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−読書日記−
ー遊びをせんと生まれけむー
亡き佐治敬三氏がサントリーの会長だった頃(1995年頃)、
口ぐせのように言っていた言葉に「美感遊創」がある。
・「美」は、羊が大きいが語源。大きく艶やかな羊の美しさを表わしている。美に感応する心である。
・「感」は、 感性、感動、共感。 旅に出て自分の世界の外に出会って感動したり、
絵画、音楽、映画、演劇などに感動することが人生を豊かにしてくれる。
・「遊」は、神代の昔から人間にとって一番大事なこと。 「遊びをせんとや生まれけむ」と「梁塵秘抄」
にあるように、人間は「ホモ・ルーデンス」。 遊ぶことで人間性を回復し、活力を得る。遊び心。
・「創」は、新しい断面、局面を切り開いて、個性のある創造をすること。一瞬の新しいものへのシュンパツ力。
以上だが、この4つが人間の心の豊かさの要素である。 確かに、人生はこれを磨くプロセスであった。
この中でも、「遊び」が、人間にとって最も有用な行為になる。
「エリック・ホッファーの 人間とは何か」という著書に、
遊びについて次のように述べている。
《実用的な道具はほとんどすべて非実用的な関心の追求や暇つぶしにその起源がある。
最初に家畜化された動物ー小犬1は、もつとも役に立つ動物ではなく、もつとも遊び好きな動物であった。
猟犬が出現したのはかなり後のことである。最初に家畜化された動物は子供たちのぺットであった。
おそらく,植物栽培と灌漑も、初めは遊びとして行なわれたのである。 車輪・帆、煉瓦なども遊びの中で
発明された可能性が強い。 たとえば、南アメリカのアステカ人は車輪を使わなかったが、
足の代りにローラーをつけた動物の玩具をもっていた。装飾が衣服に先行した。
弓は武器となる以前は楽器であったといわれている。 人間が初めて粘土を使用したのも、土器をつくるためではなく、
土偶をつくるためであった。 こう見てくればわかるように、昔から人間のもつとも有用な行為は、遊びであった。
土器をつくり、布を織り・金属を加工し、動物を飼育するはるか以前に、人間は絵を描き、線刻画を描き、
彫刻をし、像をつくったことを銘記すべきである。 芸術家としての人間の誕生は、労働者としての人間の誕生よりも
はるかに早かった。 遊びが労働に先行し、芸術が有目的な生産に先行した。
人間はしばしば必要に迫られて楽しむためのものを有目的なことに利用した。必要に迫られて働いている間は、
依然として人間は動物界の一員である。人間は、ただ生きるだけであったら不必要なもののためにエネルギーを注ぎ、
さらに生命の危険さえもおかす場所に、特異な存在としての人間となり、最高の創造力を発揮する、
したがって、人間の人間化が起こったのは、自然の恵みで豊かで、余暇があり、遊び戯れる性向があった状況に
おいてであったと考えるべきである。 自然界における人類の台頭は、心細い戦場においてではなく、
エデンのような遊びの庭において起こったのである。・・・・ 私にいわせれば、オートメーションの時代の到来は、
魔法円の完成である。人間はエデンという遊びの庭で初めて人間になった。 そして今、人間は遊びの庭に帰還して、
人間の究極的使命を、すなわち人間性の完成をはかりうる機会をてにしている。》
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遊びの重要性を上手く説明している。
良く遊び、良く学び、良く働く、をバランスよく豊富にすることが人生の豊かさだが、
私の場合は、そのバランスはとってきたが、「良く」に問題があった? まあ、いいだろう。
遊びが4、学びが3、働きが3というところだろうが、厳しい娑婆では、働きが4で、他が3だろう。
まあ、学びも、働きも、遊びまで持ち上げるのが理想である。そのためには好きなことを仕事にすれば良い。
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