2005年08月14日(日)
1594, 犬の散歩

毎朝、ウォーキングをしていると、犬の散歩の人と行き会う。行き会う人の半数近い。
何時も思うのは、犬と飼い主が似ていることである。特に年配の人と犬は、長年の付き合いのせいか、そっくり。
顔つきや体型が似てしまうのは同じ環境にいるためだろう。
以前も、散歩の犬に関して少し書いたことがあるが、時代時代に犬の流行があるようだ。
ハスキーが多い時期があったり、ラブラトール・リトリーバーやゴールデン・リトリーバーだったり、
最近はポメラニアンミニチュア・ダックスフンドなどの小型卓上犬が目立つ。

実家では、必ず犬を飼っていた。そして、それぞれの犬の思い出が多くある。
まぎれこんだり、拾ってきた犬で、雄雌関係なく「コロ」という名前であった。
しかし結婚をしてからは、家内が犬が大嫌いで「飼うこと相成らぬ」である。
もし人生に幾つか悔いが残るとしたら、その一つが「犬が飼えなかったこと」である? 
といって、いま現在では躊躇する。そういえば、最近「雑種」をあまり見かけなくなった。
どういうことだろう?恐らく放し飼いが全く無くなって、チャンス?が無いのだろう。

ところで、雑種を三匹連れているオジサンが、いつも口笛をふきながら歩いているが、
その口笛が聞きほれるほど上手い。その三匹の犬、飼い主に似てか?
すれ違う犬に大きく吠え掛かる。口笛と犬の吠え声で、その存在がわかる。
 ところであるベストエッセイ集に「犬に似る」というエッセイが微笑ましい。
   そしてプロの文章はすばらしい。
 
最後の文章を抜粋してみる。
  ー犬に似るー 
 ついでだが、犬と飼い主はたいていの場合、そっくりである。
ずんぐりした人はずんぐりした犬をつれているし、短足胴長の犬の飼い主は短足で腹が太い。

 それでは、いつの間にか名前が平仮名の「そら」に落ち着いたわが家の犬はどうか。
しばらく前まで、スマートで端正な犬だとうぬぼれていたが、このところ、
目の青色は薄くなり、鼻の頭は白く乾いている。猫やカラスを追いかけるとすぐに息を切らす。
息を切らすと、はあはあと長く舌を出し、腹を大きく波打たせる。どったと寝転がっていることも多い。
 そのそらのようすは私にそっくりらしい。いや、私がそらに近づいたのだろう。
先日、家の前を通っている二人連れの会話が聞こえた。「ここの犬、この家のご主人とそっくりよ。
毛の色も一緒だし、体格もうりふたつ」「へえ、じゃ、どっちが犬かわからないわね」 私は思わず吠えそうになった。
                                  (坪内稔典 俳人
最後の一文がきまっている。

・・・・・・・・・