2006年08月09日(水)
1954, ある首斬り役人の日記 −1
           (\ Y /)(\ Y /)オハヨウ!         
                     −読書日記
 ある首切り役人の日記
       フランツ・シュミット/ 訳・藤代幸一  白水社
 −そろそろ、お盆! 少し背筋が凍りつく内容もよいだろう!ー

何気なく図書館で借りてきた本。少し気味悪いが、人間の極限における生々しい姿が書かれている・・・
初めは事務的に時系列の処刑の記述が、時間が経つにつれて具体的に
リアルになっていくのがわかる。 しかし汚職とか、政治闘争の結果の死刑は見当たらない。

    16世紀に実在した、死刑執行人の日記で、自分の仕事内容を記録したもの。
    16世紀末から17世紀初頭にかけて、ドイツで刑の執行を行った親の代からの
    首切り役人フランツ親方の日記で、剣と綱で生涯に361人の処刑をした。
    他にも鞭打ち・指切りなど死刑以外に、彼の手にかかった処刑者は345名である。

彼は日記を書くにあたり、極力個人的感情を入れないようにしている。
だから真に迫ってくる。1~298まで、それぞれの犯罪と死刑の方法を書いている。
そして年末に、その年に処刑した合計数が書いてある。日記と言うよりは記録の書といってよい。

    ・犯罪の種類として、
     追い剥ぎ、泥棒、殺人、嬰児殺人、同性愛、近親相姦、詐欺、教会からの窃盗(罪が重い)・・・ 。
    ・刑は、
     打ち首、絞首刑、車刑、火刑から、追放刑、むち打ち、腕の切断、
     指の切断、耳の切断等々、現代からみれば残酷のものが多い。
     当時はこれは当たり前の処刑であった。権力者の見せしめの意味が大きかったのだろう。
     
 死刑の中で、首切りは苦しまないで瞬時に絶命するので一番望ましいものだった。
 お慈悲により首切りの刑に処したと、ところどころにある。犯罪も、どこの町や村に住む人が、
 いったん暗転をしたとき、こうなるに違いないドラマを、そこにみることが出来る。

    この原書は、首切り役人・フランツ親方の日記である。散逸してしまったものを掘り出して公にしたのが、
    同じニュルンベルクに生まれた法学者のフリードリヒ・フォン・エンターである。
    かれは1764年生まれ、1789年に法学博士となり、弁護士を開業している。
    この書により、当時の社会の庶民の姿が垣間見れる。
    グリム兄弟などの当時の作家が、この本を見て幾つかの作品のヒントにしている。

話は変わるが、吉田松陰の処刑の逸話がある。それまで悟り済ましていた松陰が、いざ首切りの時に、
恐怖で転げまわったりして抵抗したあげく押さえつけられ、やっとのこと首を落とされたという。
人間的でよいが・・・
 ーー        
‘何故、わざわざ気味の悪い本を読むのか?’ですかって。
400年前の、ドイツの生々しい人間の叫びと、庶民の哀しみの姿が垣間見ることが出来るからだ。
またフランツ親分の首切り人生を通して、一人の男の背後に控える膨大な闇が見えてくる。   
次回は、その日記の幾つかを抜粋してみる。                ーつづく
                       ヾ('c_'ヽ,,)*.:      
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