2007年08月14日(火)
2324, 嘘でしか語れない真実もある!
                 (。・・)ノぉはょぅ♪

芥川龍之介に「人生には嘘でしか語れない真実がある」という言葉がある。その典型的なものが旧訳・新訳聖書。
あのような奇跡などあるわけがないが、あの話を通して事実では語りえない真実を語っている。
末期がんの患者に、「あなたは助かりませんよ」と知らしめることが、いいのか?
死ぬ直前まで嘘で固めて、気づかないようにしてやる方がいいのか?これは誰も判断の出来ないことである。
日本には「嘘も方便」「嘘からでたマコト」という言葉があるが、時には嘘も大事なこともある。
女性の化粧など、嘘で固めた外形?ではないか。 いや、真実を引き出す行為か?

プロの物書きは、まずは真実を伝えるためなら平気で嘘を書きなさい!と教える。
読み手は些細なことが事実かどうかより、真実を伝えてくれることを望んでいる。
「正直に拘ると、人生あまりに窮屈で面白くなくなります」という言葉が浮かんできた。 
何処かの小説で誰かが言っていそうである。詐欺師など、嘘のプロが普通の人を如何みているのだろうか?
少なくとも、言葉の効用を知り尽くしている。

嘘にも色いろある。相手を陥れる嘘や自利のための嘘は結局は自分に跳ね返ってくる。
相手のためになる嘘は、それがプラスになり生きてくるものである。
嘘でしか語れない真実?といえば小説などが、その典型?

背理法という言葉がある。数学の証明の方法の一つで、俗に「ユニコーン(空想の動物〜 一角獣)証明」
と呼ばれる。「ユニコーンが存在したとしたら〜」などとあり得ない仮定をし、続けてその夢想から導き出される
現実との矛盾を指摘し、最終的に「ユニコーンは初めから存在しなかった」と結論付ける方法である。
不合理な仮説を否定することで、真実を導き出す方法である。

嘘を言ってしまったが、言い続けているうちに自分でも嘘が事実のように思い込んでしまうのが人間の記憶。
長期の裁判で度々死刑囚が無罪になることがある。間違いなく有罪のはずの被告がである。
嘘と、話をオーバーに表現するのと、何処が違うのだろうか?現象、事実、真実。そして、
それらを言葉に換えたとき嘘になる? 言葉は嘘の器?それとも真実を伝える器? 両方か!
                (○´ω`○)ノ**SeeYou**
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