2006年08月07日(月)
1952, ローマから日本が見える−21
            ー読書日記ー
  第九章 ローマから日本が見える −1

    さて、最終項である。この読書日記を書いていて、自民党を中心としてきた戦前からの官僚システムが、
    共和制に酷似していることに唖然とした。それも二代目・三代目が恰も共和制度の破壊者という顔をして、
    そのじつ国民を欺いている現状を鳥瞰できる。
    小沢一郎も同じ穴のムジナだが、しかし本気で壊そうとしているだけマトモということか?
    
ー「リストラの」名人たち ー
BC753年の建国から始まっておよそ8Cにわたるローマの歴史が
この本の主旨であったが、ローマ人は「リストラ」に長けていた民族であった。
事業縮小や、撤退、人員の削減といった消極的な改良ではなく、
本当の意味でのリストラクチャリング、すなわち再編成なり再構築に
何度も成功したからこそ、ローマは千年の歴史を持つことができた。
本書の中で取り上げた中でも大きなものだけで、数えて三回あった。

  ・最初は、王政から共和制への移行です。
    BC509年、ルキウス・ユニウス・ブルータスによって第七代王「尊大な王タルクィニウス」が追放され、
    以降は一人の王に代わって、執行官が毎年二人ずつ選出された、この二人が国の政治の最高責任者になった。
  ・二度目の改革は、BC390年に起こった、「ケルト・ショック」を機に行われた
    共和制体部の改革である。貴族と平民との階級闘争も終わり、ローマの再興を果たすため、 
    政府の要職を平民に開放する決断もこの時に行われた。
  ・そして三度目の改革は、帝政の移行であった。
    カイサルがその設計図を引いて、アウグストゥスが、そのとおりに石を積み上げていくことであった。

  ローマの改革は、もちろんここで取り上げた三つだけではない。
・BC494年から始まった護民官制度、ポエニ戦役ごの
 「混迷の時代」にグラックス兄弟やマリウスやスッラが行った諸改革は、数えればきりがない。
 ローマ人にとっての政治システムは、ローマ軍の補修と同じく「メンテナンスすべきもの」であったということ。
    
・哲学的思考によって真理を追い求めようとするギリシャ人とも、
一神教絶対神を信じるユダヤ教キリスト教の信者とも違って、
 ローマ人はこの種の「絶対」は馴染まない。どれだけ優れたシステムであっても、人間が作るいじょう、
 かならず欠陥を隠し持つという現実的な感覚を、彼らは持ち続けた。
 
     ある意味で、ローマ帝国史における経験は、人類にとっての大きな遺産の宝庫である。
     多民族が入り乱れる欧州で1000年以上も帝国を存続させたシステムは、
     現代でも、いや現代こそ、経験則として学ぶべきである。
                            −つづく             
                     (*^▽^)/ ホンジャ!
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