2008年01月03日(木)
2465, 居場所を見つけたときに人間は変わる −2  
              ヽ(★>з<)。o○[ォハヨ]

居場所は自分のアイディンティーと関係してくる。もし、そのアイディンティーが、寄る当ての無いものなら、
寄る当てのあるように変えていかなくてはならない。まずはボタンのかけ違いを一番初めから、かけ直さなくては。
居場所こそ、人間が持っていなくてはならない場所である。私の場合は、机と本棚である。
そこに好きな愛読書とコーヒーカップが有ればよい。 そしてステレオかラジオかTVを置く。 
誰でもが、まず始めることだが!現在なら自分のパソコンと、その中のブログと携帯電話になる。
ブログは、そういう意味で居場所の概念を変えてしまった。携帯かパソコンが身近にあれば、それが自分の居場所になる。
それもあるが、前回にも書いたが、やはり暖かい家庭こそベースになる。

*前回の続きです*
ー 芹沢
この話が告げているのは、悪いことをやる奴には「悪いことは悪い」ときっちりと教えなくてはいけない、
それを強い規律と指導と訓練で教え込もうというような方策が、実は失敗への道でしかないということです。
いまアメリカがイラクに対してやろうとしていることは、それに近いですね。
でも、その女性がやったことはそうではない。盗みでもしなければやっていられないような彼自身の、
安心も安全も安定もないようなこれまでの人生を、ーそれは過去からの歴史が作っているわけですけれども、
しっかり受け止めたのです。 受け止められた中で、彼が変わっていくのです。
例えば、青年はものすごくケチで、自分のことにはお金を使うけれども、人にプレゼントなんて一切しない人だった。
そんな彼が、彼女にプレゼントを初めてしたというのです。そんなふうに初めて安心、安全、安定できる場所ができ、
ここが自分の居場所なのだと初めて感じたとき、その居場所を作る支えになった人が大切な存在として見えてくると
いうことが起きているのです。 すごいな、と思います。彼女は母の役割をしたのです。 
母というのは「存在の大地」につながるのだ、とそのケース・カンファレンスを聞きながら実感しました。
 ー 二階堂
芹沢さんは、先に大地とは居場所だと言われましたね。言い換えれば、どこに座っているか。
仏教では、仏さんそのものより仏さんが座っている蓮華の座をまず観て大事にするのです。
どこに座っているかということで、その人間がわかる。
座る場所がなくなってしまうのが、いちばん苦しいわけです。
「拠りどころ」という言葉もありますね。
「人・地に寄るが故に倒れる・還りて地に依りて立つ」(地に因りて倒るる者は、地に依りて立つ)
という言葉が仏典(『入大乗論』にあります。人はいろいろな苦難があって、大地に倒れても、
必ず同じ大地から立ち上がる。 良い言葉だなと思います。
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心の拠りどころ、心が何処に座っているのか、それも大事である。
自分の夢と信条、好きなことを明確にして、それに従って生きることこそ重要である。
そして、物理的にも自分が座るべき場所を明確にしておくことも!
父親の位牌とか、母親の形見とか、そういうものを常に身近に置くことも居場所つくり
に良いだろう。森の鎮守様など、それだろう。
                      ヽ(・д・`●)
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