもつかなかった。でも、これから故郷に帰ろうという直前に電話をくれたのは嬉しい。
そういえば、去年の二月初めやはり(仁科)ヨウ子という名前の人が、これから帰るという電話が来たことを思い出した。
女性の場合、そういう時誰かに電話や手紙を出したくなるのだろう。 毎日のように一人一人と別れになる。