2007年09月07日(金)
2348.ベナレス・・・4

 ーー
この街では私たちの世界と価値観が逆転しているとさえ感じられる。
そしてその不思議さは、私たちが生きる社会への、痛烈な批判なのかもしれない。
朝夕、スワループさんの僧院では神への祈りがささげられる。
そこには路地に暮らす数多くの人が参加し、スワループさんが唱える経典の言葉を聞き、その後に繰り返し唱える。
集まってくる人びとの中には、たくさんの子供たちの姿もあった。
かつてスワループさんがそうであったように、聖地ベナレスに受け継がれてきた伝統が、
また次の時代へと伝えられて行くことを感じさせる光景であった。
街が人を生み出し、人が街の営みを支えて行く。こうしてペナレスは聖地としての歴史を刻んできたのである。

スワループさんは月に数回僧院を離れ、寺院やほかの僧院の儀式などに呼ばれ、
祈りをささげに行くことがあるという。多くの場合、その交通手段はボートである。
数千年間続いてきた伝統の道に身を投じようとしているスワループさんは、この街をどう見ているのだろうか。
ここで両親を茶毘に付し、また二年前から現世での生活を捨てるという視点からこの街を見つめ続けてきた彼は、
ベナレスの街並みが見えるガンジス河の上で、こたえてくれた。
「私にとって、この街は特別なところです。この街はすべてが本物なのです。
私は『死』のあり方だけを言っているわけではありません。この街で暮らす人びとは、
とても生き生きと活力に満ちて生きています。それがベナレスの力だと思うのです。
みんな対岸から朝日が昇る光景が好きだと言いますが、私は日暮れ時のべナレスがいちばん好きです。
太陽が街の中心に沈んで、この街にエネルギーが注がれる気がするのです」

「すべてが本物である街」ベナレス。スワループさんが言うように、この街に太陽が沈む光景は、
確かに陽の力が街に与えられるような荘厳なものであった。人生の最期を家族と過ごす館「ムクティ・バワン」
に通い出してから二十日が経っていた。その間四人の人が亡くなられ、希望通りマニカルニカマトへと運ばれて行った。

          • -

解)ベナレスも当たり前のことかも知れないが、やはり現地のあの雰囲気を実際のところ味わってみないと、
その意味は理解できないだろう。それだけの迫力と、深さを感じ取ることはできる。
あれだけ、あの地で死ぬことを欲していれば、死そのものの恐怖は逆に消滅してしまうだろう。
その意味では、宗教の力を直接的に感じる場所と言える

・・・・・・・