2007年09月09日(日)
2350.ベナレス・・・6
 2,ヒンドゥー教とは

ヒンドゥー教は紀元前一五〇〇年頃に西方からインド亜大陸に移住してきたアーリヤ人
信仰していた祭祀中心の宗教を核にして、先住民のもつさまざまな民間信仰を融合して発展してきた。
それ故・この宗教には開祖が存在しないが、そのかわり『バガヴァッド・ギーター』(神の歌)など、
人びとを宗教的な道に導く数多くの聖典が編纂された。 ヒンドゥー教は基本的には多神教であるが、
それらのうち主要な神のどれもが最高神と考えられるという独特な神観念を持っている。
ブラフマー神(梵天)・ヴィ・ンユヌ神、シヴァ神がそれぞれ世界の創造・維持・破壊を司るという三神嫡体の概念も
生み出されたが、ブラフマーは相対的に地位が下がり、現在ではシヴァとヴイシュヌ・それに宇宙の根源的力を
象徴する女神信仰が盛んである。根本的な教義としては・暴人にもなじみが深い驚と輪廻、解脱の思想が説かれるが、
宗教的な営み(ダルマ・法)とともに、実利(アルタ)と性愛(カーマ)も人生の目的とされている。ヒンドゥー教は禁欲的な
審や修薯たちだけのための宗教ではない。一般の人びとが幸福に暮していくための必要な欲望は認めているのである。
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5、ヒンドゥー教聖典

ヒンドウー教の聖典は、天啓聖典と伝承聖典に大別される。 天啓聖典とは人間以外の存在によつて示されたことを
聖仙たちが霊感で受け取ったものである。もつとも古いのは『リグ・ヴェーダ』(紀元前一二〇〇年前後)をはじめとする
四つのヴェーダ聖典で、インドラ神(帝釈天)などの神々への讃歌を中心に、世界創造の神話などが説かれている。
前五〇〇年を中心に前後数百年のあいだには、『チャーンドーギヤ.ウパニシヤッド』など数々の
ウパニシヤッド聖典(奥義書)が編纂された。
ここに最初に現れた。一方、聖仙によつて説かれたものは伝承聖典といわれ、その代表に『マヌ法典』
(前二〇〇〜後二〇〇年)がある。法典と訳されるが、その場合の法とは人間の行動の規範、社会的.宗教的義務を意味し、
法律の規定も含まれるが、全体的な内容はヒンドゥー教の百科全書的なものである。
また、パラタ族の領土をめぐる親族間の抗争を雄大に語る『マハーバーラタ』(後五世紀頃に現形成立)と、
ラーマ王子の英雄流離葬『ラーマーヤナ』(後三世紀頃に現形成立)は、インドの国民的叙事詩ともいわれている。
とくに『マハーバーラタ』に含まれる『バガヴァッド・ギーター』(神の歌)は、
ヴイシュヌ神が行為の結果を考えることなく自分の担うべき義務を遂行することを説くもので、
現在ビンドウー教徒にもっとも愛されている宗教書といえる。
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解)むげに否定することは出来ないが、それにしても酷いものである。
当時のアーリア人の何とも嫌らしい意図が露骨といえば露骨である。
支配のための宗教などが、このように露骨なカタチで残っている不思議。
それが地球上にあるのだから、何とも言いようがないのである。
明治憲法も、似たようなものだが。それと、葬式で食べている現在の坊主!

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