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2006年07月27日(木)
1941, ローマから日本が見えるー16
\(^▽^*)おはよう
第七章「創造的天才カエサル」−2
ー植民都市の建設ー
徴収上の問題を解決をすると同時に、カエサルが行ったのは、属州にも
ローマ市民権を積極的に増やしていく方策であった。
ローマと属州が共同運命体になるには、属州にもローマ市民を
積極的に増やしていく方策である。
彼は大きく分けて二つの方法で、属州在住のローマ市民を増やしていった。
・一つは、族州民にローマ市民権を与える方法。
「古くからローマ人は敗者も同化する」という独特な哲学を実践していたが、
それを属州民にも適用していった。ガリアや北イタリヤにとどまらず、
スペインの原住民の有力者にも、ローマ市民権を与えたのです。
後世の歴史家が、ヨーロッパはカエサルが創造したとする、ゆえんである。
・第二は、カエサルはローマ市民を属州に送り込んで、
そこに「植民都市ーコローニア」を造らせるという方法であった。
すでにローマはイタリア半島に防衛拠点に植民都市を建設していたが、
それを属州までも広げるというやり方である。
このアイデアはカエサルの独創ではない。
かってグラックス兄弟の弟ガイウスが試みて元老院に潰されたカルタゴもそうだし、
ポエニ戦役当時スキピオ・アフリカヌスがスペインに建設させたイタリカも、
ローマ人が建設をした本国外の「コローニア」の例である。
カエサルは、この植民都市をより多く建設していくことだけだった。
カエサルのこの政策によって、属州に移住したローマ市民は8万人にも達した。
これは、あたかも棄民のように思われるが、そうではない。
植民者となったのは、ローマにいても仕事の無い失業者であり、カエサルの軍団の兵士だったからだ。
カエサルのこの「植民都市」の建設は一石三鳥の効果をもたらした。
これらの政策によって、ローマと属州は「運命共同体」への道を歩み始めた。
カエサルはローマ本国と属州との一体化を進めるための方策として、これ以外にも様々な政策を具体化していった。
・首都ローマと属州を結ぶ街道ネットワーク整備がそうだ。
・また通貨の改革
・ユリウス暦の制定もそうだ。
カエサルは元老院が造幣権を一手に握っていたのを、これを取りあげて、
国立の造幣所を開設し、そこで金貨・銀貨を作らせてることにした。
ユリウス暦の制定にも、カエサルの考えが反映されている。 同盟関係にあったエジプトから天文学者、
そしてギリシャからは数学者を招いて、正確な暦作りに着手する。こうして出来上がったのが、一年が365日、
4年に一回、うるう年が入る太陽暦であった。 これがユリウス暦である。
これで貨幣として「基軸通貨」をつくり、暦としてユリウス暦という「基軸暦」をつくった。
歴史は一朝では作られない、数千年の時間の中で、多くの血と汗で作られている。
i (ω・`) bai
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