2378, 邪視の思想 −2
            (。・∀・)ノ゛おっは〜

我々は、人を褒めてあげなさいと教えられるが、イスラム圏ではむしろ、あんたの子供は可愛くないと、
わざわざ言う場合もあるという。邪視の思想の原型は、イスラム教よりずっと以前の古代ローマやインドなどで
信じられてきたもので、東アジアを除けば世界的に昔からあったという。 瞳を覗き込むと、黒い部分に相手の姿が
小さく写っているのが見えるが、昔の人にとって、これが不思議に見えて、それを怖れたという説もある。

インドでは王や聖職者など位の高いものが持っているとされ、反対に、
エチオピアなどでは身分が低いものが邪視を持つと思われたという。
特に、国を持たないジプシーと軽蔑されたロマは誰もが邪視を持っていると欧州では思われてきたようだ。
だから欧州では人をジロジロ見ないのである。パキスタンカラコルム・ハイウエーをバスで駆け抜けた時のこと、
フンザの近くの村に差し向かったときに、「絶対に村民を見ないでください。
ここは見られることに異常に敏感なところで、殺されることもあります」
と言われ、全員が硬直して前を見据えていたことがあったが、邪視の思想の名残りでったのだろう。

欧米、特にアメリカや日本などは、相手をみたら良いところを見つけ褒めてやるのがエチケットと推奨されるが、
元々は褒めるということは、逆に恨みや嫉みの元と考えて嫌がるのが本来の考え方だったのである。
世界では、これだけの違いがあるのである。エジプトなどでは、子供の名前を雑巾という悪い意味の名前をつける
親もいるという。だからエジプトなどでは、日本みたいに「お子さんは何人ですか?」
という質問ができないという。 子供が多くいると羨ましがられるから、聞くのはマナーに反するという。

動物学者の畑ムツゴロウが、「動物は、視線に関して人間が想像する数倍も敏感である」
と言っていた。 試しに電線にとまっているカラスをジッと見るとソワソワする。
若い時に視線恐怖症や赤面症になるのも動物の名残りなのであろうか。
東アジアでは視線に関しては無頓着で、邪視の思想は殆どないのは、アジアは大らかということだろう。 
一歩外に出ると、今まで持っていた常識とやらは通用しないということだ。
 島国日本の常識は、世界の非常識と思ったらよい。
                  (○´ω`○)ノ**SeeYou**
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