2005年01月14日(金)
1382, 23歳の日記ー8  ー9月01日 1969年

雲屯庵にきている。学生時代にいた司法試験のため、一人きていた三条の高橋さんがいた。新井石龍禅師と早速話しをする。
私「いや〜、世の中こんなに厳しいとは思ってもいませんでした!理屈と実社会との隔離にただただ驚いています」
禅師「世の中は、変わりはしない。世の中が厳しいのではなく、あなたの理屈が甘かっただけの話です。」 
私「・・・・・」その夜、休暇で日本に帰ってきていた慶応を出て、ハーバード大のビジネス・スクールの学生がいた。 
彼と高橋さんと、そこの雲水と話をする。ところが、その雲水が博学で、高橋さんと私はダンマリ。
ハーバードと雲水の議論に全くついていけないのだ。 どうしたのだろう?禅師に昼間真っ二つに甘さを指摘され、
夜は夜で二人の議論についていけない自分が、そこにいるのだ。 何だろう、何だろう、何だろう!
実践としてスーパーに入ったが、何にもできない中途半端な自分がいるし、実際のところ濁流の中で
もう水を飲んでアップアップしているだけの自分が、神戸の垂水に一人呆然としているだけだ。
どうしたのだ、どうしたのだ。 適当に真面目に考えることもないが。

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2005年 ー1月14日記ー
ーこの時のショックは計り知れないものがあった。
身近で、これだけの知的水準の高い同年代ハーバード大の人と接したのは初めての経験。
会話さえついていけないのだ。一言一言の言葉が宇宙語のようであった。
その逆の環境の真っ只中にいたから、その段差がなおのことあったのだろう。
「学生時代に自分は何をしてきたのだろう?」という、疑問を持ったまま卒業をしたこともあり、
「いま一度一人になって知識の再構築したい」という気持ちが芽生えたキッカケになった。
司法試験受験をしていた高橋さんが三条市で弁護士になっていると、聞いたことがある。
まだ会ってはないが、実直な無口な人であった。懐かしい日々であった。

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