2007年10月01日(月)
2372, 人は60歳で何をしたか
                 ー読書日記
 「人は60歳で何をしたか」藤原治・著 文芸春秋

何度もここで書いたことだが、50歳になった時、はたと今後如何に生きようか?
一年考えた末に、「この十年で、60歳以降も含めた全ての人生を生きよう」という結論に達した。
そして、そのつもりで生きてきた。現在に至って、このコンセプトは正解だったと自己満足をしている。
これは他人が評価する問題ではない、自分自身のことである。

昨年の一月に還暦を迎えた時に、「この10年間の生き方は満足できたが、次の10年をどのように生きようか?
そのコンセプトを一年間考えよう」と決めた。 正直にいうと、その満足できる結論は出ていない。
しかし大よそ考えたのは「この十年生きてきた中で、やり残したことが幾らでもあったはず、
それを追求だけで幾らでもあるはず、それを探せばよいだけ」である。
「やり残しを探し、一つずつ潰していく」しかし50代のコンセプトからみると、何か攻撃的ではない。

50代のそれは、好きな世界秘境ツアーを可能な限り行けばよいし、
嫌なこと、嫌な人間のいるところに、一切顔を出さなければよかった。
秘境・異郷旅行を徹した?上に、このHPの文章を遺言と思いを書き足せば良かった。
他に身体に害にならない程度に美味い酒を楽しめばよかった。
これまで読みたかった本は幾らでもあったが、それを読めばよかった。

その結果、60歳になった現在、何か張りが無くなってしまった。
この10年の間、少し無理してきたこともあり、唯我独尊の生き方でもあった。
50歳で人生の元は取った実感があったし、60歳で人生の余白も埋めた実感を持てた。
そこで、他の同じような年代の人は如何なのか、気になりだした??
(いや、それより60歳代のコンセプトを満足してなかった!からだ)

ところが面白いもので、丁度良い本を図書館で見つけたのが、これである。
それを読むと、60歳の地点で色いろな人生の立ち向かい方があるのに驚かされた。
意外に老成している内容が多いのには驚いたが、えり抜かれた人は当然ながら、
それぞれの人生に最大限の努力をしている。この本を読んでみて、
小さな世界に満足していた自分の卑小さが合わせ鏡のように見えてくる。
生きてきたようにしか、その後も生きられない。それでも真摯に生きてきた人は、
その後の人生でも枯れるのではなく、むしろ成長しているのが解る。

次回からは、その印象的なところを抜粋しながら考えてみる。、
同じ歳とはいえ、比べようもない相手ではあるが、自分が情けないような、
悲しいような気がする。これは生まれた天分だから、仕方ないとしてもである。
二度とない人生、一日一生の思いを更に深くすれば良いのだが!

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