2007年12月16日(日)
2447, 四四太郎の霊日記 ー12

           (*´_●`)ノオハオハオハ♪
さてと、お出ましである。 何時も同じようなことをブツブツ言っているが、
違う視点を持つことに意味があるということじゃ。

<私>+<私の体>=「私」ということは 「私」−<私の体>=<私> と誰か哲学者が論じていただろう。
 その<私>の芯にあるのが、≪私≫とすると、更にその奥にあるのが≪≪私≫≫ということになる。
いや、この括弧を内側に幾つかつけたのがワシということ。これが≪私≫を通して<私>に語りかけているということ。
だから、御主も何か変な気分になるのは解るし、御主とは見方が違ってくる。 だから先祖を大事にせい!というのは、
決して間違ってはいないのだ。ただ、葬式坊主のタカリに乗ってもよいというのとは違う。

ところで、御主が娑婆で過ごす心得を教えてやる。大きな地球儀を何処か身近に置くことじゃ。
パソコン内ではない、とにかく手に触れる場所に置くこと。
そして月の上か、衛星から地球をみる気持ちで常に見ることじゃ。
娑婆の連中は意外とこの効用が解ってないのだ。自分の魂の視点をそこに置くことが重要になる。
あれは子供用だけではなく、大人にこそ必要である。その習慣こそ、周囲の騒音から己を外に置く
一番手っ取り早い方法になるのだ。それと詩を学ぶことだ。詩は、何かに書き残しておけば何年経っても
伝わりやすい痕跡になる。それでさえ宇宙の彼方から見れば、如何でもよいことになるが、
しかし人の心の奥の凝縮された言葉こそ、己の心の奥に突き刺さるのじゃ。

ワシの世界で知り合った面白いのを御主に就けておく。
知恵は数倍出ることは間違いないだろう。名前はダジーダジーダという。
通称ジーダでよい。何か考え事をする時に、彼を呼び出し聴くか話せばよい。またな!
                   ヾ(´∀`o)+バイバイ
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