2007年01月07日(日)
2105, ウェブ人間論 −4
    (~Q~;) おはよう〜〜 ファ〜

ネットがますます重要な位置を占めてくるとき、その中での実名か匿名か、どちらを選ぶか大きな問題になる。
匿名の場合は無責任な事も書けるが、実名は書いたことは実際に話していることと同じことになり、
当然リアル世界に直接跳ね返ってくる。 このHPを書いていて時々面白い現象にであうことがある。 
自分が忘れていた事を相手が憶えていて、読んでいる人のほうが自分のある一面だがよく知っていることがある。
これだけの量を書いていると何を書いたか、自分でも忘れてしまう。
自分の体臭に気づかないのと同じで、悪臭は敏感に感じ取られてしまう。

このHPは、自分のネット上の分身であると同時に、本心そのままである。
もし私の知人が殆んど同じHPを書いていたら、これほど面白いことはないはず。
最近一人芸の「ピン芸人」ブームであるが、何か非常に似ている。面白くなければ他人も自分も、毎日つづかない。
特に文章は残るものだから、そして「未来の読者としての自分と、自分の分身」に語りかける要素があるので、
手抜きは許されない。実際、匿名のHPも自分を大きく開放してくれるだろうが、
「自分という世界の構築」という意味で、マイナス面が大きいのではなかろうか。
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第二章 匿名社会のサバイバル術 

梅田:ネットをする人と、パソコンを触ったことのない人もいる。今は間違いなく過渡期です。
 初めて入ったコミュニティーというのが本当にベストであるという、保証は全くないのです。
 その齟齬のようなものが、家族の中にも、学校にも、日本という国にもあり、
 物理的な大きな制約になっている。でもネットでは、自分がいたい場所が選べる。
 人との出会いを含めて可能性がバーンと広がっている。
 学校のクラスの中には自分と合う人はいないけれど、ネットに行くと 母集団が
 50人から500万人に変わって、さらに検索が出来るから、在ったこともないけど
 自分とおなじことを考えているとか、自分にピッタリあった人が見つかっていく。
 これがものすごく大きなことで、それが、ネットへのワクワク感を持った人たちを
 「ネットなしではやっていけない」という感じに させているのだと思います。

梅田:専門性ということでも、一つの研究所にITのプログラマー
 500人位在籍していても、ある一人がやっていることは必ずしも、その組織では理解されないのです。
 あまりに専門化しすぎてしまって。ところがオープンソースの世界では、ソフトウェアーのコードを
 ネット上に無料で流すと、いきなりロシアとか中国とかシリコンバレー からでも、「お前のコードは凄いよ」とか、
 「同じことを考えていた」とか、世界中の不特定多数からのリアクションが届く。
 この感動が核にあるんです。リアル世界では誰もわかってくれないのが、ネットにのった瞬間に変わる。
 オープンソースの原動力って、結局そういう個々の承認感動にあると思います。

梅田:ネットの魅力の感じ方は、リアルな空間での自分の恵まれ度に反比例すると思います。
 リアルの世界で認められている人や、いい会社に勤めている人たちに、いくら僕がネットがいいよ話しても
 わかってもらえない。リアルで完全に充足しているから、別世界なんて必要としないのです。
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ピン芸人的ブログ
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平野:ネット社会によって到来した「一億総表現者時代」というのは、非常に刺激的なことと思っています。
 今までは一部作家と出版社だけに寡占されてきた「書く」という表現手段が、一気に、しかもただ同然に、
 誰にも開放されたのですから。その内容といえば二つに分けることができる。
 一つは、有益な情報発信、情報交換の場としてのブログ。もう一つは、個人のアイデンティティに関わる、
 つまり今日何を食べたかというような当人以外どうでもいいようなことを、こつこつ記録していくブログ。
 最近演芸において3名をトリオ、2名をコンビというのに対し、1名でネタを演じる者をピン芸人がブームになっているが、
 あれはブログ的と感じるのです。伝統的な漫才のボケとツッコミは、大体、ボケの方が突拍子もないことを言って、
 ツッコミが「何でやねん?!」と常識を代弁してそれを咎める。これは、リアル社会のパロディーですね。
 それに対してピン芸人は「なんでやねん?」と人からツッコマれる場所では黙っているけど、でも、心の中では、
 むしろそうしたリアル社会の「常識」の方に「みんなそう言うけど、本当はこう思っているんじゃないの?」と、
 ツッコミを入れる。その意味で逆転している。
 ピン芸人は、マスメディアを通して、視聴者の内面の声に語りかけるわけです。
 これは、ネットでブロがーたちがボソボソと不特定多数の人に向けて語っている言葉と近いんじゃないのかと思います。
 ただ、誰に向かって語っているかというのはどちらも明確でなくて、誰か分かる人だけが反応すればいいというスタンス。
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 *空いているスペースを取る*
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梅田*僕は自分の本のタイトルを、グ−グルで空いているスペースから探してつけているんです。
ウェブ進化論』も空いていたんです。グーグルで『ウェブ進化論』って検索しても、僕の本が出るまで、
20件ほどしか検索結果がでなかったのです。『シリコンバレー精神』というタイトルも検索したら空いていた。
そういう工夫をしながら検索エンジンと付き合っていくのが、これからの時代を生きる術の一つだと思います。
ある情報が200万件も検索エンジンに引っかかると、そのうちの一つは、もう砂浜の一つの砂みたいになるんですよ。
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後記)このタイトルは先手を打った内容である。これからのネット社会の人間像を最初?に掘り下げている。
一日300のブログを読むとは、今までの私の感覚からして信じられない。せめて一日10のブログを読むことから始めたい。
これが今年のブログへの移行と同時のチャレンジだろう。その選定から始めなければならないが、まずは梅田のブログからだ。
              (⌒▽⌒)/"”さいなら!
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