2004年12月31日(金)
1368, 今年を振り返るー総括

毎年、同じような言葉で始る。「今年も、あと一日になった」である。それが誰もが抱く感慨だろう。
地球が怒っているのではないかと思われるほど、次々と災害に襲われた。その幾つかを記録として書いてみる。
・インド洋で、とてつもない大きな地震がおこった。震度はM9で、阪神大震災の1400倍のエネルギーというから
 想像を超えている。地球を津波の余波が三回したという。被害は10ヶ国をこえて、現在のところ10万人というが、
 まだまだ増えるだろう。TVで多くの映像が流れて、何人かを飲み込んで流されている映像もあった。
 明治29年の明治三陸地震の2万2千人の被害を軽く超える惨事で、20世紀来、エネルギーとしては4番目の大きさ。
 やっと、中越地震の余震が収まりかけてきたと思っていたら、この大震災である。台風は例年の3倍もあり、
 やっと落ち着いた時に、中越地震、そして、このスマトラ地震である。 全くどうなっているのだろう。
・暗い話だけでは片手落ちになるので、明るい話はオリンピックで日本が久しぶりに多くのメダルをとったことである。
 強いところに、集中的に強化をしたのが功を奏したという。
・地方の景気も相変わらず、良くはない 特に新潟県はその中でも一番悪いところである。
 これに台風による水害と、この中越地震である。復興景気といっても土木が少し良い位で全体的には決して良くはない。
 日本全体から見ると、明るい兆しが見えてきた。その要因として、政府の力、外部要因、内部要因からみると、
 外部要因は、中国向けを中心とした輸出の伸長である。内部要因は、液晶・プラズマの薄型TVやDVD、
 そしてデジタルカメラに象徴されるデジタル家電のブーム。 中国とデジタルの頭文字の「CD景気」は、 
 この1、2年で反転するようなことはないだろう。しかし中国景気は、日本の地方に直接・間接の大きな影響を与えている。
・この十年間2〜3回は海外旅行をしていたが、今年は一回であった。年末にと思っていたが、この中越地震である。
 これがなければインドネシアか、タイと考えていたので、助かったのかも。
プロ野球問題、西武鉄道の問題、ダイエーの解体の決定、など多くの問題が噴出した年でもあった。
 情報化・グローバル化による時代の変化が、ますます激しさを増して時代を変えた年といってよい。
・身近の人で亡くなったのは、取引先の朝日広告の五十嵐恭一さんである。
 会社の事務所に一番多く訪ねてきた人である。年に数回は、個人的に飲みにいっていた。
 多くの取引先をまわっているので、景気とか時流の情報に敏感であった。
 親戚では、亡くなった人はいなかった。 伯父叔母も、あと数人になったこともあるが。
・仕事の方も、相変わらず下方圧力は大きいが、今年の10月の後半で底うちをしたようだ。
 と同時に中越地震の復興関係の宿泊のためミニ・バブルになり、予算を何とか達成可能になった。
  今年はやはり何といっても中越地震が一番の出来事であった。 忘れられない年になった。

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