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2003年01月31日(金)
667,「成功する読書日記」-読書日記
ー読書日記帳の基本パターンはー
「成功する読書日記」 著者 鹿島茂
ーこの本の引用とレジェメー
これに、書き込んでファイルに溜め込む。大学ノートに一冊読んだごとに書き込めばよい。
引用やコメントは初めは無理して書なくてよい、そのうちに自然と書き込むようになる。
とりあえずこれを続けることに意味がある。
・量がたまってきたら,しめたものである。
・その為には無理をしないで、事務的に書き続けることだ
・遭遇時情報も大事である。新聞で見つけて買ったとか、図書館で何時借りて何時返したとか。
・その評価の☆とりも大事の一つ
・レジュメー特に自分がここが印象的という主観でよいから書き留めることー写す
・本選びは、自分の気に入った本屋を数軒決めて、定期的に行くこと。図書館もだ。
・トイレ、書斎・居間・通勤電車などの本を、そのつど決めておく
・飛ばし読みOK これを続けていくと、たんに読んだ本を書きとめているより、むしろ「収集」しているのではないか
という感覚になる。ある程度の量になるとそれがジャンル別になってくる。 そうすると体系化への志向が生まれ、
それ自身が意思を持ち始める。コレクション的になってきて喜びが生まれてくる。
読書日記や映画日記を続けていると、何時しか、コレクションが「開かれる」という現象が起こってくる。
一つに集中していたジャンルに、ある日そこに夾雑物が混じりこんできて、その夾雑物が次のジャンルを導く。
これが繰り返されて色々なジャンルができると、ジャンルそのものの比較検討が可能になる。
SF小説、冒険小説、推理小説、時代小説などなど。そのジャンル相互の類似と差異が目に付くようになる。
そして「小説」そのものについて、批評意識を抱くにいたります。
量がある域を超えると、「質」という問題を意識にのぼらせる様になる。
この量を超えて「質」を掴めたということは,そのまま「抽象」を行ったことを意味する。
「量」というのは、思っているよりはるかに重要である。これを軽んじるものは「質」で躓く。
「量」をこなしてない批評家は信用できない。随想日記を書き続けていて、その感覚は解る。
理想をいえばー
自分では一切本を持たないで、図書館の本を徹底的に利用することである。
図書館から借りてきた本から必要部分をすべて引用しておき、読書ノートを書庫代わりにすることだ。
但し図書館がすぐ近くにあることが条件だ。
ーコメントー
以上が大体のこの本のレジェメだ。これを読んでいて、私の旅行に似ているのに驚いた。アフリカ大陸、
ユーラシア、南米、インド・シルクロード、オセアニア、イスラム世界といつの間にかジャンルができてしまう。
そして今度はどこのジャンルのどこにしようかという見方で選択を始める。そしてジャンルー南米とアフリカの
類似と差異を見たり、アフリカだったら、ケニアとタンザニアの差異と類似が見えてくる。
その為には、とりあえずある量ー回数をこなさなければならない。
この本を読んでいて、何でこれだけ量を読んでいながら読書日記や映画日記をつけなかったか今更悔やまれる。
こういう本の存在を見つけられなかったからだ。実際に何回か挑戦したが、ノートに引用しているうちに、
書く事に気をとられてしまい、そのマイナスが大きく足を引っ張ってしまった。
でも、読んだ本と、著者、出版社、買った動機、借りた図書館、日時位とちょっとしたコメントは書けたはず。
この習慣は必ず身につけることを誓う!!
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