148、アフガン国境   2001/09/18

カイバル峠ーアレキサンダー大王が通った峠ー
 ー昨日間違ってけしたため今日改めて載せる
   ー自宅のパソコンにコピーしてあったので助かった

中近東シリーズ、インド・パキスタン・シリーズとこの2年旅行して見てきたそのままが、
1〜2年後大きいニュースになるのが必然か。その前がペルーやケニアであった。
異郷をキーワードに行っていたのが、こういう結果になってしまったのだろう。
しかしツアーレベル(観光客レベル)でしかないのもわかっているつもりだ。

もっとシビアに言えば旅行で帰ってきて、どうだった?ときかれてもベラベラ喋れない!
というのが本当のところだ。かなりのお金を払ってなんで?とは一回思ったことはない。
しかしそこで見たものは、感じたものは、得たものはその数十倍もあるからだ。
したがってこう言う機会にしかいえないからあえて言う。 シルクロード!の昨年の旅行、
考えられない社会の連続であった。パキスタンが注目の世界に入る事を
前提にシルクロードのバスの世界で垣間見た世界を書いてみよう。 表面的の話を!

 ーバスの中で現地添乗員ー
「ここの部落は自治区です!治外法権の世界です!排他的な民族です、外を見たら目を絶対にあわせないでください!」
「ここの部落は近親相姦の平気な部落です!従がってかなり民度と部族としてレベルの低い世界です!」
「ここは麻薬と銃器の世界に対する密輸基地です、あの大邸宅の内側はホワイトハウス
 中より物理的にはるかに豪華な世界があります!警備もその数倍の仕掛けがあります!」
「この街は麻薬と銃の暗黒街ーマフィアにむけた秘密基地です、あの店の名前が麻薬やと堂々と書いてあります」
「ここからアフガンまで2時間の街道の200メートルまではパキスタンの管理下、
 その向こうの道路は密輸通り!みて見ぬふりです!」

芥子の花はその辺に咲き放題!その辺で石に混ざっているヒスイをさがしていたら、
ある女性が上から落ちてきた小さな石に当たった、しかしその速度のため頭は血だらけ
ーもちろん帽子の上でこうなるのだから!

あちこちで落石事故!自分たちだけは絶対大丈夫という信念の中で、まずパキスタン添乗員が疲労で倒れ、
次に我われの添乗員が倒れ!気を張っていた自分が、最終のフライトの飛行機の中で、死ぬほどの下痢!
脱水!トイレの前の席で30分ごとの脱水状態!もちろん生まれて初めての経験
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参考に為にシルクロードの旅をコピーしておきます。

ーH12・07 シルクロード15日間の旅ー

"人生とは基本的には、うまくいかないものだ!"という誰かの本を読んで、
この命題をこの旅行で解いてやろうと出発した。そして帰ってきて、一つ解った事がある。
うまくいくカギとは、それがこの文章の内容であり、この旅行であった!
(少々のリスクと困難のむこうにあるもの、それは?)うまくいかないのは困難を恐れてしまうからだ!

=旅は人生の縮図!=
北京に一泊、そしてウルムチに一泊。さらに天山、タクマカラン砂漠を越えた
西域南道のホータンに一泊。そこよりマイクロバスを乗りついでパキスタンへ。
世界の屋根、パミール高原を越えヒマラヤの桃源郷フンザ王国とペシャワールへの
二千km以上を走破してイスラマバードへ、文字通り命懸けの旅行であった。
軽い気持ちで行って、"とんでもない旅行をしてきた!"というのが、帰っての総括の気持ちだ。
やはり十日間入院したというツアー仲間よりの手紙が早速届いた。

こんなリスキーさは日本の常識をはるかに超えていた。でもこれこそ旅の醍醐味でもある。
旅とは異質との出会いであり、その接点で自己の異質(本質)に気付く事でもある。
その点で今回は異質の出会いの連続といってよかった。ホータンはその最たるものであった。
街の大部分はロバにひかれた荷車にあのウィグル族などの何ともいえない風貌の老人ときれいな女性達、
目の前がクラクラしそうな感激。

そして旅の仲間二十名を乗せた車はホータンより西域南道を右手にタクマカラン砂漠を見ながら五〇〇kmの
道のりカシュガルに向かう。カシュガルを二泊後、シルクロード最大の試練といわれるクンジュラブ峠
(標高四九四三m)の峠を越え、7千m超級の山々を間近に臨みながら、中国よりパキスタンへとバスは走りぬける。
ここで四名の仲間が軽い高山病になる。
ラクリ湖よりみたコングール峰と、ムスタガータ峰の七〇〇〇mを越えた山の美しさに圧倒される。
翌日より右手にインダス川が流れ、カラコルム山脈が左右に続いているカラコルム・ハイウェーに入る。
ハイウェーとは名ばかり、軍事道路の為安全面はゼロ。危険きわまりない。
あちこちで土砂崩れの工事の横をすりぬける。一万人の軍隊が待機して一〇〇〇km以上のハイウェーを
補修工事をしているという現地ガイドの話。 当然何回も足止めをくう。
三〇〇mの巾の土砂崩れの道路を現地人の臨時のサポーターを一人ずつ、手をつないで落石の中を走りぬける。

そして向こう側で臨時にチャーターしたバスに乗りかえる。ところが、ところがそのバスの運転手がスピード狂、
六時間以上、右手が川の流域まで百〜二百mの断崖の道路を百m以上のスピードで突っ走ったのだ。
アメリカで"スピード"という暴走バスの映画があったが、そのカラコルム版そのもの。
まさしくジェット・コース!に乗っている気分!全員顔面蒼白、そして無言! といって誰も文句をつけない! 
それを楽しんでいるのだ。
(以下は、字数の関係でカット・・・2007年09月18日)