2003年12月27日(土)
997,「 私の死亡記事」−2

 この本を読んで、それでは私も書いてみようかと思って既に2年経つ。
そこで書きだしたが、そうは書けないものだ。あからさまな自分を、突き放して見つめることは辛いことである。
宇宙から地球を見つめ、地球から日本を見つめ、日本から新潟を見つめ、
そして自分を見つめ、その自分を突き放して、最終の死の視点から冷静に書くのも面白い挑戦でもある。
ー以下、真面目にフザケテ書いてみるー
戦後直後の混乱期の1946年01月15日、新潟県長岡市に8人兄姉の末っ子として生まれる。
父が43歳、母が38歳にの時に生まれた為に、両親に溺愛?されて育った。実家が丁度、転業期の為、
いつも一人放って置かれて育った。一生を通して独り遊びの癖が抜けていないようであった。
しかし無事に人並み?に大学を卒業をした。両親の姿をみていたためか、大学時代より創業の準備を始めていたと
彼の文章に書いてあった。27歳で千葉で独立したが、その二年後に実家で騒動が勃発。実家の「衣料量販店」を
五年近く従事する。実家の経営を軌道に乗せ、その後新潟の駅前で日本で初めて客室主体の「シングル専門ホテル」
を開業する。35歳の年であった。一階に学生服を兼業して奇妙なホテルとして注目を浴びる。
その後、70室の客室を500室まで新潟駅前で増やす。そのプロセスでリースバックを思いつくが、
バブルの時代に買い取り方式に拘りすぎたようである。
現在デフレのフィッシャー効果の為、事業構造の転換迫られ丁度手がけた矢先であった。
酒を飲んで多くの失敗を繰り返していたが、昨夜ついに暴走族と長岡駅裏で乱闘、袋叩きにあって
翌日死んでいるのを発見される。誰も同情する人が無いのは、この人の生き方をそのまま顕している。
死を予感したのか、随想日記を997日分書き残したが、その最後に皮肉にも「私の死亡記事」が書いてあった。
本人の目標の1000に、あと三日であった。  享年57歳。 葬儀、告別式は本人の希望でなし。

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2001年08月13日(月)
[107] 「私の死亡記事 」‐文芸春秋

図書館で何気なく借りてきた本だが、これが面白い!各分野の有名人に「物故者の解説を、当の本人執筆という点である」
そのお願いの文章が、前書きになっているところがまた面白い。
よくこれだけの有名人が真面目に、あるいはふざけて書いているのがいい。
まず自分の死亡時期の設定、そして死亡原因、生前の業績を当の本人が書くのだから。
どちらにしても真剣に書いてあることは文面よりわかる。生前の業績に対しては意外と自己正当化しているのが可笑しい。 
 −私も書き始めたが侘しくなってきた。死亡時期‐父と同じ71歳(そうすると後16年の時間)
・死亡原因‐酒の飲みすぎによるショック死。
・生前の業績ー書くに値せず。
・葬式方法は葬式坊主に一円の金も払わないようにとの遺言の為に音楽葬
 ただし身内のみで。近じか真面目に書いてみよう。
   
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「私の死亡記事 」出版社: 文芸春秋
ーレビュー
新聞の社会面に載る「死亡記事」。それが、本人自らの筆によって書かれたとしたら…。
そんな発想から書かれた本書には、細川護煕岸田秀田辺聖子渡辺えり子ら著名人102名の空想上の死亡記事が
著者本人によって記されている。味気ない客観的業績の記録や経歴だけでなく、著者自身の視点から見た、
これまでの強烈な生き様や輝かしい業績への途、これから築くであろう架空の人生、
希望あふれる業績(予定)の数々が、手紙や俳句など形式にかかわらず、見開き1ページで著してある。
何より、墓碑銘や死の描写などの創作的要素が多く盛り込まれた各々の文章が共通しておもしろい。
著者各人の自由発想によって、「これが自分らしい死に方である」というくだりがドラマチックだったり、
失笑を買うものであったりと創造性豊かな死に様が描かれているのだ。また、「海に遺骨を撒く」、
風葬にする…」など自分なりの墓標を立てたいという希望が多く、その主義主張が興味深い。
しかし、「死」を読んでいるはずが、読むうちに執筆者の「生」を感じ取れるのはなぜだろう?
自身の「死」を想定することによって書かれた各人の死亡記事の根底には、これから続くであろう「生」への希望、
今まで生きてきた「生」への悔悟、自身の「生」に深くかかわった人々への思いが流れていることに読者は気づくに違いない。
本書は創作された「死」の物語として楽しみ、「生」を省みる機会を読者に与えてくれる。(青山浩子)

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