議論に絶対負けない法 −4  
                      読書日記

  学生時代に、「青雲寮」(25人)という名の寮に4年間いた。 三日前にも40年ぶりに訪ねた夢をみた。
  寮も部屋も40年前のままだったが、古くて瓦解する寸前の汚い風景であった。。
  そこで初めて知ったのが、自分の見たことのない世界があった。
  今回は夢がテーマではないので詳細は書かないが、北は秋田から南は福岡までの人種を知った。
  そこでまず驚いたのがウソを平気で言う何人かの人である。
  8人兄姉の末っ子のため、ウソなど必ず見抜かれることを体験上知っていた。
  しかし、それは私だけの話し大体、15%の割りでいた。(もちろん、ウソを付く程度のレベルで言っている。
  人を陥れるために付くウソを平然と言うと人種のことである)
  正直であること、それが一番の自然体ということは、特に母から常日頃いい聞かされてきた。
  だから、それが当たり前ということは、圧縮された異種の人間の集合体ではベースではないことを、そこで知った。
  しかし、長い人生を歩いてきて、正直こそ一番の力になることを知った。
  反面、正直とウソさえ知らない人種がいる。 それは無知の人間である。 ただ親の価値観を引き継いで、
  その価値観の中で生きていて、その価値を疑ったこともない人たちが大部分だろう。 自分もそうなのだろう。 
  その価値観に従うことが正直なのだろうから何がなんだか分からなくなる。
   −次の箇所が、そのあたりの人間の歪みを、言い表している。
  
 p−93
私たちは子供のころから本当のことを言いなさいと諭され、人生のさまざまな場面において「正直は最良の策」だと
確信するようになった。 だが、一生のあいだに、真実を語る事に、ほとんど上達しない。
おかしなことに、私たちの社会は正直であることを奨励しない。 大学に「真実を語る法」と題する講座はない。
「うそつき自主治療協会」など、というものもない。 真実を語る人だと自称する人には一度もお目にかかったことはないし、
もし自分の言うことは全部本当のことだという人がいたら、私はくるりと向きを変えて逃げ出すだろう。
私たちは幼いころの経験から本当のことを言うとたいていは罰を受けると学んだ。
本当のこと書うと、負けるか、拒否されるか、追い出されるかだ。 
悪いことをして、それを正直に告白すると、たとえ悪気がなく些細なことでも、たいがいは罰を受ける。 
自分が怖いと思ってることを正直に言うと、馬鹿にされる。
自分があこがれていることを正直に話すと、からかわれる。 
愛情を告白すると、時には拒絶される。 気に入らないことをはっきりと言うと、村八分にされる。
怒りをあらわにすると、相手は怒りをもつて反撃してくる。
私たちは真実を話さないようにすることを学ぷ。 真実に近い話を作り上げる。
まぶしすぎて目をくらませるような作り話を創造する。 ひどい発疹を避けるように真実を避ける。
私たちは正直者は単純でおめでたい馬鹿者だと教えられてきた。 真実という言葉は嫌な言葉になってしまった。
神よ、我らを真実から救いたまえ。とりわけ、自分自身に関する真実から!
私たちは真実を語らないことを身につけてきたが、私たちは誰でも、自分の心の服を脱がなければならない。
だが、あなた方を説得して心の服を脱がせるためには、まず私が自分の服を脱ぐことが必要だ。
この隠喩を実行したら、私が服を脱いでさらけ出すのは、たるんだ腹に、誰も羨ましがらない生白い胸、そのほか、
あれこれ見せるに値しないようなものではないか、と心配なのは確かだ。
だがそれでも、私たちは「裸でいるかのように話さなければならないレと私は主張する。
  −−
  著者は裁判の駆け引きの中で、やはり真実が力を持つことを経験上、知ったのだろう。 
  といって正直過ぎるのも、相手を傷つける。 せめて出来ることは、自分に正直になるように努めることだ。 
  そして誠実であろうと努めることだ。 口先の議論は、所詮はそれでしかない。 
  そこに流れている真実を見るように勤めることである。 

 ・・・・・・・・・・