2006年10月01日(日)
2007、「私」のための現代思想 −5  
                 おはよ〜!(*^ワ^*)i
  第二章 「私」はどこで、どのように生きているのか

私たちは<世界>に投げ出され、その<世界>の中で何らかの<物語>を遂行しながら
生きていく存在である。私たちは<言葉>と<価値>によって<世界>を認識し、<物語>をつくります。ここでの物語とは、私たち一人一人が持っている、
自分が生きていく上での「脚本」のことです。
そして<世界>とは、そのそれぞれの<物語>が上演される「舞台」のことです。
 
 ーハイデッガーの「世界劇場」− 私たちは「役割」を演じている

   ハイデッガーは「世界劇場」という概念を通して「人間の生」を把握しようと試みた。
   彼はまず私たちの「存在そのものー現存在」と「役柄」は異なっている、
   ということから考える。「役柄」は、人間は「この世界で何らかの
   役柄を演じている存在である」ということを表す概念である。学校においては学生を、
   家では息子を演じ、また友人や恋人を演じたりしている。
   これらを心理学では「ペルソナ」と呼ぶこともある。

これら仮面は、あらかじめこの世界に用意してあったもの。
少なくとも、その役割の性格から大きく離れたりすることはない。
つまり、私たちはこの世界に突然投げ出され、自らの意志によって、
その世界に予め用意されていた仮面のうちから幾つかを選び出して、それを演じています。

    このように「この世界に投げ出されること」をハイデッガーは「企投」と呼んだ。
    またその「役割」に没入している状態を「耽落」と呼んだ。
    私たちは、この「仮面を被った自分」を「本来の自分」と勘違いしている。
    仮面を被った状態の自己を「対象化された自己」という。
    被ってない状態の自己を「現存在」と呼んだ。

学生である男と、先生である自分がであったとする。
そのお互いの立場ー役割を一瞬で把握して「相互関係的な役割演技」をすることを、
「原初的な出会い」という。その前段階としての「存在の認識」がある。
それは果して存在しえるのだろうか?という問題がある。
しかし、「役割のみが存在している」のであれば、私たちは、
いきなり役割を認識できるわけです。しかしそうではありません。
少なくとも短時間で「役割を持たない誰か」が認識され、
その上でその人の役割が想起されるという段階を通っているはずだ。

    ハイデッガーは、我われが人生という劇場で役割をこなすためには、
   「役割を演じている役者である自己を自覚すること」であるという解決を薦める。
    それをもっと自覚的にするためには「役者を辞めることを決意しつつ、役者を続ける」
    ということです。そうすると大根役者と言われても、
    それは、「役割上のことでしかないのだ」と考えることができます。

「芝居が下手だ」とか、「華がない」と言われようが、そんなことは気にならなくなる。
うまく演じることにどんな意味があるのだろうかと考えれば、
うまく演じられないことにマイナスの意味を見出すことには、それこそ意味のない。
なぜなら「どうせ芝居でしかない」からです。
   −−−−
    評) 
   もっと辛辣にいえば、人生などお笑い劇場でしかない。
   真面目に演じれば演じるほど喜劇の道化になっていく。
   それに早く気がつけばよいのだが・・・
   人を笑わせることは難しいが、こと人生にかけて簡単だ。
   演じていることを自覚しなければよい。それがお笑いになる。
   没頭することは最も大事である。
  反面、どこかで没頭している自分をみている自身の時間が必要である。
  アウトサイダーと、インサイダーの両者の眼が。
   ・自分の人生という物語のシナリオと、
   ・そのシナリオに従って演じている自分と、
   ・その背景となる世界(劇場)を観ている観客と、
   ・観客を意識しながら見守っている監督、
   を意識して生きる!ということだ。
   そのためには、自分の人生の役を愛することだ。
   そして、その背景となる世界と、観客と監督を愛することだ。
   そう考えると、やはり宗教と倫理は必要ということ??
この第二章 のー「私」はどこで、どのように生きているのかーの答えー総括ーは、
「私」は「世界劇場」で、私の「役割り」を果たして生きている。
ハイデッガーは、我われが人生という劇場で役割をこなすためには、
「役割を演じている役者である自己を自覚すること」であるという解決を薦める。
それをもっと自覚的にするためには「役者を辞めることを決意しつつ、役者を続ける」
ということです。そうすると大根役者と言われても、
それは、「役割上のことでしかないのだ」と考えることができます。 −である。

   それぞれの人生劇場は二度とない!
   だから一瞬たりとも無駄にはできないのが人生である。
   自分の役を愛し演じとおすしかない!
   「私」と、私の「世界」は日々刻々腐っていく。生ものだから。
   汚れていくなんて甘いものではない!腐っていくのだ。
   腐っていくのは仕方がないことだ。腐っていくことを自覚するしかないのである。
   そして、それを自分で笑えればよい! いや笑うしかないのだ。

他人のことは解るのだが、自分のことは解らない。だから生きていけるのである。
せめて心が腐らないようにしたいが・・・
そのためには、学び続けなければならないというが、今さら何じゃい!という、腐った声が聞こえてくる。
                        ー 以上である。
                 ーつづく  \(^▽^*)バイ!           
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